徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

と、言うわけで

2010年07月07日 | サバイバル in America
日本に帰ります。

そう言うと、いろんな人から、決まって「いつ(アメリカに)戻るの?」と、聞かれていました。末娘もそうだったらしく、私達が駐在家族だと知らない友人達のほとんどが、私達家族は、アメリカに移民したものだと思っていたらしいのです。
それだけアメリカに馴染んでしまっていたと言う事でしょうか?
アメリカに来て、逆に、日本の良い所に気づき、I'm proud of being a Japanese. と思っていただけに、少しばかり複雑した。

渡米前に持っていたポジティブなアメリカのイメージよりも、ネガティブな現実が見えるようになり、少しばかりアメリカに幻滅してしまったりもしました。そんな時に出会うアメリカの「良さ」にまた励まされたりの繰り返しでした。
ネガティブな部分に捕われるのは簡単です。そんな時こそ、ポジティブな部分をみられる努力をする事が必要なのですよね。
きっと今度は日本に帰って、改めて思い出す、体験するであろう、日本のネガティブな現実。アメリカと違って自分の祖国なので、黙って静観しているのではなく、何が出来るか考えてみたいと思います。

帰国が決まってから、いろんな事に「最後の」という形容詞がつく事が多く、一つ一つを終えて行く事を実感していました。最後の英会話クラス、最後のボランティア、最後のお出かけ、最後の登校・・・。
やろうと思って出来なかった事、行こうと思って行けなかった所、会おうと思って会えなかった人、数え上げたらキリがありませんが、すべて叶える事はとうてい無理。逆に、できた事を数えて、そのような機会を持てた事に感謝です。


このブログは、今後しばらく、iPadから発信します。写真の掲載や、記事にリンクを貼る事は出来ませんが、もう少しこのまま続けてみようかと思います。

仕上げ

2010年07月06日 | サバイバル in America
帰国前に欠かせないことといえば、お買い物。帰国前の2週間で近くのアウトレットモールに3回出かけました。コーチのバックやコンバースのスニーカーは、確実に日本よりも安いですよね。まあ、それでも、そんなにいくつも買い込む訳ではないけれど。



買い物といえば、嬉しいことがありました。お友だちのうめちゃんが帰国前に、リカーストアーでワインの木箱をもらったことを思い出し、私もwine & spritsで木箱を譲ってもらえないか聞いてみました。そしたら、欲しい人がたくさんいるので順番待ちだから、名前と電話番号を書くようにいわれ、ちゃんとした用紙ではなく、その辺にあった紙切れに書き残してきたのでした。お店の人の対応も良くなかったので、ぜったいに連絡は来ないだろうと諦めていたのでした。
ところが、引越し一週間ほど前になって、連絡があり、もらって来ました。



ここのところ、アメリカやアメリカ人に対して、印象や信用も悪くなっていたので、帰国を前にして、「やっぱりやってくれるじゃん!」と、嬉しかったのです。

いつか、どこかで

2010年06月24日 | サバイバル in America
ESLの仲間達とのポットラックパーティーがありました。
今回は、いつものメンバーに加え、ESLのクラスの先生、去年NJに引っ越し夏に日本に帰国する友人、夏休みなので子供も3人が参加。いつもの賑やかさが、さらに賑やかに。



もうすぐ日本に帰国する私に、それぞれの国に遊びに来る時には案内するからと言ってくれた彼女達。各国にホテルとガイドが出来ました。

彼女達のほとんどが、自分の国では仕事をしていたのに、アメリカではビザの関係で仕事を持てず、渡米した当初は落ち込んだと話していました。それでも、グリーンカードを得てから、職探しをしたり、自分で張り紙を作り、アメリカ人に中国語を教え始めたと言う中国人の彼女。ボランティアとして図書館でフランス語を教えていると言うフランス人の彼女。それぞれが自分の居場所を前向きに探しています。
ふと振り返れば、私自身もボランティアをしたり、子供の送り迎えに忙しくしたりと、自分なりに自分の存在意義を求めて来たアメリカでの生活だったなぁと思いました。

