雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

旧友集う

2017-03-24 08:19:16 | 短詩集
          『 旧友集う 』

     懐かしき 人集う会
      昔話は 年ごとに増え
       交わし合う 盃の味 切なさが増え


       なつかしき ひとつどうかい
        むかしばなしは としごとにふえ
         かわしあう さかずきのあじ せつなさがふえ
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今昔物語集  巻第一 ご案内

2017-03-22 11:55:15 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          今昔物語集  巻第一


全三十一巻、一千余の説話から成る今昔物語集は、本巻から始まります。
全体の中の位置付けとしては、「天竺の部」に属します。天竺の部は五巻からなっており、釈迦及びその弟子たちに因む説話から成っています。そのうち、巻第一は、釈迦の生涯に関する三十八話が載せられています。
なお、天竺は古代のインドに当たりますが、当然、その国域などは現代とは異なっている部分があります。
現在、私たちがお釈迦さまに関する生い立ちなどを見聞きする多くが、本巻の説話に収められています。
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釈迦人間界に宿る ・ 今昔物語 ( 巻1-1 )

2017-03-22 11:53:55 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦人間界に宿る ・ 今昔物語 ( 巻1-1 )

今は昔、
釈迦如来、未だ仏にお成りになっていない時は、釈迦菩薩と申されて兜率天(トソツテン・須弥山にあったとされる)の内院という所に住んでおられた。
やがて、閻浮提(エンブダイ・須弥山の南方洋上にあるとされる大島で、我々の住む世界をさす)に下生(ゲショウ・神仏がこの世に姿を現すこと)しようと思われた時、五衰(ゴスイ)を現された。その五衰というのは、一つには、天人(天上にある神・人の総称)はまばたきをしないのにまばたきをすること。二つには、天人の頭にある髪飾り(生花)はしぼむことがないのにしぼんだこと。三つには、天人の衣には塵が付くことがないのに、塵や垢が付いたこと。四つには、天人は汗をかくことがないのに、脇の下から汗が出たこと。五つには、自分の居る場所を変えないのに、自分の場所を求めず適当な場所にいらっしゃったこと。この五つである。

その時、諸々の天人たちは、菩薩(釈迦をさす)が五衰を現されたことを見て、不思議に思い菩薩に尋ねた。
「私たちは、今日この五衰の相を現されたのを見て、身が震え心が落ち着きません。願わくば、私たちの為に、その理由を教えてください」と。
菩薩は天人たちに、「ぜひ知っておくべきです。この世に存在するあらゆる現象は生滅変化して、常に変わらずある物など一つもないと言います。私は今、間もなくこの天の宮を捨てて閻浮提に生まれようとしています」と答えられた。これを聞いた天人たちの悲しみは、大変なものであった。
そこで菩薩は、「閻浮提の中に生まれるについて、誰を父とし、誰を母とされるのか」と思っていると、「迦毘羅衛国の浄飯王(カビラエコクのジョウボンオウ)を父とし、麻耶夫人(マヤブニン)を母とするのが良いと考えています」と決めておられた。

癸丑(ミズノトウシ・釈迦誕生の年・月・日については多くの説がある)の年の七月八日、麻耶夫人の胎内に宿られる。
夫人が夜寝ていた時の夢に、菩薩が六牙の白象(ロクゲのビャクゾウ・普賢菩薩の乗物とされる)に乗って大空の彼方からやって来て、夫人の右の脇より身の中にお入りになった。はっきりと透き通っていて、瑠璃の壺の中に物を入れたようであった。
夫人は、はっと目覚め、浄飯王のもとに行って、この夢のことをお話しになった。
大王は、夢のことを聞くと、「私も又このような夢を見たのだ。自分自身、どのように判断したらよいのか分からない」と言われて、直ちに、善相婆羅門(ゼンソウバラモン)という人を招いて、とても香の良い花や、様々な食事でもてなし、夫人が見た夢についてお訊ねになると、婆羅門は大王に、「夫人が懐妊された太子は、諸々の善く妙なる相をお持ちです。詳しくは説きませんが、簡単に申し上げましょう。この夫人の胎内にある御子は、きっと釈迦族を栄光に導くことでしょう。胎内を出られるときには、大きな光明を放つでしょう。梵天・帝釈天はじめ諸天ことごとく恭敬(クギョウ・つつしみ敬うこと)することでしょう。この御子の相は、必ず仏となる瑞相(ズイソウ・吉兆。前兆)を現しています。もし出家されなければ、転輪聖王(テンリンジョウオウ・正義をもって天下を治める王)として天下を七宝で満たし、子孫は繁栄することでしょう」と申し上げた。

