こんにちは亀さんです

住民の願いが政治に届くようにと日本共産党石川1区(金沢市内)で活動しています。

私の1年 ⑤家族と友人たち

2014-12-31 07:35:14 | 日記

大怪我もし、国政選挙にも挑戦する私を支えてくれるのが家族であり、友人たちで

した。

長くつきあったロシアの友人から「今日、亀田さん奥さんの誕生日だそうだけど

、何かするの?」「別に」「それはダメ」友人たちが、ワインを別便で送ってくれる

ことに、私は、花束の準備。そういえば、旧ソ連時代は、3月8日の国際婦人デ

ーには男性は女性(妻、恋人、職場)に花を贈るのが習慣でした。それからでし

ょうか、20年近く毎年妻に感謝こめて花を贈っています。

貿易時代も家族旅行はしました。日頃家にいない私の懺悔の気持ちをこめて

、それ以来、家族の誕生会をすることにしています。お互いの仕事があり、誕

生日に近い土曜か日曜を選んで食事、そしてささやかな贈り物。私の還暦祝

いや、参議院選挙終了後は、温泉で祝ってくれました。

この夏は、妻の旧友のいる郡上八幡に家族で出かけました。おりしも、台風接

近の時、長良川が氾濫寸前で、普通の風雨でも実行するという名物郡上おど

りを見ることできず、ホテルへの出張踊りを楽しみました。翌日はうそのような

快晴。郡上の街並みを堪能しました。

大学時代や同じサークル長屋で、研究室で、学園で、大学の民主化求めて

運動してきた仲間たち。友人が62歳の若さでなくなり、彼の遺作展が開かれ

る京都与謝野まで足を運びました。彼の職場と地域で果たしてきた役割を確

認し、お互いに昔を思いながら盃を傾けました。「あなた方は、私たちの地上

の星よ」と党の専従で頑張る皆さんへの言葉が、交流の象徴でした。

「何で、亀田さんの扱いが他党に比べて字数が少な

いの」と新聞社に抗議し、「ちょこしだけど」と激励の言葉添えて寸志を送ってく

れた、又「自分の選挙区よりも、沖縄と同じくらい石川一区の結果が心配だった

」というサークルの仲間たち。「亀ちゃんのためなら」と絵や文字で檄文を贈って

くれたロシア友好運動の仲間たち。

仲間と家族に支えられて一年でした。感謝感謝


この1年 ④住民のちから

2014-12-30 07:27:14 | 日記

この一年、住民の願い実現の活動に参加してきました。

毎週金曜日に駅前で行われている「どいね原発」時間の都合がつくと参加、パンフ

配布などよびかけ。原発問題の全国シンポジウムや地元運動団体の総会に参加

し、学習もしてきました。

 

戦争まっしぐらの危険な安倍内閣だからこそ平和が大切。たった1人の兄を戦争

で失った母の悲しみを聞いているだけに、「平和の鐘つき」や「平和行進」そして

戦争と人間展」など参加。

白昼堂々の自衛隊パレードが5月末に、松葉杖をついて抗議行動に参加。7月

安倍内閣の「集団的自衛権行使容認」の閣議決定に合わせるように、自治体から

県内高校生への入隊への案内、心配する父兄の皆さんの声届けるため、県や自

衛隊司令部への抗議行動。

安倍政権による度重なる社会保障改悪許さんと、住民の皆さんが起ちあがります。

生活保護改悪許せないと県下で2番目の「生活と健康守る会」の結成や当事者の

抗議行動。私自身も会員である年金者組合の怒りの抗議行動。

地元浅野地域では乙丸陸橋の建替え交渉を毎年行っています、新幹線開業があり、

いよいよ本格的な重点課題にと要請。県民の医療・健康・社会保障・教育守れの皆

さんの対県交渉に同席。

40年間にわたる母親の皆さんの「子どもの医療費窓口無料化」求める運動で、県

内市町では中卒まで補助がされるようになりました・。残るは県の姿勢です。県議

会での決議もうけて、知事も「市町が実施するなら検討する」の答弁と、一歩前進

です。あとは、4月実施へ、更なる運動が。

 