また、ビザの件でも、いろいろ問題があったり悩みがあったりするようです。アメリカ国民でなく、ビザでアメリカに住んでいる私達は、いろいろ制約もありますが、夫が駐在員としてアメリカに来てる我が家は、会社が後ろ盾になって色々やってくれている訳で、その立場に改めて感謝した日でもありました。

いろいろな悩みを抱えながらも、アメリカでたくましく前向きにがんばっている彼女達。アメリカ生活が長くなり、英語はもういいや・・・と思いつつも、人恋しくて行き始めたESLで、そんな彼女達に出会えて良かったです。
いつか、またどこかで会いましょう
日本に来たら、日本の観光は任せてね。

末娘とダンス

2010年06月23日 | サバイバル in America
去年の秋から行き始めたダンス教室の発表会がありました。一緒に踊った仲間のうち3人が、現地校でも同じクラスの友人なので、ダンス教室も楽しかったようです。



末娘がダンスを始めたのは、小学校一年の時だったかな ダンスが上手と言うわけではないけれど、曲と振り付けを覚えるのが、意外と早かったです。
アメリカに来るのでやめざるを得なかったのだけれど、アメリカでもダンス教室がある事を知り、アメリカでの生活に慣れたら、また始めさせたいと思っていました。

現地校に行き始めたのが4月からで、前にも書きましたが、学校に通うだけで精一杯だった彼女。他に何をする余裕もありませんでした。
6月からの夏休み中、ESLのサマースクールに申し込む事は決めていましたが、他にダンス教室のサマーコースを見つけました。夏休みの間、何らかの形で英語に触れていて欲しかったし、ダンスなら彼女の好きな事だったし、ちょうど良いかなと思っていました。
でもやはり英語の世界はまだまだ怖くてしり込みする末娘を、「ダンスならインストラクターのまねをして体を動かすだけでいいから、英語は関係ない」と説得して、少々強引ではありましたが、ダンス教室のサマーコースに入れました。インストラクターには、日本から来たばかりで英語がよく分からない事を話し、レッスンの1時間の間、私もそばで見ている事にしました。

最初は、困った顔をして、カチコチの動きをしていましたが、だんだん慣れ、楽しめるようになりました。
「一人ずつみんなの前に出て、自分の好きな振り付けで踊る」なんて事もあり、かたくなに前に出るのを拒否していた末娘。2-3人のグループを作って、「振り付けを考えよう」と言う時には、どうするのかハラハラしましたが、身振り手振りで必死でコミュニケーションを取ろうとしていたけなげな彼女でした。教室のガラス越しに見ていて、いつ泣き出すかとハラハラしていました事が、今となっては懐かしい。

その後、オハイオにいる間は、4年ほどそのダンス教室に通いました。ジムのクラスもあったので、2年ほどはジムの教室にも入りました。体を動かすと、心もほぐれるようで、いいストレス発散になったかもしれません。
年に一度の発表会は、それはそれは立派でした。衣装から照明、シナリオに至るまで凝りに凝っていました。会場も、ダウンタウンのシアターを借りてやるほどの力の入れようでした。

フィリー郊外に越してきてから、ダンスはもういいと言っていたのですが、さすがに運動不足かな・・・と思う部分もあり、去年から再開したのでした。
渡米して言葉をあまり使わなくても楽しめる物があって良かったと思いました。音楽でもスポーツでも、何かを仲間と一緒にやって達成する事で仲間意識が芽生えます。言葉でうまく伝えられなくても、一生懸命やる姿で分かってもらえる部分もあると思います。もちろん、その中に入ってくのは、とっても勇気の必要な事だと思いますが、その一歩を踏み出すか踏み出さないかは、もしかしたら大きな差になるかもしれません。