この婆羅門の言葉を聞いて、大王はたいへん喜び、多くの金銀や宝物をこの婆羅門に与えられた。また、夫人も多くの宝物を差し上げた。婆羅門は、大王と夫人から布施された宝物を受け取って帰って行った、
となむ語り伝へたるとや。

   ☆   ☆   ☆


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釈迦誕生 (1) ・ 今昔物語 ( 巻1-2 )

2017-03-22 11:53:12 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦誕生 (1) ・ 今昔物語 ( 巻1-2 )

今は昔、
釈迦如来の御母麻耶夫人が、父の善覚長者(ゼンカクチョウジャ・小国の王らしい)と共に、春の始めの二月八日(四月八日説もある)、嵐毘尼園(ランビニエン)の無憂樹(ムウジュ)の下に行かれた。
夫人はその園に着くと、立派な車から降りて、まず様々な美しい装身具で身を飾られ、無憂樹の下に進まれた。夫人の供として従う采女は八万四千人である。(八万四千は、仏典で極めて大きい数字を表現する常套語)彼女らが乗る車は十万である。大臣・公卿及び百官がそれぞれに供奉していた。
その無憂樹の姿は、上から下まで等しくて、葉が茂って垂れ下がっていた。半ば緑で半ば青色である。その色の照り輝く様は、孔雀の様であった。
夫人はその樹の前にお立ちになり、右の手をあげて樹の枝を曳き取ろうとした時に、右の脇より太子がお生まれになった。
大きな光を放っていた。

その時、諸々の天人・魔・梵・沙門・婆羅門などが、ことごとく樹の下に満ち溢れていた。
太子がすでにお生まれになったので、天人が手を添えお支えして、四方にそれぞれ七歩お進みになった。(天人が手助けしたというのは、経典などにはない)
足をお上げになると、蓮華が生じて足をお受けになった。南に七歩進んでは、すべての衆生の為に最上の福田(善行の種を蒔いて良い実りを得る田のこと)と成ることを示し、西に七歩進んでは、生死に輪廻することなく永く老・死を断つ悟りの境地を示された。北に七歩進んでは、諸々の生死(ショウジ)を渡ることで彼岸に至ることを示された。東に七歩進んでは、衆生を導く指導者となることを示された。
四つの維(ヨッツノスミ・南西・南東・北西・北東の四隅)に七歩進んでは、様々な煩悩を断ち切って仏と成ることを示された。上に七歩進んでは、不浄の者の為に穢れることのないことを示された。下に七歩進んでは、仏の教えの雨を降らして、地獄の火を滅して、あらゆる衆生に安穏の喜びを受けさせることを示された。
   
太子各々七歩を歩み終えて、頌(ジュ・偈頌。仏や菩薩の教えや賛辞を韻文形式で述べた詩句)を説いておっしゃられた。
「 我生胎分尽 是最末後身 我已得漏尽 当後度衆生 」
( ガショウタイブンジン ゼサイマツゴシン ガイトクロジン トウゴドシュジョウ )
( 私は輪廻転生の業が尽きて生まれ変わることはない これが最後の人身で すべての煩悩を超越し尽くしたから 今後は仏と成ってあまねく衆生を済度しよう )
太子がそれぞれ七歩進まれたのは、七覚(シチカク・悟りに到達するまでの七段階の修行)を表している。蓮華が地より生じたのは、地神が姿を変えて現れたものである。
                             ( 以下、(2)に続く )

     ☆   ☆   ☆

  
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釈迦誕生 (2) ・ 今昔物語 ( 巻1-2 )

2017-03-22 11:52:34 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦誕生 (2) ・今昔物語 ( 巻1-2 )

     ( (1)より続く )

さて、太子ご誕生のその時、四天王(シテンノウ・帝釈天の麾下の神将で仏法を護るため四方に配される。東方は持国天・南方は増長天・西方は広目天・北方は多聞天の総称)は、天上の薄い絹布で太子を包まれて宝物の机の上に置き奉った。帝釈天は美しい天蓋を取り、梵天は白い払子(ホッス)を取って左右に控えていた。
難陀・跋難陀(ナンダ バツナンダ・共に仏法を守護する八大竜王の一人)の竜王は、大空にあって清浄の水を吐いて太子の御身に浴びせ奉った。一度は暖かく、今一度は涼やかに。

