雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

御巣鷹山事故から39年

2024-08-12 18:40:37 | 日々これ好日

     『 御巣鷹山事故から39年 』

    御巣鷹山の尾根に 日航機が墜落し
    520人が犠牲になってから 39年が経った
    当時は 大阪に勤めていて
    仕事関係の人が 複数人 犠牲になった
    この事故のことには 触れたくなかったが
    あるニュースから あの時のことが思い出された・・
    関西は 明日から お盆に入る  合掌

                   ☆☆☆

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聖人の念仏往生 ・ 今昔物語 ( 17 - 39 )

2024-08-12 08:02:42 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 聖人の念仏往生 ・ 今昔物語 ( 17 - 39 ) 』


今は昔、
京の西山に西石蔵(ニシノイワクラ・不詳。平安京造営の時、東西南北に石蔵が造られ、一切経が納められ、それぞれ実在していたらしい。)という山寺がある。
その山寺に仙久(センク・伝不詳)という持経者(ジキョウジャ・経典、とくに法華経を受持信仰する修行者。)が住んでいた。長年この山寺に住んで、法華経を日夜に読誦して、少しも怠ることがなかった。
この仙久は、もとは[ 欠字あるも不詳。]の僧として法文(仏教経典)を学んでいたので、この山寺に住むようになってからも、常に法文に向かって学問をしていた。また、その道心は並ぶ者がないほどで、諸々の人を見ては慈悲の心が深く、父母に接するかのように思いやった。
また、寝ても覚めてもひたすらに極楽に往生することを願って、絶え間なく念仏を唱えた。また、僧房の傍らに別の草庵を造り、中には八軸の法華曼荼羅を懸け奉って、八つの香印(コウイン・香の一種で、時間を計った。)をたいてその修法を営んだ。

このように、様々に熱心にお勤めをしていたが、世間の多くの人が、「もし、普賢菩薩を見奉ろうと思う人があれば、西石蔵の山寺に住む仙久聖人を見るべし。あの者は普賢菩薩の化身である。ぜひとも近づくべきである」といった夢を見た。
この夢のお告げを聞き継いで、世間の人々が、京からも田舎からも、仙久聖人に結縁しようと大勢の人が尋ねてきた。
こうしているうちに、聖人も次第に老齢になり、長年の法華の修行の功徳がおのずから実り、遂に命終る時、心が乱れることなく、念仏を唱え、経を誦し
ながら息を引き取った。

世間の人はこれを聞いて、誰もがますます信仰心を起こした、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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