おわった………

2017-11-27 10:54:50 | Weblog
朝から良い天気…
ビルの10Fにある区民事務所からは、富士山がよく見えました(笑)


今朝は、勤務先の消防訓練に参加する為、6時に家を出て、8時半に一旦退社
帰りに区民事務所と保健所に寄り、書類不備で先週できなかった難病認定の更新手続きを無事に終え、先ほど帰宅
これから1時間ほど寝ます

昨夜も日付がかわる頃の帰宅だったし、明日も仕事で、明後日は娘とデート
休める時には休んでおかないとね(^^)v

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4 コメント

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通りがかれ! (通りがかれ人)
2017-11-28 13:25:47
なあんちって。
山姥さんの記事から、流れをみますと、微妙に、介護道を進んでいるように思います。山姥さんは、あえて、と、言っていいものか、どおか、親子同士の相互依存性というものに、限度をもうけているのかも知れない。それは山姥さんの325の経験がもたらせてくれたおのが道最優先の道であろうか。自分がまず最優先にならなければ、たとえ親とでもうまくはいかない、と言うことなのではないでしょうか? 私もつくづく自分をそう思うのであります。介護力は自分が不調ですと、被介護人に多大な影響をもたらすものだと思います。ですから、距離を置くのがベストです。一緒にいるのはよくない。独立性がもたらされず、不用な苛立ちにも見舞われます。
 このところ、電気カーペットの上で、干からびている飯粒や、時にはニンジン、時には味噌汁のシミにも頓着しなくなりました。ついこのあいだまではローラー回したり、掃除機もかけたりしていましたが、もうしょうがない。靴下にくっついためしつぶ剥がし、あきらめて,養命酒ですな。ヤエンの姉さんに、ハンノキのシイさんに,年賀状書きたいので、用意してくれと、ふたりとも、もう亡くなっている。前者は40年前、後者も8年くらい前。20枚くらい用意して、好きにさせます。ポストには入れるか、考えます。もらった方は理解示してくれるでしょう。ティッシュペーパーの箱は鼻をかんだあとはゴミ入れと化します。さすがにばっちいですが、ばかぁ、と、怒鳴るのもかわいそうで。昨日はめしつぶ付着カーペットに掛け布団だけで、ぐっすり眠れました。気にしなければなんてことないのですな。

タイトルの「終わったぁ」にはほど遠き道のり

「終わったぁ」は母骨壺におさまりし時か

カーフペットに落ちて干からびためしつぶ口に入れ

なあんちち。 
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山姥さんの会社勤めも半端じゃない (大納言)
2017-11-29 01:09:06
消防訓練なんかほっぽってよかったのでは?
と思うのは素人なんでしょうね。
終わったあ……はいいが、まだ1日はおわらない。

半端じゃないと言えば、通りがかり人さん宅だ。
お母さんに振り回される日々……ハラハラドキドキ秋の風。
誰に届くか年賀状、冥途のお方に「おめでとう」
今日も刺激がありすぎて、イカスじゃないか、西銀座駅前。
がんばれ! 日本の夜明けは1日1度、秋の風
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通りがかり人様 (管理人)
2017-11-30 08:22:04
終わったのは難病認定の更新手続き
認定証の交付は、この二ヶ月後になります

毎回往生するのは、東大話法ならぬお役所話法
例えば、用意しなければならない「住民票」とはどのようなものなのか、とかね
その上、同居していない姥が老親の住民票(と納税証明書)を取得するためには、委任状が必要なのですよねぇ
母が、シルバーパスを利用して地元区民事務所へ行くと言うので任せたら、要求された住民票とは違っていて、姥が区民事務所に行くと、父のマイナンバーカードや保険証では用をなさず、本人を連れてくるように(「一緒に来ていただく」ではなく「連れてくる」と言われた!!)と
「90の年寄りを連れてこいと?」とこちらが言うと、やっと委任状の用紙を出してきた窓口の案内係の男…
瞬間、激しい憎悪と殺意を覚えましたよ

出直して、求められている体裁の住民票を取得し、改めて保健所に出向き、やっと手続きが終わった次第です
母には最初に、送付された書面を窓口で見せて住民票を取得するように言ったのですけどね
言うことを聞かない年寄りではなく、任せきりにした姥が悪いのです

年に一度のことゆえか、どうしても細部は忘れてしまいますね
そうだったっけなぁ、と、躓いてから思い出す我が身の迂闊さに呆れるばかりです

多分、お役所の方々は、少なくとも姥とは違う世界に棲息しているのでしょうね
母もまた、姥とは違う世界に入りつつあるのだと思うこの頃です
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大納言様 (管理人)
2017-11-30 08:40:33
消防訓練参加も業務のうちで、その分は勤務時間にカウントされます
ま、表向きは「任意」なんですけどね


賀状の宛先はすでに黄泉の住民
哀しみの中にもメルヘンを感じてしまうのは、姥が無責任な第三者ゆえかもしれません

記憶の中のかの人は、いつまでも溌剌と………
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