徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

「デセプション・ポイント」

2007年01月31日 | 映画・テレビ番組・本など
「ダ・ヴィンチ・コード」の著者・ダン・ブラウンの「デセプション・ポイント」を読んだ。
実は、この本一昨年の秋に買ったのだが、1年以上も我が家の本棚で眠っていた。なのに、読み始めたら2-3日で読み終わってしまった。読むのが早い人なら、1日かも。
彼の小説はすべてがそうだが、1章ずつが短く、場面がちょうど良い所で切り替わる。それにつられて読むのがやめられなくなり、あっという間に読んでしまう。

今回は「ダ・ヴィンチ・コード」「天使と悪魔」の宗教色がこかったものと違い、アメリカ政府の話。
大統領選のさなかのNASAの大発見についての話だ。しかも、この大統領選、焦点はNASAに投入されている莫大な予算。国民の税金をNASAに費やしている現政府を避難する上院議員 vs NASAを民営化から守ろうとする現大統領の一騎打ちだ。その発見にはちょっとした仕掛けが・・・・。 誰が!? 何のために!?

UFOの話やNASAは宇宙人の死体を保存しているという話を誰もがどこかで耳にした事があると思う。
「デセプション・ポイント」にはそんな話も出てくる。SFとしてもちょっと面白いかもしれない。

また、「小説に出てくる、デルタ・フォース、国家偵察局(NRO)、宇宙フロンティア財団(SFF)は現存する組織で、この小説の中の科学技術はすべて事実に基づいている。」と言う著者注記があるが、どこまでが現実で、どこからが物語なのか・・・すべてが本当にあり得そうだと思ってしまうあたり、ダン・ブラウンの魔法にかかったような気がする。


国立航空宇宙局/NASA(National Aeronautics and Space Administration)は、人口衛生の打ち上げで旧ソ連に遅れを取った事から、おくれを取り戻すために空・海・陸軍でバラバラに行っていた宇宙開発任務を統合することを決めた政府によって、1958年に設立された。
1960年代には有人宇宙飛行・月面着陸を成功させ、火星探索などその功績は大きい。
レーガン元大統領によって提唱された国際宇宙ステーション建設と運営においては、日本はじめ16カ国が協力しているがNASAの担う所は大きい。
大きな事故も何度か有り、2003年のコロンビアの事故などは記憶に新しく、大きな危険が伴う事業とも言えよう。

ただ、私の個人的な考えではあるが、地球上のちっちゃな人間が、こんなに大きな宇宙に立ち向かっていいのかなぁ・・・と思ったりする事もある。それには、いずれきっと歴史が答えを出してくれるのだろうが。

LEFT BEHIND (レフトビハインド)

2007年01月24日 | 映画・テレビ番組・本など
世界規模で起きた謎の人体消失事件。
ある者たちは真相を聖書に求め、
ついに驚愕の予言に行きあたる。
「軽挙」が起こったのだ!
我々は取り残されて(left behind)されてしまったのだ!
世界はついに、終末に向かって歩き始めた!


聖書の最後の章「黙示録」は難解な箇所だと言われる。
それまでに起こった事柄を書いた新約聖書のそれまでの章とは違い、これから起こる事を預言していると言うのが理由だろう。
(この場合の、「預言」とは、神の言葉を預かると言う意味で、単に予想と言う意味での「予言」とは区別して使われる。)

その黙示録の中の預言が、今起こったら・・・と言う仮定の元に、この話は描かれている。
原作者はティム・ラヘイとジェリー・ジェンキンズ。元牧師でもあるティムの構想に基づいて、ジェリーが執筆。この「レフト・ビハインド」はアメリカでは12巻まで出ているが、日本語版は5巻まで翻訳されているようだ。
これはDVD化されていて、第三話が昨年発売された。