Feel guilty

2010年06月20日 | サバイバル in America
先週、第一便の引っ越しが完了しました。

1999年に、最初の駐在から帰国する際、何でも回数に分けて計画に的にするのが苦手な私は、どんと一回で引っ越しを済ませようと、荷物を出すのも一回、日本で受け取るのも一回で済ませました。
結果、大失敗。
なぜなら、荷物を出す日には、アパートを出払う当日までバタバタ。
日本で荷物を受け取った時には、寝るところがないくらい、家の中は箱でいっぱい。日本の家の狭さを甘く見ていました。

その教訓を生かして、今回は、引っ越し作業を第一便、第二便の二回に分けさせていただきました。
もちろん、夫の会社の規定で許されているからなので、感謝であります。
第一便を終えても、最低限生活出来るだけの物はキープしてあるので、ご飯も炊けるし、寝るところもちゃんとあります。

いずれにしても、引っ越しするとなると、かなりのゴミが出ます。何となく取っておいた物の多い事・・・。
さすがに、アメリカで6年も暮らすと、生活や仕事に必要な物意外にも、趣味関係の物も増えて行きます。子供の成長に応じて、増えてしまった物も多いです。実用的ではなくても、「記念」として保存したいものもあるし。
小学校の時に使っていた、リコーダーやピアニカなどはどうしよう 習字の道具は日本でも使う などと、考えながら片づけていました。

それでも、ゴミは出ます。捨てるたびに、罪悪感を感じてしまいます。
アパート住まいなので、普段のゴミは各階にあるダストシューターに捨てられますが、大きい物は、ダストシューターの行き着く先でもあるtrash roomに捨てに行かなければなりません。
先日も、買い物カートにあれこれ乗せ、trush roomへ運んでいると、カストーディアンのおじさんが捨てるのを手伝ってくれながら、いろいろもらってくれました。ピアニカは娘さんのおもちゃにしてくれるそう。
ちょっと気持ちが軽くなりました。

とりあえず、いろいろ一段落したので、気分的に余裕が出来ました。
4月のさくらフェスティバル以来、週に一度の公園のウォーキング以外は、あまり運動していなかった私。すっかり体重もうなぎ登りで、しっかりリバウンド。こちらも、Feel guiltyと言うわけで、またジムに行き始めました。

英検が終わったその日にも、ホテルのジムで1時間ほどトレッドミルで歩いたり走ったりしてきました。
そして、引っ越しも予想以上に早く終わったので、その日もジムに行き、日本に帰ってもジョギング出来る身体作りを目標に、また体を動かす事にしました。
体を動かすと、なんだか汗や脂肪を絞り出しているような感覚にとらわれます。それから約1週間で、また少し体重にも効果が現れ始めました。

そういえば、The Bigggest LoserのトレーナJillianのテレビ番組+「Losing It With Jillian」が始まりました。ちょっと、ドラマチックすぎてシナリオありと思ってしまったりもするけれど、太って不健康になるのに言い訳しちゃいけないと教えられます。賛否両論あるとは思いますが、痩せる事で自分に自信が持てて、毎日がハッピーになれる。太っていることがアンハッピーなんじゃなくて、太ってしまった過程がアンハッピーなんだと思ったりしながら見ています。

アメリカのテレビ番組をのほほんと見ていられるのも後少しになってきました。

Elastic Bracelet

2010年06月15日 | サバイバル in America
最近、子供たちの間で、輪ゴムの交換がはやっています。
輪ゴムと言っても、ベージュの地味ぃ~な輪ゴムではなく、色とりどりのかわいい伸縮性のブレスレットです。しかも、いろんな形をしていて、かわいい。「輪ゴム」なんて言ったら、子供たちに笑われちゃうかも?



初めて末娘が手首にごそっとはめて帰ってきた時には、「なんじゃ、そりゃ!?」と思いました。そして、「何に使うの!?」とついつい聞いてしまう、主婦感覚。(笑)
たんなるトレード用なのですが、一袋約$3~5程なのでお手軽なんでしょうね。
みるみるいろんな種類の輪ゴムが、いろんな会社から販売されるようになりました。密かに、日本のお土産にどうよ!?と思ってる私です。
日本でも売ってる???

