こんにちは亀さんです

住民の願いが政治に届くようにと日本共産党石川1区(金沢市内)で活動しています。

福島原発その後を問うー 金沢で原発問題全国シンポジウム

2014-08-31 15:54:56 | 日記
日本科学者会議主催の「原子力発電問題全国シンポジウム」が久しぶり
に金沢で開催された。「福島原発事故から3年半ー事故の現状と再稼働の動き、活断層
問題」と興味あるテーマで、会場には学者だけでなく、全国からこられた市民そして
地元県民も参加された。

一日目は、福島原発の現状はどうなっているのか?のテーマ。

①福島からの報告。破壊された原子炉建屋内部の状況を正確につかめない現実が長期に

わたって存在し続けることが復興の最大の障害だと指摘。漸減傾向にあるとはいえ、

避難者が13万1000人(うち福島県内で8万4千人)。福島県が事故当時205万人を対照に

健康調査(外部被爆線量、18才未満の甲状腺検査、63万以上の健康審査、心の健康度

など、妊産婦調査など)を実施。甲状腺がんが注目されているが、報告者はチェルノ

ブイリ事故では、4歳以下が2/3,かつ事故後4-5年たって増えたとのこと、福島では

がんの疑いは11-18歳で、5歳以下はなしと大きな違いがあると指摘した。除染と廃棄物

処分は現段階の焦点.除染廃棄物の仮置き場が46市町村に828ケ所、報告者のように現場

で保管が5万3957ケ所、政府は双葉郡内に中間貯蔵設備を建設予定らしいが、その量は

東京ドームの12-23個分という。この双葉郡が「人が暮らす地域」として存続復興する

ためにも。賠償金依存から脱却し、廃炉への雇用創出を含め、目いっぱいの利用という

したたかさも必要と説く。福島がこれからどうなるか、世界史的意味を持つと強調し、

県民には他人からのオーバーな言論にも動揺しない、腹は坐ってきているとの報告に

、現地のしたたかさを感じた。

②放射能汚染をめぐる状況を報告した野口邦和先生。
福島事故でのヨウ素とセシウムの大気への放出はチェルノブイリの各1/10,1/5

と推定される。大部分は11年の4月まで。そして放出量の7-8割は海洋に降下・沈着と

いう。環境に現存するのはセシウムで、陸地では3-4年後に空間線量率は低減するが、

8年後―20年はあまり変わらず、放射線モニタリングの継続の重要性を指摘された。

チェルノブイリで報告されたこどもの甲状腺がんの発生は、福島ではまだ3年しか

たっていないこともあるが、被爆との関連性は非常に低いと見られているとのこと。

喫緊の課題は汚染水の対応。本来外洋で希釈して下がるべきセシウム濃度が低減し

ない状態が続いているのは、汚染水が放出されているから。根本原因である建屋地下

にある9万トンの高濃度汚染水の地下水への流入を止めること、50万トン超すタンク

の汚染水対策が求められている。

③「世界と日本の原発をめぐる動き」をかつて電力現場におられた本島勲先生が報告。
世界のエネルギー展望では、2035年は11年の1.69倍うちOECD以外で2.2倍。発電