御身は金色にして、三十二の相(仏の肉身が具えているとされる三十二種の身体的吉相)を具えられていた。大いなる光明を放って、あまねく三千大千世界(サンゼンダイセンセカイ・全宇宙)をお照らしになった。天竜八部(仏法守護の八部衆)は大空にいて、天上の音楽を奏でていた。天上からは、天人の衣服や装身具などが雨のように降り注がれた。

時の大臣は、摩訶那摩(マカナマ)という。大王のもとに参って、太子誕生をお伝え申し上げ、また様々な不思議な出来事を報告した。
大王は驚き、直ちにその園に行幸された。
すると、一人の女人がいて、大王が到着したことを見て、園の内に入って太子を懐き奉って大王のもとにお連れして申し上げた。
「太子、さあ、父の大王を敬礼なさいませ」と。
すると、大王は、「まずは我が師である婆羅門に拝礼し、その後で私が会おう」と申された。
そこで女人は、太子を懐いて婆羅門のもとにお連れした。婆羅門は太子を見奉ると大王に申し上げた。
「この太子はきっと転輪聖王(テンリンジョウオウ・正義をもって天下を統治する王)と成るでしょう」と。

大王は、太子をお連れして迦毘羅城(カビラジョウ)にお入りになった。そして、その城を出て間もなく、一人の天神(天界の神)が現れた。名を増長(四天王の一人)という。その社には諸々の釈種(釈迦の同族)が常に詣で礼拝して、思うようにならないことを乞い願う社である。
天神は、大王と太子をその社にご案内し、諸々の大臣に「我は今、太子にこの天神を拝礼していただく」と伝えた。乳母は太子を懐き奉って、天神の前に詣でた時、もう一人の女天神が現れた。名を無畏(ムイ・何物をも怖れず、衆生の恐怖を取り除く力がある女神らしい)という。
女天神は、その堂より下りて、太子を迎え奉り、手を合わせて恭敬(クギョウ・つつしみ敬うこと)して太子の御足を頂礼(チョウライ・頭を下げて足に礼拝すること。古代インドの最高の敬礼)して乳母に語った。「この太子は、人に優れておいでです。努々(ユメユメ・決して)軽んじられることのないように。また、太子に我を礼(オガ)ませてはならない。我が太子を礼(ライ)し奉ります」と。

その後、大王並びに太子・夫人は城に帰られた。
麻耶夫人は、太子が誕生なされて七日後にお亡くなりになった。大王始め国中が嘆き悲しむこと限りなかった。太子はまだ幼稚であられ、誰がお育てすればよいのかと大王は思い歎かれた。
夫人の父である善覚長者には八人の娘がいた。その第八の娘は摩迦波闍(マカハジャ)といった。その人が太子の養育に当たった。太子の養育者は、実の御母にあらず、御叔母に当たる人であった。
太子の御名は悉駄(シツダ・悉達とも。シッタ゜ールタ。釈迦の出家以前の名前。実名ではなく後世に付せられた尊称とされる)と申される。
麻耶夫人は、亡くなられて後、忉利天(トウリテン・帝釈天。もとはバラモン教の最高神インドラで、仏教に組み込まれた)としてお生まれになった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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釈迦の王宮時代 (1) ・ 今昔物語 ( 巻1-3 )

2017-03-22 11:51:36 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦の王宮時代 (1) ・ 今昔物語 ( 巻1-3 ) 

今は昔、
浄飯王(ジョウボンオウ)の御子、悉達太子(シツダタイシ・のちの釈迦)が十七歳になられたので、父の大王は諸大臣を集めて共に相談して、「太子はすでに成人となった。すぐにも妃を迎えたい。そこで、理想的な妃として誰が良いか」と訊ねた。
大臣はこれに答えて、「釈種(シャクシュ・釈迦と同種族)の婆羅門(バラモン・古代インドの四姓制度の最上位の階層)に良い人物がいます。名を摩訶那摩(マカナマ・同名異人がいてはっきりしないが、前話に登場している大臣らしい)と言います。娘がいて、名を耶輸陀羅(ヤシャダラ)と言います。容貌は人に優れ、聡明な女性だといいます。太子の妃として申し分ないと思われます」と申し上げた。
大王は、この進言をお聞きになって大変喜び、その父の婆羅門のもとに使者を派遣して、「太子はすでに成人となり、妃を求めているが、あなたの息女がふさわしいと思う」と伝えられた。
父は、謹んで大王の仰せをお受けした。

