雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

仏への道 ・ 今昔物語 ( 3 - 18 )

2018-09-04 08:11:52 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          仏への道 ・ 今昔物語 ( 3 - 18 )

今は昔、
天竺の王城においては、三宝(仏・法・僧を指す)を供養するにあたっては、蘇蜜(ソミツ・蘇はチーズのような物らしい。蜜は蜂蜜。)が無ければ供養を行うことがなかった。
そうした時、ある施主がいた。山寺に昇って比丘(ビク・僧)に供養を行おうとした時、蘇を持ってくるのを忘れて昇ってしまった。

その時、師僧の弟子に二人の沙弥(シャミ・見習いの僧。原始仏教では、七歳以上二十歳未満の出家者を指した。)がいた。師僧に仕えること、片時も怠ることがなかった。菜を採り水を汲み薪を拾い、朝暮に仕えること全く手を抜くことがなかった。
ところが、その師僧は放逸邪見の身(わがまま勝手で、道にはずれた考えの持ち主。)で、二人の沙弥を使うにあたって、一時の休息さえ与えなかった。

さて、この二人の沙弥が、あの忘れてきた蘇を取りに行くために寺を出て行った。しばらくたったが帰って来ない。すると施主は、沙弥の帰りが遅くなっているので様子を見るために、道に出て草の中に座って待って見ていると、二人の沙弥がやっと帰って来るのが見えた。ところが、その途中で、この二人の沙弥は突然十八変(神通力によって現出する十八種類の神秘的、超人的に所行。)を現じ、菩薩普現三昧(ボサツフゲンザンマイ・菩薩の心境といった意味か?)に入って、光を放って法を説き、前世のことを現出させた。
施主はそれを見て、不思議な思いに打たれた。そして、「あの二人は、羅漢の聖人に違いない」と思うと、限りなく尊く思って、師僧の所に急いで返り、この様子を話した。師僧もこれを聞いて不思議な思いに引き込まれた。

やがて、二人の沙弥が蘇を持って帰ってきた。師僧は二人の沙弥に向かって、「私は愚痴(グチ・愚かで正しい道理を理解しないこと)で知りませんでしたので、羅漢のお方に長年無礼を重ねてきました。願わくば、この罪をお許しください」と言った。
沙弥は、「私たちは、たまたま途中で神通を現じたため、師のお目に止まってしまいました。悲しいかな、知られてしまった上は、どのようにして師にお仕えすることができましょうか」と言って泣き悲しんだ。「師に仕えることが出来なくなったことで、仏になる事が遅れてしまいました」と言って、光を放ち、席を立つことなく、二人共に法を説いた。
師僧も施主もこれを聞いて、信仰すること限りなかった。
また、沙弥は、「私たちは初地(ショジ)に登ります」と言った。
されば、位高く、無上菩薩と申される。凡夫の姿に化身してこの世に現れ、人に使われなさったのである。

仏になる道には、障りがたくさんある。心ある人は、これを聞いて悟るべきである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


* 古代仏教の知識に乏しい筆者には、難解な一文でした。

* 最後辺りの部分を若干補足させていただきます。
「初地」とは、十地の修業階位の第一段階。
「十地」とは、菩薩が仏(如来)になるための修業階位五十二位のうち、第四十位から第五十位までの十階位を指す。
「十地」にある菩薩は、仏に準ずる等覚、仏になる正覚の二階位を目前にしていて、仏になる可能性が高いことから、高い位であり、無上菩薩と称される。

* 本稿は、菩薩が仏(如来)になるのには、多くの修業が必要とされていることを述べようとしているものらしい。
最後の部分は、「仏に成る道障多し」となっていますが、この「障」というのは、修行のことと思われます。

     ☆   ☆   ☆
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有りもしないことを言うべからず ・ 今昔物語 ( 3 - 17 )

2018-09-01 08:24:18 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          有りもしないことを言うべからず ・ 今昔物語 ( 3 - 17 )

今は昔、
罽賓国(ケイヒンコク・カンダラ国とも。ガンダーラ地方にあった。)に一人の比丘がいた。深い山に入って仏道を修業して、ついに羅漢果(ラカンカ・阿羅漢果の略。原始仏教における最高の修業階位。)を修得した。
その当時、里に一人の優婆塞(ウバソク・在家の仏教信者)がいた。牛がいなくなって捜しているうちに、この山に住んでいる羅漢の所に来てしまった。優婆塞が見てみると、羅漢が着ている黒い衣は牛の皮から出来ている。置き散らかされている法文や仏典の場所は、牛の肉を切って置かれている場所になっている。菜の置かれている所には牛の骨が置かれている。優婆塞はその様子を見て、「あのいなくなった牛は、この比丘(ビク・僧)が盗んだに違いない」と思って、帰って国王にこの事を申し上げると、国王は宣旨を下して、羅漢を捕らえて牢獄に収容させた。

この間、羅漢の弟子たちは他所に行っていたので、この出来事を知らなかった。帰ってきてみると、師の姿が見えなかった。「もしかすると、どこかへ出かけているのか」と思って尋ね回ったが、見当たらなかった。何年もかけて尋ね回ったけれど、やはり見つけることが出来なかった。
そして、十二年が過ぎた。

弟子たちは、ついに獄舎にいることを知って会うことが出来、泣き悲しむこと限りなかった。
弟子たちは国王に申し上げた。「私たちの師は、牢獄に入れられてすでに十二年になります。これはどのような罪を犯したからでしょうか。この方は、すでに羅漢果を修得しております。舎利弗・目連・迦葉・阿難(いずれも釈迦の高弟)方と変わりありません。それなのに、私たちはこの人がいなくなって十二年の間、捜し回りましたが会うことが出来ませんでした。今ようやく、獄舎において会うことが出来ました。願わくば大王、この方をお許しください」と。

