徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

子供のストレス

2005年11月30日 | サバイバル in America
渡米の事を書いていたら、もう一つ思い出した事がある。

当時NYで乗り換えた飛行機は、右列二人、左列一人で10列くらいあっただろうか、要するにとっても小さいプロペラ飛行機だった。ジャンポジェット機のように雲のはるか上は飛ばない。しっかり下の町が見下ろせるくらいの距離を、ぐらぐら揺れながら飛んで行く。

前列には私と末っ子、その後に長女と長男。
高所恐怖症の私は、石のように固まっていた。隣でシートベルトをくぐり抜け座席に立って窓をたたく末っ子ですら悪魔のように思えた。

着陸前、シートとテープルを元に戻して下さいと言うアナウンス。後ろを向いて、子供達に「テーブル、シート戻しなよ」と声を掛けた。そして、帰ってきた返事が・・「動けないから、戻せない」だった。「はぁ~」と思ったが、さすがに私の産んだ子である。しつかり、高所恐怖症だったのだ。通路を挟んで隣の一列の席に座っていたアメリカ人のお兄ちゃんが、そのテーブルを元に戻してくれた。

しかし、問題はその後。あまりの揺れと緊張で吐いちゃったのだ。それはかなりのトラウマになってしまったらしく、その後も1ヶ月程家でも食べては戻すと言う事が続いた。拒食症!? このままだったら、日本に帰る事も考えた方が良いかな?夫の会社のカウンセラーから電話までもらう始末・・・。

とにかく、健康診断(アメリカでは学校に転入する前に医者の健康診断書が必要)を兼ねてアメリカの病院に初めて受診した時、その旨を相談する事にした。
お医者さんが、「うんちはちゃんとででいるか」と聞くので、「はい」と答えると、「それじゃ大丈夫。必要な栄養は取れていて、要らない物が出てるんだから。」と言うじゃありませんか。それを聞いた途端、すっかり元気になって、それっきり吐かなくなりました。

要するに完全にストレスが原因だったのです。今までとまったく違う環境、言葉、これから通う学校。それだけ考えてもどれだけストレスが大きい事か。
よく「子供はすぐ慣れるのよ」と言うが、私はこの一件以来そうは思わなくなった。うまく言葉にして伝えられないのかも知れないが、子供にも子供なりのストレスがあるはずだと思う。

渡米

2005年11月29日 | サバイバル in America
この方の渡米前の様子を読んでいて、昔の自分を思い出した。

子供の年齢の違いで、旅の大変さも変ってくると思う。
前回の駐在の時には、私一人で9ヶ月、5才、7才の子供を連れてきたので、周りから見るとさぞかし大変そうに見えた事だろうと、今になって改めて思う。なぜなら、子供達が大きくなった今、当時の我が子のような年齢の子供達を連れている人を見ると、「大変そぉ~」と私自身が思うからだ。でも、意外と本人は周りが思うほどでも無かったりする。なぜなら、それが日常だから。

今回(2004年3月)と、前回(1996年11月)の渡米で何が一番変っていたか。ずばり航空会社のファミリーサービスがぐう~んと良くなっていた事。
ファミリーサービスとは、海外勤務の家族、また海外のご家族を訪問される子供や年配の方の旅行をサポートしてくれるサーピスで、出発の空港から到着、乗継ぎまでを係員が必要な手続きを手伝ってくれるというもの。
前回はニューヨーク乗り換えだったのだが、米国の税関を出て荷物を受け取ってから、次の飛行機のゲートの間の道案内程度だった。
それでも右も左も分からない私達にとっては、神様のように見えたものだ。
なんとそれが今回は、成田でチェックインをしてからラウンジまで、そしてラウンジから飛行機のゲートまで、さらに乗り換えの時も飛行機のタラップからラウンジ、そしてラウンジから乗り換えの飛行機のゲートまでと至れり尽くせり。これなら、目をつむっていても、目的地に着けるだろう。
ただ、この8年の間に私達も進歩しているので、「そこまでしてくれなくても行けるよ~」なんて思ったりしていた。

飛行機の中ではどうだったかと言うと、前回は幼い3人の子供達。上の二人は当時からテレビゲームが好きだったので、アメリカに来る飛行機の中でも、ずーっとゲーム三昧。しまいには渡しに「少しくらい寝なさい」と私に怒られる始末。9ヶ月の末っ子は飛行機の床をはいずり回り、終いにはくたくたになって眠ってしまった。
それぞれ成長した子供達、今回はそれぞれに、本を読んだりやっぱりゲームをしたり、映画を見たりと機内で過ごす時間をエンジョイしていました。