そこで大王は、諸々の大臣と吉日を選び定めて、車一万輌を遣わして迎えられ、息女は速やかに宮殿に入られ、太子は、世間の人と同様の婚儀を執り行われた。
また、大勢の美しく教養ある女性を選んで仕えさせて、夜も昼も楽しくお過ごしになられた。
しかしながら、太子は、妃と寝室を共にすることはなかった。当初よりふつうの夫婦のように男女の契りを結ぶお気持ちがなく、夜は静かに心を鎮めて、ひたすら瞑想にふけり真理を観察された。
大王は毎日のように、諸々の侍女に「太子は妃と睦まじくされているか」と尋ねられた。
それに対して、侍女たちは、「太子が妃と睦まじくされているのを、未だ見ておりません」とお答えした。
大王はこれを聞いて、たいそう歎かれて、さらに見目美しき女性たちの舞や歌や音楽などで太子を楽しまそうとされた。しかしながら、なお妃と契られることはなかった。大王は、ますます心配となり、お歎きになった。

そのような時、太子は、園の花が満開を迎え、泉の水が清く涼やかであることをお聞きになって、「園に出かけて遊ぼう」と思われて、侍女を遣わして大王に、「宮中に籠っていることが長く遊ぶ機会がありませんでした。しばらく出かけて遊ぼうと思います」と申し上げた。
大王は、これを聞いてお喜びになった。直ちに大臣・百官に道を整えさせ、すべての所を美しくさせた。
太子は、父の王のもとに行って拝礼したのち、出かけて行った。
王は、経験豊かで、学才があり分別のある大臣を太子の御供に遣わした。太子は、諸々の眷属(ケンゾク・特に信頼できる従者)を引き連れて、城の東の門より出発した。国内のあらゆる層の人民が、男も女も集まってきて拝見すること雲の如くであった。

その時、浄居天(ジョウゴテン・苦楽を超越した天人)が変化して年老いた翁に姿を変えていた。頭は白く、背が曲がっていて、杖に寄りかかるようにして歩いていた。
太子はこれをご覧になって、御供の人に訊ねた。「あれは、どういう人か」と。「あれは、老いたる人です」と答えた。
太子はまた訊ねた。「いかなるを老いたというのか」と。御供は、「あの人も、昔は若く元気盛んでありました。しかし今は、年齢を重ねて姿形が衰えているので、老いたる人と申すのです」と答えた。
太子はまた訊ねた。「ただ、あの人だけが老いたのか。すべての人がこのようになるのか」と。御供は、「すべての人が皆あのようになるのです」と答えた。
太子は、車を反転させて、宮殿にお帰りになった。
                       (以下、(2)に続く)

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*  文中、「大王」と「王」が混在していますが、理由はよく分かりません。そのまま使用しました。

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釈迦の王宮時代 (2) ・ 今昔物語 ( 巻1-3 )

2017-03-22 11:50:57 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦の王宮時代 (2) ・ 今昔物語 ( 巻1-3 )

     ( (1)より続く )

しばらく日を経て、太子は、王に前のように出かけて遊びたい旨申し出られた。
王はこれを聞いて、心配されて、「この前出掛けた時には、道で老人を見て憂いの心を抱き、楽しむことが出来なかった。どうして、また出かけるというのか」と思って、お許しにならなかった。しかし、そうとはいえ、諸々の大臣を集めて、この事について意見を求めた。
相談の結果、「太子はこの前、城の東の門から出て、老人を見て楽しむことが出来なかった。今また出かけしようとしている。この度は先払いを立てて、前の老人のような者を居させないようにせよ」と申しつけてお許しになった。
太子は、前と同じように百官を率いて、城の南の門よりお出になった。

浄居天は、変化して今度は病人の姿になった。身体はやせ衰え、腹だけが膨れ上がり、苦しげにうめいていた。
太子はこれをご覧になって訊ねた。「あれは、どういう人だ」と。従者は、「あれは、病人です」と答えた。
太子はさらに訊ねた。「どのような者を病人とするのか」と。従者は、「病人と言いますのは、十分な食事を摂っても癒えることなく、四大(シダイ・古代インドで、あらゆる物質は地・水・火・風の四元素から成っていると考えられていた。人間の病気も、その調和が崩れることにより起きるとされていた)の調和が崩れ、しだいに悪化して身体の節々すべてが痛んで苦しみます。気力は衰弱し、安眠できません。手足はあっても、自分で動かすことが出来ず、他人の力を借りて寝起きします。このような状態の人を病人と言います」と答えた。
太子は、慈悲の心でもってその病人の身の上を自分の悲しみとして、さらに訊ねた。「あの人だけが、このような病にかかるのか。あるいは、他の人も皆あのようになるのか」と。従者は、「すべての人が、貴賤を問わず、このような病にかかります」と答えた。
すると、太子は車を反転させて宮殿に帰り、自らこの事を悲しみ、いよいよ楽しむということをしなくなった。