大王はこれを聞いて、驚いて使いを獄舎に遣わして調べさせた。使者が獄舎に行って見てみると、俗人姿の男ばかりで比丘の姿をした男はいない。どうやら、あの比丘は十二年の間頭を剃っていないので、長髪になり自然と還俗(ゲンゾク・出家者が俗人に戻ること)した姿になっていたのである。
そこで使者は、「この中に、獄舎に入って十二年になる比丘はいるか」と四、五度ばかり叫ぶと、一人の俗人姿の男が返事をして出て来た。
男は、獄舎の門を出ると、すぐさま十八変(修行者が得た神通力によって現出する十八種の神秘的、超人的な所業。)を現じて光を放って大空に昇った。

その時、国王の使者はこの人に尋ねた。「あなたは、どういうわけがあって、羅漢の聖者でありながら獄舎に捕らわれていたのですか」と。
羅漢は、「私は前世に人として生まれていた時、たった一度有りもしないことを言って人に罪を着せたことがあった。それゆえ今、羅漢果を修得したといえども、未だにその時の報いを受けていなかった。それで、この度その罪を滅することになったのです」と言って、たちまち光を放って大空に昇って姿を消した。
使者は、帰ってこの事を国王に申し上げた。国王はそれを聞いて、たいそう罪を恐れられた。

されば、花が開けば必ず果を結ぶ。罪を作れば必ず果報がやって来るのである。それゆえに、阿含経(アゴンキョウ)には自業自得果と説かれている。心ある人は、この事を知って罪を作ってはならない。また、有りもしないことを言って人に罪を着せてはならない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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孝養の徳 ・ 今昔物語 ( 3 - 16 )

2018-08-29 08:24:46 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          孝養の徳 ・ 今昔物語 ( 3 - 16 )

今は昔、
摩謁提国(マカダコク・古代インドの大国の一つ)に一人の貧しい老女がいた。年齢は八十余歳である。一人娘がいた。年齢は十四歳である。母に孝行を尽くす心が深かった。

その国の大王の行幸があった。国の上下の人はこぞってその姿を見ようと思った。
その老母が娘に尋ねた。「娘よ、明日は大王の行幸があるとのこと、お前も見に行こうと思っているのか。もしお前が出て行けば、私は水さえ飲めなくなってしまう」と。娘は、「私は決して見に行きません」と答えた。

行幸の日、娘は母のために菜(ナ・ここでは食用の野草を指す)を採るために出かけたところ、偶然に大王の行幸に出会った。この女は、決して見ないようにして屈んでいた。
その時に大王は、遥かにこの女を見て、「向こうに一人の下女(下賤な女。上流階級の女性でないことを指している。)がいる。全ての人が私を見ようとしている。あの女一人が私を見ようとしていない。もしかすれば何かわけがあるのだろうか。目が見えないのか、容貌が醜いゆえなのか」と仰せになって、輿を止めて使いを遣わして尋ねさせたところ、女は、「私は、目も、手足も不自由はありません。また、大王の行幸を非常に見たいと思っております。しかし、家に貧しい老母がおります。私だけで老母の世話をしております。孝養を尽くすことで手一杯です。もし王様の行幸を見るために出かけてしまえば、母への孝養を怠ってしまいます。そういうわけで、行幸を見ないことにしているのです。ただ、母に食べさせるために菜を採りにちょっと出かけましたところ、偶然行幸に出会ってしまったのです」と申し上げた。

大王は、その報告を聞くと、輿を止めて、「あの女は、世にも希な感心な心の持ち主である。すぐにここに連れて参れ」と命じ、近くに呼び寄せると、「お前は、世にも稀な孝養心の深い娘である。今すぐに、私の供をせよ」と仰せになった。
女は、「大王様の仰せは大変嬉しゅうございます。ですが、家に貧しい老母がおります。私一人で世話しなくてはなりません。そういうことでございますから、まずは帰りまして、この事を母に申して、許しを得ることが出来れば、返って参ります。やはり、今日一日のご猶予を頂きとうございます」と申し上げた。
大王がお許しになったので、女は母の所に帰って、まず母に言った。「なかなか帰って来ないと思っていたのではないですか」と。母は、「少し思っていましたよ」と答えた。そこで娘は、「大王様から、このような仰せがありました」と話すと、母はそれを聞いてたいそう喜び、「私はお前を生んで育てている間、国王の王妃になることが出来ればと思っていたよ。その願いが叶えられそうだ。今日、大王様自ら仰せになられたことは、とても嬉しい。願わくば、十方(ジュッポウ・あらゆる方向)の諸仏如来よ、加護をお与え下さい。我が娘は、私への孝養の心がとても深い。その徳によって、必ず大王がお忘れになることなく娘を迎えに来てください」と願った。

その日は暮れた。
大王は宮殿に還ったが、あの下女のことが忘れ難く思っていたので、車三十両を以って、明くる日に迎えに遣った。
女の家には、明くる日の朝、貧しい家の門に思いがけないほど多くの車の音が聞こえた。たまたま通り過ぎる車列だと思っていると、「この家か」と問う声が聞こえる。
使者が入ってきて、七宝で飾り付けられた輿を横付けした。母は我が娘に、微妙(ミミョウ・何ともいえない美しさ)の衣服を身に着けさせた。そして、その輿に乗せて、いよいよ王宮に向かって出立した。老母はその姿を見て、涙を流して喜ぶこと限りなかった。
大王はこの娘を迎え入れたが、これまでの三千人の寵愛の后は皆この娘より見劣りした。終日終夜娘をご覧になられたが、なお見足りない思いであった。この為、天下の政務は止まってしまい、万事に支障が起きた。

