ランダムなまず庵

 何事にも一寸手を出すが人並みに出来ず、中途半端なその日暮らし・・何でもありの風来ブログ、暇にまかせて「庵」ってます。

悟りの域には程遠く

2011-06-04 14:24:41 | 世相雑感
 兎角、人間というものは「往生際」の悪いものである。
 何としてでも生きたい一心で何かと無駄な抵抗や足掻きをする。悲しいかな「溺れる者は藁をも掴む」のである。それほどに命が惜しいのである。

 70歳を過ぎ、よくまあ生きたかというのに、満足せず更に飽くなき、まだまだと頑張る・・・

 職場で顔色が蒼白だった若者が胃がん、結婚したばかりで血液がん、この時は本人と母親が頑としてガンと認めなかった。認めたく無くなかったのである。

 カルチャーやスポーツクラブの仲間でも肺、膵臓ガンなどで逝った。あっと言う間の事もあった。

 臓器の摘出までしているのに、夫婦で胃潰瘍だったと頑張っていらっしゃるお方もいる。 一方、私のように必要以上に「公言」している者も珍しい。

 人はガンと聞くと「何処の・・・」と聞いてくる。面倒くさいので「多臓器不全・・」五臓六腑にビールが沁み渡る。

 何時、飲み食いが出来なくなるかも知れない。今の内に・・・これも「慾」なのか。

 病気でなくても老衰の域に達しているのに・・・人間死ぬまで慾がある。

 治ると思っての抗がん剤投与などは、無駄な抵抗であると思い知る。

 この場に及んで、この世に残すことなどに思いを巡らす。貧乏人はそれなりに、お金持ちは地獄の果てにまで持って行きたい資産財産の行く末に気を病む。

 生きているうちに全財産を寄贈する勇気ある奇特な人がいる。スッキリしただろうな。・・・

 振り返ってみても、やり残したこと何も無い。元々無かったという表現が妥当であったのか。そんなお方ほど「生」に対する執着心は強いのかも・・・

 諦めも肝要なのに、延命治療か、ホスピスで尊厳死か、選ばなくても辿る道筋は決まりである。

 哀しいかな、人は死ぬほどの苦しみがあっても生きたがる・・・・苦しんで、苦しみ抜いてのあげくお花畑に入って行く・・・・

 「悟りの境地」これマイナス指向か・・・


最新の画像もっと見る