大怪我もし、国政選挙にも挑戦する私を支えてくれるのが家族であり、友人たちで
した。
長くつきあったロシアの友人から「今日、亀田さん奥さんの誕生日だそうだけど
、何かするの?」「別に」「それはダメ」友人たちが、ワインを別便で送ってくれる
ことに、私は、花束の準備。そういえば、旧ソ連時代は、3月8日の国際婦人デ
ーには男性は女性(妻、恋人、職場)に花を贈るのが習慣でした。それからでし
ょうか、20年近く毎年妻に感謝こめて花を贈っています。
貿易時代も家族旅行はしました。日頃家にいない私の懺悔の気持ちをこめて
、それ以来、家族の誕生会をすることにしています。お互いの仕事があり、誕
生日に近い土曜か日曜を選んで食事、そしてささやかな贈り物。私の還暦祝
いや、参議院選挙終了後は、温泉で祝ってくれました。
この夏は、妻の旧友のいる郡上八幡に家族で出かけました。おりしも、台風接
近の時、長良川が氾濫寸前で、普通の風雨でも実行するという名物郡上おど
りを見ることできず、ホテルへの出張踊りを楽しみました。翌日はうそのような
快晴。郡上の街並みを堪能しました。
大学時代や同じサークル長屋で、研究室で、学園で、大学の民主化求めて
運動してきた仲間たち。友人が62歳の若さでなくなり、彼の遺作展が開かれ
る京都与謝野まで足を運びました。彼の職場と地域で果たしてきた役割を確
認し、お互いに昔を思いながら盃を傾けました。「あなた方は、私たちの地上
の星よ」と党の専従で頑張る皆さんへの言葉が、交流の象徴でした。
「何で、亀田さんの扱いが他党に比べて字数が少な
いの」と新聞社に抗議し、「ちょこしだけど」と激励の言葉添えて寸志を送ってく
れた、又「自分の選挙区よりも、沖縄と同じくらい石川一区の結果が心配だった
」というサークルの仲間たち。「亀ちゃんのためなら」と絵や文字で檄文を贈って
くれたロシア友好運動の仲間たち。
仲間と家族に支えられて一年でした。感謝感謝