徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

Las Vegas その3

2010年04月09日 | 旅行記
この日も朝は、ジョギングからスタート。前日よりも更に風が強くて、花粉も沢山舞っていたでしょう、ホテルに戻ったら鼻水たらたら。これが午前中いっぱい抜けませんでした。

今回はExpediaExpediaで申し込んだため、いろいろなクーポンがついてきました。その中に、$50分のカジノチケットがもらえる物があったので、トライすることにしました。せっかくだもん
ラスベガスのカジノの場所はオープンに見えて、子供達が手を出しそうになったり、子連れの親がプレイしそうになると、しっかり「NO」と言われます。11年前とは違い、子供達も部屋で待っていられる御年頃。長女は前日のChris AnjelにYouTubeでかぶり付きだったので、夫と二人でカジノに出掛けさせてもらいました。



カードゲームはルールもよく分からないし、英語だし、人と話すのも面倒なので、スロットマシーン専門で遊んできました。
ひと言、おもしろいですね。まるでテレビゲーム。うちの子供達がDSなんかで遊んでいるのと対して変わらないような気がします。
実際、カードにお金がチャージされ、それをスロットマシーンに入れ、暗証番号を押してスタート。儲かった分は、スーパーのクーポンか何かのように、機会からペラァ~ッと出てきます。それを後で換金マシーンに入れて現金化するのです。
お金を賭けているなんて感覚は、ちっともありません。あんな物で、チャランチャラン儲かっちゃたら、やっぱり人間ダメになりそうですね。
$50で、けっこう遊べました。とは言え、ケチな私は、1セントとか5セントとかしか賭けなかったからですが・・・。

部屋に戻り、またラスベガス歩け歩けツアーに出掛けました。昨日は南へ向かったので、この日は北へ…と思っていたのに、Parisでケーキが食べたいとか、昨日行ったホテルのお店やシルクドソレイユのお店で買い物をしたいとかおっしゃるお嬢様たち。結局、昨日と同じコースをうろうろ。実は、私のジョギングコースもこのコースなので、家族より1往復多くこの道を通っている私。いい加減飽きてました。




それでも、各ホテルでやっている無料のショーを見たりしながら、お付き合い。

私はラスベガスのホテルの合間から見える、山の景色が好きです。たいへんな費用をかけて人工的に作られた街に居るのに、自然の偉大さを感じます。

そして、目指すは、Parisの中にあるカフェ。テーブルが少ないので、座る席がなかったのですが、ケーキを買う列に並んでいる間に一つあいたので、末娘がつつーっと座り、席取り完了。



ここのケーキは、持ち帰りで買う人も多かったです。

その後、夫と末娘は一旦ホテルに帰りましたが、長女がまだ行きたい所があるらしく、そんな時につき合うのは私。また、南へ…そして北へ…。

この日はこの旅行の最大の目的「O」を予約していました。このショーもシルクドソレイユ(Cirque Du Soleil)の物で、大きなプールを使ってのショーです。さすがに移動するタイプのショーには出来ないので、現在はラスベガスでしか見る事が出来ません。
このショーが、10時からだったので、夕食はその前に。ラスベガスでも人気のあるBellagioバフェへ。並ぶ事、1時間。これくらい並ぶのは覚悟していたので、iPhoneにあらかじめ入れてあった「This is it」を見ながら待ちました。
さすがにディーナーバフェ、種類も抱負です。ただ、御寿司を持ってきた長女曰く、お刺し身が生臭い・・と言っていました。私は暫く御肉は避けていたのですが、「うずら」を発見して頂きました。「外食の時には、家で作らない物をたべよう」と思っているので。

さて、「O」ですが、期待通り素晴らしかったです。
演じている人達だけでなく、舞台装置を設計した人、操作・メンテナンスする人などなど、沢山の人が関わって出来ているショーなんだなと実感します。

ただ残念な事が一つ。私達の席は二階中央の後ろの方の席でした。シルクドソレイユのショーは、幕が開く前にピエロが客席でおもしろおかしい事をするのですが、これがまったく見えず、一階の人達がなぜ笑っているのか、何が起こっているのか全然分からないのです。きっと、たいした事はしていないんだとは思いますが。
前日のBelieveでも、Chris が客席まで降りてくる場面があって、客席の前の方にしかは行かなかったのですが、それは「料金が違うからしょうがない」と思えました。私の後ろのおじさんは、「こっちにも来いよぉ~」と叫んでいましたが。
それでも何をしているかは分かりました。でも、「O」では、全然見えない。しかも、二階席の人達は、それが見たいがために、乗り出したり、立ち上ったりしているので、席に案内するアッシャーの人が「危ないので」「後ろの人が見えなくなりますから」などと注意していて気の毒でした。
これだけは、いくらチケットの値段が違うと言っても納得いきませんでした。既に舞台設計は変えられないので、演出で変えられると思うのですが、いかがな物でしょう

そんなことで憤慨していたのも、私自身が眠かったから 朝から歩き回り、すっかりおねむでした。次の日の朝には家に帰ると言うのに、ホテルに帰ってからは、バタンキューでした。

次の日は、ディズニーランド同様、夢の国ラスベガスを後にしました。これがアメリカで最後の旅行になるのかなぁ…。




最後の夜の夜は怪しい月夜。お土産屋さんの車のナンバープレート。空港にもあるカジノ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Las Vegas その2

2010年04月08日 | 旅行記
朝、一人でホテル街を軽くジョギングした後、朝風呂に入り、ゆっくり一日をスタート。

10時ごろホテルを出て、今日も歩け歩けツアー開始です。お天気は良かったのですが、風が強かった…。
とにかく、南の端のNew York New YorkやLuxorの辺りまで行ってみる事にしました。今後、この道を何往復もする事になるのですが…。




