ランダムなまず庵

 何事にも一寸手を出すが人並みに出来ず、中途半端なその日暮らし・・何でもありの風来ブログ、暇にまかせて「庵」ってます。

トンカツ

2007-01-27 07:21:17 | これってグルメ

 昭和33、4年頃のことでしょうか、「金の卵」として集団就職で上京し町工場で働いているとき、生まれて初めて「トンカツ」というものを食べた。この世の中にこんなに美味いものがあったのか、絶対に「トンカツ屋」になる。 そして心いくまで食べることを目標にし、遂に店を持ったという主人の話を聞いたことがあります。  

 豚カツ---豚のカツレツ(cutlet)のことで、鯨カツ、チキンカツ、わらじカツ、串カツ、ひれカツ、ロースカツ、ソースカツ、カツサンドなど人間様はなんでもカツにしてしまう。

「カツ煮」って知ってます?「カツ丼」と「カツ重」の違いは? 「カツ丼」は嫌いで「カツ煮」にしてくれという人がいます。不思議なことで首を傾げてしまう。

 私は最近ではフライ物は避けており、チキンカツ程度にしていますが、ゴルフに行ったときは、必ず「トンカツ定食」かカツ重である。そして中生1杯で後半に繋ぐ。勝った試しはないが、そのうち・・・・・                      熊野詣での帰りの名古屋で「味噌カツ」を「話の種」に食べてみた。

 トンカツに欠かせないのがキャベツである。                    量が多く新鮮で山盛りだと安心する。ソースをかけてザクザクシャキシャキ音をたてて噛む、周りの衣の厚みが肉より厚いとハムカツのようで貧弱である。少なくとも2~3センチの肉厚が頼もしく充実感が湧き出てくる気がしたものです。  20歳代には浅草に住んでいたことから、千束通りの「三好屋」だったか、そこのトンカツは値段の割には安くてたまには食べていました。 また、観音裏の「梅園」でしたか、一番安い「カツ定食」を同僚と奢り奢られながらよく食べたのを思い出します。安月給では、一ランク上のヒレとか上ものには手が出なかったのです。四百円もしなかったと思う。その店は実直そうな夫婦でやっているのが印象的で固定客で持っているようだった。いずれも40年以上も前のことでもう店も無いと思うし、確率はゼロに近いが訪れてみたい。              主人が揚がったカツを包丁で「ガシッガシッ」と切る、奥さんが慎ましく運んでくる。そして歯ごたえのある新鮮なキャベツの甘みを噛みしめながら・・・

 考えてみれば、トンカツを最初に食べたのは何時だったか明確な記憶はないが昭和33年、上京して独身寮の食堂での「メンチカツ」は記憶にあります。  たまには寮の近くの肉屋のトンカツを買ったことがあります。キャベツがサービスで付くのですが、若い女店員に多めにキャベツを付けて貰った記憶が甦ります。なんだか得をした気がしました。                          きよしのズンドコ節にあるような、向こう横丁のラーメン屋 赤いあの娘のチャイナ服 そっと目くばせチャーシューをいつもおまけに2、3枚・・ズンドコ・・・・・コソッと乗っけて貰うことに較べれば、やることはセコイものでした。                            脂身の多い、薄いの食べていたんでしょうが・・・・・・・・

 高校の教科書で習った「芋粥」(芥川龍之介の短編)が思い出されます。 抜粋であったのだろうが、記憶にあるのは芋粥を食ってこんな美味いものがあったのか、腹一杯食べたいという男の話だったという程度で、狐がでたことも思い出した。  

 この芋粥とは、「山の芋を中に切込んで、それを甘葛の汁で煮た粥」のことで、無上の佳味とされていたものであります。 私はこのころか、山に行き山芋を掘ったことがあります。難儀しても尚且つ、中途で折ってしまったのを早速、すりおろして味噌汁に入れ飲んだ。美味いことは美味いなアーの程度でした。

  しかし、また、白米の「粥」に「さつまいも」を入れたものとも思っていた。ダイコン飯の類の感じである。これは食糧難の時代の名残りで量を増やしたのです。  

 平安朝のころ、五位の某侍が、年に一度、臨時の客の折に飲めるか、飲めても僅かに喉をうるおすに足るほどの少量である「芋粥」の椀をしげしげ見つめながら「いつになったらこれを飽けるかなあ」と飽きるほど飲んでみたい願望を口滑らしたことから「望みならお飽かせ申そう」と欲望を実現されることになった。

 恐るべき大量の芋粥を作る作業により出来上がり差し出された芋粥は、五位はもう飲むことができない。 芋粥に辟易しながらその好意を無にすることを恐れる五位にとっては、目の前に差し出された芋粥はもはや苦痛でしかない。 

 望みが達せられ幸せであるはずなのに、振り返れば、芋粥に飽きたいというささやかな欲望を後生大事に守っていた幸福な彼の姿があった。 理想は理想である間がいいということなんでしょうか。食べ物とは限らないんでしょう。  

 この短編に限らず芥川の小説は私には想像もつかない、読んでもその域に達せず無駄なような気がする。                            解説書を読んでさえもその深く意図するところがまだ解からない、計り知れない奥行きのあるものらしい、それゆえに芥川なんでしょう。今昔物語を典拠としたものらしくこれを探して読んでみたい。

 夢はかなえられる前が華なんですか、もう夢もそんなにありませんが、せいぜい宝くじ3億円当たったら後悔することになるでしょう。当たりませんように!!

 ・・・・せいぜい「キャベツ大盛り特大ジャンボひれかつ」くらいにして・・・・


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