
夏野菜のための土壌の準備をしていたら、昨年種を播いていたニンジンが出てきた。小さいもので食用には殆んど絶えられない代物である。
勿体ないという気持も余りないが、ここでまた、貧乏性が出てくる。あの食糧難の時代を思い出し食べてあげなければと持ち帰り煮た。
不味いが食べられなくはないが「完食」までにはいかず捨てる破目と相成った。 この間までは、チンゲン采の菜の花を摘んで「オヒタシ」にしていた。法蓮草も茹でて冷凍保存、食べてあげているという感覚で感謝の気持は何処えやらである。
収穫と言うほどのものではないが、大根や胡瓜などを台所まで持ってきて萎びさてしまう。じゃが芋なんかは芽が出てそれを掻いてまた出てきたら、種イモにして植える。次の年も孫種イモにしたことがある。
10坪に20種類ぐらいの種苗を植え、「少数精鋭主義」を狙ってはいるが、烏合の衆でシッチャカ、メッチャカ、お茶らかホイである。
水温む春も過ぎ、過ごしやすい陽気の今日この頃、間もなく
卯の花の匂う垣根に・・・・・
「夏は来ぬ!」ある。
勿体ないという気持も余りないが、ここでまた、貧乏性が出てくる。あの食糧難の時代を思い出し食べてあげなければと持ち帰り煮た。
不味いが食べられなくはないが「完食」までにはいかず捨てる破目と相成った。 この間までは、チンゲン采の菜の花を摘んで「オヒタシ」にしていた。法蓮草も茹でて冷凍保存、食べてあげているという感覚で感謝の気持は何処えやらである。
収穫と言うほどのものではないが、大根や胡瓜などを台所まで持ってきて萎びさてしまう。じゃが芋なんかは芽が出てそれを掻いてまた出てきたら、種イモにして植える。次の年も孫種イモにしたことがある。
10坪に20種類ぐらいの種苗を植え、「少数精鋭主義」を狙ってはいるが、烏合の衆でシッチャカ、メッチャカ、お茶らかホイである。
水温む春も過ぎ、過ごしやすい陽気の今日この頃、間もなく