Last NY? at ロックフェラー・センター とランチ

2010年06月06日 | サバイバル in America
最後にNYを上から眺めようと、ロックフェラー・センターに行きました。
キングコングも上った、エンパイヤー・ステイト・ビルディング(Empire State Building)でも良かったのですが、エンパイヤーステイトビルディング"を"眺めたいとも思っていたので、ロックフェラー・センター(Rockefeller Center)の方にしました。

そういえば、泊まったホテルからは、エンパイア・ステート・ビルディングが見えました。この週末は、メモリホリデーだったので、赤、青、白のアメリカンカラーに照明が変わっていました。
アメリカって、便利になりすぎて季節感を感じないなぁ・・と思っていましたが、こうしたイベントごとの演出は、なかなか物もです。

ロックフェラー・センターは、マンハッタンのほぼ中心にある、大富豪ジョン・ロックフェラーによって、1930年から9年にわたって建設された超高層ビルを含む複合施設です。このビルには、テレビ局NBCのスタジオを始め、クリスマスのショーで有名なラジオシティーも入ってます。以前ポケモンセンターと呼ばれた、「Nintendo World Store」もこの中にあります。
日本がバブルでウハウハしていた時には、三菱地所がロックフェラーセンターを買収した事もあります。それが、ニューヨーク市民の反感を買ったのは言うまでもありません。しかし、そのバブルも崩壊し、今では三菱地所の所有は、当時持っていた14棟のうち2棟に留まっているようです。

Top of the Rockと呼ばれるロックフェラーセンターの中でも一番高いGEビルディングの展望台には、外でチケットを買ってから入ります。この日は、かなり湿気が多かったので、もやっとしたかすんだ感じの景色ではありましたが、エンパイア・ステイト・ビルディングも自由の女神もクライスラービルディングも見え、セントラルパークの緑も奇麗で、景色は上々でした。




高いところは私以上に嫌いな末娘、ぐるっ~と周したら、それで良し。眺めを楽しもうともせず。 ビルからおりた後、「さ、ご飯食べるとするか」と、いつになく張り切る末娘。 はい、お食事券も当てた事だし、ランチは「田舎屋」で食べる事に決めていたのでした。よっぽど、末娘も「田舎屋」が気に入ったのでしょう。いつもなら、なかなかお腹が空かず、「まだいい」という食事も、この時は食べる気満々でした。

私はランチボックスが好きなので、松・竹・梅の中から、竹を。なんと、末娘は松をオーダー。下の写真で、どちらがどちらか分かりますか 焼き魚の他に、お肉ものついている方が「松」です。そして、夫はなんだっけ・・・



そんなわけで、結局前日当てたお食事券は、次の日のランチで使いました。昨日の今日で、お店の人も覚えていてくれて、支払いの時には、お食事券を出す前に、しっかり$50を差し引いた金額でチャージされていました。お店を出る時には、「Can we see you tomorrow too」と冗談を言われましたが、残念ながらもう行けないわ。

そして昼食後、早めに帰宅した私達でありました。

ドレス選び

2010年06月01日 | サバイバル in America
ハイスクールのプロムを筆頭に、5月・6月はプロムシーズン。まぁ、ダンスパーティーですね。

モールなどにあるドレス屋さんは、そのため混雑していました。
ドレスの値段はピンからキリまであります。質もまたそのとおり。長女の時から、ドレス探しのため、たびたびドレス屋さんを訪れていますが、日本人の体形に合う物がなかなか無いので、苦労します。サイズ重視で探さざるを得ないので、高い物を買う羽目になる事もしばしば・・・。

