雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

何か物足りない

2015-03-26 08:00:21 | 短文集
          『 何か足りない 』

「さあ、ぼつぼつ行きますか」
いつものように、誰かが声をかける。
誰がというわけではないが、頃合いを見て誰かが声をかけると、異論を言う者などおらず、散会の準備に入る。
軽食を取る者もいるが、たいていはコーヒーだけで、ひとしきりのおしゃべりが終わると、割り勘での費用の準備を終えると、これも、誰ということもなく支払担当を引き受ける。

此処は朝早くから営業しているファミリーレストランで、集まっているメンバーはゴルフの練習場で顔なじみになった男たちである。
彼は、この練習場はかなり以前から利用しているが、会社に勤めていた頃は、せいぜい月に一度程度の割で休日に利用していたが、退職してからは週に二、三度朝早くから通っていた。
今日集まっているメンバーも、大体彼と同じような環境の男たちで、自営業者の男もいるが大体が一線を引いていて、彼が最も若い部類に属している。
集まるメンバーは一定ではないが、いつの間にか十人ほどが声をかけあうようになり、そのうちの五、六人が練習後にこの店でしばらく無駄話をするのが常であった。

彼が長年勤めていた会社を定年退職し、関連会社にも五年ばかり在職し、完全にリタイアしたのは一年半ばかり前のことである。
子供はすでに独立していて、妻と二人だけの生活なので、年金と若干の蓄えをベースにした生活は贅沢は出来ないが不自由を感じることもない。
月に一度程度の割合で、長年勤めていた会社のOB会のような組織でゴルフのコンペがあり、比較的安価で気軽な雰囲気の会なのでふた月に一度は参加している。
毎日の日課としては、朝は天気さえ良ければ近くを散歩し、週に二、三回は広くもない庭の手入れをし、時には妻の買い物の運転手をし、その折には外食することにしている。
半年ほど前からは、町内会の役員を押し付けられるような形で引き受けたが、それほどの負担でもなく、役員間のコミュニケーションも結構楽しい。
妻は、以前からのご近所の人たちとのお付き合いに忙しく、中には、子供が小学校に通っていた時からの知り合いもいて、それなりに充実した生活を送っているように見える。

実は、現役を完全に引退するにあたって、彼には少なからぬ不安はあった。
交友関係といっても、考えてみれば、友人といえるのは会社関係の人ばかりで、それ以外の知り合いといえば、親戚関係を含めても、ごく表面的な付き合いしかしてこなかったように思われた。
学生時代の友人とは、今でも会えば親密さを感じる者が少なくないが、何分遠い時代の親交が基になっていて、その後の生きざまはあまりにも違い、その場だけの親友という感が強い。それはそれで貴重であるが、退職後の長い時間の多くを埋めてくれる親友というわけにはいくまい。
そうこう考えてみると、世間で言われたことのある「ぬれ葉族」の仲間入りをするのではないかという不安があった。会社の先輩たちが、嘱託であれ何であれ会社に残りたがっていた気持ちが分かる気がした。

しかし、いざ会社を離れ、ちょっと区切りとするような行事もあって、「毎日が日曜日」というような生活に入ってみると、それはそれで忙しく一日が過ぎていった。
退職少し前からは、漠然とではあるが生活設計のようなものは考えていた。
雑誌やテレビなどで得た知識によれば、会社人間と呼ばれるような男性が、退職後に一番悩むことは、会社関係者以外に知人が少ないことと、近隣の人との付き合いが薄いことだとされることが多く、彼は、その典型的な人間だともいえた。
だが、それらの問題は、確かに無いことはないが、彼が懸念していたほどのことはなかった。

一日一日は、ごく平穏に流れていく。
ちょっとした旅行や、ささやかな外食を楽しむことも出来る。たまには旧友との飲食や談笑の機会もある。近隣とは今も深い交際などしていないが町内会を通じての付き合いに困るようなことはない。
何も予定がないような日は、園芸の真似事のような事も始めているし、映画や図書館に出かけることも、全く自由に行動できる。
心配していたほどのことはなく、老後の生活としては恵まれているように思う。

けれども、ふと、思うことがある。
「何か物足りない」と、感じることが、突然のように襲ってくることがある。
今さら仕事をしたいわけではない。友人や知人に不満があるわけではない。家庭についても、妻から苦情を言われる可能性があるとしても、彼の方には何の不満もない。もっと自由に使えるお金があればよいことは確かだが、もともと贅沢な生活など経験したこともなく、現在も特に不満などない・・・。

