雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

天空に舞う   第三回

2010-09-12 10:37:06 | 天空に舞う

   第一章  萌え出づる頃  ( 3 )


水村啓介と三沢早知子との仲はもっと長い。
若い二人の仲を長いと表現するのも大袈裟だが、小学三年生の時からの親友である。
小学生の男の子と女の子が仲好しだということは、周囲からからかわれたり悪く言われたりすることが多いので本人たちも隠すものだが、二人にはそのようなところがなかった。


二人が初めて会ったのは、小学三年の始業式の時である。二人とも転入生として、同じクラスに編入されたのだ。
その小学校では三年生になる時にクラス替えがされなかったので、転入してきた二人が疎外されているような気持ちが消えるまでに時間を要した。そのことも二人が特に親しくなっていく大きな原因になった。


しかも二人の住居は同じ区画にあった。地元の不動産業者が開発した住宅地に殆んど同時に移ってきたからである。
そのため、啓介と早知子だけでなく母親同士も親しくなり、家族ぐるみの交際が続いている。
啓介の家族は、以前は尼崎市に住んでいた。西宮市に隣接した街である。早知子の家族は大阪に住んでいたが、どちらも西宮という名前に魅かれて新しく開発された街に移ってきたのである。


啓介には妹がおり、早知子には兄と弟がいた。
啓介の妹の和子と早知子の弟の政彦も同学年だったが、新しい街に移って来た時は小学校に入る前の年で、小学校へは他の子供たちと同じように入学できたこともあり、特別仲良くするようなことはなかった。


啓介と早知子は学校で話をすることはそれほどなかったが、家では学校のことなどで連絡を取り合うことがよくあった。
早知子の方が二か月程先に生まれていたことが関係していたかどうか分からないが、どちらかといえば早知子がリードする部分が多かった。


啓介は大人しい子供であり、早知子の方は活動的で利発な子供だった。男兄弟に挟まれているためか、はきはきとしていて男の子のようだと両親には言われていた。
それと、男の兄弟だけだったためか啓介の妹の和子をよく可愛がった。


啓介が早知子の家で遊ぶことはあまりなかったが、早知子が啓介の家を訪れることはよくあった。和子と遊んでやることが中心だったが、夏休みや冬休みが終わる頃には、二人で宿題を仕上げることは毎年のことだった。


二人は成長と共に、それぞれの友達との時間が多くなっていったが、何かの時には当然のように連絡し合い相談し合う関係はずっと続いていた。
高校進学についても、早知子が県立高校を選んだのは、啓介からの影響が大きな比重を占めていた。早知子には別の高校への進学を考えた時もあったのだが、啓介と別の学校を選択することはできなかった。


啓介の家族は両親と妹との四人で、父の秀介は大手の繊維会社に勤務していたが、西宮に転居する少し前に子会社に移っていた。建材を扱う子会社は業績も良く、また悪い条件での転籍ではなかったが、秀介にとっては挫折感が伴う辞令だった。

古い歴史をもつその繊維会社の人事は、古典的なものがベースになっていて、大学を出ていない秀介には逆風となる社風を持っていた。
中間管理職といわれる辺りまでは学歴など無関係なように見えたが、それから上は彼には納得できないような人事が多かった。
取締役やその候補生とみられる部署は、限られた大学の出身者で占められていることは社内の常識だった。その下に続く管理職でも少なからぬ影響があるのは当然のことといえる。
秀介の転籍には、将来に対する不満から自ら希望した部分もあった。


子会社の社長も主流から外れている人物で、本来なら子会社といえども直系の会社の社長になるのは難しいと噂されていたが、その会社の業績建直しの中心人物だったことから抜擢されていた。
秀介は声をかけてくれたその社長の下で働くことを選び、心機一転の気持ちもあって、転籍により支給される退職金で自宅購入に踏み切ったのである。


秀介には息子を良い大学に行かせたいとの思いが強かった。息子の啓介には、将来どのような道に進むにしても、対等に戦えるだけの学歴をつけてやりたいと考えていた。
父の強い願いは少年期の啓介に大きな影響を与えたが、それにもまして、心機一転のため転居を決意したことが、啓介を早知子と結びつける運命を呼び寄せたともいえる。


 


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