雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

天空に舞う   第二十六回

2010-09-12 10:21:47 | 天空に舞う

   第四章  新しい出会い ( 2 )


翌朝、啓介は一度出社してから上野に出た。
九時に待ち合わせる約束だったので十分ばかり早く着くように行ったが、美穂子はすでに来ていて切符の手配まで終わっていた。
発車時刻には大分時間があったが、列車は早く入線することになっていたのでホームで待つことにした。


車内に入った二人は、改めて自己紹介しあった。昨日、山内副部長から紹介されて互いに挨拶を交わしていたが、事務的な気持ちの強い挨拶だった。
二人が大学の同窓だということは教えられていたが、学部もゼミまで一緒なのが分かった。


美穂子は啓介より四歳年下で、ちょうど入れ替わりで入学したので二人が大学で一緒になることはなかったが、社内の話題は大学時代のことが中心になった。
校内のことや近くの食堂のことなど目まぐるしく話題を変えているうちに目的の駅に着いた。五十分程の列車の旅は二人には短過ぎた。


工場は駅から少し離れていたので、二人はタクシーで向かった。
工場の入り口には、昨日啓介が連絡した広報担当者が待っていた。彼は丸の内の本社勤務なのだが、わざわざ出向いてくれていたのである。
啓介より一歳年上の彼とは、これまでにも何度か情報交換していたので便宜を図ってくれたようだ。


二人は広報担当者と工場の開発担当者二名の三人に案内されて、生産現場の幾つかを見学した。幹部社員との面談は午後になるとのことで、設備などの見学が先になったのである。
昼食の時間になると、社内食堂にも案内したあと隣接している来客用らしい部屋に案内された。


「お昼は、社員食堂のものしかご用意できないのですが・・・」
と言葉では申し訳ないと言いながら、広報担当者の話しぶりは快活なものだった。
「社内規定がそうなっているのですが、うちの本社などに比べると余程いいものですよ」
と、むしろ自慢げな笑顔で二人に着席を促した。


その部屋には、副所長と開発担当の課長が同席していた。
副所長は関東電機産業のOBで、この会社の開発部門の最高責任者であるとともに将来の社長候補と噂されている人物である。啓介は会議などで何度か顔を合わせていたし会話する機会もあったが、このような席に加わるのは異例のことだと思われた。


啓介は恐縮しながら謝意を述べ、美穂子を紹介した。
美穂子は副所長と開発課長に言葉少なに丁重な挨拶をした。そして、「お昼をご馳走になったりすると、上司に叱られるかもしれません」と、かなり真剣な表情で言った。


「買収される恐れがあるからですか?」
副所長は美穂子の真剣な言葉を軽妙に受け止め、
「なあに、私どもの食堂がどういう食事を提供しているかを知ることも、会社を観察する上で案外重要なポイントかもしれませんよ。お昼も情報提供の一つですよ。さあ、どうぞ召し上がれ」
と、大げさな身振りを加えて食事を勧めた。


同社の三人と、啓介と美穂子の二人が向かい合う形で席に着いていて、女子社員が食事を運んでくれていた。
社員食堂で用意されているものをアレンジしたものだとのことだが、相当のボリュームがあった。


「それではご馳走になります」
啓介と美穂子は異口同音に礼を述べたが、その後で美穂子は目を大きく見開いて「それにしても、大変なご馳走」と、感嘆したように言った。
この言葉が少し硬かった座の空気を和らげた。特に会社側の三人は、何かすごく褒められたような気がしたらしく、実に嬉しそうに笑った。


自分の言葉の反応が大きかったことに恥じるような表情を見せながら、美穂子は割箸を取り「いただきます」と手を合わせた。そして、同じように食事を始めようとしていた啓介にささやいた。