しかし、「何か物足りない」と、彼は思う。
ただ、それが何なのか、はっきりしない・・・。

     ☆   ☆   ☆
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吾が家の主

2015-03-23 08:00:32 | 短詩集
          『 吾が家の主 』

     満ち足りて あくびの後は
      日だまりの いつもの御座所
       吾が猫は 命婦ならねど 長々と伸び


       みちたりて あくびのあとは
        ひだまりの いつものござしょ
         わがねこは みょうぶならねど ながながとのび
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小さな小さな物語 第十二部

2015-03-16 11:42:19 | 小さな小さな物語 第十二部
            小さな小さな物語  第十二部

 
                   NO.661 から No.720 までを収録しております
          
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小さな小さな物語  目次

2015-03-16 11:41:05 | 小さな小さな物語 第十二部
          小さな小さな物語  目次

     NO.661  錦織選手の快挙
        662  世界は広い
        663  何を信じるか
        664  国家の危機
        665  国民の意志


        666  仲直り
        667  円安進行
        668  御嶽山噴火
        669  安全の限界
        670  この列島の恵みを受けて


        671  水の恵み
        672  青色LED
        673  JR西日本の英断に拍手
        674  テッペンカケタカ
        675  ブラック企業


        676  三千年で世界一周
        677  氷河期到来
        678  「うちわ」と「うちわもどき」
        679  一票の格差
        680  ウイルスとの戦い
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錦織選手の快挙 ・ 小さな小さな物語 ( 661 )

2015-03-16 11:39:01 | 小さな小さな物語 第十二部
テニスの全米オープンにおいて、錦織選手が見事決勝進出を果たしました。日本時間で七日未明のことです。
世界ランキング1位の相手を破っての決勝進出ですから、すばらしい活躍です。速報によりますと、錦織選手のランキングも9位になったとのことで、五月に一時的に獲得したトップテンの座に返り咲いたようです。

全米オープンは、テニスの四大大会の一つです。大会が始まった古い順に列記してみますと、
☆ 全英オープン・・ロンドン(ウインブルドン)、1877年~
☆ 全米オープン・・ニューヨーク、1881年~
☆ 全仏オープン・・パリ、1891年~
☆ 全豪オープン・・メルボルン、1905年~
です。いずれも百年を超える歴史を有しています。それぞれの大会は、コートの条件が違っており、もちろん気候も違い、それぞれの特色や伝統があるそうです。
例えば、ウインブルドンという名前で有名な全英オープンでは、必ず白いウェアーの着用が義務付けられています。今回の全米オープンは収容人員の多いコートが有名な大会です。

テニスというスポーツは、わが国においても知名度の高いスポーツです。中学や高校においても、軟式か硬式かはともかく、クラブ活動に取り入れられてれていない学校はごく少ないと思われます。
しかし、実際にプレーしている人や関係者の人を除けば、単にファンだという程度の人では、国内のかなり大きな大会でさえ一試合全部を見る人は少ないのではないでしょうか。
それは、四大大会とか、それも日本選手が活躍する場合以外では、テレビで完全放送されることは極めて少ないこともあります。
それに、今回の錦織選手の活躍ぶりでいえば、準々決勝、準決勝の試合は、四時間を超えるものなのですから、選手ばかりでなく、会場で観ている人たちの体力と精神力に感服してしまいます。

錦織選手がベスト4に勝ち進んだ段階で、96年ぶりの快挙だということが報道されておりました。
一世紀に近い期間超えられなかった記録を達成したのですから、錦織選手をいくら称えても称え過ぎということはないのですが、同時に、96年前には、早くもこの地で活躍していたテニスプレイヤーがいたことも、驚嘆にあたることではないでしょうか。
96年前といえば、1918年ということで、大正七年に当たります。つまり、関東大震災の五年も前の時代なのです。テニスに限らないことですが、それぞれの分野でヒーローが誕生してくるためには、先駆者の努力が積み重ねられているということが感じられてくるのです。
いよいよ、決勝戦です。ぜひ勝ってほしいものですが、すばらしい試合をしてくれることを祈りたいものです。
そして、全国の私のようなにわかテニスファンも、懸命の応援をいたしましょう。
但し、にわかであれ何であれ、テニスファンと自称するためには、四時間を超える試合を見守り続ける体力と気力が必要だということもお忘れなく。