これは、他に理由があるはずがない。母に孝養を尽くした徳によって、現世において転身して、后になったのである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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布施の偉大さ ・ 今昔物語 ( 3 - 15 )

2018-08-26 08:24:46 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          布施の偉大さ ・ 今昔物語 ( 3 - 15 )

今は昔、
天竺の摩竭提国(マカダコク・古代インドの大国)にある王がいた。王には、五百人の太子(王子)がいた。それぞれ成長して、各自分相応に威勢を誇って、皆世間をほしいままにした。
その中の長男を、燼杭太子(ジンコウタイシ)と言った。身体の色は墨のように黒い。髪の赤きことは火が燃えているかのようである。容貌の醜い事は鬼神と変わらなかった。王と后はそれ嫌って、方丈の室(一丈四方。約3m四方の広さで、軟禁用の密室。)を造って、他人に見せることなく寝かせておいた。

そうした時、他国が軍を起こし、この国に兵を向け攻め滅ぼそうとした。
そこで王は、数千万の軍平を整えて合戦に臨んだが、この国の軍勢は、数も劣り、勇猛さも劣り、間違いなく討ち滅ぼされそうになった。その状況に王宮は大騒ぎとなり、逃げ出さなければならないことを嘆き悲しんだ。

その時、燼杭太子は室内において王宮が騒いでいるのを聞いて、乳母を呼んで尋ねた。「いつもと違って宮中が騒がしい。何事が起きたのか」と。乳母は、「太子は御存じありませんでしたか。他国の軍勢がやって来て、この国を討ち滅ぼそうとしているのです。そのため、大王・后・王子たち、全員が他国に逃げ去ろうとされているのです。太子もどこかへ脱出しなくてはなりません」と答えた。
燼杭太子は、「そのような事なら、大したことでもあるまい。どうして我にもっと早く言わなかったのか。これから我が行って、その軍勢を追い返そう」と言って、起き上がった。
乳母はこの事を大王に申し上げたが、大王は全く信じなかった。

その時に燼杭太子は父の大王の前に出てきて、「我が、あの敵軍を追い払おうと思います」と申し上げて、人を呼び寄せ、「我が祖父の転輪聖王(テンリンジョウオウ・正義をもって天下を統治する王の称。)の御弓が、この宮殿の天井裏にある。探して持って参れ」と命じた。
弓を探し出して持ってくると、燼杭太子は喜んで、弓を取って弦を打ち鳴らすと、その音はたちまち四十里先まで及んだ。雷電の響きのようであった。太子は、この弓に矢一手(ヒトテ・最初に射る甲矢と次に射る乙矢の二本一組を指す。)を添え、また法螺貝一つを腰に付けて、ただ一人で王宮を出た。
父の大王と母の后は泣く泣くとどめて、「軍兵に加わる者は、生きて帰ることが出来るのは万人に一人である。お前は容貌が醜いとはいえ我が王子である。すぐにとどまって行ってはならない」と命じた。
しかし、太子は留まることなく、急いで敵の軍勢の前に行って、まず法螺貝を一度さらにもう一度吹くと、多数の軍兵が恐怖に襲われて地に倒れた。次に、弓の弦を打つと、皆逃げ去っていった。
すると太子は、「弓の弦を打っただけでこのようである。もし、一矢を放てば、千万の軍勢とて恐れるに足らない」と敵軍に向かって言い懸けて王宮に引き上げた。
大王は喜び、「私は五百人の太子を養育してきたが、敵軍に対して全く力が及ばなかった。お前一人だけが、わが子といえる」と言って喜ぶこと限りなかった。

こうして太子は、五十歳にして初めて「妻を迎えよう」と言った。そして、「下品(ゲボン・下賤の階層)の人では駄目だ。上品(ジョウボン・上流階級)の人を迎えよう」と言うので、父の大王は、「下品の人でさえ、この太子の容貌を見れば近づくまい。いわんや上品の人が嫁に来るはずがない。わが国の人は、皆この太子の様子を知っている。されば、他国の王の娘を燼杭太子に嫁がせることにしよう。けれども、容貌が醜いので昼は会わすことが出来ない」と思い悩み、夜陰にまぎれて契らせた。

その後、月日が経って、大王は、「私には五百人の嫁がいるが、未だ会っていないので、皆と会いたいものだ。そうだ、花見の宴を設定して、この嫁たち一人一人を見よう」と思って、開催の日を定めて「花見の宴を開く」とふれを出した。
大勢の嫁たちは、衣裳の袖口を整え(袖口の見栄えもおしゃれの重要な要素であったらしい。)、極上の絹物を身にまとった。付き従う侍女たちも、衣装を染めたり洗い張りしたりして、青・黄・赤・白など色の限りを尽くして、薄い色や濃い色など衣裳を調整した。
やがてその日になると、それぞれ南殿(ナンデン・正殿)の前の前庭にある池の中の島に集まり、あるいは船に乗って舵を取り、あるいは筏に乗って竿を指している。また、前庭の中で花をもてあそび、あるいは虫の音を聞いて詩歌を吟じるなど、それぞれに宴を楽しむ。
大王・后は立派な簾を巻き上げてこの様子を見る。宮中の上下の人はあらゆる人がこれを見て、その数は数えきれない。天下の見もので、これを超えるものなどあろうか。燼杭太子の妻も、夫はいないが出席していて宴を楽しんだ。

