雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

恥ずかしながら チャンピオンを狙いますか

2022-10-07 19:20:02 | 日々これ好日

   『 恥ずかしながら チャンピオンを狙いますか 』

  プロ野球クライマックスシリーズが 明日から始まる
  恥ずかしながら 阪神タイガースは
  負け越しながら 三位に滑り込み まずはDeNAと戦う
  何はともあれ 出たからには 日本シリーズチャンピオンとなり
  シーズンでの負け越しの 鬱憤を晴らしますか!?

                        ☆☆☆
     

  


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地獄から母を救う ・ 今昔物語 ( 19 - 28 )

2022-10-07 07:59:51 | 今昔物語拾い読み ・ その5

       『 地獄から母を救う ・ 今昔物語 ( 19 - 28 ) 』


今は昔、
大和国の宇治郡に安日寺(アンニチジ・未詳。)という寺があった。その寺に一人の僧が住んでいた。名を蓮円(レンエン・伝不詳)という。その母は邪見(ジャケン・よこしまな考え方)が深く、因果の道理を知らない女であった。
やがて、しだいに年を取り、老境に至ると病を得、いよいよ死ぬという時に、悪相(アクソウ・悪道に堕ちるような兆候。)が現れて、明らかに悪道(地獄・餓鬼・畜生の三悪道。)に堕ちた、と見える状態で命を終えた。

子の蓮円はこれを見て、嘆き悲しんで、「何とかして、この母の後世を弔おう」と思い、「自分で、日本国内で行き至らぬ所が無いまで歩き、不軽の行(フキョウのギョウ・常不軽菩薩の修行のこと。僧が法華経の不軽菩薩品を読誦しながら、諸所を巡って衆生に礼拝して歩く修行。)を修行して、ひたすら母の後世を弔おう」と決めて、国々を巡って至らぬ所が無いまで歩き回り、思う存分に不軽の行を修行した。
鎮西(チンゼイ・九州)の果てから陸奥の果てまで、すべて歩かぬ所が無いまで歩き回り、数年を経て帰ってきた。
その後、六波羅蜜寺に行き、法華の八講を行った。これもひとえに母の後世を弔うためであった。そして、その後にもとの安日寺に帰った。

それから後のことである。
蓮円は夢の中で、遙かなる山の中に行って、鉄の城を見た。「ここはどういう所だろう」と思っていると、一人の鬼が現れた。その姿の恐ろしいことは言い尽くせない。蓮円は鬼に尋ねた。「ここはどういう所ですか。あなたはどなたですか」と。
鬼は、「ここは地獄だ。このおれは獄卒だ」と答えた。
蓮円はさらに尋ねた。「それでは、この地獄の中に私の母がいるのでしょうか」と。
獄卒は、「いるぞ」と答えた。蓮円は、「私に見せて下さいませんか」と言うと、獄卒は、「見せてやろう。しばらく待て」と言って、城の戸を開いた。
戸を開くにつれて、猛烈な焔(ホノオ)が遠くまで吹き出した。とてつもなく恐ろしい。
獄卒は鉄の棒を取って釜の中に差し込み、一つの人間の頭を突き刺して持ってきた。それは母の頭であった。身体は無い。
蓮円はその頭を袖に受けて、泣きながら見ていると、母もまた泣きながら、「わたしは罪報が重く、この地獄に堕ちて苦しみを受けること計り知れないほどです。ところが、お前がわたしの為に長年の間、不軽の行を修め、法華経を講じてくれたので、今、わたしは地獄の苦しみを免れて、忉利天(トウリテン・天上界の一つで、帝釈天の居城がある。)に生まれ変わることになりました」と言う・・、と見たところで夢が覚めた。
体じゅうびっしょりと汗をかいていたが、夢のことを思うと、しみじみと感激し貴いことだと思った。

蓮円は、その後は心が安らぎ嬉しく思って、ますます修行に励み怠ることがなかった。そして、後には、高野山で修行し、尊い僧となった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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大谷サーン 投打で規定達成

2022-10-06 19:23:31 | 日々これ好日

     『 大谷サーン 投打で規定達成 』

    エンゼルスの大谷選手 投手として規定投球回を達成
    すでに 打者としての規定打席数は達成していたので
    規定投球回と規定打席数の 両方達成となった
    長い歴史を持つ米大リーグで 初の記録である
    米大リーグには 様々な記録があるが
    おそらく 大谷選手以外に この記録に並ぶ選手は
    当分 出てこないだろう  拍手 拍手 拍手

