雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ドラマが一杯

2024-03-31 19:06:28 | 日々これ好日

     『 ドラマが一杯 』

   高校野球は 健大高崎が優勝
   春の大会で 群馬県勢に初優勝をもたらした
   ドジャースでは 山本由伸投手が見事な投球を見せてくれたが
   交代後に逆転され 勝利はお預けになった
   わがプロ野球では 阪神タイガースが 遂に勝利し
   マジックは 幾つになったのかな?
   野球界は ドラマが一杯の一日となった

                  ☆☆☆

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別れと出会いの季節 ・ 小さな小さな物語 ( 1753 )

2024-03-31 08:00:17 | 小さな小さな物語 第三十部

今年の桜前線は、ほとんどの地域で迷走気味だったようです。
季節外れの寒さに襲われたためですが、今月初め頃の予想とはかなり遅れていて、ここらきてどうやら開花がかなり進んだようです。昨日からは、数日前の寒さを埋め合わせるわけではないのでしょうが、初夏を思わせるようなお天気になっているので、開花から満開へは一気に進むのではないでしょうか。
お花見を予定していた人たちや、それ以上に、それを見込んでいた業者の方々はかなり予定が狂って苦労なさっている様子です。本来なら、昨日今日あたりが絶好のお花見日のはずですが、せいぜい ちらほら咲き程度の所が多いのではないでしょうか。

そして、多くの企業や官庁なども今年度の最終日に当たります。
三月から四月の上旬にかけては、年度替わりに関わる行事があり、個々の人にとっても、別れや出会いの多い季節でもあります。
学校の卒業式はすでに終っていますが、年を経て、その頃のことを思い出してみますと、わずかに記憶が残っており、いささかの感傷もないわけではないのですが、取り立てて強調するような出来事でもなかったような気もします。その時々には、例え小学校の卒業の時であっても、失われていく人間関係に切ない思いをしたはずですが、そうした思いは、何十年も経ってから色あせたというものではなく、数日とは言わないまでも、せいぜい数か月で過去の出来事に紛れ込んでしまったように思うのです。
卒業、転勤、転職、引っ越し等々、私たちは幾つもの別れを経験します。もっと個人的な問題としての別れ、異性間であれ、同性間であれ、上下関係であれ、仲間関係であれ、こちらは少々後をひくようです。

そうした多くの別れ、相当深刻な別れも含めて、ほとんどの場合は時間の経過ととも薄れていくもののようです。絶対に薄れない辛い別れがないわけではないのでしょうが、それでもそのほとんどは、客観的に見れば薄れていくものです。その要因の多くは、時間の経過でしょうが、もう一つは、新しい出会いだと思われます。
「五十になれば五十の縁あり」という言葉があります。もとは、男女の縁のことを言っているのですが、人の出会い全般に広げることも可能だと思うのです。また、「五十にして四十九年の非を知る」という言葉もありますが、こちらの方は、生きてきた過去を見直せと言った意味と考えられます。そして、二つの言葉とも古くからあるようですから、今日に直せば、七十、あるいは八十と読み替えるべきかも知れません。
二つの言葉からは、幾つになっても新しい出会いはあり、その時にも自我を通すだけでは駄目だと教えているように思うのです。

私たちの生涯には、幾つになっても新しい出会いの可能性はありますが、すべての出会いの数だけ別れがあるのも厳然たる事実です。
それだけに、あらゆる出会いを大切にしたいと思うのですが、もしその出会いが大切なものであるならば、必ずやって来る別れの時までを大切にしたいものです。
こんな理屈は誰でも分ることのはずですが、何故か、その大切な人が良い人であればあるほど「ないがしろ」にしがちなのは、どういう事なのでしょうか。
「五十にして四十九年の非を知る」という言葉は、大切な人とのこうした接し方を諫めているのかもしれないようにも思うのです。

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春爛漫??

2024-03-30 18:30:19 | 日々これ好日

      『 春爛漫?? 』

    各地から お花見風景が伝えられていた
    楽しげで 賑やかなのは結構だが
    ごく一部を除き ほとんどが 開花したばかりのようだ
    それも 半袖姿の人も 多く見られた
    それもそのはずで 夏日の所も何カ所もあったようだ
    寒の戻りから いきなり初夏の陽気
    半袖姿で アイスクリームを食べながらの お花見
    これも 春爛漫の一風景かな??

