雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

天空に舞う   第十四回

2010-09-12 10:29:14 | 天空に舞う

   第二章  それぞれの旅立ち  ( 8 )


春休みも啓介は帰郷した。
この時は帰る途中に京都で下車した。早知子の希望で京都駅で合流することにしたからである。
京都で会っても時間はあまり取れないのだが、同じ電車に乗ってほんの少しであるが旅行気分を味わいたいというのが早知子の希望だった。


京都駅で待ち合わせ、すぐに遅い昼食場所を探した。
学校が休みであり、僅か数日であるがしばらくは毎日会えるので、二人とも気持ちが浮き立っていて賑やかな昼食となった。それに、一緒に食事をするため午後二時頃まで辛抱していたので、二人ともかなり空腹だった。


食事のあと、河原町まで歩くことにした。啓介は大きなバッグを提げていたが、早知子は小さなショルダーバッグという姿である。
上は光沢のあるクリーム色のブラウスで、下は黄緑色の長めのフレアスカートである。颯爽と歩くさまは、高校生の頃の早知子に比べさらに眩しさが増していた。


冬に会った時から三か月近く経っていた。
その間に何度も電話で話していたが、会いたい気持ちが募っていた。それは啓介も早知子も同じだった。


阪急河原町駅からは、電車を一台待って並んで座ることにした。特急の車両は二人掛けの座席が並んでいるので、貴重な時間を持つことができるからである。

甲東園駅に着いたのは七時を過ぎていた。
この日も、少し回り道して、小さな公園に寄った。


   **


啓介の帰郷は五日間だった。
四人では一度集まり、半日を過ごした。早知子とはたとえ短い時間でも毎日会った。
東京に戻る前日には、二人で神戸に向かった。


京都からの電車の中で映画を見に行く約束をしていた。映画に行く場合大阪に出ることもあったが、その後の一緒に過ごす時間のことを考えて神戸にしていた。


三宮で映画を観たあと、JRで神戸駅まで行った。
いわゆる神戸の繁華街の中心は三宮で、ハーバーランドが開発される前の神戸駅周辺は繁華街の中心というイメージはなかった。
映画のあとわざわざ電車に乗ってまで神戸に来たのは、あまり賑やかでないところを歩きたかったからである。


神戸駅を北側に出て、少し行くと湊川神社がある。二人が選んだ行く先はこの神社だった。
湊川神社は神戸では大変有名な神社で、楠木正成を祭神としていることもよく知られている。「なんこうさん」と親しみを込めて呼ばれていて、その紋章の菊水も、社名や商品名などによく使われている。
しかし、その歴史は意外に新しく、創建は明治五年のことである。


後醍醐天皇の時代、天皇を中心とした公家勢力と北条氏を中心とした武家勢力が激しく対立していた。
さらに、公家勢力間にも主導権争いがあり、武家勢力もそれぞれの勢力拡大を目指して合従連衡を繰り返していた。やがて時代は、足利氏が台頭し天皇との協力と対立が目まぐるしく展開され、南北朝と呼ばれる混乱期に移って行く。
太平記の世界である。


楠木正成は、この時代に活躍した武将である。
河内国の小豪族に過ぎなかった正成は、戦力的に極めて劣勢にあった後醍醐天皇を助けて獅子奮迅の活躍をする。その知略と厚い勤皇の志は高く評価され、太平記の主要人物として描かれている。


建武十三年 (1336) 五月、正成は、大軍を擁して東上してくる足利尊氏と摂津国湊川で不利を承知の戦いに臨み、敗れ去った。
敗色濃厚の戦陣の中で、正成と弟正李は、七度生まれ変わって天皇のために忠義を尽くしたいと誓いあい、互いの胸を刺し合って自刃した。
四十二歳の頃であったと伝えられている。


その後、その終焉の地に墓所が造られたが、やがて時代は戦国時代へと移り、墓所は荒れるにまかされていた。
徳川の時代になって、正成の人物と業績を高く評価していた水戸光圀は、その墓所を修復し、自ら揮毫した「嗚呼忠臣楠氏墓」とある碑を建てられたのである。