すると、一人の命婦(ミョウブ・日本的な表現で、五百人の妻の内の一人。)が燼杭太子の妻を笑って言った。「どうして、あなた一人が宴を楽しんでおられるのか」と。また、他の命婦は、「御夫君は美男でございますのに」と言った。
燼杭太子の妻は、恥じて引き下がった。そして、密かに乳母に、「人が何かと言っている。我が夫の姿を見ようと思っているのでしょう。夜になって夫が来たならば、灯をともして夫の姿を見せなさい」と命じた。乳母は命じられたように、太子がやって来た時、突然灯りをともした。
妻は夫の姿を見たが、その容貌は鬼神のようであった。妻はその姿を見て、逃げて隠れてしまった。太子も恥じて帰ってしまった。
その妻は、その夜の内に実家のある国に帰ってしまったので、太子の嘆きはこの上なかった。このため太子は、夜が明けると、深い山に入り、高い所から身を投げたが、樹神(ジュジン・樹木に宿る精霊)が現れ、太子を掬い取って平地に座らせた。

その時、帝釈天が現れて、太子に一つの玉を授けられた。太子は、「私に玉をお与えくださったのはどなたでしょうか。私は愚痴(グチ・愚かで正しい道理を理解できないこと。)なるが故に存じ上げません。もしかすると、仏がおいでになられたのでしょうか。それならば、私の前世での所業をお教えください」と言った。
帝釈天は、「お前の前世は貧しい人の子であった。その時、乞食(コツジキ・托鉢)の僧がやって来て油を乞うたが、お前の父は『清い油を与えなさい』と言ったが、お前は清い油を惜しんで、汚れた油一夕(イッシャク・一勺。一合の十分の一。)を与えた。この功徳によって、父は国王として生まれ、お前は王子として生まれたのである。ところが、お前は、汚れた油を与えたので、姿形が醜い身となったのである。私は帝釈天である。お前を哀れに思い、髪に玉を懸けたのである」と仰せられて去った。

その後太子は、容貌が端正になり光を放つようであった。
やがて、王宮より使者が太子を尋ねて来たが、太子を見て、「もしや、これは仏であられるのか、あるいは、私が尋ねてきた太子なのでしょうか」と言った。太子は、「私はお前の主である燼杭太子である。突然姿が変わり光を放つのは、どうやらこの手にすることが出来た玉のせいらしい」と言って、球を取って他に置くと、もとの容貌になった。また玉を懸けると、端正な姿になって光を放った。
こうしたことがあり、使者が太子を王宮に連れて帰ると、父の大王が出迎えて、太子の姿を見て、事の次第を尋ねると、太子は一つ一つ語った。それを聞いて、大王と后は喜ぶこと限りなかった。

数日経って、太子は妻の本国へ行った。
妻は夫を見ると端正美麗なので心の内で嬉しく思った。また、舅の国王も喜んで、太子に国位を譲った。そして太子は、妻を連れて自分の国に帰った。すると、太子の父の大王も、国位を譲った。
こうして太子は、両国の王となって、天下を思いのままに統治した。
油一夕を僧に布施した功徳はこれほどに大きい。いわんや、万灯会(マントウエ・懺悔滅罪を祈願して、一万の灯明をともして仏菩薩を供養する法会。)を主催する人の功徳は思いやるべし、と仏(釈迦仏)がお説きになった、
となむ語り伝へたるとや。

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金剛醜女の前世 ・ 今昔物語 ( 3 - 14 )

2018-08-23 08:11:40 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          金剛醜女の前世 ・ 今昔物語 ( 3 - 14 )

今は昔、
天竺の舎衛国に王がいた。波斯匿王(ハシノクオウ・釈迦と同時代の人で、仏教を厚く保護した。)という。后は末利夫人(マリブニン)という。
その后は、容姿麗しく美しいこと、十六の大国(当時、西・北インドには十六の大国が栄えていた。)に並ぶ女性はいなかった。その后は、女の子を一人生んだ。その女の子の姿は、まるで毒蛇のようであった。その臭いにおいは、人を近づけないほどであった。太い髪は左に巻いていて、鬼のようであった。(毛髪は細くて柔らかく右に巻いているのを吉相とされ、その逆は異端の相で鬼類の髪。)容姿のすべてが人には似ておらず、そのため、この女の子の様子は、大王・后・乳母三人ばかりが知っているだけで、他の人には全く知らせなかった。
大王は后に、「そなたの子は、まさに金剛醜女(コンゴウシュニョ・女らしさのない金剛力士のように逞しく、しかも醜い女、といった表現。)だ。はなはだ恐ろしい。速やかに、別の場所に移るように」と命じて、宮殿の北に二里(どの程度の距離か不詳。現在の二里よりはずっと短いようだ。)離れた所に、方丈(一丈四方。3m四方。)の部屋を造り、乳母ならびに女房一人をつけて、その部屋に閉じ込めて、決して外出させなかった。

金剛醜女が十二、三歳になった頃、母の末利夫人が端正美麗なことからきっと娘も美しいものと推し量って、十六の大国の王が、いずれも后に迎えたいと申し出た。しかし、父の大王は申し出を受け入れず、一人の男をいきなり大臣に就けて、その男を婿といって、その金剛醜女のそばに付かせた。この大臣となった男は、予期していなかった、このような恐ろしい事にあって、一日中嘆き悲しむこと限りなかった。
しかしながら、大王の仰せに背くことも出来ず、金剛醜女の部屋で過ごした。

