第一章 萌え出づる頃 ( 4 )
大原希美が西宮市に移ってきたのは、中学三年の時である。
それまでは大阪市の南部にあたる街で生まれ、ずっとそこで育ってきた。
希美の母は、この数年入退院を繰り返していたが、闘病の甲斐なく帰らぬ人となった。病が重篤であることは希美も承知していたが、やはりその死は突然という思いだった。
その後は、通いの手伝いの人を頼み、父と娘の二人で半年ばかり生活していたが、何かと不便なことや防犯上のこともあって、父の実家に移ることになったのである。
父の実家、つまり希美の祖父の家は、西宮市の阪急仁川駅の近くにあった。
希美は幼い頃から祖父の家に来る機会が多かった。希美の父は長男であり祖父の事業を継承していたので、いずれはこの家に帰ってくることになっていた。
もともとの予定では、希美が中学を卒業するのを待って移る計画だったが、母の死去により半年早い移転となった。
大原家は、明治の中頃から大阪で商売を営んでいた。
開業以来雑穀を中心に取り扱い、規模も順調に拡大していたが、太平洋戦争の戦火で住居も店舗も失ってしまった。その後しばらくは地方の農家を頼って引きこもっていたが、終戦間もなく、大阪市の北部にあたる十三の近くで雑穀を中心とした食料品店を開いたのが、現在の事業の出発点となった。
希美が仁川の家に移ってきた頃には、電気製品を中心に取り扱う業種に変わっていて、大阪府内を中心に十店舗ほどの支店を展開していた。
希美には兄がいたが、この頃は東京の大学に在籍していた。兄は希美より六歳年長だったが、この年代の六歳は大きな差である。
希美の家族は、祖父母と古くからいる住み込みのお手伝いのヨシ子さん、それに移ってきた希美と希美の父親の五人である。これに希美の兄が帰郷の時には加わることになる。
祖父の住居は相当広いもので、希美父子が同居するのに何の差し障りもなかった。
中学三年で西宮に移ってきた頃は、希美にとって大変苦しい時期だった。
母を亡くしてまだ半年ほどしか経っていなかったし、兄は東京に居り、一人っ子と変わらない状態だった。父は仕事に忙しく、帰宅は遅く出張も少なくなかった。
大阪の家の時は、夕方の三時間ほどは手伝いの女性が来てくれていたが、そのあとはいつも一人だった。父が出張の時は祖母が泊りに来てくれていたが、そのような不便さもあって中学の途中で西宮に移ることになったのである。
しかし、西宮での生活には新たな淋しさが希美を襲った。学校の友達がいなくなったからである。
希美はもともと大人しい性格で、やや引っ込み思案な面をもっていたが、母を亡くした後はその傾向がさらに強くなっていた。学校での友達も多い方ではなかったが、大阪の学校では支えてくれる友達が何人かいた。西宮に移ってからは、挨拶以外に話す友達はいなかった。
希美が編入されたのは早知子のクラスだった。
その頃の早知子はクラスの中心的な存在で、華やかな雰囲気をもっていた。新しく入ってきた希美を気遣ってか、早知子から何回か声をかけられたが、眩しいような存在に感じられ親しくなれなかった。
早知子の方も、希美が深刻なほど淋しい状態にあるなど感じていなかったので、無理に誘うようなことはしなかった。
二人が親しくなったのは、希美が転入してからひと月程過ぎた日の出来事が発端だった。
早知子は放課後二時間ばかりテニスの練習をしていたが、その日は朝からの雨で練習が中止になり、授業が終わるとすぐに教室を出た。その時、少し先に校門を出ようとしている希美の姿が見えた。
その姿が、いかにも淋しげに早知子には見えた。
早知子は一緒に帰ろうとしていた友達に断って、希美の後を追った。誰かに苛められて泣いているのではないかと思ったのである。
「元気ないみたいね」
早知子は希美の横に並んで声をかけた。
希美は泣いているわけではなかった。
「えっ? あら、三沢さん」
希美は眩しいものでも見るように早知子の顔を見た。
「何だか、とぼとぼ歩いているみたいよ」
早知子は遠慮なく言葉を続けた。
「そうお? 雨が降っているからじゃないかしら」
「そうだといいんだけど、何だか、家に帰りたくないような歩き方よ」
「別にそういうわけじゃないけど…。帰っても仕方ないしね…」
「どうして? 家の人と喧嘩でもしたの?」
「・・・」
希美はただ激しく首を横に振った。
早知子は、まずい質問をしたかな、と一瞬思った。中学三年の女の子はもう子供ではないということは、いつも自分が思っていることである。実社会での経験が乏しいとしても、人生について考え悩み苦しむことでは、どんな年代よりも真剣な世代だと思っていた。
