二条の姫君
第五章 恩讐も煙となって
第五章 ( 一 )
月日は流れ、正安四年(1302)の秋、二条の姫君は四十五歳でございます。
時代は、後二条天皇の御代となっておりました。
二条の姫君が、養育され、寵愛を受けることになった後深草院も、六十歳になっておりました。
後深草院は天皇の位を弟君の亀山天皇に譲位なされたのが正元元年(1259)のことでございますから、すでに四十三年の年月が過ぎ去っているのです。この間に歴代天皇は、後宇陀・伏見・後伏見そして後二条と移ってきていました。
鎌倉政権は、源氏の直系が絶えて久しく、後深草院につながる皇族将軍の時代となり、その実権は北条氏が握っておりました。皇位も、後深草院・亀山院を源とした両統迭立の時代で、やがて、南北朝時代と呼ばれる皇室波乱の時代が近付いておりました。
☆ ☆ ☆
正安四年秋九月、姫さまは西国への旅を思い立たれました。
西国は、東国に比べれば、古くから陸路も海路も開けていますが、鎌倉に幕府が置かれてからは、都と鎌倉の間の陸路は整備され、むしろ、西国への旅は、尼姿の姫さまにとりまして容易いものではございません。
もっとも、そのような周囲の心配などでご決心を変えられる姫さまではなく、此度もごく限られたお供だけの旅立ちでございました。
さて、安芸の国の厳島神社は、その昔、高倉院も御幸なさいました先例がございますので、船の通った後の白波もゆかしくて、姫さまは西国への旅を思い立った時から参詣を考えておられました。
いつものように鳥羽 ( 鳥羽院があったあたりの川の港。現在の京都市伏見区。) より川船に乗って下り、河尻 ( 現在の尼崎市。神崎川の河口。) で海を行く船に乗り移りますと海の上の住まいとなり心細い限りですが、ここは須磨の浦だと聞きますと、姫さまは身を乗り出すようになさいまして、中納言在原行平殿が「藻塩垂れつつ・・」と詠んだわび住まいを送っていたのはどの辺りかと、吹き付けてくる風に尋ねんばかりのご様子でございました。
九月の初めのことなので、霜枯れた草むらに、秋とともに鳴き通してきた虫の音もとぎれとぎれに聞こえてくるばかりで、岸に船を停泊させていますと、「千声万声やむ時なし」と詩に詠われている砧の音は、夜寒の里で打つのでしょうか、かすかに聞こえてきて、波枕に耳を澄ませて聞くのは、裏悲しい季節であります。
姫さまも、なかなか寝付かれぬご様子が、遥々向かう旅の長さを噛みしめられているように察せられるのでございます。
明石の浦の朝霧の中を、島陰に隠れて行く幾艘もの船が、どの方向に向かっているのかと、しみじみと思われます。源氏物語の光源氏が、月毛の駒に向かって愚痴をこぼしたという、その心のうちまで推量されると、通り過ぎるばかりの明石の浦の風景が、姫さまには大変印象深いご様子でございました。
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第五章 恩讐も煙となって
第五章 ( 一 )
月日は流れ、正安四年(1302)の秋、二条の姫君は四十五歳でございます。
時代は、後二条天皇の御代となっておりました。
二条の姫君が、養育され、寵愛を受けることになった後深草院も、六十歳になっておりました。
後深草院は天皇の位を弟君の亀山天皇に譲位なされたのが正元元年(1259)のことでございますから、すでに四十三年の年月が過ぎ去っているのです。この間に歴代天皇は、後宇陀・伏見・後伏見そして後二条と移ってきていました。
鎌倉政権は、源氏の直系が絶えて久しく、後深草院につながる皇族将軍の時代となり、その実権は北条氏が握っておりました。皇位も、後深草院・亀山院を源とした両統迭立の時代で、やがて、南北朝時代と呼ばれる皇室波乱の時代が近付いておりました。
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正安四年秋九月、姫さまは西国への旅を思い立たれました。
西国は、東国に比べれば、古くから陸路も海路も開けていますが、鎌倉に幕府が置かれてからは、都と鎌倉の間の陸路は整備され、むしろ、西国への旅は、尼姿の姫さまにとりまして容易いものではございません。
もっとも、そのような周囲の心配などでご決心を変えられる姫さまではなく、此度もごく限られたお供だけの旅立ちでございました。
さて、安芸の国の厳島神社は、その昔、高倉院も御幸なさいました先例がございますので、船の通った後の白波もゆかしくて、姫さまは西国への旅を思い立った時から参詣を考えておられました。
いつものように鳥羽 ( 鳥羽院があったあたりの川の港。現在の京都市伏見区。) より川船に乗って下り、河尻 ( 現在の尼崎市。神崎川の河口。) で海を行く船に乗り移りますと海の上の住まいとなり心細い限りですが、ここは須磨の浦だと聞きますと、姫さまは身を乗り出すようになさいまして、中納言在原行平殿が「藻塩垂れつつ・・」と詠んだわび住まいを送っていたのはどの辺りかと、吹き付けてくる風に尋ねんばかりのご様子でございました。
九月の初めのことなので、霜枯れた草むらに、秋とともに鳴き通してきた虫の音もとぎれとぎれに聞こえてくるばかりで、岸に船を停泊させていますと、「千声万声やむ時なし」と詩に詠われている砧の音は、夜寒の里で打つのでしょうか、かすかに聞こえてきて、波枕に耳を澄ませて聞くのは、裏悲しい季節であります。
姫さまも、なかなか寝付かれぬご様子が、遥々向かう旅の長さを噛みしめられているように察せられるのでございます。
明石の浦の朝霧の中を、島陰に隠れて行く幾艘もの船が、どの方向に向かっているのかと、しみじみと思われます。源氏物語の光源氏が、月毛の駒に向かって愚痴をこぼしたという、その心のうちまで推量されると、通り過ぎるばかりの明石の浦の風景が、姫さまには大変印象深いご様子でございました。
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