そうした時、大王は生涯で一度の大誓願として、僧俗を招集して法会を行った。金剛醜女は大王の長女ではあるが、その姿が醜いがゆえに、この法会には参加しなかった。
多くの大臣は、金剛醜女の様子を知らないため、法会に参加しないことを怪しみ疑って企んだことは、婿となった大臣に酒を飲ませて、酔わせたうえで腰に指していた部屋の鍵をそっと盗み取って、下級官吏に様子を見させるために彼の部屋に行かせた。
その金剛醜女は、下級官吏が様子を見に来る前に、室内で一人嘆き悲しんで祈った。「釈迦牟尼仏(シャカムニブツ・釈迦の尊称)よ、願わくば、私の姿をすぐさま美しくして、父の法会に参加させてください」と。
すると、仏が庭の中に姿を現した。金剛醜女は仏の相好(ソウゴウ・完全無欠な吉相)を見奉って歓喜した。これによって、たちまちのうちに金剛醜女の身に仏の相好を移すこととなった。
「夫となった大臣にこの事を早く伝えよう」と思った頃、使いを命じられた下級官吏は、そっとやって来て物陰から見ていると、部屋の内に一人の女性がいるのが見えた。容姿端麗なること、まるで仏のようであった。
使いの下級官吏は戻って、多くの大臣に報告した。「私などでは表現することも出来ないほどの美しさで、これまでに、これほど美麗な女性を見たことがありません」と。

婿の大臣は、酔いから覚めて部屋に戻ってみると、見知らぬ美麗な女性がいた。
近くに寄ることもせず、疑わしく思いながら、「私の部屋に、どなたが参られたのか」と尋ねた。女は、「私はあなたの妻の金剛女ですよ」と答えた。
夫が「そんなはずはない」と言うと、妻は「私は、急いで父の法会に出たいと願っていましたところ、釈迦仏のお導きによって、このような姿に変わりました」と言う。夫である大臣はこれを聞いて、大急ぎで走り返って、大王にこの事を申し上げた。
宮殿にいた大王と后は、これを聞いて驚き、ただちに輿に乗って彼の部屋に行ってご覧になると、まことに世に比べる者とていないほどの美しさであった。早速に娘を迎えて宮殿に連れて帰った。

娘の願い通りに法会に参加すると、大王は娘を連れて釈迦仏の御許に参って、この事を一つ一つお尋ねになった。
仏は、「この女人は、前世において、あなたの家の飯炊き女でした。その時、あなたの家に一人の聖人がやって来て布施を受けました。あなたは善果を積む志があって、一俵の米を置いて、家中の上下を問わず多くの人に米を握らせて、僧に供養をさせました。その中にこの女人もいて、供養しながら、僧の容貌が醜いことを謗ったのです。僧は、すぐさまあなたの前に来て神変(ジンペン・神通力を発揮して、人智の及ばない不可思議な現象を現出すること。)を現じ、大空に昇って涅槃に入った。女人はそれを見て、泣いて僧を謗った罪を悔いて悲しみ、僧を供養したので、今の世で大王の娘として生まれたのです。しかし、僧を謗った罪によって、鬼(金剛醜女)の姿になったのです。されど、また懺悔したゆえに、今日わたしの導きを得て、鬼の容貌が改められて、端正となって、永く仏道に入ったのです。このように、僧を誹謗してはならないのです。また、たとえ罪を作るようなことがあっても、心を尽くして懺悔しなさい。懺悔は、第一の善根を積む道なのです」とお説きになられた、
となむ語り伝へたるとや。

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食べ物の恨み ・ 今昔物語 ( 3 - 13 )

2018-08-20 08:32:35 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          食べ物の恨み ・ 今昔物語 ( 3 - 13 )

今は昔、 
仏(釈迦)が悉達太子(シツダタイシ・・悉駄、悉達多、シッダールタとも。釈迦の出家以前の名前で、「悟りを得た者」といった意味があるが、実名ではなく、後世に付された尊称とされる。)と申されていた時、三人の妻がいらっしゃった。
その中に、耶輸多羅(ヤシュダラ)と申す人がいた。その人のために、太子は丁重にもてなされたが、それを感じ取る心が無かった。太子がたくさんの珍しい宝物を与えられても、まったく喜ぶことがなかった。
太子が仏になられた後、あの耶輸多羅の宿業(シュクゴウ・現在の果報をもたらした過去世の所業。ここでは、妻の歪んだ性格の原因。)を説いて仰せになられた。

「あの人の前世の時代のことである。天竺に加羅国という国があった。その国に王がいた。その后をハラナバといった。その王は、はなはだ乱暴暴虐で、邪悪な心の持ち主であった。その王に一人の太子がいた。その太子がちょっとした罪を犯し、国王は太子を国外に追放した。
そこで太子は、妻を連れて国境を出て、ある社の傍に宿ることになった。食べる物とてないので、自ら弓矢を取っていろいろな獣を殺して、それを食べて日を過ごしていたが、世間から食べ物が全て無くなってしまい、飢渇に追い込まれた。狩や漁も出来なくなり、飢え死にしそうになっていった。
すると、たまたま大きな亀が這っているのを見つけた。これを殺して甲羅をはがして鍋に入れて煮たが、太子は妻に、『お前は水を汲んできなさい。これをよく煮て一緒に食べよう』といった。妻は夫の言葉に従い、水を汲むために桶を頭にのせて遠い所まで行った。

その間に、太子は飢餓の苦しみが堪えない状態となり、いまだ煮えていない亀の肉を一切れずつ取って食べているうちに、亀の肉をみな食べてしまった。太子は、水を汲みに行かせた妻が帰ってきて尋ねられると、何と答えればよいだろうかと嘆きながら考えていると、妻は水を入れた桶を頭にのせて、弱り切った様子で帰ってきた。そして、鍋の中を見ると、亀の肉が無くなっている。
『亀の肉はどうして無くなってしまったのですか』と尋ねると、太子はうまく答えることが出来ず、『ぐっすり眠ってしまっているうちに、生煮えの状態だった亀は、そう、亀は命長い者なので、海に走り込んでしまったのだ』と答えた。
妻は、『よくもそんなことを。あなたは嘘を言ってるのでしょう。甲羅を取って、切って鍋に入れてよく煮た亀が、どうして逃げて海に入ることが出来ましょうか。ありのままに「飢えに堪えられず食べてしまった」と言うべきです。私が飢えて弱り切っていながら、遥かに遠い所に行かせておいて、あなた一人で食べてしまったのです。もし私がそばにいたとしても、あなたが食べるのを止めることは出来なかったことでしょう』と言って、恨むこと限りなかった。