ラスベガスに来るに当たり、張り切って情報収集をしてくれた長女。彼女はシルク・ド・ソレイユ(Cirque Du Soleil)の大ファンなので、このラスベガス行きもそのショーを見るための物でした。
レストランについても、かなり調べてくれたらしく、やたら詳しかったです。今回のレストランの選択は全て彼女。全部当たりでした。

この日のランチは、Planet HollywoodのSpice Market Bufftへ。 世界各国の料理が食べられ、特に中東の料理もあるらしいと言う事で行ってみました。中東料理…インドカレーとハマスがありましたが、インドは中東料理に入る
中華はフードコートの中華弁当並かな。ここの、ローストビーフは固かったと食べた夫や娘達が申しておりました。いずれ、ランチタイムだったので、ディナーはまた別だと思います。お値段も違うし。



食後、更に南へ。11年前に泊まったのが、New York New Yorkでした。その時のおもしろおかしい思い出話をしながら。
通りには、あり得ないマイケル・ジャクソンとエルビス・プレスリーが…。

New York New Yorkの向い、MGMの並びに大きなコカコーラのボトルを発見した末娘。  コカコーラ中毒の彼女が見逃すはずも無く、先頭を切って入りました。ここで、長男へのお土産を調達。
そこで、世界のコカコーラをテイスティング。これは飲んだ物にしか分からない味。 ぜひ、トライしてみる事をお勧めします。



この日は、Luxorで公演されている、Believeと言うショーを予約していました。
Criss Angelと言うマジシャンのショーでした。(彼のオフィシャルサイトにジャンプにジャンプ) 実は、私は、全然彼の事を知らなかったのですが、すごい人気でした。後で調べたら、テレビ番組も持っていて、アット驚くマジックを披露していたようです。YouTubeにも沢山アップされています。
子供の頃からその才能を発揮し始め、もはや、マジックをするために生まれてきたような人です。
そんな彼ですが、女性関係もお忙しいらしく、マジックの秘密よりも、モテる秘訣を知りたいという男性群も多いようです。



このショーは、シリアスなマジックがメインですが、そこは、シルクドソレイユですから、おもしろおかしいピエロたちも出てきます。驚き有り、笑いありで楽しいショーでした。
このBelieveと言うショーは、Believeの真ん中の「lie」がわざわざ違うフォントになっているのがおもしろいですね。
そうそう、このショーにはウサギが登場するのですが、なぜ「うさぎ」かと言う説明で、ミラージュで公演していたジークフリート&ロイのホワイトタイガーのマジックショーの話が出てきます。未だに語り継がれるジークフリート&ロイもすごいなと思いました。

ショーは7時からだったので、その後、夕食をとる事にしていました。



この日は、Venetianのカジノの横にあるGrand Lux Cafeで。このレストランは、カジノ同様24時間営業で、時間によってメニューが違います。長女から、夜食メニュー(深夜から早朝6時まで)のシーフードパスタが有名らしいと聞いた私は、すっかりシーフード気分だったので、ディナーメニューの中からシーフードパスタを選びました。美味しかったぁ~。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Las Vegas その1

2010年04月07日 | 旅行記
末娘の現地校のSpring Breakには、ラスベガスへ行きました。
一人日本に残る長男には申し訳ありませんが、まぁ、彼も充実した日常を送っているようなので、まぁ、いいでしょう。

ラスベガスには、11年前、前回の駐在の時にも行きました。
当時は、まだVenetianやParisが建設途中でした。MGM Grandがラスベガスにホテルを構え、いろいろ言われていた頃ではなかったでしょうか。それ以前のラスベガスは知りませんが、MGM Grandが出来た事で、ギャンブルのイメージが強かったラスベガスも、家族連れで楽しめる場所になったのかもしれません。

当時は、ジークフリート&ロイのホワイトタイガーを使ったマジックショーが人気がありました。ギャンブルでお金が落ちるため、宿泊費用も安かったのを覚えています。末娘がまだベビーカーに乗っていて、ショーも見られないような年齢だったため、ホワイトタイガーのショーも、夫と長男、私と長女と二手に分かれて見たのを覚えています。あ~、懐かしい。
その後、2003年に、ロイは虎に噛まれて重傷を負い、彼等のショーは打ち切りとなったのですよね。

あれから11年経って、ラスベガスも様変わりしていました。
VenetianやParisなどの高級ホテルが建ち並び、各ホテルのカジノは当時よりもちょっと人が少なく感じました。ショッピングモールもわんさか出来て、高級ブランド店が勢ぞろい。カジノで儲けたお金をつかってぇ~と手招きしているようでした。

初日は、お昼過ぎにホテルに到着。チェックインし、娘たちはホテルのゴージャスさに感動。「どうせ外見だけよ」と嫌味なオバサンの横で、「ありがとう、パパ」「幸せ者だぁ~」と連呼する娘たちに、夫も上機嫌でした。
とにかく、各ホテルを歩き回る事にしました。どのホテルもショッピングモールも兼ねているし、ディスプレイもとっても奇麗で別世界でした。写真スポットが沢山あるので、それぞれがカメラを持っている我が家、なかなか前には進めません。




アメリカ東海岸とラスベガスの時差は、3時間。夕方ちょい前には、お腹が空いた私達。
早めの夕食を、ParisにあるLe Village Buffetで。ここは、ワインも一本$14です。もちろん、美味しく楽しく飲ませていただきました。


食事が終わったら、外は少し日が暮れかけていました。初日のラスベガスは、ここまで。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水中撮影

2010年01月15日 | 旅行記
Cancunのジャングルツアーでシュノーケリングをした時に、水中撮影可能のレンズ付フィルムで撮影した写真が出来上がってきました。

