第一章 萌え出づる頃 ( 2 )
水村啓介と古賀俊介は、中学時代からの親友である。小学校は別だったが中学で同じになり、一年の時にクラスが一緒になった。
二人が無二の親友という関係を続けることになるのには、ちょっとした二つの事件があった。
最初の出来事は、中学生になって間もない日本史の時間に起きた。
日本史の教師は、新学期が始まったばかりのこともあって生徒の名前をフルネームで呼んでいたが、たまたま二人に続けて指名した後、「このクラスには、介が二人も居るんだな」と、いやに感心した表情で二人を見比べたのである。
教室内は大笑いとなったが、これが二人を結びつける切っ掛けになった。
実は、二人とも自分の名前があまり好きではなかった。
「何々の介」という程ではないにしても、「介」という字は古めかしい気がするからだ。啓介にしろ俊介にしろ、ありふれた名前だと思っていたのだが「介」の文字を使っている名前の子供は、この頃意外に少なかった。
二人とも漠然とそのような意識を持っていたので、このことが二人の間に不思議な連帯感のようなものを植え付けることになったのである。
そして、日本史の授業から間もない頃に、クラス内で喧嘩が起きた。
その中学校は三つの小学校が集まって構成されていたが、新入生たちが小学校の出身者同士がグループになって小競り合いを起こすことが時々あった。
その喧嘩も、男子生徒二人が些細なことで始めたものだったが、それぞれに互いの出身小学校の生徒が加勢に加わり、騒ぎが大きくなりかけていた。
その時仲裁に入ったのが啓介だった。学級委員を務めていた立場からの口出しだったが、いつの間にか喧嘩をしていた双方の生徒と啓介という対立になってしまったのである。
啓介には不運な成り行きだったが、もともと彼には同年代の子供に比べて大人びたところがあった。
喧嘩の仲裁でも大人が子供をたしなめるような態度が見えたことが、相手を刺激したようである。啓介は背丈はあるが細身であまり強そうではなかったが、弁は立った。そのことが騒ぎに油を注いでしまい、十人ばかりを相手に孤立した戦いになろうとしていた。
その時、双方の間に入ったのが俊介だった。
俊介は小学校時代からの悪ガキだった。
中学では悪名高いバレーボール部に属していた。俊介と積極的に喧嘩をしたい者はクラスの中には居なかったので、騒ぎはあっという間に収まった。
啓介も安易に口出ししたことを詫びたので、相手となった二つのグループも変な立場となり、全て水に流すということで終息することができた。
その日の夕方、啓介は俊介がクラブの練習が終わるのを待っていて、帰り道で昼間の礼を言った。
その時俊介は「なに、俺こそ口出しして悪かったな」と応えたのである。
啓介は、粗雑な男と思っていた俊介の気遣いが嬉しく、俊介も率直に礼を述べることができる啓介に好感を持ち、この日以降二人は、「啓介」「俊介」と呼び合う仲になり、今も続いているのである。
しかし、中学時代の二人が一緒に過ごす時間は多いものではなかった。
二年の時はクラスが別になり話す機会が少なくなっていたし、放課後も俊介はクラブ活動に忙しかった。三年で再び同じクラスになると、今度は一年の時以上に友情が深まっていった。
それでも、中学時代の二人の活動の場は、交友関係も含め正反対に近いものだった。
啓介はどちらかといえば物静かな方だった。理詰めで物事を考えるタイプで、勉強も行動も計画的だった。
小さい頃から乱暴な振る舞いをするようなことは少なく、少々理屈っぽいところもあったが自分の考えを押し付けることはなかった。むしろ、自分の考えを積極的には表さない方だった。
性格としては積極的なタイプではなかったが、推されると辞退するようなこともなく、クラスや学校全体の行事の世話をしたり委員に就くことも多かった。
学校の成績は小学校以来トップクラスにあり、予習復習なども着実に行い試験の成績も安定していた。運動の方はあまり得意ではなかったが、授業で行われる程度のスポーツは無難にこなしていた。中学では運動クラブに属することはなかったが、なぜか長距離走だけは強く、冬季に行われる校内のマラソン大会では常に上位に入賞していた。
一方の俊介といえば、体格からして見るからに頑丈そうで、スポーツは何をさせても目立った。
小学生の時に三年ばかり空手を習っていたが、中学に入るとバレー部に入部した。体付きからいえば格闘技の方が似合う感じだが、同じ空手道場に通っていた上級生が数人バレー部に居たことから誘われたのである。
この中学のバレー部が悪名高いと陰口されるのは、部員の半数近くが校外で格闘技を習っていたからで、校内で乱暴が目立っていたというわけではない。
俊介の性格は明るく細かなことには拘らなかったが、その分粗雑な行いも多かった。
男気のある人物に憧れをもっていて、自分もそのように行動するような所があった。小学生の頃には、小さい子がいじめられていると必ず助けに入った。俊介の行動基準は、物事の成否より、弱い者をいじめるのが最も悪いという考えに基づいていた。
勉強の方はあまり好きではなかったが、学校の成績は決して悪くはなかった。
ただ、どうしても必要なこと以上のことはしなかったから、啓介とはかなり差があった。
このように、二人は対照的な性格であり交友関係も重ならない部分の方が多かったが、中学を通して友情が途切れることはなかった。
特に三年生の後半に、俊介が啓介の志望校を目指す気になってからは、一緒に勉強する機会が増えていった。
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