昨日は気まぐれな降り方だった雨が、今日は本格的になったのかしら。
気温も15度位で、一気に冬に近付いたような気がします。
明日も雨で、更に気温が下がるとのこと。
ホント、極端にもほどがある(苦笑)。
通りがかり人様のコメントを拝見し、『野菊の墓』とは懐かしいなぁ…と思いながら、実は粗筋ではなくて今の上野マルイにかつてあった京成百貨店を思い出す(苦笑)。
確か初代パンダが上野動物園に貰われてきた翌年のこと。
父方の伯母(父の長姉)が何かの用事で上京し、「パンダを見たい」との話が出て、当時小学校五年の私が案内を仰せ付かったのでした。
父にとっては実の両親以上に保護者的な役割を果たしてくれた彼女の要望を、姪の私が断ることは許されません。
勝手知ったる上野動物園をさらっと案内した後はお役御免のつもりが、どういう経緯でか京成百貨店に行く破目になりまして。
おそらく、伯母は案内のお礼のつもりだったのでしょう。
「人形か玩具か」と言うのを断り、本をお願いして書籍売場に向かったのでした。
さすがにコミックでは父の面子もあろうかと思い、散々悩んだ末に選んだのが、『野菊の墓』と『たけくらべ・にごりえ』。
新潮文庫か角川文庫のどちらかだったと思います。
当時の京成百貨店の包装紙は、青色と緑色の樹木が印刷されていたのではなかったかしら。
二冊の文庫本も同じ柄の包装紙にくるまれて、我が家の本棚に収まったのでした。
本はどちらもすぐに読みましたが…10才そこそこの子どもが読むにはちと早かったかも。
民子が可哀想と思うより、語り手「僕」に対する歯痒さが先に立ったような気がします。
当時の農村の在り方からすれば致し方ない流れ、と思うのは後々のこと。
いくら年下だからって情けない男だなぁとしか思えなかったのですから、所詮は子どもの読み方ですよね(笑)。
その後、京成百貨店のB1Fに明正堂書店が入り、こちらには随分とお世話になりました。
中二~中三の二年間、ほぼ毎週日曜日の午前中に上野に用事があり、その後は明正堂書店を覗くのがルーティンのようなものでしたから(笑)。
毎週ワクワクしながら通って足が棒になるまで立ち読みしたあの時間が、もしかしたら一番楽しい読書体験だったかも。
気温も15度位で、一気に冬に近付いたような気がします。
明日も雨で、更に気温が下がるとのこと。
ホント、極端にもほどがある(苦笑)。
通りがかり人様のコメントを拝見し、『野菊の墓』とは懐かしいなぁ…と思いながら、実は粗筋ではなくて今の上野マルイにかつてあった京成百貨店を思い出す(苦笑)。
確か初代パンダが上野動物園に貰われてきた翌年のこと。
父方の伯母(父の長姉)が何かの用事で上京し、「パンダを見たい」との話が出て、当時小学校五年の私が案内を仰せ付かったのでした。
父にとっては実の両親以上に保護者的な役割を果たしてくれた彼女の要望を、姪の私が断ることは許されません。
勝手知ったる上野動物園をさらっと案内した後はお役御免のつもりが、どういう経緯でか京成百貨店に行く破目になりまして。
おそらく、伯母は案内のお礼のつもりだったのでしょう。
「人形か玩具か」と言うのを断り、本をお願いして書籍売場に向かったのでした。
さすがにコミックでは父の面子もあろうかと思い、散々悩んだ末に選んだのが、『野菊の墓』と『たけくらべ・にごりえ』。
新潮文庫か角川文庫のどちらかだったと思います。
当時の京成百貨店の包装紙は、青色と緑色の樹木が印刷されていたのではなかったかしら。
二冊の文庫本も同じ柄の包装紙にくるまれて、我が家の本棚に収まったのでした。
本はどちらもすぐに読みましたが…10才そこそこの子どもが読むにはちと早かったかも。
民子が可哀想と思うより、語り手「僕」に対する歯痒さが先に立ったような気がします。
当時の農村の在り方からすれば致し方ない流れ、と思うのは後々のこと。
いくら年下だからって情けない男だなぁとしか思えなかったのですから、所詮は子どもの読み方ですよね(笑)。
その後、京成百貨店のB1Fに明正堂書店が入り、こちらには随分とお世話になりました。
中二~中三の二年間、ほぼ毎週日曜日の午前中に上野に用事があり、その後は明正堂書店を覗くのがルーティンのようなものでしたから(笑)。
毎週ワクワクしながら通って足が棒になるまで立ち読みしたあの時間が、もしかしたら一番楽しい読書体験だったかも。
ずいぶん背伸びをして読んでいたんだなぁと感心しています。
一つの作品をじっくり読み解く、という読み方ではなく、手当たり次第に読み飛ばしていました。
あのワクワク感が懐かしいです。
魯迅とは別の意味で、わかりそうでわからん。なあんちちち。
その一方で、わかった気になって読まないまま今に至る作品は数知れず…。
ま、だからこそ活字を漁る楽しみが続いてもいるのかもしれませんが…笑。
親に連れられて行った3歳の頃をから、小一の遠足・友だち同士での外出・デート・我が子を連れてetc…よくよくお世話になりました(笑)。
そのかわり、私は多摩動物公園には行ったことがないのですよ。
山手線の西側、特に三多摩は千葉・埼玉よりも心理的に遠いかも…苦笑。
伊藤左千夫の感覚や当時の読者層からすると、当たり前の結末だったような気がします。
農村(ばかりではないでしょうが)の口さがなさは、私自身もそれなりに感じてきましたし、明治時代の「世間」の圧力は今よりはるかに強かったでしょう。
民子は若くして亡くなりましたが、仮に“僕”と一緒になれたとしても、あの頼りなさでは相当苦労したのではないかと想像する意地悪婆です(苦笑)。
時が流れ、政夫は年下の妻を娶り平凡な国語教師の道を歩んでいた。ある日、あるところから意外な事実が伝えられる。死んだはずの民子が生きていたというのだ……。
教師になった政夫は、ある年の新入生に民子そっくりの少女がいることに気が付く。
知られてはいなかったのだが、民子には腹違いの妹がいて、少女はその妹の子ども、民子の姪にあたる存在だった。
民子の死によって一方的に断ち切られた政夫の思いは、少女の存在により………。
うーん、『新生』の二番煎じになりそうな(ーー;)
たったったたた、たったかたーーーーーの
民っ、み子ぉーーーーーーーーーーーーーーーー!
そこで政夫は友人である通りがかり人の助太刀を得て、拳銃片手に民子の働くキヤバレーに乗り込むのであった。山姥を倒した政夫は、メタボの白クマの手助けにより民子を連れて横浜の港から旅立っていく。ブリッジには満足そうに微笑む大納言の姿があった。残された政夫の妻はどうなる……?
通りがかり人さんの官能小説はあまり劣情を催しそうにないな~。私の知人のひとりにSM小説を書いているという人がいまして、SM場面は想像で書き、水商売の女性に大好評だと言ってました。1年後に会いましたら学習塾だかの経営者に宗旨替えしていたようでした。