荷物について。前回も今回も一人につき大きなスーツケースを2つまで預けられるれると言う規定は同じ。今回はもちろんスーツケースと段ボール箱まで使って、規定ギリギリまで荷物を持って来ました。(迎えに来た夫はビックリ仰天)
前回はと言うと、旅行会社の人から「荷物は一人2つまで預けられますが・・・、あのぉ~、貴方の場合は荷物は少なめの方が言いかと思います。」と夫の会社の駐在前の主婦研修の時に皆さんの前で申し渡された。「ファミリーサービスの方は荷物は持ってくれないのでしょうかぁ・・・」と聞いてみた。今思えば、私も図々しい事を聞いたものだ。でもね、私も必死だったのよ。あの頃は・・。「基本的にファミリーサービスは乗り換えのお手伝いで荷物運びではありませんから。」と言う答え。それはごもっとも。案の定、ニューヨークで待っていたのは、妊娠中の女性だった。結局荷物は最小限、大きなスーツケース一つと、上の二人ぞれぞれが引っ張れる程度の大きさのものにしたのだが、それで正解だった。

小さい子連れの旅は色々大変な事もあるかも知れないけれど、ガッツあるのみです。

すき焼き in Chicago

2005年11月28日 | 旅行記
今回のシカゴ旅行の私の最大の目的にして、我が家の伝説となると長女が言う、すき焼き。それも、ホテルの部屋で。
別に、ブログに載せようと思って仕組んだわけではないのです。

旅行2~3日前に偶然にも、産直で生で食べられる卵を買いまして、どうしてもすき焼きが食べたかったのだ。でも、我が家の鍋奉行がなかなか一緒に家で夕食をとれなくて、この連休まで持ち越してしまったのよ。数年前、Thanksgivingでは苦い経験もしているので、今回はカセットコンロ、好き焼鍋などの道具一式と食材を持って行く事にした。子供達からは私の一番の目的は”すき焼き”だと後ろ指を指されながら。

ホテルにも色々なタイプの部屋があるが、キッチンが付いている部屋に当たる事もある。コンロや食器洗浄器、食器一式、調理器具一式がそろっていたりする。(我が家は5人家族なので普通のツインベッドルームでは泊まれないのです。)
そんなキッチン付きの部屋を期待していたのだが、今回は小さな流しと電子レンジ、コーヒーメーカーはあったが、コンロや食器は無い部屋だった。
そこで気になったのが、火災報知機。最初にお肉を炒める時に出る煙はちとやばいかな・・と。そこで苦肉の策で、カセットコンロをバスルームに持ち込み、お肉を炒める所はバスルームで。
最初はしぶしぶだった鍋奉行も、だんだんなんだか楽しそう。長女と長男は万が一煙に火災報知器が反応した時のために、煙を仰ぐものを持って火災報知器の下で待機。

「考えられない。」「そこまでして・・」いろいろ意見はありましたが、食べたらやっぱ、「美味しい」の一言。そこまでしてもって来て良かったと一人満足する私。けっこう、わくわくして楽しかったかも。φ(x_x;)☆\(―“―;)

写真はDaley Center Plazaの”点灯された”Christmasツリー

Chicago

2005年11月28日 | 旅行記
Thanksgivingの連休を利用して、我が家はシカゴへ出かけた。去年のThanksgivingにもシカゴへ行ったので、特に行きたいと思う場所も無かったが、皆それぞれ目的を持って出かけた。

目的その1) 都市写真を撮る(夫と長女)
約氷点下10℃の激寒の中、凍え死にそうになりながら目的達成。

目的その2) ミツワマーケット(末っ子)
いそいそと自分のお小遣いで、小物を買って喜んでおります。

目的その3)  Daley Center Plazaの”点灯された”Christmasツリーを見る事。(私)
実は去年、会場まで行ったにもかかわらず、すっかり忘れて見てこなかった点灯されたクリスマスツリー。ホテルに戻ってから、テレビのニュースを見てガックリ来たのでした。
今年はセレモニーの間は降り続いた雪に耐え切れず、食事していましたが、点灯されてからちゃんと見られて満足です。