王は、従者に訊ねた。「太子は、この度出かけて、楽しむことがあったのか」と。従者は、「南の門よりお出かけになり、道端にいる病人を見て、その病人についてお訪ねになり、その結果ますます楽しむことが出来ませんでした」と答えた。
王は、これを聞いて大変歎かれ、これよりは城外に出られることを懸念されて、城内で楽しむ事をなされた。

その頃、一人の婆羅門の子がいた。名を憂陀夷(ウダイ)という。聡明で、弁舌に優れていた。
王は、この人を宮殿に招いて話された。「太子は今、世にある五欲(ゴヨク・ 色・声・香・味・触に対する欲心。愛欲)を受け入れて楽しもうとしない。おそらくは、遠からずして、家を出て聖の道を学ぼうとしているようだ。そなたは、速やかに太子の朋友となって、世間の五欲を楽しむことを語り聞かせて、出家を願う心を止めさせるのだ」と。
憂陀夷は王の仰せを承って、太子に付き従い、離れることなく、歌舞を奏してお見せした。
太子は、またしばらくすると、「外に出て遊ぼう」と申された。
王は、「憂陀夷が太子と朋輩となったので、世間を嫌って出家しようとするのは止まっただろう」と思われた。それで、お出かけになることを許された。
太子は、憂陀夷と百官を引き連れて、香を焚き花を散らして様々な音楽を演奏して、城の西の門をお出になった。

浄居天は、「前には、老・病の二つを見せたが、周囲の者がその時の様子を王に告げた。王は、太子がこれを見て楽しむことが出来なくなったことに、大いに怒っていた。この度は、死を見せようと思っているが、周囲の者がその様子を大王に申せば、王はこれまで以上に怒って、きっと罰することだろう。今回は、太子と憂陀夷の二人だけに死という物を見せて、他の者には見せないことにする」と思って、変化して死人となった。
死人を輿に乗せて、香花をその上に散らした。人々は皆泣きながらこれを見送っている。その様子は、太子と憂陀夷の二人だけに見えた。
太子は憂陀夷に訊ねた。「あれは、どういう人か」と。
憂陀夷は、王の仰せを受けていたので、答えなかった。太子は、三度訊ねたが、憂陀夷は答えなかった。

                                       ( 以下、(3)に続く )

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釈迦の王宮時代 (3) ・ 今昔物語 ( 巻1-3 ) 

2017-03-22 11:50:12 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦の王宮時代 (3) ・ 今昔物語 ( 巻1-3 )

     ( (2)より続く )

その様子を見て浄居天は、神通力を以って憂陀夷(ウダイ)の心を意識不明の状態にさせて答えさせた。「あれは、死人です」と。
太子は訊ねた。「どういう人を死人というのか」と。憂陀夷は答えた。「死と言いますのは、刀風が形を解き(臨終の時、身体を刀のように切り裂く烈風が吹くと考えられていた)、神識(ジンシキ・精神と意識)は身体を去って、体中の感覚は無くなってしまいます。あの人はこの世にあって、五欲(様々な欲望)に執着し、財宝を惜しみ、そしてこの世の無常(この世の一切の存在は生滅変化すること)を悟ることがなかったのです。今は、この朝にすべての財宝などを捨てて死んでいるのです。また、父母・親戚・眷属(ケンゾク)も、命尽きた後は従う者はおりません。まさに、草木のようなものです。このように死んだ者は、まことに哀れなものでございます」と。
太子はこれを聞いて、大変畏れられて、さらに憂陀夷に訊ねた。「あの人だけが、死ぬのか。他の人も、同じように死ぬのか」と。「人は皆、このように死んでいくのです」と憂陀夷は答えた。
太子は車を反転させて、宮殿にお帰りになった。

