ランダムなまず庵

 何事にも一寸手を出すが人並みに出来ず、中途半端なその日暮らし・・何でもありの風来ブログ、暇にまかせて「庵」ってます。

ごみ箱漁り

2008-09-07 06:23:41 | 世相雑感
 最近では戸外の「ごみ箱」などはあまり見かけないが、戦後は暫らくあった。そしてポリバケツに代わり、有料分別ゴミ袋の時代となり、市などの収集車が来ている。

所は上野公園、花見の宴の跡のゴミなどのTV放映があった。
これらを狙って漁る「専門家」がいるのである。膨大なゴミの中から、「ゲット!ウナギ寿司の折詰手つかず!」である。
 賞味期限内の食べ残しのお弁当もいいなぁ~、確かに酒やビールは未開封なのがあるだろうな~

 江戸は世界一衛生的な町であったと言われている。町民の住む長屋の下肥は近郊の農家が朝早く共同厠から汲み取っていく。大家はそれが収入だったとか・・・・

 私は終戦の6歳まで都市に住んでいたが、汲み取り口に「大根」などが置いてあったと母が言っていたのを朧げに憶えている。

 浮浪児・・・それ何???ピンと来ない人は幸せである。
 連合軍のB29などによる都市への大空襲があり、親を失い、焦土と化した瓦礫の中を家もなく犬や猫のように餌を求めて生きた時期を持った少年少女達がいた。腐った物も食べたであろう。

 カッパライなどをし、マンホール、土管を塒に食堂から出た残飯を漁り、生きるために生きてきたのである。私は空襲の直前に田舎に一家で疎開していた。遅れていたなら・・・・・

 すぐに「浮浪児狩り」により施設に収容された。
 昭和10年から15年の間位前後生まれの人で経験者は居る筈である。
 何故ならば、私と同世代であるからである。

 冒頭の写真は、カンボジア旅行の時、物乞いをする少女である。
 抱いているいる子は弟か、2歳にはなっていない。先ほどまで立って観光客に何か喋っていた。「物乞い」の言葉しかなかったと思う・・・・疲れたんだろう。
 


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