目的その4) ミツワマーケットの中の山頭火のラーメン。
夏にニュージャージーのミツワマーケットに行った時に、知人から勧められ張り切って行ったにもかからず、工事中で食べられなかった山頭火のラーメン。美味しかった。そして、なぜ私達が住んでいる町にはラーメン屋が無いのかと言う話題に。オープンしたら儲かりまっせ。

ところで激寒の中、夕食にありつこうとウロウロしていたら、高架下に出た。そしてそこに、きらきら光る電車が走ってきた。よく見ると、何両か連なる電車すべてが電飾で飾られ、サンタさんまで乗っているではないか。思わず無邪気な家族は「オーイ」とも「ハ~イ」とも聞こえない、「ウォ~イ」の様な妙な奇声を発してサンタに手を振っていた。そして、我が家のカメラマンである二人に「写真、写真」と指示を出した私であった。(その写真が上の写真)きっと、サンタは「変なアジア人の家族が手を振っている」と思ったに違いない・・。
シカゴのダウンタウンから郊外のホテルに戻る途中、また同じ電車を見かけた。まるで、ディズニーランドにでもいるような粋なはからい。あの電車はChristmasまで毎日走るのだろうか・・・。

Buca di Beppo

2005年11月24日 | オハイオ・お出かけ
陽気なイタリアの家庭料理と言う感じのレストラン。大人数にはワイワイと・・と言う時にはお勧め。というより、決して一人では行かないで下さいって感じ。
なぜなら、メニューにはそれぞれsamllとlargeが選べますが、smallは2-3人分、largeだと、4-5人分くらいでしょうか。要するに、家庭で食べる食事のように、大皿でドーンと出て来て、皆でとりわけて食べるのです。

私は初めてお店に入った時には、ちょっと驚きました。まず、キッチンを通って席に案内されるのです。そして、そのキッチンの中にも一つテーブルがある。ある人は、「賄い席」と呼んでいました。それとPope Roomと呼ばれる、15人くらいで囲める丸テーブル席。ふざけてる?と思っちゃった。face_tehe/}
他の一般席(と呼んでいいのか?)もいくつかの部屋に仕切られていて、トイレに行く時には迷っちゃうんじゃないかと思うくらい。インテリアも、壁自由に写真やオブジェが所狭しと飾ってあって、一つ一つじっくり見るのも面白い。

残念ながら、平日のランチタイムはオープンしていない。それと、土日の夜は予約をして行った方がいいそうです。

Mozart's Bakery and Cafe

2005年11月24日 | オハイオ・お出かけ
最近、ちょっとはまっているお店
毎週通っている習い事の近くにこのお店はあって、ちょっとヨーロピアンな雰囲気を醸し出している。

デニッシュはアメリカっぽく、甘―い物もあるけれど、マフィンは意外としっとり。
ケーキもあるがどれにするか決められず、3センチ四方のミニケーキが10個くらい入ったParty Packを買ってみたけど、美味しかったよ。甘くても、これくらいの大きさならオッケー。
生のオレンジを搾ったオレンジジュースはさすがに美味しくて、時々飲みたくなる。

何よりも、お店の雰囲気が好きで、空気を吸いに行ってるって感じかな?(動物的表現!?)
週末の夕方にはピアノ演奏もあるらしい。
いつかここでゆっくりお茶をするのが憧れなのだけれど、「せっかちな貴方がねぇ~」と言われそう・・・。だから、憧れだってば

Football

2005年11月19日 | サバイバル in America
地元の大学のフットポールの試合観戦に出かけた。早めに行かないと、駐車場が一敗になって、ものすごく遠くまで歩かなきゃいけないと聞いていたので、3時半キックオフのゲームだが、お昼には会場に到着。

すでに、そこにはバーベキューパーティーをする人々。個人で持ち寄ってパーティーをしているのだが、お店かと思わせるくらいの立派なテントやテーブル、コンロが並んでいた。そして、バルーン状の人物大のチームのマスコット人形も飾ってあったり、ちょっとした気遣いは忘れない。
これはTailgateと呼ばれる。ステーションワゴンなどに食材や道具を積んできて、車の後の扉を開けてその荷物をとり出し、車のそばでパーティーをすると言う意味で、Tailgate(直接はステーションワゴン車などの後尾扉と言う意味)と呼ばれるようになったらしい。
(ちなみに、前の車の後にぴったりくっついて運転する、つまり"あおる"と言う意味もあります。)

