日本ユーラシア協会総会で、石川県とロシア・イルクーツク州との友好交流の歴史の発言を
と要請され、40年以上携わったものの一人として、発言しました。加筆して紹介します。
1)前史
1950(昭和25)年 日ソ親善協会石川県支部結成
七尾港に木材積んだソ連船が入るし、隣国と仲良くしたいとの思いから、親善協会が結成され
ました。そして1956年に日ソ共同宣言(平和条約締結後に国後・択捉2島を日本に引き渡す
など)の締結をうけ、翌57年に日ソ協会石川県支部と名称が変わりました。県民に日ソ協会の
名前を知らしめたのは生ワクチン輸入運動です。50年代、日本のお母さん方は小児麻痺に戦々
恐々でした。この治療にソ連の生ワクチンがいいということで、母親中心の運動がおこり、日
本で初めて城北病院で投与し、成功し、1961年本格的な輸入運動になりました。
子供たちに夢ある行事をとソ連でやられている「モミの木まつり」を観ようと東京にでかけ、
1963年第1回の「まつり」が開催され、それ以後、子どもを主人公とする最大行事として
数十年間続きました。
日露戦争(1905年)の捕虜で金沢で病死した11人のうち10人が県戦没者墓苑の片隅に眠っ
ていました。日ソ協会は会員のボランテイア活動で1965年、現在地の野田山に墓地改修作業を
し、8月に、ソ連大使館、県知事、参議院議員、金沢市長はじめ政界や宗教界、遺族会などの参列
のもと、慰霊祭が行われました。今日まで、ソ連(ロシア)との友好交流のシンボルとして、旧ソ
連圏の人が石川県を訪れた際は、墓参しています。毎年、協会員による慰霊祭もおこなれています
。そしてこの1965年中西知事夫妻がモスクワ訪問の帰路にイルクーツクに立ち寄ったのがきっ
かけで、イルクーツクとの交流が始まったのです。
2)イルクーツクとの交流スケッチ
姉妹都市提携と交流
1966年7月 日ソ協会石川県連合会とソ日協会イルクーツク支部との間で兄弟関係の協定が
結ばれました。石川県とイルクーツク州との生活・文化芸術・住民間の交流をすすめる、金沢市
との姉妹都市提携に努力するなどです。そして1967年にイルクーツク市と金沢市、1970
年にブラーツク市と七尾市、1976年にシェレホフ市と根上町(現能美市にも継続)との間で
姉妹都市提携が結ばれ、文化スポーツはじめ人の交流が続けられています。特筆すべきは中学生
の交流です。1968年には全国初の使節団(金沢市と根上町)がロシアを訪問し、81年に根上
町から中学生がシェレホフ市との相互交流、やがて金沢市、七尾市でも中学生交流が広がりました。
1991年に「石川ウィーク」の一大イベント(行政・議会・住民の代表団、伝統芸能やファッショ
ンショー披露、経済シンポジウムと見本市の開催、花火大会)にマスコミ関係者含め180名がイル
クーツクを訪問しました。この時、イルクーツク州と石川県とので友好交流協定が結ばれました。
芸術スポーツの国からと、イ州交響楽団や芸能代表団の県内演奏や披露、新体操チームの金沢市で
のパフォーマンスなども県民・市民に親しまれました。ロシア語、日本語研修生の派遣なども実現
しました。
姉妹関係ではありませんが、1998年から加賀市とウソリエ・シビルスコエ 市、2003年には小松
市とアンガルスク市とが行政関係者含めた住民交流が行われています。個人的にも親交重ねたノジ
コフ州知事は「我々の関係は、時代の試練に耐え、人間の活動のあらゆる分野における真に友好的
かつ実りの多い協力関係の見本となっています」と住民間交流を、協会40年にあたり記念誌に寄稿
してくれました。
3)住民間交流
日ソ協会(ロシア協会)は上記の姉妹都市提携運動は勿論、草の根の住民間交流に力を入れま
した。経済界の要望に応え、県内企業が対岸貿易促進にと日ソ貿易協同組合の結成(1968年、
私は73年から2001年までお世話になりロシアの友人も多くできました)があり、上記の石川
ウィークは事務局的役割を果たしました。子どもたちの絵画を紹介展示する、浴衣での文化
交流団、他国に比べて交通費が高いので、ホームステイや簡易宿泊所、乗用車活用などで費用
軽減する人の交流、イルクーツクにあった「兼六園クラブ」(日本語と日本文化を親しむ青年
のクラブ)との交流、ロシア語教室やロシア料理教室の開催、「モミの木まつり」を発展させ
た「フェスタバイカル」イベント、大学の先生中心のシベリア学術調査団派遣協力、数次にわ
たる墓参団派遣とシベリア抑留者シンポジウム開催、ユーラシア協会本部と協力した日ロフォ
ーラムの開催(経済・環境問題、文化教育、人的交流など)など、人と人との交流に力を注い
できました。特筆すべきは、イルクーツクや石川県を訪問する日本人やロシア人のため県の助
成うけ、両地域の歴史文化、観光と生活の見どころなどロシア語と日本語で紹介するパンフレ
ットを10年以上出版していることです。編集のため、取材にイルクーツクに出かけたことも
あります。
イルクーツクだけでなく、かつては旧ソ連各地から船で金沢港を訪れる観光客のおもてなしと
交流は、一般市民県民が気軽にロシア人との交流できる場でもあり、力を入れました。古くは、
北洋漁業で拿捕される漁民の解放と問題解決にロシア語学習と大使館交渉に力も注ぎました。
ロシア極東地域とも交流を、現在は白山市の協会がウスリースク市と交流をしています。政府
レベルでない、住民間の交流に今後も取り組んでいきます。