雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

伊勢の祭主の家柄 ・ 今昔物語 ( 24 - 53 )

2017-02-10 08:16:37 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          伊勢の祭主の家柄 ・ 今昔物語 ( 24 - 53 )

今は昔、
御堂(藤原道長)が、まだ大納言で一条殿にお住まいになっておられた時の四月初めの頃、日がようやく暮れようとする頃になったので、男どもを呼び集めて、「御格子を下ろせ」と仰せになると、祭主の三位輔親(サンミスケチカ・大中臣輔親)は当時勘解由(カゲユ・引き継ぎの書類を審査する役職)の判官(ホウガン・三等官)であったが、やってきて御簾の内に入り、御格子を下ろしていると、南面(ミナミオモテ・正面)の木の梢で、珍しくホトトギスが一声鳴いて飛び過ぎた。御堂殿はこれをお聞きになって、「輔親、今の鳴き声を聞いたか」と仰せになると、輔親は御格子を下ろしかけて、ひざまずき、「聞きました」と申し上げると、御堂殿は、「それにしては遅いではないか」と仰せられたので、輔親はこのように詠んだ。
 『 足引きの 山ほととぎす 里なれて たそかれどきに なのりすらしも 』と。
 ( 四月となり、山ほととぎすは すっかり里に馴れたらしく たそがれ時になって お屋敷にやって来て 名乗りをあげているのでしょう。 なお、「足引の」は、「山」に掛かる枕詞。)
御堂殿はこれをお聞きになって、たいそうお褒めになり、上に着ておられた紅の御衣(オンゾ)一枚を脱いで、褒美に与えられた。輔親は拝領し、伏し拝んで、御格子を下ろし終わり、御衣を肩にかけて、侍の詰所に出てくると、侍たちはこれを見て、「いったいどうしたことだ」と尋ねると、輔親は事の次第を話して聞かせると、侍たちは皆これを聞いて、たいそう褒め騒いだ。

また、この輔親が日頃乗り歩いていた牛車の牛がいなくなり、捜しまわっていると、かつては親しかったが今は通わなくなった女のもとに、その牛は入り込んでいて、女の方から牛を引いてこさせ、「疎(ウ)して見し心に増(マサ)れり」(「牛は、『憂し』という名でありながら来てくれるのですから、あなたの心よりずっとましですわ」と言った意味。)と言ってきたので、牛を貰い受け、その返事に輔親はこう詠んで送った。
 『 かずならぬ 人をのがひの 心には うしともものを おもはざらむや 』と。
 ( 数のうちに入れておらず、私を嫌っている(「のがひ(野飼い)」は牛の縁語で、「のかひ」は嫌う、遠ざける、といった意味がある。)あなたにとっては、私が遠のいたところで、疎し(ひどい)とも思わないでしょう。)

また、この輔親が桂という所に、大勢の友達と遊びに行ったが、和歌など詠み、「また、ここに来よう」と言って帰ったが、その後その桂には行かず、月の輪という所に皆で行き、「桂には行かず月の輪に来た」ということで歌を詠んだが、輔親はこのように詠んだ。
 『 さきの日に かつらのやどを みしゆへは けふ月のわに くべきなりけり 』と。
 ( 先日 桂の宿を 見たそのわけは 今日月の輪に 来ることになっていたからなのだ。 なお、この和歌の背景には、「月に生えている桂の大樹」といった中国の古い伝説がある。)
人々は、これをたいそう褒め称えた。

この輔親は、能宣(ヨシノブ)という人の子である。その能宣も優れた歌人であったので、父子続いてこの輔親もこのように優れた歌を詠むのである。
この人たちは伊勢の祭主を勤める家の子孫である、
となむ語り伝へたるとや。

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