水中でのカメラ撮影って、難しいです。普段はデジカメの大きな画面を見て写真を撮っているので、水中で、しかも小さなのぞき穴から見て撮るのは至難の業にでした。
それにしても、シュノーケリングが初めてで、海の中をのぞくのがやっとだったとは言え…。

水中の末娘の勇姿を撮ろうと思い、「いち・に・さん」と声をかけあい、一緒に潜ったのに、ぷわわぁ~っとお互いに近づいてしまった私達。私も娘も慣れないライフジャケットとシュノーケルを着けてぶざまな動きで、超ドアップの写真になってしまいました。
それはそれで、良い思い出なのですが。海水の味と共に、しょっぱい思い出になりました。



それでも、魚がたくさん群れている様子が何枚か取れたので、アップしますね。
 

一番奇麗に魚が取れている写真は、一緒のグループだったアメリカ人のママさん(娘さん?)のビキニ姿が写ってるし、ガイドの人が撮ってくれた写真は、ボケボケだしで、なかなか人様にお見せ出来るような写真を撮るのは難しいですなぁ~。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Cancun その5

2010年01月03日 | 旅行記
ジャングルツアーが午前中だったので、一旦ホテルに戻り着替えてから、またダウンタウンに繰り出しました。
目的地は、ショッピングモール。その名も、Las Americas

ホテル街からモールへ乗り換えなしで行けるバスは、多くありませんでした。降りる所もよく分からず、キョロキョロ。ばらく乗っていたら、見知らぬ人に肩をたたかれ、「どこに行くの」と聞かれ「ショッピングモール」と答えると、「ここで降りるんだよ」と教えてくれました。そして、バスの運転手さんに「降りる人が居るよぉ~」とまで言ってくれました。おまけに、周りの人達も「人が降りるよ」と言ってくれ、満員のバスの中、通路を開けてくれました。なんて親切な人達。

このモールのバス停、分かりにくいのです。

 

帰りもバス停を探していたら、見知らぬおじさんが、「ホテルに行くバス停はこっちじゃないよ。あっちにずーっとあるいて行くんだ」と教えてくれました。そちら方面に歩いて行くと、後ろからクラクションが。 振り返ると、さっきのおじさんはタクシーの運転手さんで、「ホテル街まで$10でどう」だって。はめられたなとは思いましたが、乗せてもらう事にしました。
おじさん曰く、ショッピグモールまでお客さんを乗せて行ったらしいのですが、そのお客さんから2時間後に迎えに来るように言われているらしく、その間の2時間、バス停まで歩こうとしている私達を載せて稼ごうと思ったらしいです。ふ~ん。

そのおじさんは、カンクン育ち出そうで、若い時にはカンクンはまだ開発途中で、野生の猿も住んでいたそうです。その猿たちはどこに行っちゃったんでしょうね。またちょっと罪悪感。
また、おじさんによれば、ダウンタウンのシーフードは新鮮だけど、ホテル街のシーフードは冷凍物だから、ダウンタウンの方が安くて美味しいとの事でした。
驚いた事に、英語ぺらぺらのこのおじさんは学校には行っていないそうです。彼の年代ではそれが当たり前だったそうですが。どこで英語を勉強したのかと聞いたら、独学だそう。素晴らしいですよね。
そんな会話を楽しみながらなら、タクシーも値段次第じゃ、悪くないかもしれません。

そう言えば、マーケット28に行った時にも、陽気なタクシードライバーが$7でホテル街まで載せてくれました。「一人$7じゃないよね」と確認してしまいましたよ。その時の運転手さん、元DJとかで音楽大好きおじさんでした。音楽をガンガンかけて、車もガンガン飛ばしておりました。ちょっと怖かった…。
その時のおじさんも話し好きで、「新婚旅行はカリフォルニアに行ったんだよ。子供三人居るけど、離婚してねぇ~。」なんて陽気に話してましたよ。

いろいろなガイドブックを見ると、ダウンタウンからホテルまでタクシーだと、だいたい$12-18と載っています。でも、「言い値」で乗せてくれる場合もあるようです。

カンクンのショッピングモールには何件か行きましたが、どこも同じような感じでした。結局、何も買わずに、ブラブラしただけで終わってしまいましたね。
お土産と言えば、Watersports@Cancunが紹介してくれていて、その中からいくつか。それと、虫刺され。
どこへ行っても「物より思い出」の我が家です。 今回は、かゆみもプラス。


   

最後の夜にホテルのビーチサイドのレストランで食事をしたのですが、そのお店全面ガラス張りで、ビーチがよく見えるのは良いのですが、暗くなったら蚊が入り放題。例えレストランと言えども・・・しかもホテルの素敵なレストランと言えども、カンクンに虫よけは欠かせません。
一番沢山刺されたのが末娘で、「若者は美味しいのかねぇ~」と妙に感心してしまいました。

最終日は、午後のフライトだったので、午前中はホテルのビーチでのんびり。夜になってフィラデルフィアに下り立った時には、吐く息が白くて「帰って来ちゃった」感バッチリでした。
またチャンスがあったら行きたいカンクン。フルーツも抱負で、毎朝フルーツ山盛り食べていたカンクン。
でも、末娘の高校受験等を考えると、今年は帰国も視野に入れなければなりません。のんびりしている場合でも無いのです。そういう意味で、これがアメリカ生活最後のバケーションになるのかもれしません。

と言うわけで、カンクンの旅のご報告も、これでおしまいです。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Cancun その4

2010年01月03日 | 旅行記
波が荒くて日程を変更したジャングルツアーの日です。この日は波も静かで、いいお天気になりました。
このジャグルツアーも遺跡巡りの時と同じWatersports@Cancunにお願いして予約していただきました。