しかしながら本当のキリスト教は、この物語のような「この世の終わり」、「終末論」を振りかざして伝導する物ではない。いわゆるカルトと呼ばれる宗教団体が、この「黙示録」の部分にだけを取りざたしているような気がする。
よって、この本を読む、またはDVDを見る場合は、「こんな考え方もある」くらいの気持ちで見たほうが良いかもしれない。
聖書の「黙示録」には具体的にそれが「いつ」起こるかは書いていないのだ。

Contemporary Music Festival

2007年01月23日 | オハイオ・お出かけ
クラッシック音楽の作曲者と言えば、既に大昔の人ばかりで、すでに亡くなっている・・・と思いがち。
でも、近々作曲者自らがタクトを振るコンサートが観られる。

1月末から2月始めにかけて、Gunther Schuller(ガンサー・シュラー)がこの街にやって来る。
Gunther Schullerは多才な人で、指揮者・作曲家と言う肩書き意外にも、学者であり、ジャズ音楽の歴史家でもある。1994年には、ピュリツァー賞も獲得している。

ちなみにこのピュリツァー賞とは、新聞等の印刷報道、文学、作曲に与えられる米国で最も権威ある賞で、1960年代には日本人も写真部門で受賞している。Gunther Schullerは"Of Reminiscences and Reflections"と言う曲で受賞したらしい。

1/31から2/4の間、ダウンタウン周辺でContemporary Music Festivalが企画されている。
Columbus Symphony Orchestraとは、2月2日・3日のコンサートで共演する。このコンサートで演奏する「Fiur Soundscapes」と言う曲は彼の作曲による。
その他にOSUの学生やColumbus Symphony Youth Orchestraとの共演も予定されている。(詳しくはContemporary Music Festival)

実はこの週末、息子がオーケストラの演奏で、彼の”Seven Studies on Themes of Paul Klee”と言う曲を演奏した。これは、スイスの画家Paul Klee(パウル・クレー)の作品をイメージした曲だそうだ。ジャズっぽかったり、アラビアン風だったり、とてもユニークな曲だった。

本格的冬を迎え、外に出るのも億劫な今日この頃。
暖房の効いた奇麗なコンサートホールで、指揮者自身が作曲した音楽を聴くと言うのも、なかなか良いかもしれません。

「のび太」という生きかた

2007年01月22日 | 映画・テレビ番組・本など
「『のび太』という生きかた(横山泰行・著)」を読んだ。

日本で毎週と言っていいほど見ていた、「ドラえもん」
何か困った事があると、すぐ「ドラえも~ん!」とのび太がドラえもんに頼る所が情けない、といつも嘆いておりました。
そして、「しょうがないなぁ~」と言いながら、結局四次元ポケットから道具を出してしまうあたり、ドラえもんも甘やかし過ぎじゃん!と怒ったりして。
そんなら見なきゃ良いのに、なぜか見ていた「ドラえもん」

その「のび太が実は勝ち組だった!」と言うことが、マンガを題材に取り上げながら、解説されているという面白い本です。
でも、「ドラえもん」の原作者である、藤子・F・不二雄氏はそこまで考えて「ドラえもん」を描いたのかどうかは、疑問である。

"主婦"と言う立場

2007年01月21日 | 思った事
ビザの種類にもよるが、海外駐在員の奥さんの殆どは働けない場合が多いと思う。
必然的に肩書きは「主婦」と言うことになる。つまり一家の収入は夫の収入のみになる。

日本では自分の仕事を持ちバリバリ働いていたが、夫の海外赴任をきっかけに仕事を辞めて付いてきた人。
もともと日本でも主婦で子供達の世話をしていて、住む国は変ったが、同じように海外で主婦をしている人。
グリーンカードを持っていても、本人の意思、又はご主人や家族の意思で主婦をしている人。
立場は様々だろう。

仮に私の友人の話、としておこう。
結婚して2-3年はパートとして仕事をした事があったにしろ、ずっと主婦としてやってきて、仕事を始めようと言う矢先に夫の海外駐在が決まり、渡米した。
もちろん、ビザの関係でアメリカでは仕事は出来ない。
公共交通機関は整っていないので、子供達はスクールバスで学校に通学してはいるが、習い事や塾などは彼女が車で子供達の送り迎え。時間をやりくりして、なんとか子供達の希望通りの習い事を続けている。
それを「自分の仕事」だと思って、やりがいさえ感じている。
それが、夫に「日中遊んでるくせに」「昼間暇でしょ」、終いには「俺の稼いだ金を無駄遣いしている」と言うような事を言われたら? それって、どこのご主人も言うことなのかな?
それを聞いた子供達はどう思うかな? 父親と同じように母親の事を思うのかな?