( 2014.09.08 )
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世界は広い ・ 小さな小さな物語 ( 662 )

2015-03-16 11:37:34 | 小さな小さな物語 第十二部
テニスの全米オープン決勝戦、錦織選手まことに残念でした。
でも、数年前は夢物語のように思われていた決勝進出を果たしてくれたことに、心から拍手を送りたいと思います。
しかし、考えてみれば、世界中には強い選手がたくさんいるのですねぇ。ランキング1位の選手に勝ったのですから、当然決勝戦も有利に戦えるなどと考えるのは、素人のあさはかさでしょうか。もっとも、ランキング通り勝敗が決するのであれば、錦織選手も決勝まで勝ち進めないわけですし、そもそも試合などする必要がなくなってしまうわけです。
わけの分からないことを言っていますが、つまり、テニスに限らず世界中には強豪選手や、とてつもない知恵の持ち主がたくさんいるらしいということがよく分かります。

本日九月十一日は、二百二十日にあたります。
九月一日が二百十日ですが、共に自然災害の多い日とされています。台風シーズンにあたることから言われるようになったと思われますが、九月一日が防災の日とされている一番の理由は関東大震災が起きた日だからのようです。
本日も災害発生の特異日とされていますが、昨夕から地域によっては激しい豪雨に襲われており、今朝には北海道の一部に大雨に関する特別警報が出されました。その他にも大雨が懸念される地域があるようですので、くれぐれもご注意いただきたいと思います。
二百十日も二百二十日も、わが国固有の言い伝えだと思われますが、十三年前のアメリカの同時多発テロが発生したのも九月十一日であったことは、偶然とはいえ悲しい記憶の日になってしまいました。
事件の背景やその後のことについは、立場により様々に意見が分かれるのでしょうが、世界は広く、価値観の統一ということの難しさを感じさせられます。

暦を見ていますと、九月十一日はエチオピアの元旦だそうです。
まあ、エチオピアにおいて、一月一日を元旦と言うかどうかは知りませんが、現在も独自の暦が使われているそうです。
古代エジプトに起源をもつもののようですが、私たちが使っているグレゴリオ暦の九月十一日(または十二日)を年初として、一年は365日(閏年は366日)、月数は13ヶ月(1~12月は30日、13月は5日または6日)から成り立っています。
古代には地域により、国家により、多くの暦が作られ用いられてきましたが、現代では、多くの国でグレゴリオ暦が用いられ、世界中がその暦に統一されているような錯覚をしてしまいますが、今でもなお、特に宗教関係などでは独自の暦が用いられ続けているようです。
また、例えば、アジアの国のほとんどはグレゴリオ暦だと思うのですが、正月行事に関しては旧暦が用いられていることはよく知らていますし、わが国の場合は正月行事よりお盆の行事を旧暦で行うのがほとんどですし、「中秋の名月」に見られるように、旧暦をベースとした行事が根強く伝承されています。

今回のテニスの全米オープンや前のサッカーのワールドカップもそうでしたが、私たちは、アメリカやブラジルを地球の裏側にある国家だと考えてしまいます。
地球儀を見ますと、両国とも日本とは反対側に位置する国であることは確かですが、日本が位置しているのが表側で、その反対側は裏側だというのはあまりにも乱暴な表現と言えます。
言葉の綾だけならいいのですが、私たちは、無意識に自分の立ち位置を中心に考えているのではないでしょうか。それは、限られた個人だけでなく、多くの国家や団体が同じような考えを内包しているのではないでしょうか。
世界は広く、価値観も多種さまざまなのではないでしょうか。互いに譲り合い、相手を認め合って共存していくことなど、不可能なのでしょうか。
しかし、争いだけで、世界が一つになることはいでしょうし、もしあれば、不幸な世界が実現することでしょう。
エチオピアの皆さん、「新年あけましておめでとうございます」

( 2014.09.11 )
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何を信じるか ・ 小さな小さな物語( 663 )