このジャングルツアー、私達が予約した時間帯には、5づのグループが参加していました。シュノーケルをするポイントまでは、各グループ自力でモーターボートを運転して行きます。
高校時代レガッタをしていたので、ボートやモーターボートは珍しくないのですが、運転した事はありません。もちろん、夫もモーターボートを運転するのは初めて。それでも車を運転する要領()で、運転してました。ジャグルツアーに参加に際して、免許証の提示も求められず、どういうルールになってるのかは不明です。

運転についての簡単な説明と、手信号の練習の後、ガイドさんを先頭に、5艘のモーターボートが一列に並んで進んで行きます。最後尾にも、もう一人ガイドさんが着いて来てくれるので、安心です。
そんなにスピードは出さないだろうと高を括っていたら、とんでもない どんどんスピードを上げて行きます。途中のマングローブで、反対方向から来るボートとすれ違う時には、こんなにツアー参加者を信用していいのか…と思ったりしました。このツアー、予想以上に安全で18年間無事故だそうです。
初めてモーターボートを運転した夫でしたが、そんなに車の運転とは変わらないのかな

 

シュノーケルのポイントにボートを停めて、しばしの間シュノーケリングです。我が家は全員シュノーケリングは始めて。もちろん、フィン(足ひれ)もシュノーケルも着けたのは初めてで、最初はどうやって動いたらいいかわかりませんでしたが、しだいに慣れる物です。
片言の日本語を話すガイドさんが、「お客様、こちらです。」と案内してくれます。とても素朴親切で、海の似合うおにいさんでした。片言の日本語ですが、彼の人の良さはよく分かります。
海の中には、何人か人が居ると言うのに、恐れもせず、魚が沢山泳いでいます。良く考えれば、海にすんでいるのは魚の方だから、私達の方がお客なのよね。招かれざる客にならないと良いけど…と、思いながら魚を見ていました。紫と黄色の奇麗な魚、ロブスター、ウニ、ヒトデなども見られました。
もっと若い頃に体験していたら、スキューバーダイビングなどにも挑戦していたかもなぁ・・と思ったりしました。

意外だったのが、シュノーケリングの後、ボートによじ登るのが大変な事。ガイドのおにいさんが、私の体重ももろともせず、引きずりあげてくれました。 もしかしたら、ガイドのお仕事で一番たいへんじゃないといいけど…。

帰りのモーターボートの運転は、もうお手の物の夫。すっかり若大将気分でした。(ちょっと、古いですか)このスピード感と解放感、とっても気持ちよかったです。

について
海の中の写真は、水中でも撮影出来るレンズ付フィルム(使い捨てカメラ)を使って撮りました。持っているデジタルカメラは、防水対応では無いので、ジップロック式の袋のようなものを買う事も検討しましたが、旅行に間に合わなかった事と、そんなに使用頻度は高くないだろうと言う事で、見送りました。
現像にまだ出していないので、どんな風に写っているか分かりませんが、楽しみです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Cancun その3

2010年01月03日 | 旅行記
さて、今回の旅行の最大の目的、遺跡巡りの日がやって来ました。遺跡については、インターネット上の情報を事前に読んで行けば、英語のツアーでもいいかと思っていましたが、夫がインターネットでWatersports@Cancunという会社を見つけ、利用する事にしました。我が家は「チチェンイッツァ遺跡+エクバラム遺跡日本語ツアー」に参加しました。
Watersports@Cancunの店長さん、遺跡について良く調べておられて、詳しい資料もいただいて、とても興味深く拝見させていただきました。ちょっとした知識をインプットしてから出掛けると、更に遺跡巡りが楽しめます。感謝です。

当日は、朝7時半過ぎ、ツアー会社のバスがホテルまで迎えに来てくれました。そこからひたすらジャングルの同じ景色の中を入る事2時間、チチェンイッツア遺跡に到着します。
途中立ち寄ったトイレ休憩では、トイレの水が流れにくい(タンクに溜まる水がチョロチョロなので、なかなか溜まらない)、便座がついてないのでスクワット状態で用を足さなければならないなど、ちょっとだけエキサイティングな経験をしました。一緒になった他の会社の日本語ガイドの方が、「こんな事、当たり前です」とたくましさを発揮してくれました。

1988年に世界遺産に登録されたチチェンイッツア遺跡は、ククルカンのピラミッドが有名です。このビラミッドはもちろん修復(1927-1933年)されていて、ここでもアメリカのカーネギー財団が中心となっていたそうです。全て修復されず、部分的に発掘されたままの越しているのは、予算が無かったからでは無く、オリジナルとの比較が出来るようにするためだそうです。

 

このピラミッドの他にも球技場や、天文台、他にもいろいろ建造物があります。マヤ文明といえば、いけにえの習慣が取りざたされる事が多いですが、文字を持っていたり、天文学に長けていたり、かなり進んでいたように思います。日本もかなり昔から文字はありましたが、天文学はどうだったのだろうでしょうね。

チチェンイッツア遺跡の後は、セノーテ (cenote) という地底湖へ。ユカタン半島は、地盤が石灰岩なので、水がろ過され地底湖が出来るそうで、至る所にあるらしいです。
我が家は、泳ぐ準備をして行きませんでしたが、泳いだ人曰く、水も奇麗でそんなに冷たくは無かったそうです。記念に入っておけば良かったかなぁ…と、ちょっと後悔。

 

