ランダムなまず庵

 何事にも一寸手を出すが人並みに出来ず、中途半端なその日暮らし・・何でもありの風来ブログ、暇にまかせて「庵」ってます。

野辺の送り

2008-09-06 07:37:22 | 世相雑感
 母方の祖父は、私が6歳になった昭和20年頃、終戦前に死んだ。
 墓場のある村はずれで、葬式の饅頭を貰って食べたことが思い出される。

 その後も数年は身内、近隣の葬式と言えば墓場で葬式饅頭を貰って食べたものだった。それほど甘味など口に出来なかった時代であった。
 今の子は「栗饅頭」など見向きもしないだろうに・・・

 棺桶を担ぐ人、旗を持つ人、団子や花を持つ人などの列に何人かが続く。野辺の送りの葬列である。三、四十年前の田舎でも見かけた光景である。

 今は、自宅や斎場から「焼場」に霊柩車で向かう。近親者は別のバスなどで同行するが、近所の人は霊柩車の警笛で合掌し永久の別れをするが普通である。

 35年位前のことである。息子と甥姪達が彼等の祖父の葬儀で花などを持ち或いは茣蓙を背負って葬列に加わるのである。
 最近になってあの時は何処まで行ったのかと聞いたら、家からバスに乗るまでのホンの20メートル位の距離で形式化した「野辺の送り」の名残りであった。

 30年位前、都内の斎場での葬儀に参列したことがある。出棺となった。「焼場はどこだ?」な!なんと!棺桶を抱えて同じ施設内の火葬場に入った。

 そういえば、最近、絢爛豪華な霊柩車を見かけたことがない。

 野辺の送りも寂しいが、インスタント、省エネ、エコライフも何故か物悲しいことである。


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