雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

八月終わる

2018-08-31 19:10:23 | 日々これ好日
        『 八月終わる 』

     猛暑 集中豪雨 台風 と 厳しい八月だった
     警察署からの逃亡 無謀すぎる交通事故 スポーツをめぐる不愉快な事件
     八月という月が悪いわけではないが いろいろあり過ぎた 
     一方で 感動の高校野球 アジア大会での活躍など 明るいニュースもある
     夏の思い出を刻んだ人も 多いのだろう
     何か エポックを刻んだ八月だったような 気がする

                       ☆☆☆ 
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お節介でしょうか

2018-08-31 08:15:52 | 麗しの枕草子物語
          麗しの枕草子物語 
               お節介でしょうか


源中将宣方というお方は、何かと気のつかないところの多い人ですが、それはそれで、なかなか憎めない人柄でもあるのですよ。
その宣方殿が、弘徽殿女御に仕えている婢女に打臥(ウチフシ)という者がおりますが、その者の左京とかいう娘と懇ろだというのです。
やむごとなき御方が、いやしい娘と云々・・・、という噂もないことではありませんが、笑い飛ばせるほどの御身分の方ならともかく、そのようなことが宮中でまで噂されるなんて、とんでもないことで、今後のご出世の妨げにもなるのです。

そんなある日、中宮職の御曹司に宣方殿が参り、女房たちを相手に
「時々は宿直などをいたしますが、女房方は何も気遣ってくれないのですよ。せめて横になれる部屋でもいただければ、さらに勤めに励めますのにねえ」
などと、おしゃべりされているのを耳にしたものですから、私が、
「全くですねぇ。誰だって、打ち臥して寝られる所があるのがいいのでしょう。そんな所へは、しげしげとお伺いなさることでしょうね」
などと口出ししますと、
「もう一切、あなたとは口をききますまい。お仲間だと頼りにしていましたのに、無責任な噂をまことしやかに言われるのですから」
と、たいそう向きになって私を責めますので、
「あら、おかしなことを。どのようなことを申しましたか。お叱りを受けるようなことを申しましたかしら」
などと言いながら、傍らにいる女房を揺すると、その女房も心得ていて、
「さあ、別にさし障りのあるような話などございませんでしたわ。さては、それほどお怒りになるようなわけがあるのですね」
と、声をあげて笑うものですから、ますます不愉快そうになり、
「今のも、あの方が言わせたことなのでしょう」
と言う。

「そんなことありませんわ。別にあなたの悪口など言っておりませんわ。他の人が噂するのを聞くだけでも腹が立ちますのに」
と答えて、私は奥に入ってしまいましたが、その後でも、
「人間として恥になるような作り話をした」とか、
「私のことを殿上人が馬鹿にしているので、あの人も同じようにあんなことを言ったのだろう」
と、さんざん恨み言を述べられたそうです。
どうやら、私はとんでもないお節介を焼いてしまったみたいですねぇ。私の気持ちは伝わらず、宣方殿とは、その後疎遠になってしまいました。


(第百五十五段・弘徽殿とは、より)
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もう うんざり

2018-08-30 19:31:31 | 日々これ好日
        『 もう うんざり 』

     今度は 体操協会 「もう うんざり」だ
     事の真相はまだ不明で 安易な意見は避けたいが
     あんな若い選手を あのような会見に追い込むこと自体
     協会幹部は 猛省すべきではないか
     それに 本当に噂されているような不愉快な事があるのだとすれば
     誰一人 声を挙げなかったのは なぜだ
     スポーツを 公正公平とか 神聖化するのは 間違いらしい

                        ☆☆☆
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熱中症にご注意

2018-08-29 19:14:58 | 日々これ好日
        『 熱中症にご注意 』

     「いい加減にしたら」と言いたいほど 酷暑が続いている
     八月も残り少なくなってきたし 台風もおいで頂いたが
     台風一過の気配など 全くなし
     とはいえ 夏もそろそろピークアウト のはず
     ただ こういう時こそ 油断大敵
     熱中症にご注意を お互いに

                    ☆☆☆
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孝養の徳 ・ 今昔物語 ( 3 - 16 )

2018-08-29 08:24:46 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          孝養の徳 ・ 今昔物語 ( 3 - 16 )