上からダラァ~ンと伸びているのは、木の根です。すごいですよねぇ。崩れやしないかと、ちょっと心配。

昼食タイムはバイキング形式でした。ジャングルの中に突如として小奇麗な建物が現れた事に、ちょっとしたショックを受けました。バスから見える集落は、けして豊かとはいえない様子ですが、観光客用のレストランなどはとても奇麗。罪悪感のような物を感じました。
あ~、それなのに、私ってば昼間っからビールを頼んでしまいました。 バケーションと言う事で、お許し下さい。
そして、そこでオハイオの元ご近所さんと遭遇 世界は狭いですねぇ~。

このツアーの最後のとり、実はもっとも楽しみにしていたエクバラム遺跡です。

 

チチェンイッツア遺跡ピラミッドにはもう上れませんが、このエクバラム遺跡の神殿にはまだのぼる事が出来ます。しかも、チチェンイッツア遺跡のピラミッドよりも少し高いそうです。登れないと聞くと、どうしてのぼりたくなるのが人の常。「なんとかと煙は高いところに上りたがる」とは言いますが、私も御多分に漏れず、高所恐怖症のくせに登りたがってしまいました。

 

エクバラム遺跡はトロール王朝の時代の遺跡で、神殿の中ほどの屋根で保護されている部分は、王のお墓だそうです。神殿の前には、木で覆われた小山が左右にあります。そこも遺跡があるだろうと予想されているらしいです。
神殿の上からは360度見渡す限りジャングルが望めます。トロール王朝の時代とそう変わらないのかもしれません。この豊かな自然が、豊富なフルーツなどの食物をもたらし、命を与えてくれているのですよね。あとどれくらいこの景色を保てるのだろうと思わずにはいられませんでした。

さて、「行きはよいよい、帰りは怖い」です。末娘はへっぴり腰で階段を下りていました。もちろん、私も。


良く考えたら、日本語ツアーなる物を利用したのは、サンフランシスコで夫と別行動した時に「モントレー&カーメル」にまだ小さかった子供三人と参加して以来10年ぶりでした。
当たり前なのでしょうけれど日本語ツアーって、疑問に思った事を質問すると、すぐ答えてもらえて理解出来るっていいなぁ~と思いました。それに、やはり日本人経営なので、親切。 その都度、的確な支持をしてくれます。それに必ず一家に一台カメラを持って参加しているので、いいポイントで家族写真を撮ってもらえます。感心したのが、バスドライバーさん。ガンガン大型バスが追い越して行く中、ご本人も早く帰りたいでしょうに、とっても安全運転で無理な車線変更をする事無く、とても快適な旅でした。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Cancun その2

2010年01月01日 | 旅行記
カンクンには深夜近くに到着したので、初日は寝るだけ。
次の日は自分で運転するモーターボートで海に出て、ショノーケルをするジャングルツアーを予約していたのですが、風が強く湾の中をグルグルモーターボートで回るのみだと言うので、予約を2日後に延期してそのまま、マーケット28(mercado28)へ行ってみました。ここは、空港に迎えに来てもらったドライバーのおじさんに教えてもらった所で、典型的な観光客用の土産物屋と言う感じでした。



ホテル街から、カンクンのダウンタウンまではバスが走っていて、ジャンジャン来ます。
料金も、一人7.5ペソ(US1ドルでおつりが来ます)なのでなので安い物です。ただし、バス料金はペソで支払うのが原則です。実は、ジャングルツアーの窓口にまで行くのに、おりる場所が分からず、何度か乗ったり降りたりの繰り返しをしたのですが、この値段なら許せる範囲でした。

  

マーケット28に入った途端に、「ノー高い」「やすい、やすい」などなど、事前情報で聞いていた、片言の日本語で呼びかけ(呼び込み)られます。聞いた瞬間、「出たっ」とつぶやく夫に、末娘も私も大爆笑。
「ワンダラー」とミサンガの束を持っている小さな女の子。実は、「ワンダラー」と言いながらも、$1じゃない物も多いらしいです。
一番面白かったのが、私達が通りすぎた背中越しに、「こんにちは。ともだちぃ。」とコソッと言われる事。「日本語に自信ないのかな 試すように言うのやめてくれる」と、背中越しに突っ込む私。「オラ、アミーゴ(Hola, amigo!)」の直訳かと、後で納得。
声をかけられて、「あとでねぇ~」と切り抜けようとすると、「あとで、ない」「あとで言う人、あとで来ない」と言われました。その後二度目にその店の前を通り過ぎる時に、「約束した」と言われ、ちゃんとお店に入りましたよ。
頭にかぶる布のようなものをちょっと見てたら、「安いよ。どれ これ」と、勝手に頭にかぶせてくれるおばちゃん。商売っ気たっぷりです。
正直言って、最初はうっとうしいと思いましたが、だんだん、一生懸命なんだなぁ~と感心してしまいました。こういう必死さを忘れてますね、私達。

お昼ご飯は、先のドライバーさんに教えてもらった、マーケット28の中にあるシーフードレストランEl Cejasで食べる事にしました。ドライバーさん曰く、「リーズナブルで美味しいし、誰でも知ってる」そうです。

 

いやぁ~、昼間っからビールが飲めるってなんて幸せ。 オーダーしたシーフードもどれも美味しい。特に、魚介類満載のスープは格別。まるで北斗七星の物語のように、すくってもすくっても具が入っていて、お皿の中から沸いて出ているのかと思うほどでした。

午後は、一旦ホテルに戻りプールでのんびりした後、またバスに乗って出掛けました。ホテル街のモール、Plaza la IslaLuxury Avenueを二件はしごしてきました。

 

モール内には、ジュエリーのお店が多いように思いました。メキシコでは質の良い銀が良くとれるそうです。また、アメリカ資本が沢山入っていました。やっぱり、メキシコまで来てアメリカから離れならないのかなぁ…と思ってみたり、それでメキシコの経済も支えられてる部分もあるんだろうなぁ…と思ってみたり。

