筍掘り

2008-04-19 20:03:32 | Weblog
ミニ台風の如き雨風が去った直後の土曜日、北関東に暮らす友人の誘いに乗って筍を掘ってきました(^^)v文字通り『雨後の筍』状態を目の前に、約束は「掘った後の穴は必ず埋めておく事」一つだけ。根が乾燥すると枯れてしまう為だそうですが、それ以前に竹林が穴だらけになるのは危険ですよね。非力!?の私でも楽に掘れるのですから、この時ばかりは雨に感謝。掘りたてをゆでて、木の芽和えや鶏肉と煮たり天麩羅にしたり…あとは家でのお楽しみです。
帰宅後は筍御飯の支度をしてから、留守中に届いていた「FACTA 5月号」に目を通して…。この薄さで一部\1,200-(年間購読を申込むと\12,000-)は高そうですが、たいていの雑誌にみられる邪魔っけな広告はほとんど掲載されていませんし、読み応え満点の記事が目白押しで一ヵ月間楽しめますから、週刊誌を毎週律儀に購入するより安上がりと言えそうです。
5月号で私的にタイムリーと思われた記事は、
*「チベット暴動」隠された内幕
*中国VSダライ・ラマ「裏交渉」決裂
の二本。特に「チベット暴動」…は、チベット自治区を中心とする三月からの暴動の経過についてたいそうわかりやすくまとめてあります。要するに、中国政府がチベット人に対して行ってきたことは、戦前の日本政府が台湾や朝鮮半島・旧満州国の人々に対して行ってきたことと同じようなものなのですね。長野県の善光寺が、聖火のスタート地点を辞退したとの報道がありました。善光寺側に様々な理由や思惑があったとしても、中国政府のチベット弾圧への憂慮をはっきり述べている点は支持できます。たとえ宗派は違えども、仏教という同じ根を持つ人々への共感や慈しみを、どうして他の宗派の人々は言えないのでしょうか。政権を担う人々の中にも仏教徒を自認される方がおられるでしょうに、なぜチベットの人々の苦難に背を向けて平気でいられるのか…。それくらい鈍感でなければ政治家でいられないのであれば、政治家なんて最も無駄で無意味な存在かもしれませんね。

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