                   ☆☆☆

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春の初花

2022-10-06 08:03:46 | 古今和歌集の歌人たち

      『 春の初花 』

 谷風に とくる氷の ひまごとに
        打ちいづる波や 春の初花

                  作者  源 当純

( 巻第一 春歌上  NO.12 )
    たにかぜに とくるこほりの ひまごとに
             うちいづるなみや はるのはつはな


* 歌意は、「 早春の谷風に 溶け始めた氷の 隙間ごとに 吹き出すように流れ出てくる波が 春の初花なのか 」といった、比較的分かりやすく、優しい情景が思い浮かびます。

* 作者 源当純(ミナモトノマサズミ)は、平安時代初期の貴族です。
生没年は不詳ですが、官暦は詳しく伝えられていますので、活躍期の推定は可能です。
894 年に太皇太后少進に付いたのが最初です。おそらく、十五歳から二十歳までの事と推定されます。
896 年に従五位下を叙爵し、順調に昇進していますが、その後は、903 年の少納言が最高位のようです。
907 年に従五位上に昇っていますが、従五位下を受けてから十一年を要しています。
そして、909 年 3 月に法会に出席しているのが、生存を確認できる最後の情報です。

* 以上の官暦や、勅撰和歌集に収録されている歌が掲題の一首だけであること、あるいは生没年が伝えられていないことなどを考えますと、作者の源当純は、ごくふつうの下級貴族のように見えてしまいます。
しかし、当純は、天皇の孫という血統の持ち主なのです。

* 当純は、第五十五代文徳天皇の皇子である源能有(ヨシアリ・ 845 - 897 )の五男として誕生しました。
文徳天皇自身も、伯父にあたる藤原良房の後見を得て即位できた経緯があるなど、藤原氏の台頭と皇位をめぐる政争が激しさを増している時代でした。そうした中で、能有の場合は、生母の身分が低い(生母は伴氏)ため、早くから皇嗣争いからは外れていたようです。
事実、文徳天皇の皇太子に就いたのは、能有より五歳ほど年少の惟仁親王で、まだ生後八ヶ月ほどでした。惟仁親王は文徳天皇の崩御に伴い清和天皇として皇位に就きますが、文徳天皇の死因については、暗殺説もあったらしいのです。

* 853 年、能有は、数人の皇子と共に臣籍降下し、源姓を賜りました。
862 年に従四位上に直叙され、その後、加賀守、大蔵卿を経て、872 年に二十八歳で参議に就いています。
もちろん、臣籍降下したとはいえ天皇の御子であることが考慮されてのことと思われますが、政務面の能力を高く評価されていたようで、藤原氏の関係もよく、清和、陽成朝の官邸で重きを成したようです。
最終官位は、右大臣正三位左近衛大将軍兼東宮傅という要職を務め、五十三歳で死去しています。

* このように、作者の父の能有は、皇族の身を離れたとはいえ、上流の貴族としてそれなりの人生であったと推定されます。
しかし、作者 源当純の伝えられている情報を見る限りでは、天皇の孫としての恩恵はほとんど感じられません。ただ、それを冷遇と考えるか、それだからこそ、下級の貴族なりの存分の生き方が出来たと考えるか、微妙なところだと思われます。
母の名前も、生没年も伝えられていませんが、千余
年を経た現在、むしろ特別なことでも何でもなく、むしろ、作者は束縛の少ない人生を送ったのかも知れない、と思うのです。

     ☆   ☆   ☆

 

 

     

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課題の軽重

2022-10-05 18:46:21 | 日々これ好日

      『 課題の軽重 』

    私たちが抱えている 様々な課題
    大きなものが大切で 小さな物を無視していいとは
    まったく思わない
    しかし ミサイルが飛び 核兵器使用が云々され
    庶民の多くが 生活苦に悩まされそうな今日
    国会討論のニュースを見ると どうも 危機感に差がありすぎて
    絶望すべきなのか これほど平和だと喜ぶべきなのか
    その判断が 揺れ動いてしまう

                     ☆☆☆ 


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人と人との間は微妙で複雑 ・ 小さな小さな物語 ( 1583 )

2022-10-05 07:59:42 | 小さな小さな物語 第二十七部

「『人』という文字は、互いに支え合う姿を表現している」「人は一人では生きていけない。『人』という文字は、それを表している」といった話を、お聞きになったお方は多いのではないでしょうか。
なかなか味のある教訓です。この言葉に語源のようなものがあるのかどうか知らないのですが、相当昔から使われていたようです。かつて、ある人気ドラマで使われて有名になったようですが、小学生の頃に、先生や両親などから聞かされた記憶があるお方も少なくないかも知れません。