今年は、末娘の通うミドルスクールでも、最終学年の8年生は、ダンスパーティーがあるという事で、ドレス探しに出掛けました。
長女の着たドレス(写真の中の白のロングドレス)もサイズ的には着られるのですが、ハイスクールのプロムのドレスは、あまりにもフォーマルなので、ショート丈のちょっとカジュアルな物がいいだろうという事で探しに出掛けました。私にしてみれば、末娘がすでに持っている、ディズニーワールドで買ったチャイナドレスでもいいのに・・・と思うのですが、あのお年ごろは、それじゃあ納得しないようです。

NYのPalisades Centerには、結婚式などに着るような高価なドレス屋さんからプロムレベルのドレス屋さんまで数件入っています。そこで、何着か試着してみましたが、決められませんでした。気に入ったドレスはサイズが合わず、サイズが合うドレスには気に入った物がないという悲しい現実。
後日、放課後に友達とKing of Prussia mallに出掛け、「(ドレスを)見つけたぁ~」と電話をしてきた末娘。結構なお値段だし、一度しか着ないのでどうよとは思ったものの、自分はすでにドレスを買ってあるのに末娘のドレス探しのためにモールに繰り出してくれた友達の手前、買ってしまいました。あぁ~、我ながらなんて親ばかな私。



その数日後、ダンスパーティーの1週間前に、このダンスパーティーのお手紙が学校から届き、ドレスコードに「あまりにフォーマルにならない事、プロムドレス不要」とただし書きがついていました。
おまけに、「会場にリムジンで来るのは禁止」ともありました。実際ハイスクールのプロムにはリムジンで乗りつける子も居てそれは普通の事なのですが、去年はミドルスクールでもエスカレートしちゃったらしく、リムジンで来た子もいたらしいです。

ハイスクールのブロムでは、男の子と女の子のカップルが、どこぞ高級レストランでディナーをし、リムジンで会場に乗りつけるというのがステイタスになってる所もあります。初めて聞いた時にはびっくりしましたが、実際に目にしてみると当たり前の事のように見えてしまったりします。麻痺してきた、私
もちろん、友達同士でポットラックのパーティーをして、わいのわいのとお化粧をして、ママの車に乗って会場に行く子供たちも居るんですよ。うちの上の子供達は、どちらかといえば、こちらの庶民派でしたね。
着飾ったドレス姿の娘達を車から降ろして、「写真撮って」と言われた時には、パジャマ姿同様の自分がとっても場違いだったっけ・・・・。

それにしても、このミドルスクールのダンスパーティー、女の子達は何を着るのかワクワク話しているわけで、もうドレスを買っちゃった子もいるんですよ。うちもその一人。「もっと早く言ってよねぇ~」と思っているのは、私だけではないと思いますが、いかがな物でしょう。
そのダンスパーティーが今週末。末娘のアメリカ生活の良い思い出になるといいな。

たこ焼きパーティー

2010年05月20日 | サバイバル in America
前にESLの仲間でPotluck Partyした時に、たこ焼きパーティーをする約束をした私。しばらく前に実現したのそのご報告をしておきます。

 

さすがに文化が良く似ている韓国にもたこ焼きはあるそうで、たこ焼き話に花が咲きました。たこ焼きは英語にするとoctopus ballかななんて勝手にそう呼んでいましたが、辞書には単にTakoyakiと載ってました。英語での説明は、「ball-shaped pancake with diced octopus and other ingredients in the center」だそうな。難しい。

たこ焼きはみんなに手伝ってもらいながら、ホットプレートを使ってテーブル上で焼きました。たこ焼き自体もウケていましたが、マヨネーズとお好み焼きソースが大ウケでした。かつお節や青のりも珍しそうでした。青のりって、普通の焼きのりとどう違うなんて疑問もでたり。
その他に、近所にたくさんある、日本人経営ではないナンチャッテ日本食レストランで出てくるみそ汁は、いつも「なんか違う」と思っているので、今回は豚汁も食べてもらおうと思って作りました。まぁ、人それぞれ好みはありましたなぁ。