今は昔、
摩謁提国(マカダコク・古代インドの大国の一つ)に一人の貧しい老女がいた。年齢は八十余歳である。一人娘がいた。年齢は十四歳である。母に孝行を尽くす心が深かった。

その国の大王の行幸があった。国の上下の人はこぞってその姿を見ようと思った。
その老母が娘に尋ねた。「娘よ、明日は大王の行幸があるとのこと、お前も見に行こうと思っているのか。もしお前が出て行けば、私は水さえ飲めなくなってしまう」と。娘は、「私は決して見に行きません」と答えた。

行幸の日、娘は母のために菜(ナ・ここでは食用の野草を指す)を採るために出かけたところ、偶然に大王の行幸に出会った。この女は、決して見ないようにして屈んでいた。
その時に大王は、遥かにこの女を見て、「向こうに一人の下女(下賤な女。上流階級の女性でないことを指している。)がいる。全ての人が私を見ようとしている。あの女一人が私を見ようとしていない。もしかすれば何かわけがあるのだろうか。目が見えないのか、容貌が醜いゆえなのか」と仰せになって、輿を止めて使いを遣わして尋ねさせたところ、女は、「私は、目も、手足も不自由はありません。また、大王の行幸を非常に見たいと思っております。しかし、家に貧しい老母がおります。私だけで老母の世話をしております。孝養を尽くすことで手一杯です。もし王様の行幸を見るために出かけてしまえば、母への孝養を怠ってしまいます。そういうわけで、行幸を見ないことにしているのです。ただ、母に食べさせるために菜を採りにちょっと出かけましたところ、偶然行幸に出会ってしまったのです」と申し上げた。

大王は、その報告を聞くと、輿を止めて、「あの女は、世にも希な感心な心の持ち主である。すぐにここに連れて参れ」と命じ、近くに呼び寄せると、「お前は、世にも稀な孝養心の深い娘である。今すぐに、私の供をせよ」と仰せになった。
女は、「大王様の仰せは大変嬉しゅうございます。ですが、家に貧しい老母がおります。私一人で世話しなくてはなりません。そういうことでございますから、まずは帰りまして、この事を母に申して、許しを得ることが出来れば、返って参ります。やはり、今日一日のご猶予を頂きとうございます」と申し上げた。
大王がお許しになったので、女は母の所に帰って、まず母に言った。「なかなか帰って来ないと思っていたのではないですか」と。母は、「少し思っていましたよ」と答えた。そこで娘は、「大王様から、このような仰せがありました」と話すと、母はそれを聞いてたいそう喜び、「私はお前を生んで育てている間、国王の王妃になることが出来ればと思っていたよ。その願いが叶えられそうだ。今日、大王様自ら仰せになられたことは、とても嬉しい。願わくば、十方(ジュッポウ・あらゆる方向)の諸仏如来よ、加護をお与え下さい。我が娘は、私への孝養の心がとても深い。その徳によって、必ず大王がお忘れになることなく娘を迎えに来てください」と願った。

その日は暮れた。
大王は宮殿に還ったが、あの下女のことが忘れ難く思っていたので、車三十両を以って、明くる日に迎えに遣った。
女の家には、明くる日の朝、貧しい家の門に思いがけないほど多くの車の音が聞こえた。たまたま通り過ぎる車列だと思っていると、「この家か」と問う声が聞こえる。
使者が入ってきて、七宝で飾り付けられた輿を横付けした。母は我が娘に、微妙(ミミョウ・何ともいえない美しさ)の衣服を身に着けさせた。そして、その輿に乗せて、いよいよ王宮に向かって出立した。老母はその姿を見て、涙を流して喜ぶこと限りなかった。
大王はこの娘を迎え入れたが、これまでの三千人の寵愛の后は皆この娘より見劣りした。終日終夜娘をご覧になられたが、なお見足りない思いであった。この為、天下の政務は止まってしまい、万事に支障が起きた。

これは、他に理由があるはずがない。母に孝養を尽くした徳によって、現世において転身して、后になったのである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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親父は克服したが・・・

