品質・信頼性・安全性が個人的な取り組みの基幹なの.しかも,統計学の応用という接近法が学問的な立場で,この方法論の開発が主になるの.だけど,活動としては,技法全体の構築を整理して広めるということも必要で,人と組織それに技術との絡みを明確にしないと効果が出ないの.枠組みは経営かなーと
市場でのリスクだけど,確率モデルでの考察を深めて行くと,経済との関わりが気になる,そんな発想にもなるかなーと.特に,金融のリスクだけど,数理ファイナンスの方法論をこの視点で展開すると,リスク計量の重要性がわかるの.金融の質・信頼性って何だろう,ココイラを常に模索してるという状況
問題解決だけど,論理思考に時間の変化を考慮しないと,後々に行き詰まる,とは思うけど.この手のことって,その場を乗り切ることだけに集中して,長期的な信頼性回復を意識しない方って多いのかなー.あくまでも一般論だけど・・・.真摯に受け止めて誠意を持って対処する姿勢って・・・.
個人的には,あくまでも法による争い,そんな側面としての捉え方では,嫌いじゃないやり方かなー.やはり,上手に練ってある,そんなことが印象かなー.でも,別の側面,要は科学者としての力量だけど,こっちの方は厳しく評価される,そんなことかなー.後者の立場で明確に説明するのってやはり困難?
専門の知識や力量が足りないと,結局,自分のやっていることの位置づけがわからないし,説明も明確にできない,そんなことってあるでしょうよ.かなり素直に考えると,余りに学問的な力量が低く,かつ基本的なお勉強もしていない,ということを想定すると,隠れている何かがわかるのかなー?
確かに,学位の審査,それに研究者としての基本知識や考察力など,評価や基礎力が余りに低い状態で大学院の訓練を終え,その後は指導者と言われる方の仮説を懸命に追って・・・.要は余りに無知という状態,ということなのかなーと.何がおかしいのか,自分で考察しようとしないとわからない,でしょ.
法の思考によって弁護士の先生方のやり方で,やはりきっちり守るべきでしょうよ.これとは別で,科学的な探究に基づく説明や実験ついては,もっと力量のあるサイエンティストの方々による結果を信じるのが妥当かなー.既に,再現できないという報告はあるのでしょうけど・・・.