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こんにちは亀さんです

住民の願いが政治に届くようにと日本共産党石川1区(金沢市内)で活動しています。

暮らせる年金、社会保障の充実を

2014-06-30 19:13:37 | 日記
年金は下がるのに、医療費も上がる、消費税増税で物価も一段と高くなり、

本当に生活が大変。昨年の参議院選挙の時にお聞きした「2ケ月で7万の

年金、もし病気になったらどうしよう、ワシら年寄早く死ねというのか」の叫び、

昨年8月から引下げになった生活保護費、「財布の中みると残りわずか、

19円のもやしか18円か、私らには重要な問題なんです」と言われた生活保護

受給の方々、昨年に比べて一段と苦しくなっています。

6月29日、今年の県社会保障協議会総会で、「自立・自助では生きていけない」

ショッキングなタイトルで、唐鎌先生(立命館大)からお話お聞きしました。

40年働き、25年以上保険料かけて、厚生年金でも10万いくかいかないか、

国民年金なら46000円、女性はもっと低い、日本の年金制度。とても安心して

老後の最低生活は保障されません。リーマンショック以降回復していない失業率、

40歳以後リストラされても保険期間が5年未満なら、90日支給が限度で受給

している人はわずか20%、しかし、ヨーロッパでは8割以上が受給し、かつ

フランスでは3年間受給できるので、日本みたいに派遣に走ることなく、じっくり

と次の仕事を見つけることができます。

高い保険料払い、受診時に2割3割負担の日本と違い、イギリスでは医療費が

無料で、交通費まで支給される。低所得者には、住宅手当(全世帯の2割)