私の一年 ③政治を変えよう

2014-12-29 05:46:48 | 日記

今年は国政、県政、市政と全ての選挙がありました。

3月は知事選。県民の会から木村よしのぶさんが出馬し、大健闘しました。長く医療

事務に携わり、事務局長として、こどもの医療費窓口無料化、原発のない石川を・

再生エネルギーの普及を、能登線廃止反対・公共輸送の確保を、能登かが格差の

解消、米軍の小松基地使用反対、議員の海外視察中止をなど、運動と県交渉を重

ねてきた実績をもとに、何よりも県民の命・くらし守る県政への転換をと訴えました。

10月、県議と金沢市議j補選が行われ、県議ではおおくわ初枝さん、市議では奥野ひ

でなりさんが、3人区4人区で見事な当選をかちとりました。ずっと事務所と生活相談

に関わってきた大桑さんは街頭でも、高すぎる国保料など住民の生活改善、自らの

出身でもある志賀町の原発再稼働反対、市長のギャンブル施設運営への関与を明

らかにせよ、と迫り、共感をえました。議会質問でも生活者・住民目線でがんばっています。

 

突然の総選挙。若い方たちが挑戦すべきと考えていましたが、「時間的余裕もなく、

是非」と言われ、再び、挑戦することに。参議院は、時間的余裕があり、いろんな業

界の方々と懇談と交流重ね、くらし・経済や憲法守れの声など寄せてもらいました。

「あなたの党しか頼るとこありません」言われた1年半前の言葉。寒空でストーブ

つけず、布団をかぶって暖をとる高齢者、円安と消費税増で経営が大変で同業者

が半分廃業したというクリーニング店など、県民生活は一層大変。その思いを胸に

、たたかいました。

 

「消費税増税に頼らなくても大丈夫、大企業や富裕層に力・所得に応じた応分の

負担してもらえば、20兆円以上の財源でてきます」とあちこちで訴えました。

この政策をつくったチームの柱が藤野やすふみさん。この人をなんとしても国会へ、

とみんなで頑張り、とうとう北陸信越ブロックで11年ぶりの悲願の議席奪還。

藤野さんは経済関連の委員会で奮闘することになります。

 

北陸信越ブロックでぜひ議席をと、山下書記局長が金沢へ。藤野さん、そして2区

の西村さん、3区の渡辺さんと一緒に訴えました。「若い皆さ~ん、あなたは恋人を

戦場に送りますか?自分の夫を戦争に出せますか?安倍総理や自民公明の方は

行かずに、戦争に行かされるのは若い皆さんです」山下さんの訴えは心に響きまし

た。8議席から21議席の大躍進。住民の、県民の熱い思いが込められています。

 


私の1年 ②ロシアとの友好交流

2014-12-28 05:42:07 | 日記

2年ぶりのロシア。秋にはロシア第3の都市ノボシビルスク(140万人)で日本

ユーラシア協会が共催のフォーラムに参加し、発言の機会を与えられました。

長く、中小企業の貿易・経済交流に携わった経験から、商業ルールを順守する

基本的な立場と共に、資金や人材、情報入手で苦労する中小企業しかし、小回

りがきき、決断が早く、地域の主体を担っている中小企業間の交流のためにも

、情報センターの役割、自治体や大学の協力などを述べました。

 

ノボシビルスクは民族移動の交流の交差点です。アジア系民族とヨーロッパ系

の顔に出会うまち。鉄道駅、ショッピング街、病院で死亡した日本人捕虜の墓

地、市民の募金もあった10万種近くいる動物園、シベリアの古い建築物も残

されている街並み、広大なオビ川なども視察しました。

イルクーツクは、ユーラシア協会の代表団と共に、友好協会を表敬し、懇談。地

理に明るいということで、私がガイド役。シベリアのバリと言われたイrクーツクは

、伝統的な建造物がたくさん残されており、これを見るだけでも堪能できます。

最近130番街という新しい観光スポットができ、伝統的な建築外観の建物を集

め、かつ現代的なビルも混在した通りができ、観光客でにぎわっていました。

本当に、毎年リメイクされています。来るたびに、生前、貿易交流に加え県との

交流などに世話になった故ノジコフ知事のお墓は墓参しているのですが、

今年は銅像がたっていました。

 

