雲の切れ目から届く日差しが心地よい朝
でも、お天気は下り坂で、明日は雨の予報だそう
昨冬以降定番になった野菜スープを、今季初めて作ったのが昨日のこと
今朝は、豆乳入りおぼろ豆腐を加えて、湯豆腐擬き
いや、これは朝食メニューではない(苦笑)!?
昨日の収穫
*大田黒元雄のピアノ-100年の余韻-(ピアノ 青柳いずみこ・高橋悠治/製造・発売元 コジマ録音)
CDの帯の文章を丸々引用すると→→→
今から100年前、日本の近代音楽がまだ黎明期だった頃、ロンドン留学をきっかけに最先端のヨーロッパ音楽に目を向けた青年・大田黒元雄。鮮烈な“現代”の息吹をリアルタイムで紹介するため、評論活動と並行して、東京の自宅でサロンコンサート「ピアノの夕べ」を催した。大田黒が愛奏し、来日したプロコフィエフも弾いたという1900年製のスタインウェイが修復され、見事に復活。青柳いずみこと高橋悠治の異色の顔合わせにより、当時の曲目の再現収録が実現した。大正期にもたらされた驚きと熱気をお届けします。
ちなみに、ライナーノーツは、ブログ“私たちは20世紀に生まれた”(numabe.exblog.jp/)の沼辺信一氏による力作
ブログ内にも関係する記事があり、それを読んだのが購入のきっかけです
他者に影響されやすいミーハーにして単細胞キャラ、と指摘されれば肯うしかありません
歴史的瞬間に立ち会うような気分になったのも、また正直なところですし…苦笑
まぁ、これまた単なる思い込みでしかありませんね
さてさて、今日から本格的に職場復帰
収入がなければ、本だってCDだって買えないし、映画館にも展覧会にも行けないし、娘とデートすらできない
いや、その前にそもそも暮らしが成り立ちません
頑張るほどの仕事でなし、ぼちぼち、周囲の足を引っ張らない程度にやりましょう(笑)
でも、お天気は下り坂で、明日は雨の予報だそう
昨冬以降定番になった野菜スープを、今季初めて作ったのが昨日のこと
今朝は、豆乳入りおぼろ豆腐を加えて、湯豆腐擬き
いや、これは朝食メニューではない(苦笑)!?
昨日の収穫
*大田黒元雄のピアノ-100年の余韻-(ピアノ 青柳いずみこ・高橋悠治/製造・発売元 コジマ録音)
CDの帯の文章を丸々引用すると→→→
今から100年前、日本の近代音楽がまだ黎明期だった頃、ロンドン留学をきっかけに最先端のヨーロッパ音楽に目を向けた青年・大田黒元雄。鮮烈な“現代”の息吹をリアルタイムで紹介するため、評論活動と並行して、東京の自宅でサロンコンサート「ピアノの夕べ」を催した。大田黒が愛奏し、来日したプロコフィエフも弾いたという1900年製のスタインウェイが修復され、見事に復活。青柳いずみこと高橋悠治の異色の顔合わせにより、当時の曲目の再現収録が実現した。大正期にもたらされた驚きと熱気をお届けします。
ちなみに、ライナーノーツは、ブログ“私たちは20世紀に生まれた”(numabe.exblog.jp/)の沼辺信一氏による力作
ブログ内にも関係する記事があり、それを読んだのが購入のきっかけです
他者に影響されやすいミーハーにして単細胞キャラ、と指摘されれば肯うしかありません
歴史的瞬間に立ち会うような気分になったのも、また正直なところですし…苦笑
まぁ、これまた単なる思い込みでしかありませんね
さてさて、今日から本格的に職場復帰
収入がなければ、本だってCDだって買えないし、映画館にも展覧会にも行けないし、娘とデートすらできない
いや、その前にそもそも暮らしが成り立ちません
頑張るほどの仕事でなし、ぼちぼち、周囲の足を引っ張らない程度にやりましょう(笑)
さて100年前というと1916年。大正5年。漱石が亡くなった年でもあり、私の父の誕生した年でもあり、大隈重信が襲われた年でもあります。
太田黒元雄、まったく知らない方です。しかしなんだが、いろいろと感慨深いです。
春の入院時よりも体力が衰えているのか、開腹ではなく腹腔鏡でも身体の器官を除去するとダメージが生じるのか…あれこれ考えますね
大田黒元雄、名前だけは知っていましたが、作品を読んだことはありません
吉田秀和や遠山一行よりずっと昔、山根銀二よりも前の、伝説に近いイメージでした
青柳いずみこの演奏はこのCDが初めてですが(文章は昔『図書』の連載を読みました)、高橋悠治が連弾(ラヴェル/マ・メール・ロワ)を承知した相手なら間違いなかろうと判断
それに、高橋悠治のスクリャービンは、もう、ね…笑
結局のところ、大田黒元雄ではなくピアニスト(高橋悠治)で選んだようなものかもしれません(苦笑)
今日明日あたりかと思っていましたが、お早いお戻りでしたね
おつかれさまでした<(_ _)>
「話の泉」は、聞いたことがありません(聞いていたとしても、幼すぎて理解不能だったでしょう)
NHKラジオの「泉」つながりで申せば、「音楽の泉」はよく聞きましたね
今でも、『楽興の時』3番を聞くと「音楽の泉の時間です」とのアナウンスが脳内で再生されるような…苦笑
三十数年前の記憶と混同したか!?