ご承知のように、この『人』という文字は、甲骨文字の一つです。それぞれの「漢字」は様々な経路を経て誕生しているようですが、甲骨文字は、いわゆる絵文字から発展した文字で、ごく初期の絵文字からは、かなり抽象化され、いわゆる漢字に近付いている文字とされています。
甲骨文字は、中国最古の王朝とされ殷(イン・「商」とも呼ばれる。)の時代の遺跡から出土する亀の甲羅や牛などの骨に刻まれている文字のことを指します。
殷は伝説上の国家と表現されることがあるようですが、間違いなく存在した王朝です。その誕生は、紀元前17世紀の頃とされ、紀元前1046 年に周(西周)によって滅ぼされています。殷という王朝名は、この周王朝の記録にあるもののようで、殷自体の記録の中には「殷王朝」の表現は見当たらないそうです。また、「商」と呼ばれることがあるのは、殷とされる王朝の末期頃の都が「商」であったことからのようです。
そして、この殷においては、亀の甲羅や牛などの骨に占卜を行うに当たって、文字が刻まれていることが多かったようで、そこから、現在私たちもお世話になっている漢字の一部が誕生していったのです。もっとも、発掘された物から、相当膨大な数の文字が見つかっているそうですが、解明されている文字は20%にも及ばない程度だそうですから、殷は高度な文字文化を持っていた王朝であったと推定されます。

『人』という文字も、殷から伝えられた甲骨文字です。ただ、この文字が誕生する原型となったのは、「一人の人の姿を横から描いたもの」だそうで、残念ながら人と人とが支え合っていたわけではないようです。
甲骨文字は、甲羅や骨を火に炙って、その時に出来るヒビの形によって吉凶を占うものですが、その際、願い事や争い事などを甲羅や骨に文字で刻みつけたようで、その文字が後世に残されたのです。
ただ、「甲骨占卜」というこの種の占卜は、当初は、天のような存在の純粋なお告げを受けるためのものだったのでしょうが、殷から出土される物の多くには、裏面などに細工が為されていて、主催者の意志通りに結果が出るようにされていたようなのです。つまり、主催者(為政者)が、自らの方針に、天からのお墨付きのような物を付けるための、重要な政治手段だったらしいのです。

その王朝の詳しい状況は謎に包まれているとしても、殷王朝は、六百年に及ぶ歴史を刻んでいるのです。それほどの長期に王朝がが存続した陰には、清く正しく美しいだけで保てるとは思えず、権謀術数の限りを尽くした闇も満ちあふれていたことでしょう。
そうした、謎多き王朝で誕生した『人』という文字ですから、そこに多くの謎が秘められているとしても、不思議でも何でもないのかもしれません。
『人』という文字が、一人の人を横から描いたものとして誕生したものだとしても、謎多い王朝で、亀の甲羅に描かれて火に炙られ、為政者やシャーマンなどの念力にさらされ、さらに三千年に及ぶ長い期間人々の中でもまれてきているのですから、いつまでも生れたままの姿ではないのかもしれません。
やはり、「『人』という文字は、人と人とが支え合っている姿」と読み解く方が暖かさを感じると思うのですが、ある人曰く、「『人』という文字は、人の人とが押し合っている姿、争う姿を現わしているのだよ」というのですよ。
どうやら、人と人との間には、微妙で複雑なものが渦巻いているようですねぇ。

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劇的に 56号!!

2022-10-04 19:06:57 | 日々これ好日

      『 劇的に 56号!! 』

     プロ野球 ヤクルトの村上選手
     遂に 56号ホームランを放った
     55号から ずいぶんお待たせ の形だが
     最終試合 最終打席で 劇的なホームランだった
     三冠王も ぶっちぎりの成績で これまでに例がない差だ
     新しいスターの これからの活躍が楽しみだ

                     ホームラン

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子を見棄てて母を助ける ・ 今昔物語 ( 19 - 27 )

2022-10-04 08:00:28 | 今昔物語拾い読み ・ その5

       『 子を見棄てて母を助ける ・ 今昔物語 ( 19 - 27 ) 』


今は昔、
[ 欠字。年号などが入るが不詳。]の頃、高潮が上ってきて淀河が氾濫して、河の近くの多くの家が流されたが、その時、年が五、六歳くらいで色が白く、容姿端麗で気立ての良い男の子を持っていて、その子を片時も離さず可愛がっている法師がいた。