 

訪問の主目的ば、ロシア協会が発行する「もっと知りたいイルクーツク」の現地

調査。統計資料や観光資料の入手。行政庁舎、コンサートや劇場、レストランや

カフェ、交通事情など、可能かぎり、バスや徒歩でヒアリング、金沢で知り合った

ロシア人にも現地事情を。大学関係や科学アカデミー関係のヒアリングが不十分に。

 

 

「フェスタバイカル」は、ロシアについて市民・県民に知ってもらうロシア協会の最

大イベント。今年やNHKロシア語講座で活躍中の先生をよんで、「なるほどロシ

ア」と題して、市民生活をざっくばらんに語ってもらいました。ロシアにも干支があ

るのか?何故オリガとかセルゲイなど同じ名前が多いのか?ウオッカの飲み方

は?など。夜の懇親も充実していました。各地では交流の写真展も行われました。

金沢の野田山の墓地だけでなく、能登町にも3ケ所のロシア人の碑があります。

旧能都町の高瀬山では、漂着したロシア兵の遺体を葬り、お墓にしてもらいまし

た。近年、整備されたものを、今年は在新潟総領事も参列して、墓参となりまし

た。地元の神主さんにお願いしましたが、寒い中、参列者は不戦の誓いを心に

刻みました。

 


私の一年 ①一病息災

2014-12-27 09:25:58 | 日記

自分の不注意で大腿部骨折という怪我をして、生まれて初めて手術、そして45日

近くの入院生活を体験しました。

    

「足も骨もしっかりしている、よほどひどい落ち方したんですね」「手術は至って簡単

です。2-3日したら移動訓練してください」と担当医。初めての病院故、車椅子で

病院の中を散策して、位置関係の確認。毎日20-30分のリハビリで少しずつメニュ

ーを変えて、右足を鍛えます。でもなかなか右足が思うように上がりません。やっと

20cm程度か。「その内、ある日突然、上がるようになりますよ」、術後20日ごろ?

急に足があがるように、なりました。筋力がついてきたんです。

 

   

病棟内は同様に骨折した方が多いです。こんなに世の中に骨折した人がいるんだ

と驚くくらい。朝、6時台になると、歩行器など利用したりして、それぞれが自主リハ

ビリに励んでいます。「おお、歩き方がスムーズになりましたね」「階段の昇降のリハ

ビリがきつくて」「まだ、間接が曲がらんのや」などの会話、一方では、スイスイと歩く

人。朝、ベッドでの訓練、そして廊下手すりや階段つかった訓練など、入院して50

日以内の退院をめどに、自主リハ。入院中は時間がたっぷりあります。朝の連続

ドラマ「花子とアン」は時代の変遷や戦争に立ち向かうなかでの女性の生き方も含

め、たっぷり楽しめました。頭の体操で、息子がもってきたパズル集も楽しみました。

退院後は、2ケ月強、城北病院でリハビリ。最初は足を交互に運ぶのもぎこちなく、

スクワットも大変でしたが、徐々にスムーズになり、見た目には普通の人と変わら

ぬ状況に。8月からは、家で出来れば毎日、桃上げ、正座訓練などできる範囲で

の訓練も。健康友の会の「健康チャレンジ」にも応募して、見事にクリア。

歩いていても、人の歩き方がとても気になります。当たり前ですが、足が交互に

出て、何の違和感もない歩き方に感動してしまいます。秋のロシア出張、そして

選挙と歩く機会もありましたが、最後は小走りぐらいできるようになりましたが、靴

下は脱げても、足まげてはけない状態は変わらず。健康の大切さを思い知らさ

れた出来事、そして家族はじめ多くの方に支えられた一年でした。