王は憂陀夷を呼んで訊ねた。「太子は、楽しんだのかどうか」と。憂陀夷は「城を出て間もなく、道に死人がありました。いずれから来たものかは知りません。太子と私だけが同じようにこの死人を見ました」と答えた。
王はこれを聞いて、「太子と憂陀夷のみが見て、他の人は皆これを見ていないという。きっとこれは、天の為せるわざであろう。諸々の従者の罪ではない。阿私陀(アシダ・釈迦誕生時に、その相を見て出家を予言した人物。初めて登場した人物で、善相婆羅門とは別人らしい)が予言した通りに違いない」と思われて、大変歎き悲しんで、毎日のように人を遣わして太子をなだめすかし、「この国は、ただそなただけの物である。どういうわけで、常に憂いの心ばかり懐いて、楽しもうとしないのか」と説得させた。
そして、「太子は、これまでに東・南・西の三つの門より出かけていて、まだ北の門からは出かけていない。きっと、この次は北の門より出て遊ぼうとするはずだ。されば、その道を美しく整備し、これまでの原因になったような者を居させてはならない」と、諸々の家臣に申しつけて、心の内では、「太子がもし城の門を出たら、願わくばすべての天人よ、不吉なことを見せて太子の心を患え悩ませないでください」と念じた。

太子は、また外に出て遊ぶことを王に申し出た。王は、憂陀夷と百官を太子の前後に付き従えさせた。
太子は、城の北の門を出て園に到着すると、馬より降りて樹木の根元に端座されると、大勢の人を遠ざけて、心を統一して世間の老・病・死の苦しみについて考えをめぐらした。
その時浄居天は、僧の姿に変化して、僧衣を身につけ托鉢の鉢を持ち錫杖を手にしてやって来て、太子の前に立った。
太子はこれを見て、「お前は何者か」と訊ねた。僧は、「私は比丘(ビク・男の托鉢僧)です」と答えた。
太子はさらに訊ねた。「どういう者を比丘というのか」と。「煩悩を断じて、後の身を受けない者を比丘というのです。(解脱成仏して死後に輪廻転生しないこと)この世の物は皆生滅変化します。私が学ぶことは、煩悩を断ち切った清浄安楽の境地であります。見えるものに惑わされず、聞こえるものに驚かず、香に引かれず、味に耽(フケ)らず、感触に溺れず、この世の現象に迷わされず、永久の涅槃の境地を得て、悟りの彼岸に至るのです」と答えた。
このように話し終えると、浄居天は神通力を現して遥か大空に昇り去っていった。
太子はこれを見て、馬に乗って宮殿に帰って行った。

王は憂陀夷に訊ねた。「太子はこの度出かけて、楽しんだのかどうか」と。憂陀夷は、「太子はこの度出かけられて、道で不吉なものに会うことはありませんでした。ただ、園の中に入って、樹木の根元に端座されている時に、ひとりの人が来ました。髪を剃り衣を染めていました。太子の前でお話されていました。話が終わるとその人は空に昇って返られました。どういう話をされたかは分かりません。太子は、その人とお話されている時は、お喜びの様子でした。宮殿に戻られてからは、また憂鬱なご様子でございます」と答えた。
王はこれを聞いて、どのような前兆なのかは分からなかったが、ただ「太子は家を出て、聖の道を学ぶのだろう」と思い、ますます嘆き悲しむことこの上なかった、
となむ語り伝へたるとや。

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釈迦 城を出る (1) ・ 今昔物語 ( 巻1-4 )

2017-03-22 11:49:13 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦 城を出る (1) ・ 今昔物語 ( 巻1-4 )

今は昔、
浄飯王(ジョウボンオウ)の御子である悉達太子(シッダタイシ・釈迦)は、御年十九歳になられたが、心の内に深く出家すべきとの考えを抱いていて、父である王のもとに参られた。威儀を整えられた御姿は、帝釈天が大梵天に詣でられるが如くであった。
伺候していた大臣が、太子が参られたことを伝えた。王はそれを聞いて、不安な気持ちを抱きながらも、太子が参られたことをたいそう喜ばれた。

太子は王に向かって、頭を地に着けて拝礼された。王は太子を抱き寄せて席にお座らせになった。
太子は、座について王に申し上げた。
「恩愛(オンアイ・親子、夫婦などの間柄)は必ず別離があります。ひたすら願いますことは、私の出家・学道(仏道を学ぶこと)をお許しください。一切衆生の愛別離苦を皆解脱(ゲダツ・苦しみから救い出す)させたいと思うのです」と。
王はこれをお聞きになって、心に受けた苦しみと痛みは、金剛の山を打ち砕くほどであった。全身が震え座ってさえ居れないほどであった。太子の手を取って、申される言葉もなく、ただ激しくお泣きになった。
太子は、王が涙を流して許さないことを示されたのを見て、恐縮して返って行った。
しかし、太子は、ひたすら出家することのみを考えて、心が晴れることがなかった。
王は、太子のこの様子を見て、大臣に申し付けて、城の四つの門を固く守らせた。城門の戸を開け閉めする時の確認の声は、四十里先まで聞こえた。

