雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

天空に舞う   第二十七回

2010-09-12 10:21:12 | 天空に舞う

   第四章  新しい出会い ( 3 )


美穂子は十日に一度位の割で関東電機産業を訪れていたが、その時には必ず啓介に挨拶するようになった。啓介が担当している別の会社に一緒に訪問することもあった。


最初に関東電機金属を訪問してから三週間ほど経ってから、美穂子の記事が載った冊子を持参してくれた。
その冊子は大東洋証券が顧客用に発行している週間の調査報で、この前の取材を中心としたものが二ページに渡る記事になっていた。
業績見通しなどは会社が公表しているものに若干の推定を加えたものだったが、記事の中では同社が大きく変貌しようとしていることが強調されていた。


関東電機金属がわが国有数の特殊金属メーカーであることはよく知られていて、高い技術力と安定した業績は高く評価されているが、少量多品種生産の傾向が強く成長へのダイナミック性にやや乏しい面があった。しかし、ここ数年の大型製品開発への投資は顕著な増加がみられ、その努力が開花しようとしている。当社の成長をこれまでと同じ尺度で測ることは間違いで、大きく羽ばたこうとしている当社を注目したい、と記事は結ばれていた。


さらに、この調査報の別の記事では、関東電機金属に対する投資方針が最上位に引き上げられていた。美穂子の取材が、あの大証券会社に影響を与えたのだと思うと啓介は嬉しかった。
関東電機金属の副所長からも「良い記事だった」とわざわざ電話をもらい、啓介まで誇らしい気持ちになった。


啓介は美穂子にお祝いをしようと夕食に誘った。お祝いなんてオーバーだと美穂子は恥ずかしがったが、楽しい食事になった。
そして、これを機に二人は定期的に夕食を共にするようになった。


啓介は二年余り前から、独身寮を出て一人暮らしをしていた。
一人暮らしも悪くはないが、食事が少し負担になっていた。独身寮では食事の心配がなかったが、一人暮らしを始めてらは毎日食事のことを考えなくてはならなかった。
マンションに移る時に調理道具などを一通り揃えたのだが、夕食は殆ど外食になっていた。


美穂子も一人で暮らしていた。大体自炊しているが週に一、二度は外食になっていた。
そのような事情もあって、時々一緒に食事をしようという啓介の提案を美穂子は即座に応諾した。


最初の二回は啓介が誘う形で場所も決めた。普段の夕食は五反田付近が多かったが、美穂子と一緒の時は東京駅の近くを選んだ。
美穂子の会社は日本橋にあり、住居は江戸川区の西葛西だったので交通の便を考えたからである。


食事は贅沢なものではなかったが、いつも食べているものより少し高いものを選んだ。代金も折半にして欲しいという美穂子の申し出を断っていた。酒はビール一本を分けて飲む程度なので費用は大したものではなかった。


二回目の食事のあと二人は喫茶店に寄ったが、美穂子は続けてご馳走になったことことに対して丁重に礼を言った後、驚くような質問をした。


「水村さんは、お金持ちですか?」
「えっ?」
と小さく声を出して、啓介は美穂子の顔を見つめた。質問の意味を理解できず答えに詰まった。
美穂子は大きな瞳をクリクリと輝かせて、真っ直ぐに啓介の顔を見つめていた。ふざけている様子ではなかった。


「うーん。いや、残念ながら金持ちじゃないなあ・・・。何とか一人暮らしができている程度ですよ」
「そうですか。わたしも同じなんです。貧乏というほどではないですが、家賃を払った後お給料で生活するのがやっとです」


「サラリーマンなんて、いやオフィスレディーというんですかね、男性でも女性でも給料で生活している人は大体そんなものではないんですかね」
「そうですよ、ね。それでね、水村さんもわたしと同じくらいの貧乏だとして、提案があります」
さすがにこの時の美穂子の表情は、悪戯っ子のような笑顔になっていた。


「貧乏な私に提案?」
「ええ、提案です。これからも、ぜひ夕食をご一緒させていただきたいのですが・・・、いえ、時々でいいのですけど、お願いしたいのです。それで、ね。これからは、安くて美味しいお店を探して行くことにしません?」


「安くて美味しいお店?」
「はい、あるんですよ、そういうお店」


「それはそうですね。学生時代もそうだったけど、ほら、学校の周りでも、美味しい店はみんなよく知っていたよね」
「そうでしょう。この次は、わたしが行く店を探しておきます。そして、その次は水村さんが決めて下さるの。いえ、もし、美味しくなくてもお互いに責任はないんですよ」