2018-08-28 19:18:16 | 日々これ好日
        『 親父は克服したが・・・ 』

     各地で 大荒れの天候
     特に雷が凄まじく 風雨や霰も
     当地は 今のところは遠雷程度だが 雷は恐ろしい
     「地震 雷 火事 親父 」は 恐ろしいものの代表だが
     親父は克服したようだが あとは まだまだ恐ろしい

                     ☆☆☆
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さやぐ霜夜を

2018-08-28 08:22:54 | 新古今和歌集を楽しむ
     君来ずは ひとりや寝なん 笹の葉の
               み山もそよに さやぐ霜夜を


                     作者  藤原清輔朝臣

( No.616  巻第六 冬歌 )

               きみこずは ひとりやねなん ささのはの
                          みやまもそよに さやぐしもよを 



* 作者は、藤原北家末茂流に属する貴族である。また、六条藤家の三代目にあたる。( 1104 - 1177 )治承元年(1177)六月没。享年七十四歳。

* 歌意は、「 あなたが来ないからといって、一人で寝ることなど出来ましょうか。笹の葉が山全体をさやさやとざわめかしている このわびしい霜夜なのですから。 」といった、ごくごく分かりやすい意味と思われる。
この和歌は、「冬歌」に載せられているが、この時代の多くの歌がそうであるように、恋歌に加えられてもいいと思われる内容で、特徴としては、筆者は男性であるが、訪れる人を待つ女性の立場で歌われている。

* 作者は、六条(藤原)家の三代目とされるが、初代は藤原顕季。母が白河天皇の乳母であったこともあって昇進し、受領階級から正三位修理大夫にまで昇進した。この時六条修理大夫と称したことから子孫も六条を称するようになった。
二代目である父の顕輔も、正三位左京大夫にまで昇っている。ともに歌人としても優れ、特に父の顕輔は、崇徳院から勅撰和歌集である「詞花和歌集」の撰集を命じられ、清輔もその補助にあたったが、意見が対立し清輔の意見はほとんど受け入れられなかったらしい。

* 父との対立は歌道に関することばかりでなく、官位昇進についても支援が受けられず、弟・重家に遅れることとなり、正四位下で止まっている。
弟の重家は、従三位迄昇進し、六条藤家の四代目となり、その子供たちも公卿に昇り、六条藤家の繁栄を担っている。
歌道に関しては、祖父や父を上回る力を見せており、幾つもの歌学書を著している。しかし、不運な事には、二条院に重用されて「続詞花和歌集」を撰集したが、奏覧前に二条院が崩御、勅撰集として日の目を見ることが出来なかった。

* 清輔と重家の関係も、当然微妙なものがあったと推定されるが、こと歌道に関しては、当時勢力を誇っていた藤原俊成・定家らの御子左家歌学に対して六条歌学の存在感を示すことが出来ていたのには、清輔の才能もさることながら兄弟が協力関係にあったと考えたい。
作者清輔は、歌人として当代一流の人物であったことは自他ともに認められる存在であったと考えられるが、その生涯は、個人的には、どこか屈折したものを感じてしまうのである。

* 清輔の和歌は、「新古今和歌集」には十二首選ばれている。その中の一首は、小倉百人一首にも選ばれてる。本稿において、清輔の代表歌としては、むしろそちらの方が適しているとも考えたが、あまりにも私個人が描く清輔像にピッタリすぎるので、あえて外したという経緯がある。最後にその和歌をご紹介する。

『 長らへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき 』

     ☆   ☆   ☆
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反省しています

2018-08-27 19:03:39 | 日々これ好日
        『 反省しています 』

     歯科医院へ行った
     相当悪くなっているのを 承知していながら
     一日伸ばしにしてきたが とんでもない状態だとか
     言葉は親切に 手際は 荒療治
     しばらく 治療が続くらしい
     反省しています

                    ☆☆☆ 
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出馬表明

2018-08-26 18:36:27 | 日々これ好日
        『 出馬表明 』

     自民党の総裁選挙は
     安倍首相の出馬表明により 石破氏との一騎打ちになりそう
     といっても 自民党員以外は 
     グダグダ言いながら 横目で見ているだけだ
     実質的には 首相選出選挙だと考えれば
     何だか 変だ

                       ☆☆☆
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布施の偉大さ ・ 今昔物語 ( 3 - 15 )

2018-08-26 08:24:46 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          布施の偉大さ ・ 今昔物語 ( 3 - 15 )