2015-03-16 11:35:58 | 小さな小さな物語 第十二部
ある大新聞社の「誤報道」が、大きな問題になりつつあります。
現在、わが国が国際社会で最も肩身の狭い思いをしているともいえる「慰安婦問題」が、その報道の根源となる取材が嘘だったというのですから、何と表現すればいいのでしょうか。
その問題に関して、ある人物の記事を載せる載せないで話題を提供しましたが、これは、「言論の自由は自分に都合がいい場合に限る」という主張を表明しただけで、誤報というわけではありません。
今回、同社の社長がしぶしぶ謝罪することになったのは、福島第一原発の事故直後の報道に関するものでした。記事に対して他新聞社からの追及があり、さらに、いわゆる「吉田調書」に関る記事があまりにひどかったためか、官邸が同調書を公表してしまったものですから、その矛盾が明らかになってしまったのでしょう。
しかし、社長が謝罪したところで、危機的な状況の中で事故対応にあたっていた人たちを中傷する記事はすでに世界中を駆け巡ってしまい、一部の国の一部の人たちを喜ばせてしまったようです。
同社は、どの部分で、どの程度の利益を得たのでしょうか。

今回の、社長が謝罪に至った背景には、同社の若手や中堅の社員や販売店などからの突き上げがあっという報道もありました。
もしそうであれば、少なくとも上記の記事などに直接間接かかわった幹部は一日も早く追放して、体勢を立て直してほしいものです。
そもそも、今回報道されている「誤報」というのが、本当に誤報であったのかどうか、「作為」でなかったのかということも、現経営陣以外の手で調査してほしいものです。
ある人物の記事を載せる載せないの問題も、その人物が社会的に発言力があるため問題になったのであって、一般市民などの意見であれば、事の正否など関係なく、自己の都合でどうにでもするのでしょうね。

もっとも、これらのことは、この新聞社に限ったことではないかもしれません。
程度の差はあれ、多くの報道機関が思い当たる部分があるのではないでしょうか。
極端な例ですが、昭和十九年中の各大手新聞の一面記事をチェックしてみるとすれば、果たして、どの程度事実に基づいた報道がなされているのか、自主申告してほしいものです。
きっと、「それは特別な時代だったから」という意見も出てくることでしょうが、戦後の有名な「誤報」事件も、同様の理論がなされているみたいです。
一体、報道をどのように選別し、何を信じて読み取ればいいのでしょうか。

今日の私たちの周囲は情報であふれています。
その情報は、事実をそのまま伝えられているものもあるのでしょうが、その多くは、多かれ少なかれ発信者の意志や利害が組み込まれているものと考えるべきなのかもしれません。
それにしても、わが国を代表するような新聞社だとばかり思っていた会社がこれだけのことをするのですから、言論の自由とか、思想の自由などと立派なことは言えても、私たちの知識の多くは実に脆いものの上に成り立っているように思われます。
まあ、それもこれも、国民のレベルそのものが現れているとも言えるのでしょうがねぇ・・。

( 2014.09.14 )
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国家の危機 ・ 小さな小さな物語 ( 664 )

2015-03-16 11:34:52 | 小さな小さな物語 第十二部
国家の危機と言えば、第一に連想することは他国からの攻撃や経済などの封鎖をされることなどと思っていましたが、国家が分裂するという危機もあることを知りました。
それも、誕生まもない国家であるとか、他国からの干渉を受けてのことであれば、現在も世界各地で似たようなことが起きているわけですが、そうではなくて、相当の歴史を有し、文明・経済・軍事においても最先進国と考えられている国家でそのようなことが起ころうとしているのには少々驚きました。
イギリスが、その危機に直面しているのです。

私たちは通常、イギリスとか英国と呼んでいますが、正しい国名は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(もちろん、正しくは英語ですが)と言います。
イギリス(と呼ばせていただきます)は、かつては世界中に多くの植民地を有していましたし、現在も少なくなりましたが統治地がありますが、国家名としては「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」というだけで、海外の自治領などは加えていませんが、加えた場合も特別な呼び名は無いようです。
イギリスは、イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの四つの地域から成っていますが、長い歴史を見れば、やはりそれは、合併とはいえイングランドによる吸収という形だったと思われます。
最も早いのはウェールズで1536年のことで、スコットランドは1707年、北アイランドは1922年のことですが、最初は1801年に全アイルランドと合併したものを、1922年に現在の北アイランド以外がアイルランドとして独立したという歴史を有しています。