彼女は彼女なりに、頑張ってると思うのです。
夫や子供達が求めるほど完璧な母や妻ではないかも知れません。誰にだって、キャパシティーという物がありますから。
確かに、月に1度や2度、友達とランチにも行くでしょう。買い物で無駄な物も買うかもしれません。
理想の母親って? 理想の奥さんって? と思ってしまいました。
ただただ、自分の楽しみは何もせず、家で掃除と洗濯、家事だけをやり、子供達のタクシー運転手と化し、使うお金はすべて夫に許可してもらう?
なんだか、それもわびしいですよね。

「モラル・ハラスメント」に関してのサイトもあります。でも、それを単なる夫の性格と呼ぶか、モラル・ハラスメントと呼ぶかは難しい所ですよね。

「その食事では悪くなる」

2007年01月21日 | 映画・テレビ番組・本など
「その食事では悪くなる(大沢博・著)」を読んだ。
「食事崩壊と脳への影響」なんてサブタイトルが付いていて、この本を読んだ当時「食」について真剣に考えようとしていた私はドキッとした。

お腹が空くと、体に力が入らなくなってフラフラになる。時にそれで倒れてしまったり、倒れそうになったり。人によってはそれでイライラしたり。
実は私自身、お腹が空くとそんな感じで、誰もがそうなんだと思っていた。でも、中にはおなかが空いてもそんな症状にならない人も居る。そんな私の体質を受け継いだらしい娘が、それで何度か倒れそうになって、色々調べた時にこの本に出会った。

「低血糖症」という言葉を聞いた事はありますか?
分解吸収が早いお菓子やジュースなど甘い物ばかりを大量に摂ると、血液中のブドウ糖=血糖の値が急上昇する。その高すぎる血糖値を急いで下げようと膵臓からインスリンが過剰に分泌され、血糖が低下したまま上がらない状態の事。この、「低血糖症」が、ブドウ糖しかエネルギーとして使えない脳細胞の機能を低下させ、血糖をあげようとする『攻撃ホルモン』アドレナリンの分泌をうながし、人を攻撃的にさせるらしい。

私はこの本が言っている食生活からくる「低血糖症」ばかりが、子供達が荒れている原因とは思わないが、前に紹介したeduと言う雑誌でも、繰り返し食事、特に朝食の大切さを訴えているように、家庭の食事が大事だと言う事は明らかだと思う。

もちろん、食事そのものも問題だろう。
でも、それを取り巻く家庭、社会なども見直して行かなければならないんじゃないかなと感じた。
最近は、母親も子供も忙しい毎日を過ごしている。子供は習い事や塾通い。そして、母親もそのためにパートに出たり・・・。そして、家族で過ごす時間は減り、ゆっくり食事を摂る時間も、食事をゆっくり作る時間も無くなる。その弊害が出ているのかな? と、すべては繋がっているような気がする。

毎日家族そろって、しかも栄養的に満点の食事をとるのは難しいだろう。
でも、週末だけでも家族そろって「いただきます」を言い、会話を弾ませながら食事をしたい。
私も料理は得意ではない。むしろ、苦手。だからこそ、時々家族の事を思い、料理の本を片手に奮闘したりする事が必要なのかなと思う。そんな気持ちが家族に伝わるだけでもいいのかな・・と。