                  ☆☆☆ 

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冥途で出会った二人 ・ 今昔物語 ( 17 - 26 )

2024-03-30 08:01:14 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 冥途で出会った二人 ・ 今昔物語 ( 17 - 26 ) 』


今は昔、
近江国甲賀郡に、一人の下人(身分が賤しい者)がいた。家は貧しく、その日の生活にも事欠くほどであった。ただ、その妻がいつも人に雇われて、機織りの仕事をすることで生計を立てていた。

さて、その妻はうまくやりくりして、手織りの布一段(イッタン・大人一人分)を密かに織って持っていたが、ある時、夫に「わたしたちは長年貧しくて、家計も苦しい。ただ、ここにわたしが密かに織った布一段を持っています。近頃耳にしましたが、『箭箸の津(ヤハセノツ・現草津市の琵琶湖畔の港
)に海人(漁師)がたくさんいて、魚を捕ってきて売っている』そうです。そこで、あなたがこの布を持ってその津に行って、魚を買って持って帰り、それを稲や籾に替えて、今年は一、二段の田を作って、それで生活しましょうよ」と言った。

夫は妻の言う通りに、布を持って箭橋の津に行き、海人に会ってわけを話して、網を曳かせたが、魚を捕ることは出来ず、その代わりに大きな亀を一匹引き上げた。海人は、すくにこの亀を殺そうとしたが、布を持ってきた男はこれを見て、哀れみの心が起り、「この布で、その亀を買いたい」と申し出た。海人は喜んで布を受け取り亀を男に与えた。
男は亀を買い取ると、「亀は命の長いものだ。命のある者は、命こそが宝だ。我が家は貧しいけれど、布を棄てて、お前の命を助けてやろう」と亀に言い聞かせて、海(湖)に逃がしてやった。
男は、手ぶらで家に返った。妻は待ち受けていて、「どうでした、魚は買えましたか」と尋ねると、夫は、「私は、布で以て亀の命を助けてしまった」と答えた。
これを聞いた妻は、大変怒り、夫を責めののしって、悪態の限りを尽くした。

その後、夫は幾日も経たないうちに病にかかり死んでしまった。
そこで、金の山崎(カネノヤマサキ・不詳)の辺りに葬った。ところが、三日を経て蘇(ヨミガエ)った。
その頃、伊賀守[ 欠字。姓名が入るが不詳。]という人が任国に下る途中で、この蘇った男を見つけて、慈悲の心を起こして、水を汲んで口に入れてやり、喉を潤してやるとそのまま過ぎて行った。
家にいた妻はこれを聞いて、出掛けて行って夫を背負って家に返った。

夫は、しばらくすると妻に語った。
「私が死んだ時、官人に捕らえられ、追い立てられて連れて行かれた。広い野原の中を過ぎると、ある官舎の門に着いた。その門の前の庭を見ると、多くの人が縛られて転がされていた。大変恐ろしい思いだった。
すると、一人の美しくて威厳のある小僧が現れて、『我は地蔵菩薩である。この男は、我のために恩を施してくれた者だ。我はあらゆる生き物を救うために、かの近江国の湖の辺に大きな亀の姿になって住んでいた。ところが、海人のために網で曳き上げられ、殺されようとしたとき、この男が慈悲の心で以て、その亀を買い取って命を助け、湖の中に逃がしてくれたのだ。それゆえ、速やかにこの男を許して放免すべきである』と仰せられた。
官人はこれを聞くと、すぐに私を許してくれた。

それから、その小僧は私に、『汝は、早く本の国に返り、ますます善根を積んで、悪業を行ってはならない』と仰せになって、道を教えて返らせてくれたが、その途中で、二十歳ばかりの容姿の美しい女人を縛って、二人の鬼が前後に立って笞で打って追い立てているのに出会った。
私はそれを見て、『あなたはどこの人ですか』と尋ねると、女は泣きながら、『わたしは、筑前国宗方郡の官首(カンジュ・郡司の下役で地域の有力者、らしい。)の娘です。にわかに父母の許を離れ、一人で暗い道に入り、鬼に笞で打たれて追い立てられてきたのです』と答えた。私はそれを聞いて可哀想になり、あの小僧に申し上げた。「私は、すでに寿命の半ばを過ぎていて、残りの命はいくらもありません。この女は、年未だ若く、行く末は遙かです。ですから、私をこの女に替えて、女を許してやって下さい』と。
小僧は私の申し出を聞くと、『汝はまことに慈悲深い。わが身に替えて人を助けることは、なかなかある事ではない。その心に免じて、二人とも許しを請うてやろう』と仰せになって、鬼に訴えて、共に許してもらえた。
女は涙を流して喜び、私に向かって親交を約して、別の道を返っていった」と。