希美の心に、土足で入ってしまったのではないかと思ったのである。
二人は無言のままで並んで歩いた。
朝から降り続いている雨は、霧雨のようになっていた。泣いているような雨だと、早知子は思った。
「お家、近かったよね」
「ええ、この先を下った所」
「寄ってもいい?」
早知子の言葉に、希美は歩みを止めた。
「いいの?」
「いいのって・・・、わたしがお邪魔するのよ」
「帰るの、遅くなってもいいの?」
「大丈夫よ。それより、急にお邪魔しても迷惑じゃない?」
「そんなの、大丈夫よ。本当に寄ってくれるのね」
希美は早知子の顔を真っ直ぐに見つめた。
早知子がうなずくと、それを合図のように二人は歩き始めた。希美の歩くスピードが明らかに変わっていた。
西宮市と宝塚市を分けるように流れている仁川に近い、古くからの住宅地の一角に希美の住居はあった。
早知子は、初めて見る大原家の豪壮な建物に圧倒されるのを感じながら、足を踏み入れた。
今風の様式ではなく、建築されてかなりの年月が経っていると思われるが、重厚な感じは中学生の早知子にも伝わってきた。
正面に立派な門があり、その横の通用口から入ると希美は玄関のチャイムを押した。
玄関の扉が開くと、中年の女性が出迎えた。
「お帰りなさい。あら、お嬢さん、お友達もご一緒ですか?」
出迎えた女性は実に嬉しそうな表情で、早知子に来客用のスリッパを揃えた。
「お友達の三沢さんです。わざわざ寄ってくれたの」
希美は、自分のことをお嬢さんと呼んだ女性に、誇らしげに早知子を紹介した。
学校では見せなかった明るい声である。反対に少しおどおとした口調で挨拶する早知子の手を取って、引っ張るようにして部屋に案内した。
案内された部屋は、玄関から廊下を隔ててすぐの大きな洋室だった。そこは居間らしいのだが、片側に十人ほども座れる大きなテーブルがあり、もう片側には応接セットが置かれていた。
そして、早知子が希美に勧められてテーブルの方の椅子に座ると、まるで早知子の訪問を予期していたかのような素早さで、先ほどの女性が紅茶とケーキを運んできた。
希美は、一端座らせた早知子を洗面所に案内し「いつも手を洗わなくて、ヨシ子さんに叱られるの」と悪戯っぽく笑った。
そして、再びテーブルに戻ると、早知子にケーキを勧め、自分は部屋を出ていった。
きびきびと動く姿に早知子は驚くばかりだった。おっとりとしていて、悪く言えば動きが鈍そうなイメージを持っていただけに、希美の本当の姿を見た気がしていた。
間もなく希美は戻ってきたが、彼女の祖母を連れて来ていた。
祖母にあたる人は、和服姿の落ち着いた感じの人だった。そして、早知子が応対に困るほど丁寧に、寄ってくれたことを繰り返し礼を言った。
このあと二人は、二階にある希美の部屋で長い時間話し合った。
学校のこと、家族のこと、将来のこと・・・、時間が過ぎるのを忘れたかのように二人は話し続けた。希美が最近母を亡くしたことを早知子が知ったのも、この時だった。
その日早知子は、とうとう夕食をご馳走になることになってしまった。そのことについても、希美の祖母はわざわざ電話に出て、早知子の母親に了解を取ってくれるとともに、繰り返し礼を述べていた。
沈んでる希美を心配していた祖母は、早知子の訪問がよほど嬉しかったのだと思われる電話だった。
この日を機に、早知子と希美は特別に仲の良い関係になっていった。
希美にとっては、とても淋しい状態にある時に早知子が声をかけてくれたということになるが、早知子にしても、これまでの友達とは違う深いところまで心を開けるものを希美に感じていた。
性格からいえば、二人はむしろ対照的な面が多かったが、親友というものは、そのようなこととは関係なく結ばれる何かがあるのかもしれない。
これ以後は、三日に一度位の割合で希美の家でおしゃべりをした。
最初の日のように遅くなることは少なかったが、土曜日などは遅くまでいて食事をご馳走になることもあった。
また、最初から食事が目的で招待されることもあり、遅い時間になる時は、お手伝いのヨシ子さんが車で早知子の家まで送ってくれた。
その時は希美も車に同乗して、早知子の家に着くまでの僅かな時間も惜しむかのように話し続けていた。
希美が早知子の家を訪れることも何度かあったが、学校からの距離の関係もあって、希美の家に寄ることの方が多かった。
学校では二人だけで長い時間話すということは少なかったが、仲間の輪に希美も加わるようになっていった。
しかし、希美の家を訪れる時は、いつも早知子一人だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます