展覧会二つ

2008-12-16 23:25:51 | Weblog
お天気も良いし、占いの結果でも外出は大吉…というわけで今年最後の道楽、展覧会のハシゴをいたしました。
まずは上野の森美術館の『レオナール・フジタ展』。このハコは好みではなく、先年竹橋の近美で開催された藤田嗣治展と比べれば質・量ともに劣ることはハナから予想していたのですが、いやはや…。惚れた弱みがなければ『回れ右』していたかもしれません。今回の目玉は「争闘」および「構図」という4枚の大作と、礼拝堂設計を含むクリスチャンとしての一連の作品。ただ、画家のピークは戦前のパリ時代に終わっていると思っていますし、クリスチャン・フジタは興味がないのですよね。大作にしても、一連の聖戦絵画以外はどうかと思っています。以前に平野政吉美術館へ行った時も、超大作(映画の宣伝みたいですなぁ)「秋田の行事」よりも素描や「チンドンヤ」のような作品のほうが、私の中ではポイントが高かったですから。今日強く印象に残ったのはヴェールを纏ったモンパルナスのキキの素描。個人的にはこれが一番の収穫でした。以前に近美の藤田展を見た友人が「彼は何故あれほど執拗なまでに裸婦を描いたのか」と言っていましたが、藤田嗣治にはもしかしたら
裸婦も猫も同質だったのではないかと今回の展覧会で思いましたね。四半世紀前から追っかけをしてきましたが、もうしばらくは藤田嗣治はいいや…手元にある彼の猫ばかりを集めた画集で十分です。
枯れ蓮で埋まった不忍池にある弁天様に参詣し、伊豆栄で鰻丼を食してから、今度は渋谷へ。JR・銀座線から井の頭線への連絡通路上に展示された『岡本太郎・明日の神話』を見てから、世田谷美術館へ向かいます。かつては用賀から歩いたものでしたが、もはやそのような根性も体力もなく、よしんばあったとしても展覧会のために温存しようと、即刻バスに乗車。ここでのお目当ては『山口薫展』です。小出楢重を連想させる芸大時代の裸婦からパリでの修業を経て、戦争の荒波を潜り抜け(戦病死した同年生まれの靉光と比べると、どれほど幸福な画家人生であったかと考え込んでしまいました)、独自の抽象表現の境地を拓いた晩年までの作品が一堂に会した、なかなかに興味深い内容でした。対象の持つ特徴や属性を削ぎ落とし、幻想的な世界に組み替えているようで、実はそのものの芯を外すことがない…。ある種の芸術家が有する「狂気」が感じられない、たいそう精神が安定した画家だったのだろうなぁと、妙なところで感心してしまいました。
今年の展覧会はこれにて打止め。明日からは年越しの準備に精を出しましょう(^^)v