 

そんな我が家も、夕食はアメリカのチェーン店のステーキ屋さん。まぁ、末娘のチョイスですからこんなものでしょう。高かったけど…。
次の日は、いよいよ遺跡巡りです。朝7時半から夜7時までと、約12時間のツアーの予定なので、早めに寝ました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Cancun その1

2009年12月31日 | 旅行記
今年の年末休暇は、ちょっと頑張って4泊5日でメキシコ、カンクンに行って来ました。
数年前に夫だけは仕事で行った事があったのですが、観光出来ず良いイメージが無かったようです。今回は、私がマヤ遺跡を見たかってので、頑張ってもらいました。アメリカから国境を越えての旅は、私自身、日本以外にはカナダへ何度か、メキシコへは初めての旅となりました。

 

航空券とホテルの予約を入れたのは、9月の末。巷ではまだまだH1N1のニュースで持ちきりでした。ESLの中国人のクラスメイトの中には「メキシコに行って大丈夫」と言う人も居ましたが、メキシコ人のクラスメイトには、「前々へいきよ。テレビが騒ぎ過ぎ。(メキシコに要る)両親に電話したら『なんの事』って言ってたわ」と言われました。

カンクンのホテルの中には食事代込みのオールインクルーシブのホテルもあるのですが、きっと我が家は出歩いて外で食事をとる事が多いだろうと思い、普通のホテルの朝食付きにしました。もちろん、ホテルにはプライベートビーチとプールがあるので、それで満足。でも、朝食以外2回はホテルのレストランで食事をしたので、結果的にはどうなんでしょうね。

メキシコへの空の旅、行きはなんの問題もなくスルスルーッと入国出来、アメリカ入国時と違って指紋を取られる事も無く、「さすが、メキシコォ~」なんて思っていました。それが、12/25のテロ未遂事件のおかけで、帰りのフライトはセキュリティーがかなり厳しくなっていました。
行きのフライトでは、小型スーツケースとバック(パソコンバック、カメラバック、ハンドバックなど)二つまで手荷物として持ち込めたのに、帰りのフライトでは一人一つまでしか許可されませんでした。おまけに、荷物などを調べられるのはセキュリティーチェックポイントだけでなく、飛行機に乗る直前の搭乗口でも一人一人手荷物をあけられ、ボディーチェックまでされました。でも、この搭乗口でのチェックがいい加減。鞄のジッパーをちょっと空けただけでろくに中は見てませんでしたね。
フライト時も着陸1時間前からはトイレに立つ事も禁じられ、毛布やジャケットをかける事も禁止、電気製品の使用も禁止でした。
自宅に帰って来てから、このセキュリティーの件は、あちらこちらで話題になっています。たまたま聴いていたラジオ(NPRの視聴者からの電話でも安全の試し方が無いと言う意見、このピーク時にとんでもないと言う意見、様々でした。

とうぜん、このような状況で、予定時間は大幅に遅れたわけですが、到着時刻が遅れるとアナウンスされると同時に、乗り換えのある人達は続々とカウンターに詰めかけておりました。幸い私達は直行便だってたので良かったです。飛行機が定刻よりも遅れるなんてしょっちゅうなので、もう慣れっこになってしまったような気がします。

私がカンクンに持って行った本が「昭和史」だったのですが。たまたま読んでいた箇所が現在のアメリカの状況とダブルような気がしました。以下、抜粋。
「昨今、小泉内閣で有事法制が問題になっていますが、敵が攻撃してきた時に民衆をいかにして守るかと言う議論を今時やってるわけです。--(略)---敵がやって来る前に撃退しなければならない、その前にまず外交的な努力によってそういう事態が起きないようにする事が大事なのに、どうも国会では一番肝心の国家的政略や戦略が議論されていないようです。」

メキシコ人は残念ながらアメリカ人からの印象はよくありません。「また、ラティーノが…」と言われたりします。
でも私がカンクンで出会ったメキシコ人たちは、陽気で働き者と言う印象しか受けませんでした。もちろんカンクンは、メキシコの一般の人にとっては、主にアメリカ人が多く観光に訪れる別世界なのかもしれません。きっとメキシコ人全ての人がそうでは無いのかもしれません。でも、真っ黒に日焼けして、ニコニコ笑顔でカンクンの事をいろいろ教えてくれる彼らに、ちょっと心を洗われたような気がします。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再びWilliamsburgへ

2009年09月10日 | 旅行記
レイバーデーの週末に、ウイリアムズバーグに行ってきました。
冬に行った時とは違い、暑かったです。ジーンズにダークグレーのTシャツ姿の私は、ビビットカラーばかりのアメリカ人の中で、少々浮いていたかも知れないなぁ~。

早朝、おにぎりを沢山持って家を出たので、それを食べながらウイリアムズバーグにたどり着きました。前日の夜のチキンウイングのお酢煮まで車の中で食べいたので、車の中は、不思議なにおいが漂っておりました。

 

長女が初めてだったので、今回も総督公邸の家の見学ツアーに参加しました。夏は、冬と違って、絵にもカバーがしてあって、ダイニングテーブルのディスプレイも取り除かれ、なんとなくガランとした感じでした。風の通りがいいようにしてあるのかなぁ

ヒストリックサイトをあるいていたら、保存している町全体を利用しての劇が始まりました。独立戦争が始まると言う内容のようでした。
最初の場面は、街の中で女の人達が、これから戦争が始まるという情報を得て、夫の身を案ずる場面でした。その後、「キャピタルへ行こう!」と俳優さんが叫び、観客も皆そちらへ移動しました。
キャピタル前では、馬に乗って役人に対して、先の女性が「戦争が始まるのか」「夫はだいじょうなのか」と問いかけます。税金が高いから闘うしかない・・・と言うような内容だったと思います。
この劇の途中で、「税金が高すぎないか!?」と言う役人のセリフに対して、見ている人の中から、「そうだぁ~!」と賛同する人が居たりして、笑っちゃいました。
そんな感じで劇が続くようでしたが、私達は途中で退散してしまいました。