すれ違う人々も、既にチームカラーのジャケットやTシャツを着ておうえん準備万端である。

ゲームの前と、ハーフタイムにはお互いのチームのマーチングバンドのショーがある。これがまた素晴らしかった。私は「かっこいい~」と連呼していたらしい。
本当はこれをビデオに撮ろうと思い、ビデオカメラを持参したのだが、スタジアムには持ち込めないと知り、すごすごと車に持ち帰ったのであった。
きっと、試合の成り行きによっては、暴動が起こりかねないくらいの盛り上がりようなので、ビデオカメラでも武器になりかねない事を予測しての措置であろう。

ゲームが始まるや否や、後に座っていたおじちゃんは、「Get him!」と大ハッスル。選手がミスをすれば「You are stupid!」、弱気なプレーをすると「Chicken!」(この場合、憶病者と言う意味)と絶叫。
フットボールの応援はこうやってする物なのかと、ルールもよく分からない私は勝手に納得。
スタジアムの応援席は大柄のアメリカ人にはちと狭く、ちょっと身動きが取れないくらいだが、チャンスには思わず全員立ち上がり大喝采。

結果は、地元チームの圧勝。みんなニコニコで家路についた。

美術館

2005年11月19日 | オハイオ・お出かけ
ダウンタウンの美術館に行ってみた。

ニューヨークやワシントン、ボストンなどのアメリカ国内で有名な美術館には何度か行ったので、あまり期待していなかったが、はっきり言って期待以上。

なぜなら、小さい子供が居ても気軽に行ける。手でふれて、遊びながら学ぶコーナーが充実しているのだ。この手の遊びながら学ぶコーナーは科学博物館でも多いが、まさか美術館にそのようなコーナーがあるとは思わなかった。
小さいお子さんがいる方は、お試しあれ

そして何より、日曜日は入館料無料。私が行った日曜の午前中には絵のコーナーよりも、レストランが混んでいた。さては、皆さんブランチをしに美術館にきているな・・と思ってしまった。

1月のはじめまではルノアールの女性の絵が展示されている。彼の描いた女性はどれも柔らかく優しい印象がする。
今回はルノアールのコーナーには行かなかったが、ぜひ次回は行ってみようと思っている。

これからの寒くて外のお出かけはつらくなる季節、秘術館に行ってみたらいかがですか?

冬の到来

2005年11月18日 | 思った事
とうとう今朝は気温が摂氏0℃以下になってしまった。雪もちらついてきた。
おまけに天気予報では、今夜は一桁の気温だそうだ。一桁と言っても摂氏で言う一桁ではなく、華氏でいう一桁。日本で使う摂氏0℃とは、華氏32°Fにあたる。つまり、華氏で一桁と言う事は、摂氏-10℃以下なのです。
本当にここは寒い所です。

「冬だぁ~」「寒いなぁ~」「嫌だなぁ~」と愚痴っていると、末っ子が横で「私は冬が好きだよ。寒いだけじゃん。」と言う。
確かに、寒いけどスキーは出来るし、雪が降れば雪遊びも出来る。雪の中をブーツでどさどさ歩くのもまた楽しい。
そんな感覚忘れていたなぁ~と思い出した出来事でありました。

でもやっぱり寒いので、今日は温かいお茶でも入れて、お家でゆっくりしたいです。
皆様も、風邪をひかないように気をつけて下さいませ。

Our First Thanksgiving Day in USA

2005年11月17日 | サバイバル in America
サンクスギビングとは、日本語で言うと感謝祭。
その昔、ピルグリムと呼ばれるイギリスから自由を求めてアメリカにたどり着いた彼等は、長い航海のため船でなくなる人が多かった。また、無事にたどり着いても栄養状態が悪く、大変な思いをしたらしい。そんな時に、アメリカの原住民であるインディアン達が彼等に食べ物を分け与え、食物の作り方を教えた事に感謝したのがサンクスギビングのはじまりらしい。
このサンクスギビングは普段はバラバラに暮している家族や親戚が集まり、ターキーの丸焼きやパンプキンパイ等を囲んで食事をすると言うのが、定番らしい。

そのピルグリムがたどり着いた町は、私達の初めての駐在地から車で1時間弱の所だった。私達はそんな町の雰囲気を楽しもうかと、アメリカで過ごす初めてのサンクスギビングはドライブに出かけた。
お昼はマクドナルド辺りで、そして夕食にはきっとどこかのレストランでターキーにありつける事を期待して。万が一レストランを見つけれられなくても、スーパーのお総菜コーナーでターキーが買えるだろうと高をくくって出かけた。