その後、しばらく経ってから、男は「あの冥途で会った女を尋ねてみよう」と思い立って、筑紫(筑前・筑後両国の古称。)に行った。
あの女が冥途で話していたように、筑前国宗方郡の官首の家に行って尋ねると、まことに官首に年若い娘がいた。そして、そこの家の人が、「病気になって亡くなり、二、三日ばかり経って蘇った」と話すのを聞いて、その娘にあの冥途での事を伝えてもらった。
娘はそれを聞くと、大慌てで走り出てきた。男は、娘を見ると冥途で会った娘に違いなかった。娘もまた、男を見ると、冥途で会った男に違いなかった。そこで、互いに涙を流して感激しながら冥途での事を語りあった。

その後、互いに親交を約して、男は本の国に帰って行った。
そして、それぞれが信仰心を起こして、地蔵菩薩に帰依した、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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プロ野球 日米ともに開幕

2024-03-29 19:14:46 | 日々これ好日

      『 プロ野球 日米ともに開幕 』

    メジャーリーグは 今日が実質的な開幕
    早朝には 大谷翔平選手が 見事な再スタートを切った
    ダルビッシュ選手なども 良いスタートが切れたようだ
    夜は わが国のプロ野球が 開幕
    朝も夜も 忙しくなりそうだ

                     ☆☆☆ 

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泣き恋ふる

2024-03-29 08:00:49 | 古今和歌集の歌人たち

     『 泣き恋ふる 』


 泣き恋ふる 涙に袖の そほちなば
         脱ぎかへがてら 夜こそは着め

           作者  橘 清樹

( 巻第十三 恋歌三  NO.655 )
        なきこふる なみだにそでの そほちなば 
                ぬぎかへがてら よるこそはきめ


* 歌意は、「 亡き人を泣き恋うる 涙で袖が びしょ濡れになるので 着物を着替えるついでということで 夜だけこっそり着ましょう 」といった意味でしょうが、この歌は、「返し」となっていますので、贈られた歌と合わせて理解する必要があります。
この歌の前の「NO.654」には、
  「 橘清樹が忍びにあひ知れりける女のもとよりおこせたりける 」
                     読人しらず
 『 思うどち ひとりひとりが 恋ひ死なば 誰によそへて 藤衣きむ 』
とあります。
つまり、「橘清樹が、忍んで逢っている女からの歌」とありますから、人目を忍んで逢瀬を重ねている女性から贈られた歌には、『思い合っているわたしたちの どちらか一人が恋しさのあまり死んだとすれば 身内の誰が死んだことにして 喪服を着るのでしょうか』と呼びかけているのです。
この歌の意味の解釈は、この贈答が深刻なものなのか、言葉遊びのような形でなされた物かによって、ずいぶん重みが変ってきます。

* 作者の橘清樹(タチバナノキヨキ)は、平安前期の貴族です。生年は不詳ですが、没年は 899 年です。
作者の祖父の橘長谷麻呂は、従四位下・弾正大弼の要職に就いています。弾正台(監察・治安などを管轄。)の次官ですが、公卿の地位には昇ることは叶わなかったようです。
作者の父の数雄は、遠江守を務めていますので、従五位下には昇っていたようです。
作者の最終官位は、従五位下阿波守ですが、その前の肥前守と合わせると、晩年の十年余りは守護としての生活で、貴族としては下級クラスですが、経済的には恵まれていたと推定されます。

* 橘氏は、飛鳥時代に、藤原不比等の夫人となった県犬養三千代が「橘宿禰」の氏姓を賜ったことに始まる名門氏族です。
氏族としては、「源平藤橘」(四姓)と称されたり、藤原氏・源氏・王氏と並んで、毎年正月に一族の正六位上の人物の中から一人を、氏長者の推薦により従五位下に叙爵される「氏爵」の対象となる氏族にされていました。作者の清樹は、この制度により貴族の地位に昇っているのです。
橘氏は、もともとそれほど多くの高位高官を輩出していませんが、983 年に橘恒平が参議に就いて三日後に死去していますが、これを最後に橘氏の公卿は絶えています。