では石炭が主力だが41%から33%に減少、ガスと原子力は22%、12%と変わ

らず、代わって再生可能エネルギーが20%から31%に拡大する。原発は、現在

426基運転で、設備容量の8割以上がOECD.日本とアメリカで6基の閉鎖、

ドイツは22年までに17基全部の廃炉、イタリアでは国民投票で原発導入計画の中止、

一方中国の31基はじめイランやアラブなど23ケ国で建設計画という。

日本は安倍政権のもと、4次エネルギー基本計画(2014)で、原子力を「重要な

ベースロード電源」といちづける、民間の原産大会は政府の位置づけを評価し、原発

への国民の信頼拡幅を目指し、原発の再稼働を強調した。報告者は、日本の原発が

アメリカの軍事戦略と極端な経済性のもとで開発され、大企業が契約数では0.01%

で消費の30%を占める、(一方、国民と中小企業は99%、35%)そして一か所で

巨大な熱源を創出するのが原発が最適という事情から、事実上国民より大企業・産業

のために必要となっている点を強調された。そして地域固有のエネルギーである自然

エネルギーによるまちづくりを強調した。

④「福島事故解明の現状と再稼働問題、廃炉への道筋」で舘野淳先生が報告。
炉心が露出して冷却できなくなると、材料のジルコニウムが水と反応して、大量の水素

が発生し、爆発。福島では海水ポンプが津波で停止し、冷却機能を喪失した。熱を綱渡

り的に処理していたが、不測の事態発生で、熱処理できず炉心溶解にいたるという日本

の軽水炉の根本的「欠陥商品」を指摘した。更に、欧米ではスリーマイル、チェルノ

ブイリ事故をきっかけにシビアアクシデント(重大事故)への対策(ヒュウマンファク

ター)が進んでいるが、日本では議論はあっても電力側からの圧力でブレーキがかかり、

重大事故に対応できない遅れを指摘した。

討論を通じても、メーカーや下請け依存で、独自の技術対策をしていない電力会社の実態

からも「安全への熱意のない企業には危険物を扱う資格はない」と断定し、かつ規制

委員会の委員長が「基準を満たせば安全であるという誤解」としているにもかかわらず、

(不純分な)規制基準をクリアすれば安全だとして再稼働を推進する安倍政権の姿勢にも

厳しい批判がされました。

平和・不戦への祈りー母の思い

2014-08-18 18:08:32 | 日記
15日は金沢で平和の行動をして、16日帰省しました。

久しぶりに子どもたち全員がそろい、偶然来ていた妹たちといっしょにお墓まいり。家族の

健康と日々の充実した生活への感謝を先祖に報告。

夕食しながら、母の旧制女学校の同級生がなくなり(実は、私達の結婚の仲人をお願いした

ご夫婦)私は葬儀には参列しましたが、母の名前で弔電もうちました。母も偶然、金沢の

死亡欄を見たらしく、あらあの人が・・と思っていたとのこと、弔電うったと聞いてよかったと。

15日前後の平和の行動、そして7月の閣議決定で解釈で自衛隊を海外に派兵し、戦争する

国にする安倍首相の危険なやり方に、法曹界は勿論、仏教、キリスト教など広範な宗教界が

反対と抗議の声明を出していることを紹介しました。

「私は戦争だけは絶対に反対や、戦争の恐ろしさを知らん首相は何を考えているのやら」と

いつになく強い調子です。「19年12月、兄さんの戦死の知らせ、鉄砲で撃たれたのら

わかるけど、飢えと寒さで身体も弱っているのに、クリークで3日間もいて、結局なく

なった。どんなにひどかったろう。慣れない田んぼと畑仕事つらいこと沢山あったけど、

兄さんの苦労に比べたら私なんてどうってことない、そう思って生きてきた。」「あんたが

言うように、お国のためと思ってみんな苦労したんよ、それが人に戦争するためなんて・・」

昨年の選挙中、兄を亡くした母の思いに応えて、戦争する国でなく憲法9条を守ろうと訴え

ましたが、母から強く言われたのは初めて。

15日を前に、戦争体験者の思い・非戦・平和の思いが新聞などで掲載されています。

「シベリアに抑留された人も大変やったんやね」と母。実は、県ロシア協会としても、抑留

問題を風化させないように、私が事務方で、来年にむけ、展示会・相談会を企画中でした。

県内でも戦争体験者だけでなく有識者による「戦争させない国」への運動」各地で展開され

ている9条の会などさまざまな運動があります。ぜひ大切につづけ広げたいと思いました。

身体が弱くなって、もう広い畑は無理、小さい方で、少し採るようにしようと思っていると

言いながら、手づくりの野菜をくれました。

不戦・平和への誓い

2014-08-16 06:28:10 | 日記
終戦69年目の15日、「不戦」「平和」への思いを新たにしました

午前中は、共産党の佐藤県議、森尾市議、尾西前県議らと一緒に駅前から、憲法9条があるから、戦後日本

が誰一人殺さず、世界から信頼を得ていたのに、これを根底から覆し、「戦争する国]への道を突き進む

安倍政権の暴走、「亡国の政治」をやめさせようと訴えました。帰省客、観光客が多い駅前、親指をたてて

サインする外国人、車から手をふる若い人たち、宣伝カーの傍まできて頑張ってと激励をする人など、多く
の激励。

今年は、日本が本格的な対外への侵略を始めた日清戦争(1894-5)から120年、日露戦争(1994-5)

