「薩摩芋」の思い出である。
今は品種改良が進み、美味しい芋が家庭菜園でも沢山に出来る。何と言っても、ホクホクである。「べにあずま」「紅小町」「金時」など・・・
終戦直後は代用食として食べた。お粥に芋を入れ、嵩を増やした。大根飯よりマシだった。何しろ、芋の蔓(茎?)を食べた時代でもあった。
当時の芋は、蒸かしたては美味いが、冷めるとベチャベチャで、食べる物が無い時代でも、さすがに不味いものだった。
父は、芋を仕入れて蒸して、汽車に乗り40キロくらい離れた町で露天売りをしていたことがあった。殆んど完売していたようだったが、売れ残こり持ち帰ったのを食べたこともあった。
「九里より美味い十三里」町では、リヤカー、いや今は、軽自動車で焼芋屋が結構繁盛している。値段は昔、芋食って育った人間には、高価感があり手が出ない。芋は安いものだとの観念がある。
「いも」には、俗に野暮ったいことに使われる。「いも侍」「いも姉ちゃん」などと・・・蔑まれることもあった。
「雨止んで人傘を忘れる」芋で育った「芋人間」である。
芋を蒸かすだけではなく、煮ても美味いものである。久し振りに食べてみた。
今は品種改良が進み、美味しい芋が家庭菜園でも沢山に出来る。何と言っても、ホクホクである。「べにあずま」「紅小町」「金時」など・・・
終戦直後は代用食として食べた。お粥に芋を入れ、嵩を増やした。大根飯よりマシだった。何しろ、芋の蔓(茎?)を食べた時代でもあった。
当時の芋は、蒸かしたては美味いが、冷めるとベチャベチャで、食べる物が無い時代でも、さすがに不味いものだった。
父は、芋を仕入れて蒸して、汽車に乗り40キロくらい離れた町で露天売りをしていたことがあった。殆んど完売していたようだったが、売れ残こり持ち帰ったのを食べたこともあった。
「九里より美味い十三里」町では、リヤカー、いや今は、軽自動車で焼芋屋が結構繁盛している。値段は昔、芋食って育った人間には、高価感があり手が出ない。芋は安いものだとの観念がある。
「いも」には、俗に野暮ったいことに使われる。「いも侍」「いも姉ちゃん」などと・・・蔑まれることもあった。
「雨止んで人傘を忘れる」芋で育った「芋人間」である。
芋を蒸かすだけではなく、煮ても美味いものである。久し振りに食べてみた。