* 橘清樹の生きた時代は、すでに藤原北家の台頭が著しい時代でしたが、それだけが理由ではないのでしょうが、橘氏は宮廷政界での存在感を失っていきました。
清樹は、宮廷内の勢力争いなど、直接的に加わることはなかったでしょうが、橘氏の没落が無関係ではなかったことでしょう。
また、清樹の和歌は、勅撰和歌集全体を通しても掲題の一首だけですので、歌人というほどの評価は受けていなかったと思われます。
しかし、そうした環境下だとしても、清樹は生まれた時から受領クラスの家ですから、下級貴族とはいえ守護という経済的に恵まれた生活と、掲題歌のような艶めいた歌を詠み交わすことが出来る、恵まれた生涯だったのではないでしょうか。

     ☆   ☆   ☆

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口先介入

2024-03-28 19:25:20 | 日々これ好日

     『 口先介入 』

   円安傾向が 続いている
   日銀は マイナス金利政策から
   大きく舵を切ったが
   その程度では 円の国際価格は上昇しないらしい
   例によって 政府からは 急激な円安を牽制する
   口先介入が 出されているが
   マーケットは ほとんど気にしていないような感じ
   円/ドル相場が どの程度が適切かは難しいが
   円の実力が 低下していることは
   確かのようだ 残念ながら

                 ☆☆☆ 

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後悔は先に立たないが ・ 小さな小さな物語 ( 1752 )

2024-03-28 08:00:31 | 小さな小さな物語 第三十部

大谷翔平選手が、通訳だった水原一平氏の違法賭博疑惑や、自分に絡むことなどに関して、報道陣に説明を行いました。
わが国の多くのテレビは実況の状態で伝えていましたが、私もしっかり拝見しました。それどころか、その後のさまざまなニュースやワイドショー番組などで、断片的な物を加えると、すでに何回見たことになるのでしょうか。少なくとも10回や20回ではないはずで、しかも、時間が経つにつれて、大谷選手の説明では判明できていない点などに関して、様々な推定がなされたりしています。
個人的には、大谷選手の説明は十分なものだと思っています。水谷氏がどうして大谷選手の口座から振り込みをすることが出来たのかなどは、水谷氏が説明することであり、捜査当局が調べることだと思うのです。それよりも、水谷氏の発言を信じて、おそらく誤報となるであろう報道をしたり、報告をしたりした部分の責任も問われるべきのような気もします。

事件の全容は未だ明らかでなく、無責任な推定は避けるべきだと承知していますが、ただ、大谷選手と水谷氏の関係は、単なる選手と通訳という関係を遙かに超えた特別なものと思っていましたし、しかも世界最高レベルのプロスポーツ選手にまで上り詰めているのですから、今回の出来事はあまりにも残念でありません。
水谷氏に関して、「水に落ちた犬は打て」という残酷な言葉そのままに、いくつかのマイナス情報が出て来ています。現在の事件が、大谷選手の言葉をそのまま信じての意見ですが、信頼関係を逆手に取った残念な事件と言わざるを得ないと思うのですが、その一方で、今日の大谷選手の実績・名声の陰には、水谷一平氏という存在が幾ばくかの貢献を果たしていることは確かだと思うのです。
貢献と裏切りを相殺することなど出来ることではありませんが、残念でなりません。

「後悔先に立たず」という言葉があります。常々思うことですが、「後悔とは後で悔やむこと」ですから先に立つことなどあるはずがなく、当たり前すぎる言葉だと思うのですが、いやに説得力があり、どこか哀しさが感じられるのです。
この言葉には、特別な出典などはないようですが、1200年代の文献には同様の言葉が幾つか使われているようですから、相当古い時代から、人々はこの言葉を噛みしめてきているようです。

「後悔先に立たず」という言葉の同意語を調べてみますと、「少し違うのでないか」という物を含めますとたくさんあるようです。
よく目にするもののうち、「覆水盆に返らず」とか「臍を噛む」などは中国の古典からの言葉のようですし、「こぼしたミルクを嘆いても無駄」は英語で勉強した記憶があります。どうやら、無駄と知りながらも起きてしまったことを悔やむのは、洋の東西を問わないようです。
しかし、私たちは、毎日とは言わないまでも、頻繁に後悔しながら暮らしているのではないでしょうか。致命的なという程の物は少ないでしょうが、哀しいかな私たちは、後悔を山ほど積み上げながら懸命に歩き続けているのではないでしょうか。
後悔は先には立たず、後から悔いるしかありませんが、どんな失敗であっても、無かったことにすることは出来ませんし、別の手段で穴埋めするのも簡単なことではないでしょう。それでも私たちは、歩み続けなくてはならないです。
後悔は先に立たないけれど、起きたことを噛みしめながら歩き続ける手段を求めるのも、一つの人生かも知れません。

