雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

彰子の懐妊 ・ 望月の宴 ( 106 )

2024-04-01 08:00:45 | 望月の宴 ③

      『 彰子の懐妊 ・ 望月の宴 ( 106 ) 』


さて、こうしているうちに三月にもなったので、中宮(彰子)のご懐妊を奏上すべきなのだが、上旬には御灯(ゴトウ・三月三日、九月三日に北斗に灯火を献じる行事。)の精進潔斎をなさらねばならないので、それを過ごしてから奏上なさるおつもりであった。

殿(道長)の御心地は、何にもましてめでたく喜ばしい事とお思いである、と申し上げるのもありきたりすぎる。
今は吉日(ヨキヒ)を選んで、山々寺々において安産の御祈祷が盛大に行われている。
中宮は里邸に御退出なさるべきであるが(出産は実家で行われる。)、帝(一条天皇)が四月になってからとお止めになられるので、それまでの間お過ごしになる。
このご懐妊の御事は、今は世間に漏れ伝わったので、帥殿(伊周。故皇后定子の兄。)は胸がつぶれるような思いであろう。世間の人も、もしも皇子がお生まれになれば、東宮に立たれることは間違いあるまい、などと取沙汰されているが、その辺りのことは定まっているわけではない。
されど、「殿のご幸運の強さを考えるにつけ、どうして女子であるはずがあるまい」などと、世間の人々は騒がしく噂している。

こうしているうちに、帝の第二皇女(媄子内親王・母は故皇后定子)が重病になられ、里邸(藤原佐光の邸らしい。)に御退出になられ、あらゆる御祈祷、さまざまな御修法、御読経を、帝におかれてもあれこれとお指図になられるが、ますますご重態である由ばかりお聞きするばかりなので、気持ちは落ち着くことなく、どうだろうか、どうだろうかと思い乱れておいでである。 

こうして四月の初めに、中宮は御退出なさったが、その時のご様子の立派なことは、とても言い尽くせるものではない。
京極殿(土御門殿の別称。道長の主要な邸。)のいよいよ行く末頼もしい松の木立も、実に立派な物とご覧になる。
数々の御祈祷はその数さえ分らないほどである。御修法は今から三壇が常設なさったが、不断の御読経(絶え間なく読経を続けること。)も言いようがないほどである。
殿の御前(道長)は何とも落ち着かぬお気持ちで、睡眠も満足に取れず、御嶽に向かって、今はただ御安産のみをお祈りし、御願をお立てになられる。

一方、女二の宮(媄子内親王)は、全く正気をなくされていて、ご臨終かとお見受けされたのだが、岩蔵(大雲寺)の文慶阿闍梨(天台宗の僧)が参上して御修法を奉仕なさったところ、重態であられた病状が、あとかたもなく平癒なさった。
言いようもないほどお喜びになった帝は、この阿闍梨を律師におさせになったので(大変な昇進だった。)、仏の御効験はこのようにあらたかなのだと、うらやましく思う僧侶も多かったに違いない。

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