「水村さん、ちょっと助けて下さい」
「ええっ?」
啓介は美穂子の言葉の意味が分からず顔を見た。必死といえるほど真剣な表情だった。


「何か・・・」
「ご飯を・・・、ご飯を半分助けて下さい」


「ご飯?」
「ええ、とても全部は食べられません」


「残せばいいですよ」という啓介の言葉に、美穂子はまるで哀願するような表情で小さく首を振った。
「じゃあ、私のに移して」と、啓介はご飯の盛られている茶碗を美穂子の横に置いた。軽く盛られているようだが、茶碗は大ぶりのもので女性には少し多すぎるようだ。


美穂子は自分のご飯の半分程を啓介の茶碗に移し、ご飯の量が増えた茶碗を返しながら「すみません」と小声で礼を言った。
そして、その様子を向かい側に座っている副所長たちに見られていたことに気付き、首をすくめるような仕草をした。


しかし、その後の美穂子の食べっぷりは鮮やかなものだった。
これは、啓介がこの時気付いたことではないが、美穂子は実に美しい食べ方をする女性だった。正式なマナーとしてどうなのかは別にして、食べ方がスムーズで無理がなく、特に、出されたものを残すようなことは滅多になかった。自分が食べられる量が計ったように分かるらしく、多すぎる場合は箸をつける前に自分の器から除くことがよくあった。


この時も、季節のものらしく塩焼きされた見事な秋刀魚が一尾丸ごと出されていたが、物の見事に頭と尾と骨だけを残して食べていた。


  **


食事の後、部屋を移ってからコーヒーが出された。
五人で話し合える時間を作ってくれたようである。


「お二人の付き合いは、長いのですか?」
コーヒーが全員に行き渡るのを待っている時、副所長が尋ねた。


「いえ、昨日初めて紹介されたのです。杉井さんは何度か本社に見られていたようですが、私がお会いしたのは昨日が初めてです」
啓介は「付き合い」という言葉に不思議なものを感じながら答えた。


「ほう・・・」
副所長は意外な答えを聞いたように、にこにことした笑顔で少し首を傾げた。


「何か・・・」
「いえ、ね、先程、杉井さんがご飯をあなたに移していたでしょう。実にいい光景だったので、ずいぶん前からのお知り合いかと思ったのです」


「どうも、すみません。わたし、厚かましいものですから・・・」
と、美穂子が口を挟んだ。そして、美穂子は食事を残すことができない癖があるのだという話になり、しばらくその話題が続いた。


その後、話は本題に入り、美穂子はノートを出して幾つかの質問をした。答えるのは主に開発課長だったが、副所長も時々言葉を加え、かなり詳しい内容まで話す場面もあった。副所長が美穂子の質問が的確なことを認めたからだと思われた。


それらの話の中で、明らかに啓介を意識していると思われる話もあった。
それは、現在開発中の製品の事業化に目処がついたものがあり「当社で製造を担当することができれば、長期に渡って当社の収益構造を変えるものだ」とまで言い切った部分である。


その開発中の製品の詳細については、まだ発表できないと言葉を濁したが、そんな大型案件があることさえ外部には発表されていなかった。


その製品は、当社と親会社である関東電機産業とで共同開発してきたもので、すでに商品化が決定されていた。もともとの基本構想は当社のものだが、開発にはかなりの人材と資金を必要とするため親会社と共同開発になったもので、その量産化については親会社にしてもかなり魅力があり、どちらで生産を担当するかの検討が進められていた。

副所長がこの話を出したのは、美穂子にお土産を持たせるつもりもあったのだろうが、当社と親会社の調整を担当している啓介にプレッシャーをかける意味を持っていることは、十分伺えるものだった。
話の途中で副所長は意味ありげに啓介の顔を見るので、啓介としては苦笑するしかなかった。


取材が終わった時も、美穂子は丁重に礼を述べ、自分のノートを見ながら幾つかの項目について公表してもよいかどうかを確認した。
そして、副所長が少し話し過ぎたと思われる例の製品について、今の段階で記事にするのは待って欲しいと言うと、美穂子は即座に了解した。同時に、公表できる時には必ず教えて欲しいということを付け加えることも忘れなかった。
この辺りの対応は実に気持ち良く、美穂子のアナリストとしての能力は相当のものだと啓介は思った。


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