ところで、太子の妻である耶輸陀羅(ヤシュダラ)は、寝ている間に三つの夢を見た。それは、「一つには、月が地に落ちてきたというもの。二つには、歯が抜け落ちたというもの。三つには、右の臂(ヒジ)を失ったというもの」であった。
夢が覚めてから太子にこの三つの夢のことを話し、「これはどういう現象なのでしょうか」と尋ねた。太子は、「月は今も天にあり、歯もまた抜けていないし、臂も身体に付いている。その三つの夢は、幻のようなもので真実のことではない。あなたは恐れる必要などない」と言われた。

太子には三人の妻がいた。第一夫人は瞿夷(クイ)といい、第二夫人を耶輸(ヤシュ)といい、第三夫人を鹿野(ロクヤ)という。宮城の内に三つの御殿を造り、それぞれに二万の侍女を仕えさせた。
そうした時、法行天子(ホウギョウテンシ・浄居天と同様の神通自在の天人)が宮殿内に入り、神通力で以って多くの侍女たちの身体や服装や装飾品などを身だしなみを忘れた勝手放題に乱れさせた。ある侍女は衣裳を脱ぎ捨て、目を開いたまま眠っている。まるで屍のようである。或いは仰向けに臥して手足を広げ、口を開けて眠っている者もいる。或いは身に付けていた様々な装身具を脱ぎ捨て、或いは大小便などの汚物を垂れ流して眠っている者もいる。
太子は手に灯を持って、この様々な不様な姿をご覧になって、「女人というものは、不浄にして醜いものであることが顕かである。どうしてこのような女人に没頭することが出来ようか」と思われた。

後夜(ゴヤ・夜の後半部分)になると、浄居天(天人のいる所)並びに欲界(ヨクカイ・ここでは天界の一つを指している)の諸々の天人が天空に満ち満ちて、共に声を合わせて太子に申し上げた。「宮殿内外の眷属は皆ことごとく眠り臥している。今こそ、まさに出家の時なり」と。
太子はこれを聞いて、自らシャノク(釈迦家の御者。後に出家する)の所に行って、「私を乗せるために、ケンジョク(馬の名前)に鞍を置いて来るように」と命じた。シャノクは、天人の力によって眠らずにいたのである。太子の命令を聞くと、全身を震わせ恐れ入って言葉が出ない。しばらくたって、涙を流しながら言った。
「私は太子のご命令に従いたいと思います。また、大王の勅命に背かないようにと怖れています。それに、只今は遊びにお出かけになる時間ではありません。また、怨敵を討ち果たす日でもありません。どうしてこのような後夜のうちに馬を召されるのでしょうか。どちらへ参ろうとされているのでしょうか」と。

太子はこのようにおっしゃった。
「私は今、一切衆生の為に煩悩・結使(ケッシ・衆生を迷いの世界に結び付けてこき使うもの。煩悩と同じような意味)という賊を降伏させようと思うのだ。お前は、私の心に逆らってはならない」と。シャノクは涙を流すこと雨の如くであった。そして、再三拒み続けはしたが、ついに馬を引いてきた。
太子は、静かに進まれて、シャノクとケンジョクに語られた。「恩愛はいくら大切にしても離れ、世間の無常は必ず起こる。出家という前世からの因縁は、甚だ遂げ難い」と。シャノクはこれを聞くと返す言葉がなかった。ケンジョクもいななくこともなかった。
その時太子は、御身より光明を放ち、十方(ジュッポウ・四方(東・西・南・北)と四維(西北・西南・東北・東南)と上下の十方位)をお照らしになった。
そして、「過去の諸仏の出家の作法を、私も今それにならおう」と申された。

天人たちは馬の四本の足を捧げ持ち、シャノクを支え、帝釈天は天蓋を持って差しかけ、諸々の天人は皆付き従った。城の北の門は自然に開かれ、物音さえたたない。太子が城門を出られると、天空の諸々の天人が出家をほめたたえる声がいつまでも続いた。
太子は誓いを立てられて申された。「私は、もし生老病死・憂悲苦悩を断ち切ることが出来なければ、生涯宮殿に返らない。私は、菩提(悟りの境地)を得ることが出来ず、また教えの法輪を廻すことが出来なければ、返ってきて父の王に会うことはない。私は、もし恩愛の心を根絶することが出来なければ、返って来て摩訶波闍(マカハジャ)及び耶輸陀羅(ヤシュダラ)には会わない」と誓われて、暁の頃までに進まれた道のりは、三由旬(サンユジュン・距離の単位で、一由旬は諸説あるも、牛車の一日の行程らしい)であった。
天人たちは太子に従い、その場所に達すると、たちまちのうちに姿を消した。