韓国人のカンジャントッポッキやキンパ、南フランス風ムサカ、中華風手打ちうどん&スープ、カレーピラフなど、なんとなく主食物が多かったこの日。食べながら、「これは何」と好奇心旺盛な面々。相変わらずの盛り上がりでした。ベニショウガを聞かれ、ショウガ自体を知らない彼女になんと説明したら良い物か・・・と悩んだ私。結局こんな時は、実物を見せるしかないのよね。

デザートには、イチゴジェロ、カスタードクリーム、生クリームの三層になっているデザート、トライフル。ついでにイチゴをチョコレートでコーティングした物を乗せて。

作る楽しみ

2010年04月29日 | サバイバル in America
たまぁ~に、思い出したように、料理にはまることがあります。毎日のお料理は嫌いなくせに、気が向いたときの料理は楽しいのは、なぜでしょう

時間のある時にはパンを焼いてみたり、家族の誕生日には、ケーキも焼いてみました。デコレーションが下手なので、写真は花をメインに。
Wegmansで買った、イチゴのチョコレートコーティングが気に入った末娘のために、お化けのようにでかいイチゴを見つけ、それで作ってみたり。このイチゴを食べるのに、ナイフとフォークが必要でした。




ESLの仲間とのタコヤキパーティーの練習にと、家族でたこ焼きをしたら、夫がお好み焼きに目覚め、何度か楽チンさせてもらいました。
お鍋や手巻き寿司もそうだけど、テーブルで作りながら、食事をするのって楽しいですよね。末娘もたこ焼きをひっくり返して楽しんでました。



こちらは、飲む楽しみ。赤ワインをMagic Decanterという物を通すだけで酸化効果が得られ、美味しくなります。味オンチの私でも、Magic Decanterを通したもワインと、通さないワインの明らかな味の違いがわかりました。
ワインは白を飲むことが多いのですが、これからは赤ワインも飲むぞぉ~

打ち上げ&お花見会

2010年04月20日 | サバイバル in America
5K run & walkで一緒に走ったマダムランナーの一人が、打ち上げ&お花見会を企画してくれました。
私はサラダとピクルスを持参。お義母様の手作りだと言う鎌倉彫のお重。おいしくて素敵なデザート達。
絵画のような窓いっぱいの桜を見ながら、おしゃべりとおいしい食事、楽しい一時を過ごさせていただきました。
ありがとうございました。




帰り道、道を間違えたり、少々混雑していたりして、ちょっと帰りが遅くなったので、こそこそ自宅に帰ったら、夫が上機嫌で待っていました。
「買っちゃった・・・」と彼が手にしていたものは・・・

次回に続く。

春? 夏!?

2010年04月10日 | サバイバル in America
ラスベガスから帰ってきたら、フィラデルフィア周辺もすっかり暖くなっていました。 春と言うより、夏みたい。
長女も日本に帰ってしまい、ちょいと寂しくなりました。でも、夏にはまた会えるしね。

良いお天気だったので、カメラを持って夫とValley Forge Parkへ。
ラスベガスでは、軽くジョギングを2回しただけなので、まずはお散歩から。

ちらほら花が咲いていましたが、枝ではなく木の幹からそのまま花が咲いていました。珍しい 何てせっかちな花なんだろうと思いました。



乗馬をしている人もいました。馬の蹄の跡を見て、前脚がついてた所をちゃんと後ろ足が通るんだぁ~と、妙に感心。当たり前の事なのかもしれませんが、こんなにまじまじと観察したのは初めて。(この写真で分かるかな) ちょっと勉強になりました。



この次の日から、3日間続けてこのコースを走りました。いつものように上り坂はずるをして。おかげて、すっかり筋肉痛です。 日曜日の5k run & walkはどうなりますやら。



このValley Forge Parkでも、4月18日に5mile runが開催されるようです。
イベント情報はこちらから→Fifth Annual Valley Forge Revolutionary 5-Mile Run
YouTubeでのコマーシャルはこちら
5マイルを走るだけでなく、3マイル歩くコース、ユースの1マイルコースもあるようです。

ついてる?