やがて、父の王が重い病を得て急に亡くなったので、この太子を呼び戻して国の王とした。太子の妻も后となった。
その後、王は国を治めて財宝を后に自由に与えた。しかし、そうしても后は少しも喜ばなかった。王は后に、『このように、何もかもそなたの自由にさせているのに、どうして喜ばないのか』と尋ねた。后は、『今になって、すべてを自由にさせていただいても、嬉しいことなどありません。あの時、私が飢え死にしていれば、財宝を得て、すべての物を自由にすることは出来なかったでしょう。これはひとえに、国を統治して財宝をたくさん得ることが出来るようになって気前良くふるまっているのです。堪え難い時には、亀の肉さえ独り占めして食べ、私には一切れさえ残しておこうとはされませんでした』と言って、喜ばなかった。

その時の、亀の肉を一人で食べた太子は、今の私なのです。水を汲みに行った妻は、今の耶輸多羅なのです。この事によって、生まれ変わって夫婦となっても、このように睦まじくなれないのです。わずかな亀の肉によって、太子は虚言をし、妻は瞋恚(シンイ・怒りの心)を起こしたのです」と、お説きになった、
となむ語り伝へたるとや。

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二羽の鸚鵡 ・ 今昔物語 ( 3 - 12 )

2018-08-17 08:15:26 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          二羽の鸚鵡 ・ 今昔物語 ( 3 - 12 )

今は昔、
天竺に須達長者(シュダツチョウジャ・釈迦と同時代の人物)という長者がいた。仏法を信じ敬い、多くの比丘(ビク・僧)のために檀越(ダンエツ・施主)として常に比丘を供養(ここでは、飲食や生活用品を提供すること。)した。
その長者の家に、二羽の鸚鵡(オウム)という鳥がいた。一羽をリツダイといい、もう一羽をシャリツダイという。この鳥は、畜生とはいえ智恵があって、その家に比丘が来た時には、この鳥がまず出てきて比丘を見て、家の中に入って長者に告げて送迎した。
このようにして数年が過ぎた。

ある時、阿難(アナン・釈迦の高弟の一人で、従兄弟にあたる。)が長者の家にやってきて、この二羽の鳥が聡明なのを見て、鳥のために四諦(シタイ・・諦は心理のことで、苦・集・滅・道の四真理。)の法を説いて聞かせた。
その家の門の前には樹木があった。この二羽の鳥は、法を聞くために樹の上に昇り、法を聞いて歓喜し、その教えをしっかりと身につけた。

その夜、二羽の鳥は樹の上で寝たが、タヌキ(イタチか?)に喰われてしまった。
「法を聞いて歓喜したことで、この二羽の鳥は四天王天(シテンノウテン・欲界の第一天。四天王が司り仏法を守護する欲界の一番下の天。)に生まれるであろう。その天での命が尽きれば、順に上位の天に昇り、他化自在天(タカジザイテン・欲界の第六天。最上位の天。)まで生まれ変わる。かくの如くして、六欲天の間を上下七度輪廻転生して、それぞれの天界での寿命が尽きた後には、人間界に生まれて、出家して比丘となり、仏道を修業して、辟支仏(ビャクシブツ・仏に一度聴法した後、山林等に籠ってひたすら観想を行じ、独学自修した聖者を指す。)になることが出来るであろう」(この部分、誰が予言しているのか不明。阿難と考えるのが自然だが、仏弟子が未来果を予言する例は他にないらしい。)
一人はドンマと名付けられ、もう一人はシュドンマと名付けられる。

これを以て思うに、法を聞いて歓喜する功徳は計り知れない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
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竜王の娘 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 3 - 11 )

2018-08-14 08:05:04 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          竜王の娘 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 3 - 11 )

     ( (1)より続く )

こうして竜王は、池より出て、人の姿になって釈迦族の男に向かってひざまずいて申し上げた。「かたじけなくも、貴種のあなたは、いやしき身を差別することなく、怪しき姿をご覧になられました。願わくば、私たちの棲み処にお入りください」と。
釈迦族の男は、竜王の申し出を受けて竜宮に入った。
見てみれば、七宝の宮殿であった。金の木尻(コジリ・垂木の端を覆う金具)、銀の壁、瑠璃の瓦、摩尼珠の瓔珞(マニシュのヨウラク・宝玉の胸飾り。ここでは壁飾りか?)、そして栴檀の柱である。光を放つこと浄土のようであった。内部には、七宝の帳(チョウ・とばり。室内を仕切る垂れ布。)が立てられていてたくさんの装飾が施されている。想像を絶する美麗さであり、目にまばゆいほどである。
また、高層の美麗な宮殿などもある。その中から、宝玉の冠をつけ、百千の瓔珞を垂らした威厳のある気高い人が出てきて、男を出迎えて上がらせ、七宝の床の上に座らせた。様々な樹木があり、それには宝玉の瓔珞が掛けられている。大きな池があり、装飾された舟が何艘もある。百千の音楽が演奏される。多くの大臣・公卿など百千万の人がそれぞれの身分に応じて居並んでいる。
あらゆる接待は、どれも心に適わぬものはなかった。
しかしながら、釈迦族の男は思った。「このようにすばらしい事ばかりであるが、本当は、蛇(クチナワ)がとぐろを巻いて、うごめき合っているのであろう」と。常に空恐ろしい気持ちでもあった。
そして、「何とかして、ここから脱出して、人里に行こう」と思った。