今回、イギリスから分離独立しようとしているのは、スコットランドです。九月十八日のスコットランド住民による投票結果により、残存あるいは分離が決定してしまうというのですから、民主主義のお手本らしい決断と驚いてしまいます。しかも、世論調査の結果は極めて拮抗しているというのですから、他所ごとながら心配しています。
スコットランドの人たちは、とても誇り高い人々で独自の文明・文化を大切にしているそうです。私などでも、スコッチウイスキーやバグ・パイプ、タータンチェックのスカートのような民族衣装はよく知っていますし、何と言ってもネッシーのふるさとのネス湖がある所なのです。
スコットランドの面積はイギリス全土の三分の一ほどを占めており、人口は五百三十万人ほどで全体の十二分の一ほどにあたります。このため、国家全体の運営がイングランド中心になりがちでスコットランドの人たちの意向が反映されにくいことも分離独立を望む理由の一つのようです。
どのような結果が出るか予断を許さない状況のようで、すでに英ポンドは市場で下落しているようです。

しかし、このような問題を抱えている国家は、何もイギリスに限ったことではないようです。かなりの歴史を有する欧米諸国でも深刻な状況を抱えている国があるようですし、この二、三十年の間に生まれた国家などでは、すでに紛争が起きているところも少なくないようです。
さて、ところで、わが国は大丈夫なのでしょうか。
一見しっかりとした国家と思われているところでこのような問題が発生する一番の理由は、ある地域の意見が中央に届きにくく、中央だけが繁栄していく体制に対して不満が生まれているようです。
そうだとすれば、わが国などもその典型のような国家ですが、私などが知らない所で、密かに独立の準備を進めている地域があるのでしょうか。政府の要人などからそのような情報は洩れてこないようですが、「なあに、地方は疲弊しすぎていて独立などできるところなどないよ」と安心しているのかもしれません。
「地方の時代」などと言われて久しいのですが、中央集権は強まるばかりで、本気でそのような政策をとっているのか疑問なのですが、もしかすると、わが日本を一つに保つための最善の手段が今の体制だと考えているのではないでしょうかねぇ・・。

( 2014.09.17 )
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国民の意志 ・ 小さな小さな物語 ( 665 )

2015-03-16 11:33:34 | 小さな小さな物語 第十二部
スコットランドのイギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)からの分離独立を決める選挙は、反対多数となり現状の体制が続けられることになりました。
結果の是非については、当事者でない者が勝手なことを申し上げるのはどうかと思いますが、もし分離独立となれば、独立後の国家財政や社会制度の再構築、使用通貨の問題、現イギリス軍の基地の問題、北海油田の権利の争奪、等々簡単なことではないと思われます。
しかし、それでもなお独立に賛成投票を投じた人がこれだけ多いということは、民族であるとか、国家の歴史であるとかというものは、いかに複雑で難しい問題が含まれているかということを改めて感じさせられました。

選挙結果に基づき、民主主義の手本のような国家ですから、激しい対立の修正を粛々と進めていくことになるのでしょう。
いくらそれが住民の意思だとはいえ、たった一度の選挙だけで、投票率に関わらず、一票でも賛成が多ければ独立することになり、またそれを容認するというのですから、考えてみれば、民主主義とか、民主主義政治というものは実に大胆だといえるのではないでしょうか。
しかし、報道でみる限り、あれだけ激しい対立の後、スコットランドとイングランド、あるいは意見が対立した隣人とスムーズに関係修復が出来るのでしょうか。

多数決で事の是非を決めるというのは、民主主義政治の根幹を成すものです。
それは確かなのでしょうし、多数決を超えるような良い意思決定方法はないのかもしれないのですが、何か、人間の知恵の限界のようなものが見えてしまったような気がして、少々恐ろしさを感じるような気がしました。
わが国においても、選挙で選ばれたからと言って、魔法の杖か錦の御旗でも手に入れたような発言をする議員や首長を目にすることがあります。
選挙で選ばれたからには、国民なり住民なりの代弁者であることは認めるとしても、その人格が優れているということとは全く無関係であることを、選出された当事者は肝に銘じてほしいものです。
最近の、国政にたずさわる議員や、地方議会の議員や首長などの中には、とても一般常識さえわきまえているとは思えない人物が多見されることを考えれば、その思いは強くなるばかりです。

