もく窓

~良い映画と究極の手抜き料理を探して~  

マイナスイオンのドライヤー

2009年06月30日 | 雑記
数年前にN社のイオニティなるドライヤーに買い換え、愛用してます。髪の乾きが早くてしっとりサラサラになるので、娘にはナノイーというもっと高いのを買ってあげました。娘も「以前のより何かイイ感じ~♪」と言ってました。YouTubeで菊池先生のお話を発見しました。あ~、母娘そろってバカでした。気のせいだったのか~。








もうひとつ発見。視点・論点にこんなに美しい人が。
ウクライナ刺繍の衣装も、Rの巻き舌の発音もステキです。

悲劇を忘れないでください  Nataliya Gudziy sings




あみねこ

2009年06月29日 | 雑記
麻とアクリルの混合糸であみねこを初めて編みました。
不器用なのでアップには耐えられない出来ですが
一作目にしては、クタクタとたそがれるのが好きな良い子が出来ました。
ヤマモモの実る季節ですので『やまもも』と名付け、女の子となりました。
正座も出来るので座布団と浴衣を作ってあげようと思ってますが、何でも作ろうと思い立ってから実際に作り始めるまで、忘れてしまったかと思われるほど長い時間が必要な性質なので、そのためしばしば本当に忘れてしまいますが、、、冬までに座布団を、来年の夏までに浴衣を作ってあげようと思ってます。お魚の形の抱き枕も、サンマかカツオにぴったりの布地が見つかったら作ってあげましょう。


ねこやまさん、HP猫の写真とあみぐるみでの編み図の公開ありがとうございます。
本「あみねこのいる生活」は友人へのプレゼント用に〔密林〕へ注文しました♪


昇格しました

2009年06月15日 | 雑記
先日、相方が年に一度の人間ドッグへ入ってきました。結果、糖尿病予備軍から糖尿病へ昇格いたしました。
今日は病院で栄養指導をするので奥さんも一緒に来てくださいというので、二人で栄養士さんのお話を聞いてきました。栄養士さんが一年前に指導したことと重なりますが、と言う。アララ、、私すっかり忘れてました。これだからグレードアップしてしまったんですネ。お話しているうちに思い出してきました。確かに同じ栄養表を貰いましたわ。栄養士さんも同じ人でしたわ~
食事だけでなく生活全般に渡り質問され答えているうちに、自分でも食生活の欠点が見えてきました。おやつの食べ過ぎでした。これからはおやつ抜きだそうです。毎日甘いものを欠かしたことのない二人ですので、おやつ無しと言ってもおやつ曜日を決めて一週間に一度くらいなら良いですよネと聞いたら、厳しい顔で一ヶ月に一度くらいというお返事でした。では、お菓子が好きなのでご飯を減らしてその分お菓子を食べるなら良いですかと聞いてみたら、ムッとされたようで、さらに厳しい顔をして、足を切ったり目が見えなくなったり透析をするようになってもよろしいのですか、という言葉が返ってきました。
あ~、アップルパイよ、チーズケーキよ、チョコレートよ、堅焼き煎餅よ、大福餅よ、、、さようなら~~~、なんか涙が出そう、、。


食事の量を記録することになりました。帰って早速始めました。
計量するのは大切ですネ。コーヒーに牛乳を入れて飲んでいたのですが、牛乳は目分量で大匙一杯強20mlくらい入れていると思っていたら、量ってみたら50ml入れてました。一日に3杯くらい飲んでいたのでコーヒーだけで150ml、それに朝のヨーグルトに夜のおつまみのチーズと、乳製品はチョッと摂り過ぎでした。
材料を全て計量するのは少々やっかいですが、自分の盲点がもっと見つかることでしょう。なんと言っても愛するのためですので。頑張ろう~っと。


益子から笠間へ

2009年06月14日 | 雑記
朝食をとっているときはドシャ降りでしたが、日ごろの行いの良いせいか ホテルを出るときには雨が上がりました~。
ホテルから近い山の奥にある古いお寺、西明寺を訪ねてから、笠間の春風萬里荘へ向かいました。
春風萬里荘は、北大路魯山人が北鎌倉で住んでいた古民家を移築したものだそうです。龍安寺を模してつくられた枯山水を眺めながらお茶を頂けます。ここも我々五人の貸し切り状態で静かにゆっくりと観て廻ることができました。
そのあと笠間芸術の森公園という箱もの行政の香り高き所へ行きました。その中にある茨城県陶芸美術館の中の「風の丘」というレストランで昼食にしました。ゆばうどん、コシがあって美味しかったです。県陶芸美術館はお薦めしませんが、ゆばうどんはお薦めです
お昼を食べてすぐに笠間を出たので全く渋滞無しで2時間ちょっとで東京の親戚の家まで着きました。お茶を頂いて帰宅。夕方に家に帰って来られる近場の小旅行は疲れなくて気分転換出来て良かったです。