竜王は、そのような男の様子を見て、[ 欠字あり。一行分欠落しているらしいが、内容不詳。]一の国の王としてこの世界にいてください」と言ったが、男は、「私が願うものではありません。ただ、もとの国の王になれるものなら、と思っています」と言う。
竜王は、「そのような事は容易いことです。この竜宮の世界というものはねぇ、無量の宝を思うままに七宝の宮殿に満ちていて、人間世界より広く果てのない国であり、不老長寿の身として過ごされるのは良い事だと思うのですが、そうとはいえ、ひたすらもとの国で過ごしたいと願われるのは、それも、因縁というものなのでしょうか」と言って、「どうしてもそうなされるのなら、これをご覧下さい」と言って、七宝で飾られた箱の中に美麗な錦に包まれた剣が入っているものを見せた。
そして、これを与えるにあたって、「天竺の国王は、遠い所からの献上物を必ず自ら手移しで受け取られます。されば、その時に引き寄せて突き殺しなさい」と教えた。

釈迦族の男は、竜王の教えを受けて、もとの国(釈迦族であれば、故国はカピラエ国となるが、別の国らしい。)に行き、国王の御許に参ってこの宝の箱を奉ると、竜王が言っていたように、王自ら手移しに受け取ろうとされたので、袖を捕まえて突き殺してしまった。
大臣・公卿や様々な人は、大騒ぎとなり、この釈迦族の男を捕らえて殺そうとしたが、男は、「この剣は、神がお授けになった物で、『国王を殺してお前が位に就け』と仰せになったので、王を殺したのである」と言って、剣を抜いて床に突き立てると、大臣や公卿は、「そうであれば、仕方あるまい」と言って、男を王位に就けた。
その後、男は善政を行ったので、国の人々は皆敬い畏まって、すべてについて従った。

さて、王位に就いた釈迦族の男は、大臣・公卿・百官を率いて竜宮に行き、后を迎えて国に帰った。
王は后を大切に夫婦として過ごしていたが、この后には竜身の頃の習性が残っていて、普段は美しく清らかで申し分のない女性なのに、寝入った時と、二人が男女の情を交わす時には、后の御頭より蛇(クチナワ)の頭が九つ指し出てきて、舌なめずりをするので、そのことに王は少しばかり疎ましくなり、后が寝入っている時に、いつものように指し出てきて舌なめずりしている蛇の頭どもを、皆切り捨ててしまった。
すると、后は目覚めたあとで言った。「私自身にとっては悪い事ではございませんが、御子孫方は、代々末永くに渡って頭をお病みになり、国中の人も、頭の病に悩むことでしょう」と。

この事によって、后が言ったように、この国のあらゆる人たちは、すべて頭を病むことが絶えなかったのである、
となむ語り伝へたるとや。

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竜王の娘 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 3 - 11 )

2018-08-11 08:19:59 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 3 - 11 )

今は昔、
天竺には四つの姓の人が、国王になる。これ以外には、国王の血筋の人はいない。( この部分意味不詳。「四つの姓」は、古代インドの身分制度を表す四姓[婆羅門(司祭)・王族・庶民・奴隷]の事と考えられ、国王となれるのは王族だけで、四姓云々というのは混乱があるらしい。)
そのうちの釈種(シャクシュ・釈迦族)というのは、釈迦如来の御一族を言う。その中で殺生をした人は、この氏の人として生まれ変わることはない。仏の御一族だからである。

ところで、舎衛国(シャエコク)に流離王(ルリオウ・毘流離王とも)という人がいて、迦毘羅衛国(カピラエコク)の五百人の釈迦族を殺害した時、釈迦族は全員が武芸を身に付けていたが、この一族の教えとして、自分の命が死に直面しても人を殺すことがなかった。そのため、あえて合戦することもなく殺されてしまった。
その時、四人の釈迦族の男は、毘流離王と合戦に及んだ。そのため、この四人は、釈迦族から絶縁されて、国境から追放されてしまった。

その中の一人は、流浪する間に行き疲れて、途中で休んでいると、一羽の大きな雁が現れた。その雁は、その男に向かい合って、少しも恐れることなく慣れ親しんできた。男が近づいても逃げようとしないので、釈迦族の男はその雁に乗った。
すると、この雁は遠くに向かって飛び立った。遥か遠くまで飛んで、何処とも分からぬ所に降りた。見てみると、池のほとりであった。木の繁っている陰に入って、とりあえず身体を休めようとしたが、そのまま寝入ってしまった。

その時、この池に住む竜の娘が出てきて、水のほとりで遊んでいたが、この釈迦族の男が寝ているのを見つけた。
竜の娘は、この男を夫にしようという気持ちがたちまちのうちに生じたが、「この者は人間に違いない。私は、このように池底深くに棲む怪しい身である。きっと、怪しい者だと思い、賤しい者と軽蔑することだろう」と思って、人の姿に身を変えて、さりげなく遊び歩いて、男を見つめながら近づき、物語などして親しくなった。

しばらく経っても、釈迦族の男は、なお娘に不審なものを感じながら、「私はこのように旅で汚れたみすぼらしい身です。数日物も食べておらず、痩せ衰えて汚げですし、衣服もみな汗がついて穢れていて、ひどくみっともない姿です。それなのに、どうしてもったいなくもこのように親しくしてくださいますのか。何とも空恐ろしいと思われるでしょうに」と言った。
それに答えて竜の娘は、「父母の教えによって、このような次第になったのです。このような運命的な出逢いにより、もったいなくも契りを結んだのですから、私の申し出を聞いていただけますでしょうか」と言った。男は、「何なりと、お申し通りに致しましょう。このように契りを結んだのですから、私は去り難く、あなたを大切に思っております」と言うと、竜の娘は、「あなたは高貴な釈迦族のお方ですが、私は賤しい身でございます」と言う。