2010年03月25日 | サバイバル in America
長女が遊びに来ています。大学も春休み、末娘の現地校も来週は春休み(Spring Break)なので、ちょうどいいです。

昨日は、さっさと買い物を済ませようと、アウトレットに行く事にしました。でも、ガレージから車を出す時に、なんか変な感じ…。車から降りてみると、助手席側のタイヤが、見事にペッチャンコ。 また、パンクかぁ~。はい、これでアメリカに来て何度め 三度目か四度目です、はい。

今までは、スペアタイヤに交換するのは、上手に避けてきたのですが、今回ばかりは自分でやらざるを得ず、アパートの駐車場に車を止めて、スペアタイヤを引っ張り出し、ジャッキアップすべく道具を取り出しました。
でも、ジャッキを車のどこに固定するか分からず、説明書を引っ張り出して見ていました。

こんな時、やっぱり救世主は現れる物です。「May I help you?」とアパートのメインテナンスのお兄さんが声をかけてくれました。「パンクしちゃって…」と言ったら、丁寧にジャッキを固定する場所を教えてくれて、タイヤ交換まで全てやってくれました。ありがとう

私達のアパートには、アパートの修理をするためのメインテナンスが常時3人居るのですが、何かをお願いする時にはオフィスに連絡しなければなりません。もちろん、個人の車のパンクの修理は、彼等の仕事では無いと思います。それでも、快く手伝ってくれた彼に感謝です。
このアパートのメインテナンスの人達は、いつも元気はつらつに働いていて、100戸以上の居住者が居るにも関わらず、「Hi, Mrs.」と名前を覚えていてくれます。ホントにありがたい事です。

「パンクはガソリンスタンドで直せるよ」と教えてもらったのですが、モールの一角にあるシアーズに車を持ち込み、その間、長女と買い物とランチを楽しみました。メインテナンスの彼が助けてくれなかったら、きっとタイヤ交換に時間がかかり、服もドロドロで、せっかく遊びに来ている長女も初日からケチが付いたような感じで、一日いやぁ~な気分で過ごしていた事でしょう。
パンクした事自体は、アンラッキーだけど、ちょくちょくパンクする事といい、こうしてヘルプしてもらえた事といい、もしかしたら、逆についているのかもしれません。そう思う事にしましょう。

Census 人口調査

2010年03月19日 | サバイバル in America
アメリカでは10年に一度Censusと呼ばれる、人口調査、日本で言う国勢調査が行われます。それが、ちょうど今年に当たっていて、今がちょうどその時期です。

これは、アメリカ国民でなくても、アメリカに住んでいる人は全てが対象となっていて、我が家のような駐在家族でも調査に協力する義務があります。これは「義務」なので、Censusと表にかかれた封筒が送られてきたら、その中の用紙に記入して、再度送り返さなければなりません。
アメリカ国民でない私達にもその義務がある事は、意外と知られていないのか、ESLの先生も知りませんでした。



このCensusの情報や調査の日本語訳は、以下にあります。
・米国商務省国勢調査局WEBサイト(日本語)
・パンフレットその1(日本語)
・パンフレットその2(日本語)

この調査は、郵送以外で行われる事は無く、電子メールや訪問者が来ても、答えないようにして下さいと、テレビなどで呼びかけています。
ただし、調査票が届いていない仮定には、5月以降、調査員が訪問します。
その時には、IDを携帯しているはずので、まずIDの提示を求めて下さいとの事です。とにかく、Censusの調査票が送られてきたら、速やかに記入して、送り返す事が大事ですよね。
もしも、調査票が3月までに届かない場合には、1-866-872-6868に電話するようにとの事です。朝8時から夜9時まで毎日、6月30日まで受け付けているそうです。

ESLのクラスでCensusの話になった時に、人種は書く必要があるのかと言う話題になりました。
職業に応募する際、履歴書に、性別、年齢、人種を書く事すら差別ととらえるアメリカで、このような調査に対して抵抗があるのはもっともな事だと思いました。
また、プライベートは厳守するとありますが、電話番号はもちろん、不法滞在している場合でも、人数に数えなければならないし、名前や生年月日も記入する欄があります。本当に厳守されるのかという疑問も挙がりました。

