こんにちは亀さんです

住民の願いが政治に届くようにと日本共産党石川1区(金沢市内)で活動しています。

母の思い

2014-12-04 05:32:16 | 日記

2日間たちました。母から「あんた、テレビ昼も夜も見たよ、何回も出ているんやね。

寒い中、大変やね、ごくろうさん」実は、私は、まだ第一声も、出発式も、インタビュ

ー(事前も公示後も、これは、これから報道されるかな?)見ていないのです。

録画を忘れたので、何を言っているのか、どう映っているのかが本当は心配。

「私も、曲がった腰で、少しでもと歩いてお願いしているんよ」。ちょっと待った、

母は能登で3区、私は1区、参院選と違い、私の名前はダメなんだけど、

わかっているんかな、事前には、選挙区が違うこと、投票には2回あって

、1回目は候補者名、2回目の比例では日本共産党と書いてほしい

(前回の参院選でわかっていると思うけど)と言っているのですが・・・・。

でも母の思いに、言葉を挟むわけにいかず、「うんうんありがとう」。

母は、金沢の生まれ、女学校を卒業して、軍国青年だった父を紹介

され、はるか離れた能登・珠洲に嫁ぎ、農業を知らないため、朝は

3時4時に起きて、田や畑仕事で人一倍頑張ってきました。戦争中

のかっこいい父の話しばかり聞かされていた子ども時代。

母は家族のこと話したことはありませんでした、わずかに兄が戦死

したぐらい。

「良典、9条ってなんや?」昨年の参議院選挙の時です。終戦後

、結婚した母は、そういえば、当時の「憲法のはなし」の戦争

放棄した憲法9条のことなど知りません。「母ちゃん、お兄さんが

亡くなった、その戦争を再び繰り返さないと憲法の第9条に書き

込んだ、それが皆がいう9条だよ」。勿論、戦死した兄をもつ母

は、戦争反対でした。

母の兄が戦死したのは昭和19年、鉄砲で撃たれたのでなく、

食べるものがなくても「ススメ、ススメ」で戦闘を強制され、餓死

の戦死です。当時の兵士の半数は餓死といいます。天皇政府

は、餓死の兵士、一般国民まで巻き込んだ犠牲の上に戦争を

続けたのでした。

「安倍政権は、これまで内閣が守ってきた、戦闘地域に行かな

い、軍事力を行使しないの約束を破り、日本を戦争できる国に

しようと閣議決定しています。真っ先に狙われのは未来をにな

う青年たち。若者を戦場に送ってはならない。9条の理念に

もとづく平和外交こそ、日本の進む道」。

母に思いを寄せ、訴えの中に入れています。