「君はそんなに弱くない」

2007年01月18日 | 映画・テレビ番組・本など
「君はそんなに弱くない(秋本康・著)」を読んだ。既に10年も前に書かれた本ですが。
今あるがままの自分を好きになれそうな本だ。無理せず、自然体でいいんだよと著者は言う。

この世の中の人間はみんな幸せと不幸せを背負っている。そもそも"幸せ"の定義は何か。
自分の近くにいる”幸せそうに見える誰か”と比べて自分を不幸だと思う。「隣の彼女よりも痩せていたら・・・」「隣の彼女は頭がいいけど、私は・・・」と言う具合。でも、そんな”幸せそうに見える誰か”だって、また誰かと自分を比較しているかもしれない。そんなことの堂々巡り。幸せの定義って、他人と比較してどうかという事だったのかも。

また、自分の不幸を何かのせいにする。風邪をひいたのは誰かから移されたから。先生の教え方が悪いから勉強が出来ない。こんな不幸の責任を誰かになすりつけてませんか?
これらの出来事の共通項は、いつも「ある人」がそこに居たと言う事。「ある人」とは紛れも無く自分。元凶は自分だったと言う事。なんでも自分のせいにしろと言うのではなく、物事を客観的にみて、原因を解明してポジティブに考えろと言うこと。他人はなかなか変えられなくてもも、自分の事なら変えられる。せめて、物事を別のサイドからみると言う業ぐらいは取得出来るでしょぅ。

そして、「人を無理に好きにならなくても言い」と著者は言います。「すべての人に好かれようとすることはない」と。そもそも、人間好き嫌いはある物です。だから、「嫌いな人を好きになる事」も「自分がすべての人に好かれる事」もどちらも無理な事。自然体でいれば、集まる人は自然と集まってくる物だと言う事です。

この本を読むと、普段思い悩んでしまう事が、とっても小さな事に思えてしまう。ぱぱっと読めちゃう文章ですが、けつこう元気がもらえる本だと思います。

The Birth (記憶の棘)

2007年01月17日 | 映画・テレビ番組・本など
記憶の棘を見た。

10年前、夫・ショーンを亡くしたアナ。彼女が再婚しようとした時、彼女の夫だと名乗る10歳の少年が現れる。最後は意外な事実が明らかになる。

少年役のキャメロン・ブライトは決して美少年とは言えないが、淡々とその役を演じていて、それがかえって真実味をましている。
また、アナの住むニューヨークの豪華マンション。インテリアに感心がある人には興味深いと思う。

自分がもしアナだったら、ショーンだったら、アナの婚約者だったら、アナの母親だったら・・・といろんなシチュエーションを考えても、happyな人は誰一人居ないと思った。
「生まれかわり」があるのか無いのか・・・それを、議論するつもりは無い。
でも、もしそれがあるとして、前の人生の記憶を持って生まれてきたとして、人は幸せになるのかな?
結局、人は今ある時間を精一杯生きて行くしか無いのかな。


ケンタッキーへ

2007年01月16日 | 旅行記
お隣の州、ケンタッキーへは何度か訪れた。ケンタッキーと言えば、フライドチキン! それしか思いつかなかった私だが、意外と見どころがあったのでまとめてご紹介。

マンモスケーブ(Mammoth Cave)

マンモスケーブは限りなく続く洞窟です。ガイドツアーが各コースあるので、是非参加することをお勧めします。私はFrozen Niagara Tourに参加したのですが、洞窟に入るためのドアがあり、「どこでもドア」から別世界に入って行くような気持ちでした。

リンカーン誕生の地(Abraham Lincoln Birthplace)
1809年2月12日、リンカーン大統領はこの場所で生まれました。とても粗末な小さな小屋のような建物です。
この他にケンタッキーには、リンカーンの少年時代の家(Knob Creek Farm)(1811-1816までを過ごした)、リンカーン博物館(Lincoln Museum)もあります。