ところがである、どこのマクドナルドも閉まっている。トイレをかりようとガソリンスタンドによろうにも、ガソリンスタンドまで閉まっている。
一同「うっそぉ~」と言う感じであった。
もちろん、レストランなんて何処も開いていなかった。
持って行ったポテトチップスを家族でつまみながら、寒々とした秋の景色を眺めたのでありました。夕食は家に帰って、ラーメンだったかな・・・?
これ側が我が家の初めてのサンクスギビング。

これに懲りずに、まさかこれと同じような事をクリスマスにも経験しようとは思いもしなかったのであります。

今年ももうすぐサンクスギビング。我が家ではこのエピソードを思い出しつつ、今年も食事を頂ける事に感謝するのであります。

機械好き

2005年11月16日 | 思った事
長女の写真クラブで出かけた納屋の中に大きな農耕機械がありました。
それを見つけた瞬間、写真クラブの先生は「Is this your baby?」と突っ込みを入れてしましたが、おじさんは「Yeah.」とニッコニコ。
奥さん曰く、「This is his toy.」だそうだ。
今でも時々使うそうだが、お孫さんが喜んで一緒に乗ったりするらしい。

そんな話も私に自分の田舎を思い出させた理由だったのだが、何を隠そう私の父もお米やメロンを作っていた、立派なお百姓。
彼も機械が好きで、新しいモデルが出ては「これは便利なんだ」と良く買い変えていました。とくにお金のかかる趣味も無い父が、唯一お金を費やすのはそこでした。
やはり私の母も「父さんのおもちゃ」と呼んでいました。
そして、夏に遊びに行くと、やはり長男がおじいちゃんについて回る。都会育ちの彼に田舎の農耕機械は珍しく、おじいちゃんになった父もまた孫と過ごす時間が楽しいようだった。

日本とアメリカ、国は違ってもそこは同じなんだなぁ~と思いました。何故に彼等はそんなに機械が好きなのでしょう。面白いものです。

またこの中の写真も、長女の撮影です。

都市化の波

2005年11月16日 | サバイバル in America
高校で写真クラブにも入っている長女。その遠足に付き添って、・・というかまたまたドライバーとしてなんだけど、遠足に行った。
目指すはBarn(納屋)だ。去年からのプロジェクトのようで、この写真クラブでは町に残されている古い建物を撮っている。
中でも、だんだん都市化されて行く中で、今でも残っている農家の納屋をテーマに来年のカレンダーを作るそうだ。

この遠足について行った時、私はカメラを持っていなかったので、その持ち主の奥さんとひたすら話をしていた。
なぜか彼女、私のつたない英語でも良く聞いてくれる。そしたらなんと、以前コミュニティーカレッジのESLの生徒のスビーキングパートナーをしていたとか。どうりで・・・と安心して、その日は私のスビーキングパートナーになってもらった。
その中で印象に残ったのが、やはりどんどん住宅街が出来て、彼女自身も驚いていると言う事。広くてとても静かな納屋のある敷地の通りを隔てた北の方は、どんどん住宅街が広がって行く。

そんな話をしているうちに、私は生まれ故郷の雪国の田舎町を思い出した。
その町も、どんどん都市化してきている。大きな国道が通り、大きな病院がその道沿いに移転し、その周りにそれに便乗したお店が建ち並び始めた。大きな大学まで出来た。高速道路の計画もあるらしい。
私が子供の頃自転車で駆けずり回った道は、今では車がたくさん通るので、小さい子供だけで出歩くのは危険なほどだ。
今はまだ私が子供の頃の景色が少し残っているが、子供の頃追いかけた蛍はもういない。

こうしてだんだん便利になっている一方、なぜか寂しい気がするのはどうしてだろう。新しい家や町がどんどん出来る一方、古い町並みはすたれ、スラム化して行く。そして、農場のかわりに、住宅が広がる。これも、歴史の一部と言えば仕方ないのだろうけれど・・・。

この中の写真は、長女が撮影した物です。

長女の初舞台

2005年11月15日 | アメリカ学校/教育事情
ハイスクールの授業の中には日本の高校では考えられないような専門的な授業もある。我が家の長女が去年とった授業の中には、インテリアデザイン、写真、コンピューターグラフィックス等がある。
さて、今年はどんな授業を選んだのかと見てみれば、なんとシアターというクラスを選んでいるではないか。日本語で言うと演劇だ。日本ではクラブ活動に入りそうなものが、授業として成り立っている。