益子参考館再び

2009年06月13日 | 雑記
(写真) 上から益子参考館のカフェ、日下田藍染工房、ワグナー・ナンドール美術館、真岡鉄道SL

再び益子参考館へ行ってきました。土曜というのにまたもや我々だけでした。ガッシリとした太い梁の薄暗い室内から、時を超えて愛された椅子に腰掛けて窓の外の緑を眺めながら、なめらかに泡立つコーヒーを濱田窯のクラシカルで素朴なカップで頂いてきました。何度でも訪れたい場所です。
そのあと、明水というお蕎麦屋さんで昼食をとり、日下田藍染工房、つかもと美術記念館、外池酒造を廻り、休館中のワグナー・ナンドール美術館を外から見てきました。こんな狭い道の先に美術館があるなんて信じられないような細い坂道を上がった竹林の中にありました。六体の彫刻が外の道に面して並んでいたので写真を撮らせていただきました。また秋の開館時に再訪します。
益子駅のある真岡鉄道は土日にSLが走るそうなので、一駅だけ、、乗せました。乗りました、と言いたいのですが乗ってません。運転手なので親戚4名を益子駅で降ろして一駅先の西田井駅へ先回りして迎えに行きました。西田井駅のホームでSLが来るのを待ちましたが、SLが煙を吐きながらぐんぐん近づいて来るのは力強くて迫力がありました。乗車した相方に感想を聞くと、加速するときの振動がすごくてやはり電車とは違う力強さを感じたそうです。SLファンの気持が少~し分かりました。
今回は千葉から日帰りするのは老体にちとキツイので益子で一泊しました。益子にホテルは一軒しかないのでそこに泊まりました。ウ~ン、、、いい旅夢気分という番組に出たそうで、、、従業員の愛想は良かったですョ、、、あと露天風呂はアジサイの花が咲いていてなかなかでした。


 親戚の人が買ってくれた藍染のコースターと、自分で買った蝶の箸置き。どちらもとってもお気に入り
             

ドナウの叫び

2009年06月09日 | 
                      ↑ナンドールと千代

 「ドナウの叫び」 ~ワグナー・ナンドール物語~   下村徹著  2008年
『2001年、ハンガリーの首都ブダペストにあるゲレルトの丘に、日本人がつくった「哲学の庭」と名付けられた八体の彫刻が建立され、ハンガリー政財界の要人を含む千人近い人が集まり祝ったが、日本ではまったく報道されなかった。』~序章より抜粋~

1922年ワグナー・ナンドールは、第一次大戦でハンガリー領からルーマニア領へ変わったナヂュバラドの町で生まれる。オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の侍従武官長を務めた祖父から新渡戸稲造の「武士道」を、医師である父から「老子」の書を贈られて感銘を受け育つ。父の反対を押し切りブダペストの美術大学へ進む。第二次大戦に従軍。終戦後、美大へ戻りセオドーラという数学を専攻している女性と結婚。三子を儲ける。ハンガリー動乱(1956年革命)後、スウェーデンへ亡命。赤貧生活の中、妻セオドーラはスウェーデンの中学校の数学教師となり一定の収入を得るようになる。妻子と別居。1960年、千代と出会う。
千代は昭和5年(1930年)札幌で生まれる。日本女子大在学中に東大医学部出の医師権藤と見合いし、二年後結婚。千代の両親が用意してくれた東京本郷のお屋敷に住むが、権藤の母が断りなしに同居してしまう。ハーバード大学の医学研究室に留学する権藤に伴い渡米。2年後、権藤はスウェーデンのルンド大の研究室へ転職し、千代は暴力的な権藤との離婚を考え日本へ帰国。その年(1959年)の12月のノーベル賞授賞式に権藤が招待され、「二度とない機会なので二人揃って出席しよう。早くスウェーデンに来てほしい。」という権藤からのたび重なる手紙に、結婚生活をやり直そうとスウェーデンへ行く。ノーベル賞記念パーティーの舞踏会でスウェーデンの男爵と和服姿で踊りテレビや新聞に取り上げられる。1960年、知人の紹介で、ナンドールに絵を習い始める。こうして出会った二人だが互いに伴侶のある身ゆえ、まず離婚し、それから生涯を共にしようと誓い、1960年12月千代は権藤とともに日本へ帰国。1962年、千代は再びスウェーデンへ行きナンドールと暮らし始める。1965年、千代、権藤と離婚成立。ナンドール、スウェーデン国籍を許可される。亡命者は離婚の権利がなかったが、国籍を得たことでセオドーラと離婚する。1966年ナンドールと千代、結婚。1969年二人で日本に移住。本郷の千代の家は、権藤が再婚し新しい妻子と住んで居住権を主張し出て行かないので、姉夫婦の家に世話になる。1970年、益子へ引っ越す。1975年ナンドール、日本へ帰化する。日本名、和久奈・南都留。1987年タオ世界文化発展研究所を設立。1997年南都留、肝臓癌にて逝去。75歳。亡くなる前日の言葉「私の日本人への叫びは日本人に届かなかったようだ。それだけが心残りだ。」
南都留の没後、知人らの努力により1999年にハンガリアン・コープス像が、2001年に哲学の庭がハンガリーで建立される。


益子へドライブに行ったときにタオ世界文化発展研究所と書かれたポスターを目にしたのですが新興宗教か何かと思い、訪れなかったことを悔やんでいます。タオって道教の道のことなんですネ。
年に二回、春と秋の一ヶ月ずつしか公開してないので、次回の秋季展は10月15日~11月15日だそうです。