エジソンが住んでいた町Luisville

このLouisvilleと言う街には、電球を始めその他多くの発明で知られる、トーマス・エジソンも住んでいました。そして、そのトーマス・エジソンの家が残っています。とても小さい家の中には、電球や蓄音機が並べられています。案内役のおじいさんはとても熱心に彼の話をしてくれます。そして、エジソンが発明した蓄音機でその当時の音が聞く事が出来ます。
アートが好きな方は、The Speed Art Museumに足を伸ばしても楽しいかもしれません。

Colonel Sanders Cafe & Museum

やっぱり、KFCでしょ 一番有名なケンタッキー州の市民と言う看板までありました。大阪の道頓堀川にダイビングまでしちゃったカーネル・サンダースおじさんは、1890年にインディアナ州で生まれ、6歳でお父さんを亡くします。6年生で学校をやめ、働き始めました。いろんな仕事をしたようです。そして1930年Corbinに移り住み、KFCの歴史の第一歩を踏み出す事になるのです。
このSanders Cafeはmuseumと言っても、普通のお店に当時のキッチン、客室などを展示しているだけです。でも、何かのついでがあったら、立ち寄ってみたら楽しいと思います。

人に定められた"時"

2007年01月16日 | 思った事
知人のメモリアルサービス(特別記念礼拝)に出席しました。

何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えた物を抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。

人が苦労してみた所で何になろう。
わたしは、神が人の子らにお与えになった努めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように作り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極める事は許されていない。(コヘレトの言葉(伝道の書)3:1-11)


メモリアルサービスの中で、伝道師のメッセージで読まれた聖書の箇所です。

人は生まれて来たからには、必ず死にます。
生まれて来たからには、なにか生きて行く意味・役割が誰にでもあるのだと、私は強く信じています。
その役割を果たした時に、「ご苦労さま。よくやったね。」と神様は天国に迎えてくれるのではないかと思うのです。

メモリアルサービスには彼の人柄、仕事柄から沢山の人が出席されました。その中には彼を恩師と仰ぐ子供達も多く見られました。彼から若い彼等が何か感じ学んで行くのだと思った時、彼が果たした役割の大きさを感じました。
ご冥福をお祈りしいたします。

ベッカムに恋して(Bend It Like Beckham)

2007年01月13日 | 映画・テレビ番組・本など
随分前、末娘の小学校のLibrarianに薦められて、映画「ベッカムに恋して(Bend It Like Beckham)」見た。
意外に面白かったかな。「パイレーツ・オブ・カリビアン」に出てるキーラ・ナイトレイが出ていて、微妙な役をこなしてましたね。

そのタイトルのベッカム。イングランドを離れ、アメリカのロサンゼルス・ギャラクシーというチームに移籍する事になった。
2002年に日本でワールドカップが開催された時には、アメリカではサッカーはあまり盛んではなく、ベッカムを知ってる人も少ない・・・なんて聞いてました。
でもベッカム移籍のニュースは、朝からCNNで放送されている。CNNのサッカーのサイトでは、やはりトップニュースです。
ニュースで流れる彼のヘアースタイルは様々・・・。移籍チーム先よりも「今はどんなヘアースタイル?」と一番に思ってしまった。

そんなわけで、ベッカム様のおかげで、アメリカでもサッカーはメジャースポーツになり得るのだろうか?

ウォーキングのお供・・

2007年01月13日 | お気にいり、色々
最近またウォーキングを再開しました。それに欠かせないのが、iPod-miniと携帯電話。




買ったCDを車で聞こうにも、子供達を載せている時には、彼等が優先。息子なんかは、助手席にさっさと乗り込み、自分のiPodをつないでいます。もはや、彼等は私が運転している時には、自分の好きな曲を聞くのが当然と言う姿勢です。
まぁ、別に彼等の聞く曲も私の聴く曲も大差ないので、別に良いんですけど・・・。
とにかく、このウォーキングの時には、自分の好きな曲を聞きながら、家の周りを30-40分闊歩します。Popな曲を聴きながらだとついつい早歩きに、バラードを聞く時にはちょっとゆっくりになったりして、時々歩調と曲のテンポが違う時には困ったりしながら歩いています。