や暖房手当が支給される。だから、高齢者などは仮に日本並みの低い年金

だとしても、安心して老後を送れます。

要支援や要介護1-2の人を施設から追い出し、「漂流社会」とよばれる日本と

大違いです。その一方で、雇用保険財政は黒字だし、大手介護サービス企業

は高額の株主配当を実施する状態。どこが「世界に冠たる日本の社会保障

制度」でしょうか?日本の社会保障制度は世界の流れから逸脱していると
先生は指摘します。

世界地図を見ると日本は豆つぶほど。しかしGDP(国内総生産)地図(野口

悠紀雄さんが作成し、週刊新潮で発表)でみると日本の大きさはアメリカについで

中国と並び2位か3位、日本はドイツとフランスを合わせたくらい。日本のGDP

は年間500兆円ぐらい、1割負担でも50兆ぐらいになるのに、実際は大企業

や大資産家の負担が軽減されているので、30兆円ぐらいしかない、ここを直せ

ば社会保障充実にまわすことができる。日本は、失業、家族、雇用、住宅、生活

保護など貧困関連社会支出の国民所得(2009年)が、GDPがより低い

スエーデン、フランス、ドイツ、イギリスの半分、1/3で、データの上でも貧困が

実証されている。税の集め方、使い方を根本的に変える必要があると強調された。

総会では、各分野からの告発、運動強化の発言があいついだ。2009年に

比べて特養待機者が10万人も増えたのに、逆に要介護の人を追い出す政府

案に怒りの発言。2年間で2.5%さげ、その後0.1%ずつ年金引下げの

安倍政権に直訴しようと年金者組合、算定方式が変り、一気に保険料が高く

なった金沢市の国保への怒り、保険料や税減免など全ての算定基準となる生活

保護基準の引き下げに朝日訴訟に学んで、生存権を守る運動を拡げようとの

生活保護当事者の運動から、来年からの新制度で市町の責任から父母との直接

契約でこどもも働く保育士も大変になる保育関係者からの発言など、貴重な意見

交換の場となった。

金沢での国際交流まつり

2014-06-30 05:52:32 | 日記
毎年秋 金沢市国際交流まつりがおこなわれ、県内に住む外国人とその人たちとの交流を進めて

いる団体の方がテントを出店し、賑わっています。

昨年から会場を「しいのき迎賓館」広場に移しました。28-29日の両日、29日昼ごろ、久しぶり

に顔をだしました。メインステージでは交流を進める国の音楽や県内の文化団体の皆さんが音楽など

演奏披露しています。

回りには、各出店ブースのテントが並んでいます。民族衣装をきた人たちもいて、国際色豊か。

その国を知ってもらおうと県内(金沢)団体の人たちとその国出身の方たちが、パネルを展示したり、

お国グッズを並べたりしてPRしています。一番の人気は、やはりその国の食べ物。

お昼どきは、テント前に人の行列ができます。

我がロシア協会は、今年はスタッフ不足で、長谷川事務局長がピロシキ(小麦粉を伸ばした皮に

肉など好きなものを包み、油であげるか炒めたもの)をPRしていました。自分のパンを持っていた

ので、お隣のベトナムのフォーをいただきました。

アムネスティ・インターナショナル日本のブースがあり、立ち寄りました。1960年、軍事政権下

でのポルトガルで、二人の学生が「自由に乾杯」しただけで7年の禁固刑を受けたことに衝撃を

うけたイギリス人弁護士の「恩赦(アムネスティ)のキャンペーン」から始まった運動で、今は世界

150ケ国、300万人のサポーターがいるとか。「良心の囚人の釈放を求める」「死刑制度の廃止」

「性別の差別や暴力をなくす」「拷問をなくす」「地域紛争での非人道的行為の監視」などの

テーマで活動しているそうです。1枚のはがきに名前を書くだけですが、2枚買い、2つのテーマへの

支援をしました。

家のビフォーアフターも大変

2014-06-28 06:26:22 | 日記
家の水回りを修理しました。4-5月に大工さんたちがやってくる。私の入院と
重なってしまいました。

退院しても2階の寝室に上がれず、私だけが1階に仮住まい。台所には食器・

本関係・雑貨と所狭しと置いてありましたが、全くあてにならない私に頼らず、

妻は子どもたちと段ボールづめに(私も手でお手伝いできるところはお手伝い)

隣の居間に段ボール、食器棚、テーブルなど全部移動します。テレビが見える

スペースだけの居間で、毎朝、スーパーに行っておにぎり・サラダを買い、味噌

汁はインスタントの生活が続きました。

台所はIHヒーターに一新、壁紙も変えて、何もいれないと広々しています。

お湯の配管が詰まっているので、替えるため、しばらく水だけでの洗い物の日々

が続きました。

台所が直ったら、トイレ・お風呂の修理。乾燥機などは台所に一時的に移動。

トイレが使えないのは2日のみでしたが、毎日シャワーあびる娘たちは、毎朝、

スーパー銭湯へ。

お風呂が完成した夜は、広々としたバスタブに身体を沈めて、改修を実感。

娘たちは、再び毎日利用できるお風呂を喜び、残り湯は、翌日の洗濯機に活用

されています。

修理完成して2週間、居間には、まだ段ボールが積んであり、食器棚はガラガラ。

多すぎる家財道具をぼちぼちと整理しながら、片付くのはいつになるやら??

百回目の「どいね原発」行動

2014-06-23 05:20:31 | 日記
22日 「どいね原発」百回記念パレードの呼びかけがあり、参加しました。
うたごえのあと、それぞれが思いのスピーチ