国民、あるいは住民の意思を正確に掌握する方法というものは、多数決による以外にないものなのでしょうか。
わが国の諸制度においても、多数決だけで決するのに懸念を抱いてか、何らかの仕掛けをしている制度や法律もあることにはあります。
例えば、少し趣旨が違うかもしれませんが、裁判における三審制も一度だけの多数決での決定を懸念した部分もあると考えられます。また、重要項目について、多数決ではなく、三分の二の賛成を必要としている制度もあります。あるいは、住民公聴会や有識者会議などといったものも多数決定、あるいは多数決で選ばれた人による決定以前に設置されるのもそういう意味があるのかもしれません。
しかし、三分の二の賛成が必要とする制度が、多数決で変更される可能性があったり、公聴会や有識者会議が単なるガス抜き程度の役にしかたたないことはよく耳にすることです。公聴会に「やらせ」があったり、有識者会議などは、そもそも「有識者だと思って参加している人」をどの程度信用すればよいのか疑問に感じてしまうのです。
多数決に勝る素晴らしい意思決定方法があるような気がするのですが、かと言って、どんな逸材のもとであっても独裁は勘弁してほしいですし、結局は「無い物ねだり」ということなのでしょうか。

( 2014.09.20 )
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仲直り ・ 小さな小さな物語 ( 666 )

2015-03-16 11:32:10 | 小さな小さな物語 第十二部
スコットランドの分離独立に関する選挙は決着し、イギリス政府ばかりでなく、多くの国なども安堵した様子が伝えられていました。
しかし同時に、連合王国に引き留めるために提案した自治権拡大に関する約束などの実行のために、内政面で大きな課題を抱えてしまったという話も伝えられています。
また、自治権拡大がスコットランド地域の住民にどれだけ有利に働くのかは知りませんが、それが著しく優遇されるものであれば、ウェールズや北アイルランドに住む住民も不公平さを感じますでしょうし、全部を優遇すれば、今度はイングランド本体も静かではなくなる可能性があります。
それに、イギリスとても、それほど財政が豊かなわけではないでしょうから、振る舞う資金はごくごく限られるのではないでしょうか。

今度の選挙騒ぎで私が影響を受けたといえば、今まで、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」のことを何の疑問もなく「イギリス」と言っていたのですが、例えばこのコラムを書くにあたっても抵抗を感じています。
そもそも、「イギリス」という言葉は、幕末の頃でしょうか、イングランドという言葉から転じたものらしいそうで、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」を指す言葉から転じたものではないそうです。それに、発音はともかく、世界中で同国のことを「イギリス」と呼ぶのはわが国くらいだそうなのです。
私の戸惑いはこのくらいのものですが、スコットランドに住む人たちにとっては、ここしばらく激しく対立してきた近隣の人との「仲直り」はそうそう簡単ではないのではないかと心配してしまいます。

スコットランドの独立賛成派のリーダーは、結果が判明するとともに今後は一つの国として頑張っていこうと、支持者に対して結果に従うように呼びかけていました。民主主義政治の先進国ですから、きっと、短時間で対立感情を解消していくことを期待しています。
わが国でよく見る光景では、例えば政党の党首選挙で、激しい討論を交わし、時には中傷と感じられるほどの対立をしながらも、勝敗が決した後には、壇上において数人の候補者たちが今度は一致協力し合って行こうと誓い、女学生でも恥ずかしがるような手の繋ぎ方をしているのをよく見ますが、果たして、あんなことで若干でも対立感情を改善させる働きはあるものなのでしょうか。
もっと身近なことで、職場や仲間うちにおいて、さらに言えば、家族内においてさえも、深刻な問題で対立した場合は、すべてを水に流して「仲直り」するなど、さて、可能なのでしょうか。

同じような問題は、国家間でも全く同様のような気がします。
この場合は、「仲直り」というより「関係修復」ということになるのでしょうが、問題にもよるでしょうが、一度起きた大きな亀裂は、少々のことでは埋め切れることなどできないことを、私たちは承知しておく必要があるように思われます。三つ傷つけたから、三つのお詫びをしたので問題は解決したなどということは絶対にないのです。
しかし、絶対そうだと思うのですが、例えば夫婦であれば離婚してしまえば一つの決着を見ることが出来るでしょうが、国家間となればそうは行きません。それも、近隣国家との関係となればさらにです。
私たちは、互いに深く傷つけあった者同士は、それは国家間であっても、深い傷跡は簡単に癒すことはできないということを肝に銘じたうえで、関係修復に努める必要があると思うのです。
それが、大人の対応ということではないでしょうか。

( 2014.09.23 )
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