男が「あなたが賤しい身だなんて、とんでもありません。私こそこのような放浪者で下賤の身です。それにしても、ここは山深く、池はとても大きく、人の住む所とは思われません。お住まいになっている所はどこなのでしょうか」と尋ねると、竜の娘は、「申し上げますと、きっと疎ましく思われることでしょうが、このような関係になりました上は、隠し通すことなど出来ますまい。実は、私はこの池に住む竜王の娘でございます。かくも高貴な釈迦族のお方が追放されて、放浪されているとお聞きしていましたが、幸運にも、この池のほとりで休まれていましたので、このように参上いたしまして、寂しさをお慰めし、契りを結ぶことになりました。ただ、私は、前世で罪を作ったため、鱗を持つ身を受けてしまいました。人と獣とははっきりと境界が異なっています。それゆえ、何事につけ身を慎んでおります。家はこの池の中でございます」と言うと、男はそれを聞くと、「すでに契りを交わした上は、夫婦として暮らそう」と答えた。

竜の娘は、「とても嬉しゅうございます」と喜び、「今日からは如何なることも仰せに従います」と言った。
釈迦族の男は、「私は、前世に積んだ功徳の力によって、釈迦族の家に生まれることが出来ました。願わくば、この竜女を人間に変えてください」と祈ると、その誓願により、竜女の身はたちまち変じて人間となった。その時の男の喜びようは大変なものであった。
竜の娘は、「私は前世の罪によって、このような悪趣(アクシュ・悪道。竜蛇として生まれたことを指す。)に生まれました。無数劫(ムシュコウ・永劫。劫は古代インドの時間の単位で、果てしないほど長い時間のこと。)の間この苦しみを免れることは出来ません。今、あなたの福徳によって、この身を刹那(セツナ・古代インドの時間の単位で、最も短い時間。)のうちに転じて、人間になりました。『この身を以ってあなたの徳に報いたい』と思っていますが、賤しい身を以って如何にしてこの徳を報じることが出来るのでしょうか」と言う。
男は、「何を報ずるというのでしょうか。二人が契りを結ぶことになったのも、前世の因縁によるものです。今となっては、夫婦として暮らすべきです」と言った。
女は、「このままの関係ではよくありません。父母の所に行って、こうなった事を伝えます」と言って、父母のもとに行き、「私は今日池を出て遊んでおりましたが、釈迦族の人に逢いました。そして、その人の功徳の力によって、もう完全に人間になりました。その人と一度結ばれることにより、その功徳はさらに深まり、互いに夫婦の約束をいたしました」と告げると、竜王はそれを聞いて、娘が人間になれたことを喜び尊んで、釈迦族の男を敬うこと限りなかった。

                                ( 以下(2)に続く )

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四十九日の勤め ・ 今昔物語 ( 3 - 10 )

2018-06-18 08:44:17 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          四十九日の勤め ・ 今昔物語 ( 3 - 10 )

 今は昔、
金翅鳥(コンジチョウ・古代インドの伝説上の巨鳥。前話にも登場。)という鳥がいた。その鳥は、須弥山(シュミセン・仏教的世界観で、宇宙の中核をなす巨大な山。)の切り立った岩壁の洞窟に巣を作って、子供を生み置いていた。須弥山は、高さ十六万由旬(ユジュン・一由旬は牛車の一日の行程分の長さとされる。7kmなど諸説ある。)の山である。水の際より上に八万由旬、下に八万由旬である。その水の際より四万由旬の所にこの鳥は巣を作っている。

また、阿修羅王(アシュラオウ・帝釈天の妻の父とされるが、経説でも一定していないらしい。)という人がいた。身体が極めて大きい人である。住まいが二か所あり、一つは海のほとり、もう一つは大海の底である。その海のほとりというのは、須弥山の谷間で大海の岸にあたる。
阿修羅王は、須弥山を揺り動かして、金翅鳥が巣に生み置いている子供を振るい落として食らおうとしていた。

そのため、金翅鳥はこの事を嘆き悲しんで、仏(釈迦)の御許に参って仏に申し上げた。「海のほとりの阿修羅王の為に我が子が食べられています。どうにも打つ手がありません。どのようにしてこの難を逃れるべきでしょうか。願わくば仏、それを教えてください」と。
仏は金翅鳥に告げられた。「お前たちよ、『この難を逃れたい』と思うのであれば、世間には人が死んだ後、七七日(シチシチニチ・四十九日)に仏事を行う所があり、比丘(ビク・僧)が立ちあっていて、供養を受けて呪願(シュガン・施主に対する仏の加護を祈ること)して施食(セジキ・僧に供養する食事)を取るので、その施食の飯(イイ)を取って須弥山の片隅に置くがよい。そうすれば、その難から逃れることが出来るだろう」と。(施食の一部を山に置くことは、鬼神・餓鬼・畜生などに施す意味らしい。)
金翅鳥はこの事を聞いて帰った。

そして、仏の教えのように、その施食の飯を貰い受けて須弥山の片隅に置いた。その後、阿修羅王がやって来て山を動かそうとしたが動かなかった。力をこめて動かそうとしたが、塵ほども山は動かなかったので、阿修羅王は力尽きて帰って行った。
山が動かなければ、鳥の子は落ちることなく、無事に育った。
この事により知ることは、四十九日の布施はもっとも重要ということである。されば、人は、施食の一部を万霊などに供養することなくして、四十九日の仏事の所に行って食事する事はあってはならない、
となむ語り伝へたるとや。

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