から110年、第一次世界大戦(1914-18)から100年にあたります。第二次世界大戦の痛苦の教訓から

「言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨禍から将来の世代を救い」と明記された国連憲章、そして世界

に先駆けて戦争放棄を宣言した憲法9条があります。しかし、安倍政権は、昨年に続いて靖国神社に玉ぐし

料を奉納し、加えて政府主催の戦没者追悼式でも、アジア諸国への「加害」の反省や「不戦の誓い」を意図的

に削除しました。


昼、昨年に続いて等願寺さん(石引町)での平和の鐘つきに参加しました。例年15日は珠洲の実家での墓参

りですが、昨年今年と平日のため、参加できました。お御堂で参加者が一言づつ思いを語ります。福島からの

避難者は原発から25kmの自宅には家も畑もそのまま、政府は大丈夫だから帰れ、1年以内に帰ると90万円の

補助が出るのアメの宣伝、数値が高くて農業が出来ないのに、現地から帰るか帰らないかの瀬踏みを迫られる

状況、身体はこちらでも心はずっと福島と心境を語り、その中でも大飯原発停止の判決と東京電力の経営者4人

への起訴相当の検察判断はとても勇気づけられると語りました。医療施設に勤務する方は、当初は拒絶していた

戦争体験者が重い口を開いて戦争体験を語ってくれたこと、その後ご自宅でのうなき声がなくなった

(奥さんの言葉)の戦争のもたらす悲惨さを紹介しました。

平和への願いをこめて、各地で「原爆と人間展」が開催されています。県庁19階展望台ロビーでも被爆パネル

と共に、はだしのゲンのマンガも展示されています。

「今年もまた見にきました。毎年毎年 被爆・原発のない世界になる気持ちを新たにします。フクシマは悪化

の一途。『微力でも無力ではない』この言葉を胸にこれからも」(福島からの被災者)

「はだしのゲンを初めてみました。学校でも戦争の話しを聞かせてほしいです。今の子どもたちは何も知らな

いのです」(30代の主婦)