しかし、やはり彼女は授業だけでは飽き足らず、ハイスクールのDrama Clubなる物に入った。日本で言う演劇部だ。演劇と言う事は、当然舞台で演技する事だ。もちろん、英語で。普通躊躇するだろう・・。でも前に私は彼女に言ってしまった。「ここはアメリカなんだから、何でもやりたい事にチャレンジすればいい」その手前、無理に止められない。
あれよあれよと言う間に、彼女は配役のオーディションを受けたりしている。

先月あった”Sylvia”と言う劇では、台詞はない物の公園でウロウロしている猫の役をゲットした。
Sylviaのあらすじ
結婚して20年、二人の子供達も独立したグレッグとケイト夫婦とシルビアという名の犬がおりなすロマンティックコメディー。グレッグが公園から家にシルビアを連れてきてから、グレッグとケイトの結婚の危機が始まる・・。ケイトが仕事で別の町に引っ越すのに、シルビアは連れて行けない。グレッグはシルビアと今住んでいる町で待つと言う。私よりも犬のシルビアを選ぶのかと言うケイト。そして・・・。

現在の社会にもありがちな話ではないだろうか・・・。
もしかして子供や夫よりもペットを大事にしていませんか?と問いかけられた様な気がする。

この演劇でたびたび散歩に出かける公園でウロウロしている猫が我が家の長女の役。いつも公園の場面の最後には他の犬達に追いかけられて逃げて行く。猫は1匹しか登場していないと言う事もあって、けっこう目立っていたように思う。
これからも彼女のチャレンジは続くであろう。ハラハラ

ところで、ドラマクラブの面々はなかなかの演技をしていて、その中から未来のハリウッドスターが出たりして。一生懸命な彼等を見るのもまた楽しい物だ。(って、なんだか年より臭いかな?)
時々道路の恥にドラマクラブの演劇の看板がたっているが、大人$5、子供$3$が相場かな。誰でも気軽に見に行けるので、行ってみると楽しいかも。

魔女

2005年11月09日 | サバイバル in America
ニコールキッドマン主演の映画「奥様は魔女」は記憶に新しい所であるが、何処の家庭にも魔女はいるのだ。

子供達が幼稚園や保育園に通っていると、もらってくるお便りで日々のイベントが把握出来る。
で、我が家の場合末っ子が幼稚園の時に、幼稚園の帰り道「今日***があったでしょ。」と言うと、彼女は「何で知ってるのぉ~。」とお決まりのように聞き返した。。そこでいつも「ママは魔女だから何でも知ってるんだよぉ~。」と答えるのが定番だった。
しばらく彼女は私が本当の魔女だと思っていたらしい。

母親って子供達が学校から帰ってきた時の顔色や様子でその日一日がいい日だったか、それとも何か事件があった日なのかは気がつく物だと思います。さすがに最近は私がいくら魔女だと主張しても信じてくれなくなったけど、さりげなく彼等の様子を知る事が出来る魔女もどきでありたいと思います。

Beggar Night

2005年11月08日 | サバイバル in America
10/31はHalloween
夕方6時から8時までがBeggar Nightと呼ばれる、Trick or Treatに出かけても良いと決められている時間。子供達は6時少し前からちらほら外に出始める。
そして私もその時間はおめかしをして魔女の格好をして家の前で陣取っていた。
早めの時間にやって来た、スパイダーマンの男の子のお父さんは、なんと相撲レスラー。彼は私に向かって、「良い魔女なんだよな。」と言う。大人も子供も楽しんでもいいのがこの国の良い所だ。

我が家の子供達もそれぞれの衣裳に着替えて、みっちり2時間Treatをゲットしてきました。
たくさんもらっても、中には口に合わないお菓子もあったりして、3人でお菓子の交換をして、残ったあまり美味しくないお菓子が私の元へ・・・!?

そう言えば、こんな珍事件もあった。
Beggar Nightの時間に、きらきら照明をつけた車が回ってきた。私はすっかり気の利いた演出だと思い、家の中にいる夫を呼びに行った。「すごい車がきたよー!!写真撮らなきゃ!」と言ったんじゃなかったかな? きっとあの時の私はすごい様相だったに違いない。そしたらその車、なんの事はない、清掃車がゴミを集めにやって来ただけだった。いくら何でもあんな時間に回ってこなくても・・・とつぶやいてしまった私である。でも、暗闇で見る清掃車はかっこよかったのだ。