ウイリアムズバーグも一回りしてしまったので、次の日はアウトレットモールとアンティークモールへ。
早めの行動が吉と出て、駐車スペースを探すのにも困らず、後で降ってきた大雨にも見舞われず、買い物が出来ました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良・京都への旅 その4

2009年07月08日 | 旅行記
四日目・最終日は、京都駅のコインロッカーに荷物を預け、前日のリベンジ、「京都国際マンガミュージアム」へ。この日は、バスでなく地下鉄で移動。
まだまだ「これから」という感じのミュージアム。なだ日本の学校は夏休みに入っていない平日、真剣に漫画を読んでいる大人が結構居ました。ここの館長さんは、「バカの壁」の著者、養老孟司さんなんですね。

その後は、大政奉還が行われた「二条城」へ。
二の丸内は見学できるので、一回りしたのですが、400年以上前に建てられ、1867年には実際に大政奉還が行われたかと思うと、感慨深い物がありました。

 

これで、奈良京都の旅はおしまいです。

今回泊まったホテルは、夫がネットで調べて予約したのですが、 彼のGood Jobでした。

奈良で泊まったのは「ホテルフジタ奈良」で、奈良町もJR奈良駅にも近鉄奈良駅にもほど近かったです。
京都で泊まったのは「ホテルマイステイズ京都四条」で、朝食付きプランにしたのですが、その朝食が素晴らしかったです。(写真)
プラス千円ほどで、朝から品数豊富な食事をとって、一日のスタートが出来ます。 二種類から選べて、そのうちの一つは更にうどんかお蕎麦が選べました。二泊したので、二回とも同じ朝食を選んでしまいましたが。(笑) 京都は、公共交通機関が整っているとはいえ、やはり歩くので、朝食は大事ですよね。

 

それにしても、高校の修学旅行も入れて、京都は4度目(奈良は二度目ですが)、15年ぶりでした。前回は、上の二人が保育園児の時でしたから、末娘はまだ生まれていませんでした。
いつ行っても、京都は素敵ですね。日本人で良かったなぁ~と改めて思います。そして、日本人のルーツを感じる事が出来るたような気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良・京都への旅 その3

2009年07月07日 | 旅行記
さて三日目は、末娘に「清水の舞台」を見せるべく清水寺へ。京都に行ったら、必ず行きますよね、清水寺って。
しかし、その清水を目の前にして、お土産屋さんで長時間過ごしてしまった私たち。ビーズやガラスのアクセサリーを売っているお店「清水坂ガラス館」を見つけ、あ~でもないこ~でもないと迷う私と末娘。結局、私はビーズのピアスを購入。千葉から来た事を話すと、お店の人はオートバイに乗るそうで、ツールングで千葉の海までやって来るとか。素敵なお店だったので、ぜひ清水寺におこしの際には寄ってみてください。自分でオリジナルアクセサリーも作れるようですよ。

 

清水寺を見た後も、やっぱりお買い物・・・。三年坂、二年坂を歩きました。
奈良・京都のホテルの部屋には日本茶しか置いていないので、ものすごーくコーヒーを飲みたかった私。「イノダコーヒー」でコーヒーをいただきました。美味しかったわぁ~。

その近くの漬物屋さん「西利」で、トマトの漬物を試食して気に入ったので、ホテルで食べようと買いました。そして、祇園祭りの間だけ、千枚漬けを販売すると言う事で、その期間に送ってもらえるようにお取り寄せを申し込んできました。

そして、最近日本で話題らしい、よーじやで<色々お買い物。定番の油とり紙などなど・・・。

 

そのまま知恩院をまで歩き、知恩院を一回り。
「念ずれば、花ひらく」と言う言葉に、なぜか引きつけられました。念じよう花は開くかなぁ~



その後は、自称「おたく」の末娘の希望に沿うべく、「京都国際マンガミュージアム」へ。
途中、道を間違えつつ、やっと到着した物の、その日は休館日 次の日にまた行く事にして、一旦ホテルへ。
少々ホテルで休憩した後、再度、新京極・寺町商店街・錦市場へ。

お土産をあれこれ買い物した後、錦市場で「京都のおばんざい~」と思っていたのに、こちらも土産物に時間を費やしすぎてすでに閉店。
しかぁ~し 近くの大丸のデパ地下でお総菜を探しました。もちけん、私は「京都らしさ」にこだわりました。
夫が選んだデザートは、愛情プリンとエッグタルト。でも、愛情プリンってクリームブリュレでしたけど・・・。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良・京都への旅 その2

2009年07月06日 | 旅行記
二日目の午後は、京都へ移動。
電車の中で、奈良の名産「柿の葉寿司」を食べました。柿の葉にまかれている中の押寿司の具は色々あって、末娘はさけ、夫は小鯛、私はエビを選びました。そして、私だけ特別に「柿のもなか」をデザートに 記念に柿の葉を持ち帰ろうかと思いましたが、ベタベタしていたのでやめました。

 

京都駅に到着して、市バスの一日乗車カードを購入。500円で京都市内の中心部を走っているバスに乗り放題になります。もうすこし地下鉄なども使って遠くに行く場合は、バスも地下鉄も利用できる京都観光乗車券(一日分1,200円・二日分2,000円)があります。