今は昔、
天竺の摩竭提国(マカダコク・古代インドの大国)にある王がいた。王には、五百人の太子(王子)がいた。それぞれ成長して、各自分相応に威勢を誇って、皆世間をほしいままにした。
その中の長男を、燼杭太子(ジンコウタイシ)と言った。身体の色は墨のように黒い。髪の赤きことは火が燃えているかのようである。容貌の醜い事は鬼神と変わらなかった。王と后はそれ嫌って、方丈の室(一丈四方。約3m四方の広さで、軟禁用の密室。)を造って、他人に見せることなく寝かせておいた。

そうした時、他国が軍を起こし、この国に兵を向け攻め滅ぼそうとした。
そこで王は、数千万の軍平を整えて合戦に臨んだが、この国の軍勢は、数も劣り、勇猛さも劣り、間違いなく討ち滅ぼされそうになった。その状況に王宮は大騒ぎとなり、逃げ出さなければならないことを嘆き悲しんだ。

その時、燼杭太子は室内において王宮が騒いでいるのを聞いて、乳母を呼んで尋ねた。「いつもと違って宮中が騒がしい。何事が起きたのか」と。乳母は、「太子は御存じありませんでしたか。他国の軍勢がやって来て、この国を討ち滅ぼそうとしているのです。そのため、大王・后・王子たち、全員が他国に逃げ去ろうとされているのです。太子もどこかへ脱出しなくてはなりません」と答えた。
燼杭太子は、「そのような事なら、大したことでもあるまい。どうして我にもっと早く言わなかったのか。これから我が行って、その軍勢を追い返そう」と言って、起き上がった。
乳母はこの事を大王に申し上げたが、大王は全く信じなかった。

その時に燼杭太子は父の大王の前に出てきて、「我が、あの敵軍を追い払おうと思います」と申し上げて、人を呼び寄せ、「我が祖父の転輪聖王(テンリンジョウオウ・正義をもって天下を統治する王の称。)の御弓が、この宮殿の天井裏にある。探して持って参れ」と命じた。
弓を探し出して持ってくると、燼杭太子は喜んで、弓を取って弦を打ち鳴らすと、その音はたちまち四十里先まで及んだ。雷電の響きのようであった。太子は、この弓に矢一手(ヒトテ・最初に射る甲矢と次に射る乙矢の二本一組を指す。)を添え、また法螺貝一つを腰に付けて、ただ一人で王宮を出た。
父の大王と母の后は泣く泣くとどめて、「軍兵に加わる者は、生きて帰ることが出来るのは万人に一人である。お前は容貌が醜いとはいえ我が王子である。すぐにとどまって行ってはならない」と命じた。
しかし、太子は留まることなく、急いで敵の軍勢の前に行って、まず法螺貝を一度さらにもう一度吹くと、多数の軍兵が恐怖に襲われて地に倒れた。次に、弓の弦を打つと、皆逃げ去っていった。
すると太子は、「弓の弦を打っただけでこのようである。もし、一矢を放てば、千万の軍勢とて恐れるに足らない」と敵軍に向かって言い懸けて王宮に引き上げた。
大王は喜び、「私は五百人の太子を養育してきたが、敵軍に対して全く力が及ばなかった。お前一人だけが、わが子といえる」と言って喜ぶこと限りなかった。

こうして太子は、五十歳にして初めて「妻を迎えよう」と言った。そして、「下品(ゲボン・下賤の階層)の人では駄目だ。上品(ジョウボン・上流階級)の人を迎えよう」と言うので、父の大王は、「下品の人でさえ、この太子の容貌を見れば近づくまい。いわんや上品の人が嫁に来るはずがない。わが国の人は、皆この太子の様子を知っている。されば、他国の王の娘を燼杭太子に嫁がせることにしよう。けれども、容貌が醜いので昼は会わすことが出来ない」と思い悩み、夜陰にまぎれて契らせた。