さらに、幕末の頃には、勤皇の志士と呼ばれる人々に崇められ、その存在は大きなものになっていった。
そして、維新間もない明治五年、明治天皇の沙汰により、終焉の地と墓所を含む地域一帯を神域として、湊川神社が創建されたのである。


   **


啓介と早知子は、湊川神社の正面東側にある楠木正成の墓所に立ち寄った。
この神社が正成を祭っていることは二人とも知っていたし、歴史の授業を通じてその業績の一端は承知していた。
しかし、戦後教育を受けた人たちの多くがそうであるように、正成がどのように忠臣であったのかなどはあまり興味がなく、歴史上の人物の中で、それほど上位を占める存在ではなかった。


「この方が、あの有名な黄門さんよね」
と、早知子は光圀の像の方を見ていた。
「そう、黄門さんがこの碑を建てられたんだって」
啓介が「嗚呼忠臣楠氏墓」の碑を差して言った。墓所に参っているのは二人だけだった。


「後醍醐天皇の頃よね・・・」
「そう、太平記の時代だね」


「あの時代は嫌い。難しいもの」
「ああ、南北朝など、複雑だものね」


「楠木正成はここで亡くなったの?」
「そうらしいよ。この神社の本殿近くらしいよ。そこで自害したんだ。七度生まれ変わって朝敵を討つと誓って死んでいったということで、忠臣の代表のような人物らしいね」
啓介は、以前に何かで読んだことを思いだしながら説明した。


二人は本殿にも参拝した。

「結婚式場もあるみたいよ」
早知子が体を寄せて囁いた。

「予約する?」
「ええっ? まさか・・・」
早知子は、少し頬を染めて啓介を見上げた。


神社を出たあと駅には向かわず、神社の塀に添って反対側に歩いた。
静かな歩道が続いていて、神戸地方裁判所の建物が見えた。


「生まれ変わるなんて、本当にできるのかしら・・・」
早知子が独り言のように呟いた。啓介が顔を見つめると少し首を傾げ、思いつめたような表情をしていた。

「楠木正成は、七度生まれ変わるって誓ったのでしょう? 生まれ変わることできたのかしら・・・」
「さあ・・・」


「啓介さんは、そんなこと、考えたことない?」
「うん・・・。あまりないなあ。生まれ変わるって、よく聞くよねぇ。でも、本当かなあ」


「本当はどうなんでしょうね・・・。正成が本当に生まれ変わったかどうか、そんな研究した人いないのかしら」
「さあ、少なくとも、有名な本としては無いと思うなあ。それに、生まれ変わるなんて、科学的に証明できることなのかなあ」


「どうなんでしょう・・・。仏教から来たことなのかしら」
「多分、そうと違うかな。輪廻転生というのは仏教の考えだけれど、生まれ変わるってことは、外国でもある話だよ。特定の宗教に関係なく、沢山あるのと違うかなあ」


「じゃあ、本当なんだ」
「それはどうかな。単なる人間の願望かも知れないよ」


「それでも、生まれ変わったとか、生まれ変わりだとかいう話、よくあるでしょう? 人間だけでなく、獣とか鳥になったとか・・・」
「うん、それはそうだけど…。どうしたの、急にこんな話になって・・・」


「ええ・・・。何だか、わたし、少し変よね。楠木正成さんに取りつかれたのかな」
早知子は立ち止って、啓介の腕を取り体をあずけてきた。
啓介はその体を抱きとめた。さらに強く抱きしめたい思いに駆られたが、自制した。人通りが少ないとはいえ明るい街の中なのだ。


「わたし、最近、いろんなことを考えるようになったの」
「最近?」

「そう、最近・・・。啓介さんの恋人になれてから・・・」
「負担に感じているの?」


「負担って?」
「束縛されているような気がするとか・・・」


「そういうことではないわ。束縛されるのなら、その方が嬉しいけれど、そうだと啓介さんに迷惑かけるわ」
「迷惑なんか、ないよ。早っちゃんになら、いくら束縛されても迷惑なんかしないよ」


「嬉しいわ・・・。ずっと、一緒に居たいわ・・・」
啓介は早知子の手を強く握った。早知子が自分の中でどんどん大きな存在になっていることが痛いほど感じられた。


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