このiPod-miniは三年前にの私の誕生日(だったかな?)にゲットした物で、既にその後、iPod-shuffle, iPod-nano, iPod-videoと進化し続けています。



そして、つい先日、更に時代を先行く商品が発表されました。

これ一つで、音楽を聴き、電話も出来、インターネットも見られる。更にははgoogle等の機能まで付いてしまっていると言う優れものです。何でも込み込みの物はコケると思っていたのですが、この商品の凄さは、その操作性にあります。これだけ盛りだくさんの機能なのに、もはや説明書も不要だと思われます。
百聞は一見に如かず。とにかく、時間のある方は、サンフランシスコのMacworld Conference & Expo 2007で行われたApple社のCEOであるSteve Jobsのアナウンスをご覧下ださい。どれだけの物か分かると思います。

10年ほど前に、Apple者がNewtonと言う商品を出して、余りにも時代を先取りしすぎてコケてしまった事が記憶にありますが、今回はどうでしょう?

Apple社がiPodを発売して以来、音楽と共にある生活がちょっと変わったように、今回も人々の生活が大きく変わるのでしょうか? そして、私の生活も・・・?
ちなみに、私のこのiPod-miniも最近雑音がするのですが・・・・

振り返って、そして。

2007年01月09日 | 思った事
今年の目標や抱負など、あちらこちらで見かけるこの頃。あえて公表するまでも無いか・・・と思っていましたが、ここ数年を振り返ってみる事にしました。

1999年8月、アメリカから日本に帰国してからは、上二人の子供達の勉強の遅れを取り戻す事と、3歳で帰国した下の子の社会性を養う事に必死だった。 「帰国子女」それががどうした!?と思っていた私。
そろそろ働き始めようかと思った矢先に、渡米。
2004年、再びアメリカに来て、アメリカの小さな日本人社会に染まりたいような、染まりたくないような・・・ちょっと葛藤しつつ、「染まりたくても染まれない自分」を発見。

2005年は英会話や学校のボランティア、一日一日をこなすのに必死。月・水・金と英会話教室に通い、火曜日は現地校のボランティア、木曜日はBible Studyと多忙な日々。ついついホントに必要な事がおろそかになって行った。

2006年、年始めに「いつも笑顔で福を呼ぶ、粋な年にしたい」とブログに書いていた。ま、いつもげらげら笑っていたし、色んな意味でHappyにもなれたかな。
"物"と言う意味でのがラクダは捨てられない物も多いけれど、時間を整理して自分のやりたい事をやって来た様に思う。週三回の英会話をやめたり、末娘の朝勉強を始めたり、時間を上手に使う努力をした1年のような気がする。
時間を整理して出来た時間には、自分が本当にやりたい事、やるべき事が入ってきた。それが、これからの自分に役に立つような予感すらする。

ある程度周りの目も気にならなくなった。「自分は自分、それでいい」と思えるようになった。そもそも、自分が考えているほど、周りは自分の事は気にしていないのだ。
人に自分がどう思われているか気にすると言う事は、同時に人の事をいつも私自身も気にしていると言う事なのではないか。

あれこれ人を見て羨む前に、自分自身では何か努力したのかな? いつも、何かしたいけど出来なかったりした時に、「子供が居るから」「英語が出来ないから」と自分以外の「何か」のせいにはしていなかったか、と思い始めた。
今まで「子供が居るから」出来なかったわけではなく、"子供"を選んだのは「私自身」だった。「英語が出来なくて」何か出来なかったのではなく、私自身が英語が出来ない自分に自信がなくて踏ん切れなかっただけではないか?
「そうなりたい」と言う理想があるなら、単純に「そうすればいい」。それが出来ないのは、単に自分が「そうしない」ことを選んだだけなのだ。
だから、今年は「なりたい自分になる」年にしようかな。周りのせいにしないで、自分が選んだと思える自分に。