さて、その氾濫でこの法師の家が流されてしまった。ところが、その家に年老いた母がいたのに気が回らず、可愛がっていた子にも気が回らず、慌てふためいているうちに、子は河の中を流れ、母はその一町ばかり後を浮かび沈みつ流れ下っていた。
それを見て、この法師は色の白い子供が流れていくのを見て、「あれは我が子だろう」と思って、大慌てで水を掻き流されながら泳ぎ寄って見ると、やはり我が子だったので、喜びながら片手で子をつかまえて、片手で水を掻いて泳ぎ、ようやく岸に着こうとした時、ふと目をやると、母が溺れながら流されていくのを見て、同時に二人を助ける方法はないので、法師は考えて、「命があれば子はまた儲けることができる。母とは今別れると二度と会うことが出来ない」と思って、子を打ち棄てて、母が流れている方に泳いで行き、母を助けて岸に引き上げた。

母は水を呑んで腹が膨れ上がっているので、その手当てをしているところに、妻が寄って来て、「お前さんは、何とあきれた人なんですか。大切な目(マナコ)でさえ二つありますのに、たった一人だけの、白玉とも思っていた我が子を殺して、朽ち木のような、今日明日とも知れない老婆を、どういうつもりで助けたのですか」と泣き悲しんで言った。
父の法師は、「確かに、お前の言うことは道理だ。だが、明日死ぬと決まっていても、どうして母を子に代えることが出来ようか。命があれば、子はまた儲けることができる。そんなに嘆き悲しむな」となだめたが、母(妻のこと)の心はおさまることなく、声を挙げて泣き叫んでいたが、母を助けたことを仏は哀れにお思いになったのか、見捨てられた子も川下で人が助け上げたので、それを聞きつけて、その子を連れ戻し、父母共々にこの上なく喜んだ。

その夜、法師の夢に、見知らぬ高貴な僧が現れて、法師に告げて、「汝の心は甚だ尊い」と仰せられてお褒めになった、と見たところで、夢から覚めた。
「まことに殊勝な心の法師だ」と、これを見聞きした人は褒め尊んだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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主張はなかなか譲れない

2022-10-03 19:07:54 | 日々これ好日

     『 主張はなかなか譲れない 』

    ペット談義
    ネコ派がいて イヌ派がいる
    今に始まったことではないが
    両派の主張は いつも交わらないことが多い
    どちらも ペットを可愛がるということでは一緒ではないか
    などと言おうものなら
    ネコを単なるペットと言うな 犬を単なるペットと言うな
    と 変な口出しなどすれば 大やけどを受けそう
    とかく 主張というものは 交わらないものらしい

                      ☆☆☆

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歴史散策  ご案内

2022-10-03 08:02:31 | 歴史散策

       歴史散策  ご案内

     
            気軽に歴史を楽しみたい

歴史は楽しい。

それは、日本の歴史であれ、他国の歴史であれ、あるいは、どの時代のものであろうと、興味深い事実や逸話がちりばめられているからです。
その時代のさなかにあれば、とても経験できないことや、哀しさや残酷さゆえに直視できない事柄でも、数百年、あるいはそれよりも遥かに長い時間を経ることで、多くの出来事はかぐわしい香りを伴って私たちに話しかけてきてくれます。

歴史の重大な出来事さえも、気軽に散策したい。

時代小説は楽しくても、歴史そのものをテーマにした作品は馴染みにくいという人がいます。私自身、歴史を授業として学んだ頃は、少しも楽しくありませんでした。
その理由はごく簡単で、覚えなくてはならない、やがてテストがある、というのが主因でした。そもそも学問というものはそのようなもので、なにも歴史に限ったことではないのですが、「覚える必要がなく、テストもない学問」は、楽しいものなのです。

素人が書く歴史の作品ですが、それらはすべて散策ですから、学術的な真偽の追及などとは程遠いもので、ごく限られた参考文献をもとに個人的な見解を加えたものですから、ごくごくありふれた知識の羅列になる可能性もあります。
でも、散策なのですから、ぜひ、気楽にお付き合いいただきますようお願いいたします。

     ☆   ☆   ☆

なお、八編の作品を収めておりますが、時代的には逆になっておりますので、ご了解ください。

◎ 古代大伴氏の栄光と悲哀     ◎ 平安の都へ
◎ 女帝輝く世紀          ◎ 空白の時代
◎ 大和への道           ◎ 神武登場
◎ 古代からのメッセージ      ◎ うるわしき大和よ 

     ☆   ☆   ☆

 

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