雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

浮き世離れした季節感 ・ 小さな小さな物語 ( 1794 )

2024-08-07 08:07:32 | 小さな小さな物語 第三十部

本日八月七日は二十四節気の「立秋」です。
当地は、梅雨明け後、全く雨を見ていません。遠雷が聞こえてきたこともありますし、今にも降り出しそうな気配を感じたことも二度ばかりありましたが、残念ながらお情け程度の雨さえ降ってきません。ごく近隣の街などにはにわか雨があったようなので、わが家の庭が避けられているようで、毎夕方、まだ暑さが元気いっぱいの中で水撒きに努めています。

二十四節気は、中国で誕生したもので、説明されている気候などは中国の中原のものの影響を受けていて、わが国での実感とはずれがあります。
立春・立夏・立秋・立冬ともに、「暦の上では春ですが・・」といった常套句が聞かれますが、「立秋」は、最もこの常套句が白々しく聞こえるような気がします。
しかし、二十四節気ファンの一人としましては、そうそう捨てたものでもないような気もするのです。
「立秋」の日としては、八月七日の今日が該当しますが、期間としては、次の二十四節気の処暑(今年は8月22)の前日までになります。
二十四節気のそれぞれを三等分する七十二候では、
立秋の初侯を、「涼風至」・・すずかぜいたる・・涼しい風が立ち始める。
次候を、「寒蝉鳴」・・ひぐらしなく・・ひぐらしが鳴き始める。
末候を、「蒙霧升降」・・ふかききりまとう・・深い霧が立ち始める。
とあります。そして、処暑を迎えることになりますが、七十二候の説明が、私たちの周辺でごく普通に見られるわけではありませんが、その気配を探ってみるというのはいかがでしょうか。

とはいえ、梅雨明け十日と言いますが、その十日はとっくに過ぎているのですが、暑さの勢いは全く衰えを見せません。当地の天気予報では、この先一週間ほどは暑さが収まる気配はなく、雨のマークさえありません。個人的な経験則では、梅雨明け(7月20日過ぎ)から旧盆の頃までが最も暑さが厳しいと思っているのですが、どうやら、今年もその経験則は誤っていない感じです。
そして、この時期は、私たちには、忘れられない、また、忘れてはならない日が続きます。広島・長崎への原爆の投下、そして第二次世界大戦の敗戦を受け入れた日です。
この辛くて重たい試練と思い出は、多くの課題を提示しているのでしょうが、私たちは、どれほど取り組み、どれほど前に進んでいるのでしょうか。

今日は、夏の高校野球の開会式です。暑さ対策に関係者の方々は腐心されていますのに、ぎらぎらと燃えさかるような炎天下の球児は絵になる、などとは言えばお叱りを受けるのでしょうね。
子供たちは、まだ夏休みの宿題を心配する時期ではありませんでしょうから、思い存分羽を伸ばしていただきたいと思うのですが、その行動には多くの制限があるのでしょうね。
コロナの感染対策で、私たちの生活に大きな変化が起き、その変化が定着しつつ部分もありますが、ここ数年の暑さによって、私たちの夏の期間の生活形態を大きく変化させる必要があるかもしれません。
このように、年々厳しくなっているように感じられる気候の中で、二十四節気や七十二候といった浮き世離れしたような季節感を楽しみたいものだと、雨を待ちながら考えています。

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