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大阪桐蔭 準々決勝へ

2024-03-27 19:42:21 | 日々これ好日

     『 大阪桐蔭 準々決勝へ 』

   雨に悩まされている 高校野球
   久しぶりの 快晴の中で 
   大阪桐蔭が神村学園に勝利して 準々決勝へ進出
   この勝利で 大阪桐蔭の西谷浩一監督は
   春・夏の甲子園での勝利数を 「69」に伸ばし
   単独トップになった
   「68」になった時には
   「100も狙えますね」とのインタビューに
   「体重ですか? もう超えていますが・・」といった応答・・
   このお人柄が 同校の強さの一因かも知れない
   と 思わせてくれる 名将ぶりだ
   ますますのご活躍を お祈りします

                    ☆☆☆ 

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地蔵菩薩像を完成させる ・ 今昔物語 ( 17 - 25 )

2024-03-27 08:01:35 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 地蔵菩薩像を完成させる ・ 今昔物語 ( 17 - 25 ) 』


今は昔、
因幡国高草郡の野坂の郷に一つの寺があった。名を国隆寺(コクリュウジ・未詳)という。この国の前の介(スケ・次官)である[ 欠字。姓が入るが不詳。]千包(チカネ・伝不詳)という人が建立した寺である。

この寺に別当(事務を統括する職務だが、大寺に置かれるので、やや不自然。)の僧がいたが、仏師を呼んで、かねてからの宿願である地蔵菩薩の像を造らせることにした。
ところが、この別当の僧の妻が、他の男に奪われて姿を消してしまった。そこで、別当の僧はすっかり逆上してしまって、東西南北とあちらこちらと捜し回って大騒ぎしているうちに、あの地蔵菩薩像を造り奉ったことも、すっかり忘れてしまった。そのため、仏師たちがその仕事場に来ても、施主である別当から何の面倒も見てもらえないので、食べることさえ出来ず飢えてしまっていた。

ところで、その寺に専当(セントウ・別当の下位にあって、寺務を管理した。)の法師がいた。この仏師たちが食事も出来ないのを見て、善心のある者だったので、食事を準備して、仏師たちを世話していたが、数日経って木造りの像は完成したが、まだ彩色し奉る前に、この専当の法師は急に病にかかり死んでしまった。
妻子は泣き悲しんだが、どうすることも出来ず、お棺に入れて側に置き、葬らないで朝晩に見ていると、六日目の未時(ヒツジノトキ・午後二時頃)の頃に、にわかにこのお棺が動き出した。妻は恐ろしく思いながらも、不思議に思い、近寄ってお棺を開けてみると、死人は既に蘇(ヨミガエ)っていた。
妻は喜び、水を口に入れてやった。死人は起き上がり、妻子に語った。

「私が死んだ時、たちまち猛々しく恐ろしげな大鬼が二人やってきて、私を捕らえて、広い野原に連れ出して、さらに私を追い立てていくうちに、一人の小僧が現れた。姿は美しく厳かである。
この小僧が、私を捕らえている鬼たちに仰せになった。『これ、鬼どもよ、この法師を許してやれ。こう言う我は、地蔵菩薩である』と。
二人の鬼はこれを聞くと、地にひざまずいて、私を許してくれた。
すると、小僧は私に向かって仰せになった。『汝は我を知らないか。かの因幡国の国隆寺において、我が像を造っている時、施主の別当に事件が発生し、我が像を造ることを忘れてしまった。その時、汝はその仏師たちの世話をし、我が像を完成させた。汝は、ぜひともそれに彩色を施し供養せよ。あの施主は決して完成させることはあるまい。くれぐれも、汝はこれをやり遂げるのだ』と。
そして、道を教えて返してもらえる、と思ったところで蘇(ヨミガエ)ったのだ」と。
妻子はこれを聞いて、涙を流して感激し、尊ぶこと限りなかった。

その後、僅かな全財産を投げ出して、あの地蔵菩薩像に彩色し供養し奉ったのである。
その地蔵菩薩像は、その国隆寺に安置して、今もそこにおいでである。
これを思うに、地蔵菩薩の誓いというものは、他のものに勝っていらっしゃる。心ある人は、専らに祈念し奉るべきである、
となむ伝へたるとや。   

     ☆   ☆   ☆

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