「なるほど・・・。確かに楽しい提案だけど、私か選ぶと杉井さんのようなレディに合わないかもしれませんよ」
「まあ・・・。わたしがレディというのは、お世辞が過ぎますよ」


「お世辞なんかじゃ、ありませんよ」
「ありがとうございます・・・。でも、お店なんかいくら汚くても大丈夫です。このレディは、美味しいお店を探す冒険が大好きなんです」


こんな会話があって、毎週少なくとも一度は一緒に食事をするようになった。
十二月には、お互いのボーナスで豪華な食事を招待しあったが、それ以外は実質的な店での食事になった。美穂子が当番の時は、費用も美穂子が支払った。
当番というのは少し変であるが、二人の間では店を決める番の方をそう呼ぶようになった。


行く店を決める場合も、相手の好みを考えるのではなく、自分の好みで決めるということも約束しあっていた。その方が良い店に行ける可能性が高いし、これまでとは違う傾向のものを食べられる楽しみがあるというのがその理由だった。
幸い啓介にも美穂子にも食べられない物は殆どなかった。どちらも下手物の類は苦手なのだが、それ以外は苦手という程の物はなかった。


啓介が店を選ぶ場合は、それらしい店があれば前もって試食しておくことが多かったが、どちらかといえば美穂子が選ぶ店の方が安くて美味しかった。
これまで啓介が食事をするのは五反田周辺が多かった。その中には、美穂子が提案する安くて美味い店もあるのだが、美穂子を連れて行くのには少々汚過ぎた。


特に、よく利用している「おでん屋」は、味は格別だが汚い方の代表のような店でもあった。これまで何度か考えてはみたが誘えなかったのだが、会話の中でおでんが話題になったことから美穂子を案内することになった。

小さな商店街の裏筋にあり、屋台を少し大きくした程度の店構えである。客筋はサラリーマンが主体で女性が一人では入りにくい店だったが、数人連れでは女性客も珍しくないが、若い二人連れは少ない。
しかし美穂子は、店の構えや雑多な雰囲気などは全く意に介せず、おでんの味をオーバーな程に喜んだ。


美穂子は、食事をする姿が実に美しい女性だった。
おかしな表現であるが、別に立派な食事でなくても、実に優雅な食べ方をした。
啓介は美穂子の食事をしている姿が好きで、そのことを率直に話したことがあるが、その時も「わたしは食いしん坊なので、きっと食べている時が一番生き生きとしているのだと思います」と恥ずかしそうに笑った。


啓介は美穂子の何があのように優雅に感じさせるのか観察したことがある。
どうやらその一つは、食べるものを絶対といっていいほど残さないことだった。自分の食べる量が正確に分かっているらしく、多いと思う時は事前に量を指定するか別の皿などに取ってもらうのである。時には最初の時のように啓介に助けを求めることもあった。
このことは啓介も影響を受けて、食事を残さないようになっていった。


もう一つは、魚の食べ方が実に巧く骨などの残される部分は見事なほどに少なかった。啓介も魚が好きで食べ方も下手な方ではないと思っていたが、とても及ばなかった。
そして何よりも、箸のさばきが鮮やかだった。特別な動きがあるわけではないのだが、所作が実にスムーズで優雅な雰囲気を醸し出していた。


このことは啓介が感じていただけではなかった。
啓介がたまに利用する一品料理を主体とした店に案内した時、カウンターで食事をしていた二人に板前でもある主人が、「お嬢さんは、実に良い箸さばきをしているねぇ。料理が生きて見えるし、ほれぼれするよ」と褒めたことがあった。
美穂子は、自分ではそのことを認識していないらしく、その時も恥ずかしそうに笑っただけである。しかし啓介は、その親父さんの言葉が嬉しくて、誇らしい気がしていた。


話をするとき美穂子は、相手に真っ直ぐに視線を向ける。大きな瞳が印象的で、真剣になるとその大きな瞳をきらきらと輝かせて、強く訴えるような話し方をした。
身長は百五十五センチ位で啓介より二十センチほど小さかったが、歩く時は真っ直ぐ背筋を伸ばして颯爽とした歩き方をした。その姿は、実際の身長より高いように見えた。


仕事で一緒の時の美穂子は、実に的確で鋭い質問や意見を述べるのだが、啓介と二人でいるときは、時々突拍子もない話を持ち出したりして、天真爛漫なところが伺える会話が多かった。
啓介の中で、美穂子の存在が少しずつ膨らんでいた。


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