普通にアメリカで生活している分には、問題ないのですが、いろんなケースを考えると突っ込みどころ満載のCensusです。
我が家にも既に届いているので、答えなくちゃなぁ…。

そうそう、Censusが届く少し前に、「もうすぐCensusが届きますよ」という手紙が届きました。
それには、Censusについでのウェブサイトの案内が、いくつかの言語で書かれてしました。スペイン語、中国語、韓国語、ロシア語・・・。でも日本語では書かれていませんでした。きっと、アメリカに住む他言語の中で割合の多い順なのだと思いますが、日本人ってやっぱりアメリカ全体で見ると少ないのよねぇ~と、既に結果を先読みしてしまった私です。

それぞれの歴史

2010年03月18日 | サバイバル in America
先週、ESLの中国人がポットラックパーティーを企画してくれました。こんなパーティー、定期的に出来たら楽しい。
少しばかり急だったので、今回は定番のほうれん草のキッシュを作って行きました。食べ始めてから、「誰かカメラ持ってる」と誰かが言い、しばし写真撮影。



レンコンのはさみあげや、中華スープ、チャーハン、飲茶、シナモンロールとあんパン、卵焼き、タルトとアイスクリームなど、美味しい食事の数々。同じ料理でも、作り手の国が違うと微妙に味付けや材料が違っておもしろいです。

食事もさる事ながら、話題の尽きないこのメンバー。普段のクラスでも良く発言する面々なので、クラスでは喋り足りないのかも

いつもながらフランス人の彼女はアジアの歴史に興味津々。アジア人同志でも意外に知らない事が多く、中国人の友人からの「今も日本に天皇は居るのか?」に始まり、「次の天皇は今の皇太子だけど、その次は??」と聞かれました。日本の天皇制からイギリスの王室勢の話になり、「フランスは?」と言う問いに、「We kiiled them.」と答えるフランス人の彼女。おもしろい。

私はたまたま中国残留孤児についてのを読んでいたので、素直に敵国の子供を育ててくれた中国人に感謝すると話しました。中国の北部出身の彼女は、全ての中国人がそうであった訳では無く、「Some of them」はそうだけど…と表情を曇らせていました。友人の親御さんも残留日本人だったと話してくれました。
地理的に日本に近い場所で育った彼女は、横暴な日本人も居たらしいと言っていましたが、それも「Part of history」と寛大でした。

中国・韓国・日本の歴史は、それぞれの国で伝えられている事が違ったりして、いさかいの原因になる場合もありますが、このメンバーはそれも「へぇ~、そういう風に習ったんだぁ~」と言える人達です。

それにしても、そういう話をしていていつも思うのが、日本は戦後の歴史について勉強しなさ過ぎだという事です。
そもそも、はっきりと未来に伝える意思が無いと言うか、曖昧にされてきたというか…。韓国併合の話も今回韓国人の友人に聞いたら、細かい所までしっかり教わっているようでした。彼女が教わった話を日本や世界的立場から見たらどうか・・・という問題は別にして、韓国の視点でしっかり教えられています。
ヨーロッパの歴史も長くてややこしい。戦いも沢山ありました。それをやはり良く勉強していているようで、各国同士の関係が歴史の上に成り立っている事を説明してくれました。日本の事を良く知らない自分が恥ずかしくなりました。

と言う訳で、今回もトニーおじさんの動画を一つ。
[投コメ翻訳済]Japanese pride and patriotism 日本人のプライドと愛国心
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さて、次は我が家でたこ焼きパーティーの予定。英語が不自由な私達。足が8本のがoctopusで、10本はsquidだなんて、英語の勉強か、生物の勉強か分からなくなってしまったりして…。韓国人の友人は、生物学の先生。そこはしっかり教えてくれました。