ホテルに荷物を預け、金閣寺に向かいました。私はしぶい銀閣寺の方が好きなのですが、末娘にインパクトを与えるため、金閣寺へ。それなのに、そんなに驚いたそぶりもない末娘。感想は「なんだか、オモチャみたい。」だそうです。

次は大徳寺へ。
末娘は、大徳寺の前の松田老舗の一休こんぶが気に入って購入。大徳寺納豆も忘れずゲットしました。家に帰ると、素朴な味が好きな長女がはまり、毎日ちょこちょこ食べています。 お茶漬けなんかに使っても、美味しそうです。

高桐院の中を見学しましたが、梅雨空に苔がマッチしていて、とても落ち着く空間でした。時間があれば、落ち着きが無いと言われ続けている私でも、「座禅」でもしたくなるような雰囲気でした。

 

夕方は、新京極でお買い物。どうしても京都らしい和の小物や、お香に目が行ってしまいます。
新京極には、修学旅行生がたくさんいて、お土産屋さんも一生懸命でした。生徒に「気をつけて帰りぃ~や。」というおばちゃんの言葉がとっても優しく聞こえました。

新京極に繋がる京都の台所・錦市場で、京都の「おばんざい」を物色。見る物すべて美味しそうで、迷っているうちに錦市場から出てしまったので、この日は近くの韓国風のレストランで夕食を済ませ、京都のおばんざいは次の日にする事にしました。

たくさん歩いて、疲れた一日でした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良・京都への旅 その1

2009年07月05日 | 旅行記
末娘に日本の歴史を見せたくて、修学旅行のお決まりコース、奈良・京都へ行ってきました。

奈良では、奈良公園で鹿に追いかけられた末娘。
鹿煎餅を買ったら、それを食べさせる前に鹿が寄って来て、鹿にモテモテでした。

 

そして、奈良の大仏を見学。そこで末娘は、「学業成就」のお守りを買っていました。お金が貯まるお守りを買いたがっていましたが、今の彼女に必要なのは「お金」よりも「学力」です。
「踊る大捜査線」ファンの我が家。その中で、何度も命を守ってくれる”お守り”に憧れのあった末娘ですが、中身がどうなっているのか興味津々でした。実は、今まで”お守り”を持った事がないんですよね。「ただの紙じゃないの?」って、ありきたりの事を言っておりました。中2にもなって、そんな事を言う末娘がまた面白かったです。

奈良町を通りホテルに帰りましたが、ホテルの裏が古墳になっていたので、そこも見に行ってみました。
残念ながら門が閉まっていたのですが、古墳って近くからは単なるこんもりとした森なんですよね。上空からしか「古墳」としての形はわかりません。大昔なのに人間は凄い物を作った物だなぁ~と、感心しました。

次の日は平城京跡へ行きました。

 


来年は遷都1300周年に当たるため、平城遷都1300年祭が企画されており、大々的にコマーシャルされています。
朱雀門が復元され、第一次大極殿の復元工事中でした。遺構展示館には、発掘された井戸や水路が展示されていて、興味深かったです。
朱雀門から平城京を見渡しながら、1300年以上昔の日本の古い都を想像すると、日本人ってすごいなぁ~なんて、思ってしまいました。

お昼に奈良を出発し、京都に向かいました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本からの優れもの達

2009年04月18日 | 旅行記
日本に帰る度に驚くのが、日本の商品の開発力。どんどん新しい物が開発されています。
電気製品はもちろんの事、食品に至るまで研究・開発を惜しんでいないんだなぁ~と感心してしまいます。

驚いたのが、シャープペンシル、俗に言うシャーペン。
三菱鉛筆から出ている、「クルトガ」と言う商品。書いている間に、自動的に進が回って、いつでもとがった芯先で書けると言うもの。



我が家の末娘は、よくある文房具コレクターで、PILOT社のDr. GRIPを何本も持っています。色んな会社が、そのコピー品を出していますよね。
シャーペン一本にでもこだわるところが、日本人だなぁ~と思いました。

それと今回の買い物で、一番の優れものがこれ



恥ずかしながら、かかとの角質けずりです。
このところかかとがだいぶガビガビになっていて、ひび割れていたのです。
アメリカでも大根おろしのようなかかと刷りが売っているのですが、どうもそれは怖いし値段も高いので、買う気になれませんでした。おしゃれなBath & Body Worksで相談したら、軽石を渡されました。しかも、軽石におしゃれに"HOPE"と掘ってあるの。こんな事書いても、軽石は軽石よ・・・と、鼻で笑ってしまいました。

日本でみつけたこちらは、値段も手ごろ(たしか300円くらい)だし、失敗しても損した感が少なくて済みます。
ところが、実際試してみたら、値段以上の効果 もぉ、大喜びでした。
これでガビガビを削り取った後は、ユースキンをぬり、靴下を履いてお休み。夏にサンダルを履くのが楽しみです。

実は日本に居る間、長女のお洋服の買い物にずいぶんと時間を費やしました。
アメリカではジーンズにTシャツで、外見にこだわらなかった彼女。東京じゃそうも行きません。電車での通学、おされぇ~な女の子がたくさんいます。それに4月は新年度のスタートでもあり、皆さん気合いが入っているみたい。頑張れ長女

末娘は貯めていたお小遣いを大放出。自称オタクの女は、マンガとDVD、CDにかなりを費やしておりました。

そうそう、Person'sの靴が2000円になっていて、そこから更に70% Offで、なんと600円で靴をゲット。これが今回の一番の掘り出し物かな。



けっこう作りもしっかりしてるんですよ。末娘のオーケストラ用の靴もついでに買いました。
これが、帰りの荷物でかさばって少々苦労しましたが、なんとか詰め込んで帰って来ました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする