手紙

2009-03-29 00:02:21 | Weblog
S君…
すっかりご無沙汰いたしましたが、お元気で活躍されていることと思います。
君は疾うに忘れているでしょうが、かつて渡された宿題のヒントをやっと見つけたような気がしたので、綴ってみます。
君に最後に会ったのは、地下鉄サリン事件の2、3ヶ月後だったでしょうか。勤務先が派遣する留学生に選ばれ、渡米準備の合間を縫って夫に会いに来てくれたのでしたね。あの頃の君を、夫は年若い友人と言うよりも弟のように可愛がっていましたっけ。
どうしてあのような話になったのか、細かいことは覚えていません。たまたま夫は仕事か所要があって不在。当時の住まいは2Fが書庫になっており、退屈なら本でも読んでもらおうと案内した部屋での会話と記憶しています。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件という二つの大きな出来事が日本を襲った年…。殊に、地下鉄サリン事件は悪意の塊のような犯罪であり、最高学府で教育を受けた知的エリート達が【教祖】を自称する男に盲目的に従い実行したものでした。君は言いましたね。日本で最高ともいえる教育を受けた彼らが、【教祖】に従いあのような事件をおこしたのは何故か、と。日本中の誰もが感じていた疑問でしたが、君の口調は真剣であると同時に絶望的な気持ちも混じっているかのようでした。ただ、私は君の問いに正面から答えなかった…。自己啓発セミナーとかマインドコントロールといった言葉は知っていましたし、当時の新宗教の手法であることも認識していました。ですが、彼らの行動の理由をそれだけで説明できると思えませんでしたから、正直のところ答
えようもありませんでした。それ以上に、就学前の子どもの親として未来に絶望するような気持ちを抱きたくはありませんでした。
【教祖】に従ったのは、ほんの一握りの人間であり、大多数の人々は従わない良識を持っているはずだ、と私は答えましたね。明らかに論点をズラしました。本当はもう少し言葉を補わなければなりませんでしたが、夫が帰宅してタイムアウト。君は失望したでしょうし、私は重い宿題を課された気持ちのままでここまできてしまいました。あれきり君との交際は途絶え、帰国したらしいと風の便りに聞いただけですから、一方的に語っていくしかありません。
さて、現在、「オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険」(鈴木光太郎/新曜社)という本を読んでいます。心理学にかかわる幾つかのエピソードの真偽の検証を眼目としている本のようです。その中に次のような一節があります。[もしかしたらあったかもしれないこと(話としてはいろいろ都合のよいこと)と、あったこと(事実)とは、区別されてしかるべきである。](P.34ー35)。更に、これに関連して注27でカスタネダ事件(カルロス・カスタネダという文化人類学を専攻していた青年が、メキシコで出会ったドン・ファンという呪術師の発言を書籍化したものは、実は捏造だったという事件)に言及し、[ドン・ファンが実在したかどうかは問題じゃない]という宗教学者の発言を批判しています。
これを見たとき、もしかしたら…と思ったことがありました。根っからの文系人間の私は、理系の教育は高校までしか受けていませんが、物理・化学・生物・地学のどれも事実として検証された事柄を教えられてきたと思います。一方、宗教学では、明らかな事実(例えば、○○宗の教祖や聖典等)ばかりではなく時には様々なエピソード(奇跡など)も取り上げられます。平成日本の一般的な常識で考えればシャーマン(呪術師・まじない師)が医療行為をできるわけはないし、死んだ人間を蘇生させることもできません。では奇跡は嘘偽りだったかとなると…。[事実]から[あったかもしれないこと]へと測る物差(判断基準)を変えなければなりません。検証はできないが、否定もできない…そのかわり、それだけのことでしかないのだ、と。過剰に感動したり意味を求めたりする必要はありません。風景の一つとして受け止めてしまえば良いだけのことです。
理系の学問のトレーニングを受けてきた彼らには、そのような受け止め方ができずに引っかかってしまったのではないかと思います。全員がそうとは申しませんが、最初、彼らの多くは善意の人でした。世の中のあり方に疑問を持ち社会に失望する、あるいは自分にできることを求めて辿り着いた先がこの団体でした。彼らはそこで【教祖の示した奇跡】を見せられ、信じてしまいます。そんなものは奇跡でも悟りでもないのですが、自分の目で見た不可思議なことを悟った人故に可能だと理由付けしてしまうのです。
彼らにとって不幸だったのは、日々の地道な行為の積み重ねが悟りへの道だと教えてくれる人がいなかったことでしょう。いや、もしいたとしても、聞く耳を持たなかったかもしれません。賢い・頭がよいという扱いを受けてきた彼らには、己の見聞に基づく判断しか受け入れられなかった可能性はあります。だから逆に、相手の術中にハマってしまったのでしょう。
君が納得できる答えになっているとは思えませんし、これですべて説明できるわけではありませんが、以上が現時点の私の精一杯のものです。
毎日の当たり前ともいえる行為が本当は一番尊い、と教える人が今の日本にどれほどいるのかわかりません。かく言う私とて子どもに教える自信はありませんし、子どもも聞く耳を持たないでしょう。ですが、人に示さずとも日々実践を続ける人間でありたいものです。
平年より早い開花宣言の後は、冬の陽気に逆戻り。どうか、お身体お大切にお過ごしください。いつかゆっくり、「その後の日々」を語り合える日がくることを願っています。

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