爺・婆さん、正確には祖父母である。母方と父方とにそれぞれ2人づつ合わせて4人の爺さん婆さんがいた。
私にはいませんという人いない筈、只知らないだけ、記憶にないだけである。
私は幸いにも4人の記憶はある。両親の記憶さえない人もいることを思えば、これだけでも金銭にも、何ものにも代えがたい大切なものを持っている幸せ者であると思っている。
母方の祖父は明治13年5月生まれで昭和20年に死んだ . . . 本文を読む
十年位前になりましょうか、曾祖父が地元の子供たちを「お伊勢参り」に引率をしたという地方新聞の記事を目にしたのです。
それは、明治17年(1884)の春、遡ること113年前のことです。嘉永5年生まれの曽祖父は32歳で、既に結婚しており私にとって祖父にあたる長男は4歳でした。
記事は、昭和55年に「聞き覚え書」として95歳の人が投稿したもので、その人の生まれた年を計算してみると、何と明治1 . . . 本文を読む
・・・そろた出そろた 早苗がそろた 植えよ植えましょ みんなの為に 米は宝だ宝の草を 植えりゃ黄金の花が咲く・・・・唱歌「田植え歌」である。
ふと、なんとなく、昭和25,6年、小学校時代の「さなぼり」が浮かんできた。
祖父母が農業をやっており、田植え時期には母も駆り出されて一族総動員で目印の付いた紐で目標の苗を植えた後、後ずさりしながら一本一本手で苗を植えていくのである。二日位で終わらせて2 . . . 本文を読む
ある人の話である。孫が女の子なら「八千代の雛人形」を買ってやると決めていた。念願かないウン十万円で依頼し、年間30組しか作らないという製作者が百キロ以上離れた娘の嫁ぎ先まで搬送し備え付けたとのことである。
それは豪勢なものであったろうと想像できるし、そのこだわり、入れ込みににも感心させられる。
昭和22年頃か、母がうちにもあるよ!というので物置から出してみた。疎開先の我が家にもお雛様と押絵 . . . 本文を読む
「お袋の味」が売りのお店というと、小母さんが一人でやっているような食堂、居酒屋の女将さんのイメージが浮かぶ。おにぎりとか味噌汁とか、しかし結構値段は高い。 郷土料理と銘打って地方出身の人が訪れ繁盛しているお店もある。
昨日、母の一回忌法要を郷里で営んだ。ひ孫を含む母の姉弟、各家代表の甥たち十一人のささやかなものでしたが、意味の解からない読経の間中、母の苦労に思いを廻らせる。
私は1 . . . 本文を読む
「ボンボニエール」・・・何のことでしょうか、フランス語で砂糖菓子を入れる小箱のことだそうです。下下いや上上で慶事に記念の品として明治以降「金平糖」を入れて配るようになったようです。
金平糖を知っていますか、憶えていますか、今の子供はあまり関心がないようです。今年(平成18年)の2月末、尾道を訪れ金平糖の入った飴菓子を見て、珍しく懐かしく、孫に土産として買ってきてやりました。 私の「金平糖 . . . 本文を読む
高校時代の教科書にあったのか、なぜか記憶に残っているこの句「生きかわり死にかわりして打つ田かな(村上鬼城)」最近まで中村草田男のものだと思っていましたが覚え違いでした。人間は代々同じ営みを繰り返し、今耕している人の後も営営と子供や子孫が田を守っていく、悠久の天地に人のみが入れ代わって耕している、こんな光景がおぼろげに浮かんでくる。
十年、二十年目に逢う郷里の同級生、その本人を見て、その人のお . . . 本文を読む
朝刊を読んでいると「我が家では、子供、孫の背丈を柱に刻んできた、今では宝物だ」という投稿が目に入った。
当家でもあるんだョと振り返ると柱モドキに、孫三人の黒・緑・赤色のビニールテープが貼りつけてある。思い出したように測る都度、「前より2cm伸びたネェ」「一杯食べると大きくなるョ」とアバウトなことを言いながら少し伸びたところに貼り直す。 本人もその気になっているようで可笑しくてしょうがな . . . 本文を読む