雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

天空に舞う   第七回

2010-09-12 10:34:42 | 天空に舞う

   第二章  それぞれの旅立ち  ( 1 )


昭和五十七年三月、旅立ちの日が近づいていた。
卒業式が終わると、新しい生活のスタートとなる。
幸いなことに四人は、それぞれ希望の大学に入学することができたが、それは、グループでの活動が大きな変化を迎えようとしているということでもあった。


四人は、グループでの交際をいつまでも続けようと互いに確認し合っていたが、今までのようにいつでも会えるわけではない。
これまでとは性格の違う付き合いに変わっていくことを誰もが予感していた。そして、そのことが不安だった。


水村啓介は志望の大学に合格していた。四月の初旬には東京に立つことになっていた。
三沢早知子と大原希美も、希望通りの女子大学に進むことになっていた。


一番忙しく数多くの学校や学部を受験した古賀俊介は、五割を超える合格率で有り余るほどの合格通知を手に入れた。その中から、本人としては実力以上と考えていた自宅から近い私立大学を選んでいた。関西の名門校である。


啓介は三月いっぱいを慌ただしく過ごした。
東京での下宿は、学校の紹介を通じてこの春卒業した先輩のあとを借りられることが決まったので、予定していたより安い家賃ですみそうだった。
ただ、これまでに親元を離れたことが一度もなかったので、独立生活への準備が大変だった。着るものなどは夏までのものを準備して、その先の物は夏休みに帰郷した段階で考えることにしていた。それでも、あれやこれやということで結構な量になってしまっていた。


啓介の準備に家族全員が巻き込まれていたが、中でも母親が大変だった。このところ殆んど毎日のように何かを買い増していた。
母の文子は、正直な気持ちとしては東京の大学に行かせることにあまり賛成ではなかった。息子が世間から高い評価を受けている大学を目指し見事合格したことは嬉しかったが、有名な大学は関西にもあるし、東京で一人暮らしさせることに抵抗もあった。


啓介が東京の大学に進むことは、夫秀介の悲願ともいえる強い希望であることは承知していたが、文子には、その大学について夫が言うほどの価値を理解できなかったし、むしろ、息子に実力以上に背伸びする生き方はさせたくないという思いもあった。


秀介が持っていた息子の進学に対する期待は、尋常のものではなかった。
啓介の家族が西宮に移って来た時は、新しい住居を得た喜びに溢れていたことも確かだが、秀介にとっては、大きな挫折感を味わっている時でもあった。そして、その挫折感に耐えながら、息子に同じ思いをさせたくないと誓っていた。
どのような犠牲を払っても、息子には、どのような職場においても対等に戦える学歴をつけさせたいと考えていた。


啓介が中学生になった頃から、秀介は息子本人や文子を通じて学習塾に通うことを勧めていたが、啓介は行こうとしなかった。
その前にも秀介は、啓介の成績が小学生の頃から良かったことから、私立の中学校に入学させたいと考えたのだが、本人にも文子にも秀介の熱意は伝わらなかった。
啓介の勉強に対する考え方は、父親の強い願いを感じながらも、母親のおっとりとした考え方の方が浸透しているように見えた。


このような経過を経ながらも、息子が望んでいた大学に現役で入学できたので、秀介の喜び方は大変なものだった。
新しい職場でも、然るべきポジションを得ていたこともあって、啓介の東京生活の準備にはわがことのように張り切っていた。
秀介にとっては、長年の宿願を果たしたような日々だったのである。


四人のうち家を離れることになったのは啓介だけなので、あとの三人には、それほど大きな変化が待っているわけではなかった。
しかし、啓介が東京に発つ日が近づくにつれて、四人のグループに大きな転機が訪れようとしていることを、誰も口にはしなかったが全員が強く感じていた。


高校の卒業式のあとも、四人は互いに連絡を取り合い何度も集まっていた。そして、啓介の送別会を兼ねてハイキングに行くということになった。
泊まりがけの旅行をしようという案もあったが、準備や家族を説得することもあったし、経済的なこともあった。
希美の家庭は別にして、あとの三人の家庭は裕福というほどではなかった。それぞれ希望の大学に進学させて貰えることを考えれば、いずれも経済的にも恵まれていたといえるが、大学生活に備えて少しでも小遣いは残しておきたいという気持ちもあった。


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