大飯原発裁判にかかわる弁護士の方から、冷却機能についても基準を

上回る事象への対応をしたといているが、基準値以下の地震によっても

冷却機能喪失の重大事故がおきており、電力事業者の楽観的な判断を退け、

そして、原発稼働がコスト低減につながり、停止による貿易赤字は国富の流出

だとの主張にも、人の生存の権利をコストと比較・判断することは法的に許さ

れないし、豊かな国土とそこに生活することが国富であり、これを取り戻せない

ことが国富の喪失だと、裁判所の判断をした画期的な意義を述べられました。

何度も石川に足を運び、活断層調査に来られている新潟大名誉教授の立石

先生は、圧倒的多くの有識者が、富来川南岸地帯に明らかに段差があり、数度の

隆起を繰り返したことから、活断層の存在を多くの有識者が指摘している

にも関わらず、調査もせず、活断層でないといいはる北陸電力の企業体質

を厳しく批判し、日本海側にある福井県、石川県、新潟県での原発廃炉の

運動がとても大切だと強調されました。

北陸電力の本社がある富山からは「いらんちゃ原発」の代表がエール交換、

富山でも来月100回記念の集い・コンサートを開きたいとのこと。

地元からも多くの方が発言。城北病院の清水先生は好きな鮎釣りを一旦やめて

今日の集いに参加したと会場を涌かせながら、先日の赤井さんの珠洲原発を

なくすため頑張った住民の力、自ら奮闘して沖縄のヘリパッド基地なくすため

「標的の村」上映運動をひろげ、全国一の鑑賞運動になっている彼女の粘りに

学んで、住民の中での反対の声を拡げていこうとよびかけ。


勇気ある、元気がでる発言のあと、市内パレード。私の世代になじみの絶叫調のシュプレ

ヒコールでなく、太鼓のリズムにあわせて、4拍子で「日本の原発、レッドカード」「志賀原発、

即退場」「志賀原発廃炉」など楽しく声をあげ、中央公園から、香林坊、竪町経由で、北陸

電力石川支店の前では赤い紙をかざして「レッドカード」を高く掲げました。

杖をついての参加に「亀田さん、もう歩けるの」と何人からも激励も。

「ダイアモンド・プリンセス号」が金沢に

2014-06-15 08:26:03 | 日記
米国の大型クルーズ船「ダイアモンド・プリンセス号」が14日金沢に初入港
しました。全長290メートル、高さ62メートルで、地上18階の大きなホテルが
ある感じです。

かつて、ロシア貿易に従事していた当初、北海道の人も九州の人もみんな、

横浜から船に乗って、仙台沖を通り、津軽海峡の荒波をのりこえ、3日目の

夕方にロシア・ナホトカ港に到着する出張が常でした。大桟橋での見送り客

との紙テープが切れても、手を振ってしばしの別れを惜しむ旅行客、5千トン

クラスのロシア船でしたが、200名近くの乗客は一流コックのロシア料理を

堪能し、夜には船長手配のダンスパーテイで乗客同士の交流、看板で異国の

人との交流、太平洋の波のうねりに身をまかせる船での船酔い、絶えず聞こ

えるロシア語アナウンスで、いつの間にか耳にロシア語が残っている、商社

マンは商談で活用するサンプル(繊維品、ミニ家電、カタログ類など)を段

ボールにいれて、船で運ぶ そんな状況での貿易でした。10年後仕事は飛行機

での往復となりましたが、船の旅はなんとも言えない風情があります。

ロシアとの友好運動の中でも70年代ー80年代は、金沢港にロシアの客船

(4-5千トン)が入港し、日本最初の港である金沢、石川県をアピールし、

友好親善を深めました。港に客船が入ると身体も自然と向かいます。

10万トン以上というかつてない大型(通常は3-5万トン)客船のため、通常

接岸する戸水の方でなく、貨物専用の大浜埠頭です。目の前には県が働き

かけたコマツの金沢工場という実に殺風景な場所。中を見学したいなと思っ

たら、かなり前に予約をした人だけ。

市内観光から帰ったある老夫婦に話かけました。ニュージーランドから来ら

れ、約8日間の旅とか、失礼ながらいくらぐらい?とお聞きしたら、3000ドル

くらい(約30万)だけど内容がよく満足しているとのこと、昨夜までの雨も

あがり、格好の上陸日となりました。最後はプサンまでとのこと、「have

 a nice trip」など言ってお別れしました。

目の前には、乗客相手の土産販売のテントも。偶然、お世話している県の担当

の方にもご挨拶。

250億円近く投入して造成した大浜埠頭ですが、10メートル以上の深さがない

と入港できない大型船の利用はわずか年間数隻で、実にもったいないというか、

ムダです。対岸の御供田埠頭からのコンテナ量は伸び、戸水や無量寺埠頭から

の貨物や客の出入りが増えているといいますから、むしろこちらの方を充実

させて、市民の憩いの場、市民交流の場のなるようにすればいいと思います。

それでも、県は更に、大浜埠頭を延ばして、天下のコマツさま御用達の場に

したいようです。