1人ひとりの思いと行動がやがて政治を変えます。

白山ろく活性化の夢をうかがう

2014-08-13 10:56:29 | 日記
いしかわ自治研(石川県内の経済、住民生活や福祉などを各分野から自主的に

分析、研究しようの研究会)の夏季セミナーが白山のふもとの御前荘で11日―12日

開催され、家族旅行で岐阜に行っていた私は11日の夜の懇親会から参加。翌日は

過疎化の現状にある旧白山ろく5ケ村の状況と再生へのとりくみを伺いました。

「この5年間で7.6%の減(H17年の7600人が現在15%相当の1200人の減少)で

合併後も状況は変わりません」「過疎化が進行し、63地区のうち、過半数の35

集落で、65才以上が過半数。限界集落こして、崩壊集落と言えるかも知れません」

「1村に1つ以上のスキー場など施設建設しましたが、観光客の減少、公共事業の

減少など、合併後のあり方を検討・検証が必要です」


「誰もが住みやすさを実感できる地域」を願って、住民アンケートを実施。15歳

以上の6300人弱のうち、3300人強から回答をもらいました。うち15歳から30歳台が

600人近くいます。抱えている課題は「少子・高齢化」「過疎化の進行」「地域

産業の衰退」「耕作放棄地や空き家の増加や山林の荒廃」です。報告された行政

担当からも自分は長男で、長男以外は皆、外へ出ます。女系で婿さんをもらった

人を含め、役場や消防、地域産業の電力、そして農林にかかわり生活している。

自分みたいのが典型で、どの集落でも共通しています。合併は特効薬にならず、

住民アンケートにもとづき、活性化の方向を探ります。

「買い物不便」「勤務地遠い」ので転出希望が多いと思いきや、「転居考えて

いない」圧倒的多くの高齢者。そして若ものとこどものために「就労場所の確保」

「生活支援」更に「住民主導で公共交通の充実を」など臨む声。「皆さんのと

ころ、100円バスが走っているでしょう?私のとこから金沢へ行くのに1000円

かかるんです。ここで生活するには思わぬ経費もいるんです」の講師の声。

偶然か、内閣府が9日発表した「農山漁村に関する世論調査」でも、生活で困っ

ていることは、「仕事がない」「交通手段が不便」「買い物・娯楽の施設少ない

」の声。同時に、都市住民の中で農山漁村地域に定住願望があると答えた人が

05年より11ポイント増加していたこと、しかしその条件として、医療機関の存在、

仕事がある、家屋・土地が安く購入できるです。全国共通の声です。

行政まかせでなく、協力しながら、自分の地域の強さ・弱さなど分析し、住民の

意識を変え、攻めの施策・プロジェクトを展開している実践もお聞きしました。

不利な山間地での米づくりで販売を農協依存でなく、山地ならではの米の品質に

自信もち、販売先も開拓し確保する、キチンと評価を受けるシステム。田圃以外

の対応もする土木専門家、中古機械を扱える専門家などたチームくんでの農家

経営、何よりも若者が農業やれる見通しをつくる、耕作放棄と山林の荒廃で土地

が荒廃しないように管理する、強い意志に感動しました。地元の食材を十分に

生かして、かつ狭い自分の地域だけでなく、近隣の自治体(隣県含む)との連携

もふくめ、「白山百膳」「白山モンブラン」などのネーミングで販売も上々とか。

米作りでは、都会から戻って定住する若者家族もでてきて、展望あると語る講師。

住民の智恵・エネルギーをどう発揮してもらうか?行政の役割は?考える機会と

なりました。

郡上八幡にいってきました

2014-08-12 19:07:24 | 日記
「郡上まつりに一度来て」妻の友人からのお誘いもあり家族で日程調整したのは

10日。台風がやってくるけど、風雨の中、車が揺られながら一路郡上市へ。

山内一豊の妻千代さんで有名な八幡城へ。こじんまりとしたお城ですが、天守閣から

町が一望できます。さすがに、この日は訪問者が少ない。一度でずぶぬれに。

雨宿りのつもりで、「博覧館」にたちより、郡上八幡の歴史に触れるとともに、名物

「郡上おどり」のを説明うけました。8種類も踊りがある、お盆の数日間は徹夜で、

その前後は毎日踊りがやられ、多くの観光客が参加すると聞き、見物でなく、参加型の

踊りはいいな・・。と

雨で冷え込んだ身体を温泉であたため、楽しい夕食タイム。飛騨肉の柔らかいこと、

そしてやはり長良川で育って名品・鮎の塩焼きは絶品。お酒もすすみます。


郡上おどりは、雨が降ろうが風が吹こうが行われるとのこと、しかし、この日は長良川

も危険水域で、警報状態で、街中の踊りは中止。でもサービスでホテル内でのミニおどり。

さきほど踊りを紹介してくれた人が指導してくれ、皆で踊ることに・・。


台風一過で翌朝は陽射しが強く散歩びより。旧役場は観光案内所と物産コーナーに活用

されています。役場の食堂も大正ー昭和初期?風の装いの従業員さんがサービスする食堂

コーナーもあります。ここで、ロシア人へのお土産に民芸品を買いました。傍を流れる

吉田川はこまちなみの中心です。

>ここは、全国の名水百選の第1号に選ばれた「宗祇水」があります。昔から飲料、洗濯

などに活用されたとか。近くには「すし」など本物そっくりの「サンプル工房」もあり、

観光客で一杯でした。ここでも、お土産をかいました。

「おもだかや」という資料館には昔の土蔵に武具、文具、生活用品いろんなものも並べ

てありました。