その後、月日が経って、大王は、「私には五百人の嫁がいるが、未だ会っていないので、皆と会いたいものだ。そうだ、花見の宴を設定して、この嫁たち一人一人を見よう」と思って、開催の日を定めて「花見の宴を開く」とふれを出した。
大勢の嫁たちは、衣裳の袖口を整え(袖口の見栄えもおしゃれの重要な要素であったらしい。)、極上の絹物を身にまとった。付き従う侍女たちも、衣装を染めたり洗い張りしたりして、青・黄・赤・白など色の限りを尽くして、薄い色や濃い色など衣裳を調整した。
やがてその日になると、それぞれ南殿(ナンデン・正殿)の前の前庭にある池の中の島に集まり、あるいは船に乗って舵を取り、あるいは筏に乗って竿を指している。また、前庭の中で花をもてあそび、あるいは虫の音を聞いて詩歌を吟じるなど、それぞれに宴を楽しむ。
大王・后は立派な簾を巻き上げてこの様子を見る。宮中の上下の人はあらゆる人がこれを見て、その数は数えきれない。天下の見もので、これを超えるものなどあろうか。燼杭太子の妻も、夫はいないが出席していて宴を楽しんだ。

すると、一人の命婦(ミョウブ・日本的な表現で、五百人の妻の内の一人。)が燼杭太子の妻を笑って言った。「どうして、あなた一人が宴を楽しんでおられるのか」と。また、他の命婦は、「御夫君は美男でございますのに」と言った。
燼杭太子の妻は、恥じて引き下がった。そして、密かに乳母に、「人が何かと言っている。我が夫の姿を見ようと思っているのでしょう。夜になって夫が来たならば、灯をともして夫の姿を見せなさい」と命じた。乳母は命じられたように、太子がやって来た時、突然灯りをともした。
妻は夫の姿を見たが、その容貌は鬼神のようであった。妻はその姿を見て、逃げて隠れてしまった。太子も恥じて帰ってしまった。
その妻は、その夜の内に実家のある国に帰ってしまったので、太子の嘆きはこの上なかった。このため太子は、夜が明けると、深い山に入り、高い所から身を投げたが、樹神(ジュジン・樹木に宿る精霊)が現れ、太子を掬い取って平地に座らせた。

その時、帝釈天が現れて、太子に一つの玉を授けられた。太子は、「私に玉をお与えくださったのはどなたでしょうか。私は愚痴(グチ・愚かで正しい道理を理解できないこと。)なるが故に存じ上げません。もしかすると、仏がおいでになられたのでしょうか。それならば、私の前世での所業をお教えください」と言った。
帝釈天は、「お前の前世は貧しい人の子であった。その時、乞食(コツジキ・托鉢)の僧がやって来て油を乞うたが、お前の父は『清い油を与えなさい』と言ったが、お前は清い油を惜しんで、汚れた油一夕(イッシャク・一勺。一合の十分の一。)を与えた。この功徳によって、父は国王として生まれ、お前は王子として生まれたのである。ところが、お前は、汚れた油を与えたので、姿形が醜い身となったのである。私は帝釈天である。お前を哀れに思い、髪に玉を懸けたのである」と仰せられて去った。

その後太子は、容貌が端正になり光を放つようであった。
やがて、王宮より使者が太子を尋ねて来たが、太子を見て、「もしや、これは仏であられるのか、あるいは、私が尋ねてきた太子なのでしょうか」と言った。太子は、「私はお前の主である燼杭太子である。突然姿が変わり光を放つのは、どうやらこの手にすることが出来た玉のせいらしい」と言って、球を取って他に置くと、もとの容貌になった。また玉を懸けると、端正な姿になって光を放った。
こうしたことがあり、使者が太子を王宮に連れて帰ると、父の大王が出迎えて、太子の姿を見て、事の次第を尋ねると、太子は一つ一つ語った。それを聞いて、大王と后は喜ぶこと限りなかった。

数日経って、太子は妻の本国へ行った。
妻は夫を見ると端正美麗なので心の内で嬉しく思った。また、舅の国王も喜んで、太子に国位を譲った。そして太子は、妻を連れて自分の国に帰った。すると、太子の父の大王も、国位を譲った。
こうして太子は、両国の王となって、天下を思いのままに統治した。
油一夕を僧に布施した功徳はこれほどに大きい。いわんや、万灯会(マントウエ・懺悔滅罪を祈願して、一万の灯明をともして仏菩薩を供養する法会。)を主催する人の功徳は思いやるべし、と仏(釈迦仏)がお説きになった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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