                                          ( 以下は、(2)に続く )

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釈迦 城を出る (2) ・ 今昔物語 ( 巻1-4 )

2017-03-22 11:48:06 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦 城を出る (2) ・ 今昔物語 ( 巻1-4 )

     ( (1)より続く )

馬の速さはまるで金翅鳥(コンジチョウ・伝説上の巨大な鳥で、後に仏教の護法神となる)の如くであった。シャノクも離れることなく御供を続けた。太子は、跋伽仙人(バカセンニン・釈迦出家後の最初の師となった聖者)が苦行を行っている林に到着した。
馬よりお降りになって、馬の背を撫でて言われた。「私を此処に連れてきてくれ、この上なく嬉しく思う」と。またシャノクにも、「世間の人は、心が善良であっても行動が伴わず、立派な行動をしながら心が伴わないものだ。お前は心も行動も皆伴っている。私は国を捨て、この山に来た。お前一人だけが私に従ってきた。なかなか出来ることではない。私は聖者が修業する所に来ることが出来た。お前は速やかにケンジョク(馬の名前)を連れて宮殿に返るのだ」と申された。

シャノクはこれを聞いて、地に倒れ込んで激しく泣き悲しんだ。ケンジョクも「返れ」と申されるのを聞いて、膝をかがめて蹄を舐めて、涙を流すこと雨の如くであった。
シャノクは太子に申し上げた。「私は宮中において大王の命令に反し、ケンジョクを引き出し太子に奉って御供して参りました。大王は太子を失われて、さぞかし悲しみうろたえていることでしょう。また宮中の混乱も尋常ではないでしょう。私はどうして太子を置いて宮殿に返ることなど出来ましょうか」と。
太子は、「世間の定めは、一人で死に、一人で生まれるものだ。長く連れ添うことなど出来ることではない」と申され、さらに「過去の諸仏も菩提を成し遂げるために、飾りを捨て髪を剃られた。今、私もまたそのようにしよう」と申されると、宝冠をはずし、髪に付けた明珠を抜いてシャノクに渡し、「この宝冠と明珠を父の王に奉るように」と申された。そして、身に付けている装身具をはずして、「これを摩訶波闍に差し上げるように。そして、これ以外の装身具などは耶輸陀羅に与えるように。お前は、いつまでも私を恋いしがる心を持っていてはならない。ケンジョクを連れて速やかに宮殿に返るのだ」と申し付けられたが、それでも返ろうとせず泣き悲しんだ。

その時に太子は、自ら剣でもって髪をお剃りになった。帝釈天が参って、髪を取って去っていった。天空の諸天は香を焚き花を散らして、「善哉々々(ヨイカナヨイカナ)」と褒め称えた。
浄居天は、太子の前に居り、猟師の姿になって袈裟を着ていた。太子はこれを見て、喜びながら申された。「お前が着ている衣は、寂静(ジョウジャク・悟りの境地)の衣である。古よりの諸仏の袈裟である。どうしてそのような衣を着ながら殺生を行っている」と。
これに答えて、その猟師は、「私は袈裟を着て多くの鹿を誘い出します。鹿は袈裟を見てやって来て、皆私に近付きます。そこで私をそれを殺すのです」と言った。太子は、「お前が袈裟を着るのは、鹿を殺さんが為である。解脱(ゲダツ・涅槃と同様の意味)を求めて着ているのではない。私のこの七宝の衣をお前に与えて、お前が着ている袈裟を私が着て、一切衆生を救おう」と申された。
猟師は、「善哉」と言って太子の衣と袈裟を取り替えた。
太子は、猟師の着物を受け取って着られた。

そうした後、浄居天は本の姿に成って天空に昇って行くと、空中に光明が広がった。
シャノクはこれを見て、太子はお返りになることはないと知って、地に臥してさらに悲しみを増した。太子はシャノクに申された。「お前は速やかに宮殿に返り、詳しく私の事を申し上げるのだ」と。
そこで、シャノクは号泣し、ケンジョクも悲しげに泣きながら来た道を帰って行った。

宮殿に返り、詳しく事の有様を申し上げると、大王はじめ多くの人々が泣き悲しみ、この上ない騒ぎになった。
このケンジョクは太子の御馬であり、シャノクは舎人であった、
となむ語り伝へたるとや。

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