NHK紅白歌合戦から・・

2007年01月02日 | 思った事
大晦日のNHK紅白歌合戦で、ダンサーが裸に見える様な衣装を着ていたとして、苦情が殺到したらしく、「裸」演出、番組内で謝罪と言う記事が出ている。
私にとっては、何を今更・・・と言う感じである。
日本はアメリカよりもその点のモラルが圧倒的に低いと思う。でも、そういう国にずっと暮していると、麻痺して気がつかなくなってしまう。

この映像を私もネット上で見たが、確かにこれは行き過ぎだと思う。番組の中での謝罪だけで済まされるのだろうか。
ネットが普及した現在、テレビ番組が終了しても、次から次へとネット上にUpされ収集がつかなくなる、と言う側面もある。

映画は日本でも映画のレイティングシステムが導入されているが、アメリカのようにテレビでもそれは必要なのではないかと思う。ただ、社会に期待すると共に、親子で話し合う事。レイティングされている映画、ドラマなども親が判断して子供に見せるかどうかを決めると言う事も必要なのではないかと思う。社会に苦情を言う前に、まずは自分で出来る事をする必要があるだろう。映画や番組はどんな内容か知っていれば避ける事が出来る。

私が初めての駐在生活を終えて日本に帰国したのは、上の子供二人が小学校3年・4年の時。私が一番ショックを受けたのが、日本の広告業界の無秩序さであった。新聞に投書した事もあった。
テレビをつければ、子供には見せたくないようなコマーシャルが流れ、歌の歌詞さえも「おいおい・・」と思うほど。
まして、電車の吊り広告、雑誌の広告、目を塞ぎたくなるほどだった。
日本では小学校に上がれば、一人で出かけても良い事になっている。好むと好まざるに関わらず、これらの公告は子供達の目に入ってくるのだ。当時電車通学をしていた子供達は、どんな気持ちでこの公告を見ていたのだろうか。

今回、NHK紅白歌合戦に苦情が殺到した事で、日本に住んでいる人達でも、「子どもの見ている時間にはふさわしくない」という指摘が殺到したと聞き、まだ日本も大丈夫かなと思った。そして、これからも視聴者が声を上げて行く必要があるだろう。

Disney

2007年01月01日 | 旅行記
家で和気靄々としていた、去年の年末とはうって変わり、今年ははるばるDisney Worldまで行って来ました。
2年前にはロスのDisney Landに行き、今回のDisney Worldも約7年半ぶり3度目でした。
日本でTokyo Disney Landに近い所に住んでいたのに飽きもせず、何度でも行きたいと思うのは、やはりDisneyの放つ魔法の力ってやつでしょうか。

それにしても、年末のDisney Worldは凄い人でした。
それにも負けず、目的のアトラクションに乗るために、早起きして開園とほぼ同時に門をくぐりました。さすがに開園したばかりだと人気アトラクションもすぐ乗れます。ファストパスを駆使して、2時間の間に3つ程のアトラクション乗って外に出ると、凄い人の山。「早起きは三文の徳」とはこの事か?

食事をするのも至難の業。ファーストフードを地べたで食べている人も居ましたが、これも早めにとる事で何とか席は確保出来ました。ファーストフードにも飽き、1日はDisney Worldの外のレストランに予約もしました。ミッキーなどのキャラクターが出てくるレストランは既に満員で予約出来ず、並ぶのも長蛇の列。「どこでもいいからレストランを予約してぇ~」とホテルで予約してもらったり、食べる事にも必死でした。

私が一番好きなのは、MGMとDisney Landでやっている、Fantasmicですが、MGMの方がシートに座って見られるので、楽かな。吹き出す水に映し出されるDisneyの物語。音楽とマッチしてとても感動的です。さすがに、7年前に見た時とは、少々趣向が変っていましたが、主題は同じ、imagination

また、何年前から始めまたのか分かりませんが、Disneyのピンバッチの交換も盛んなようです。
何種類くらいあるのか知りませんが、沢山売っているピンバッチ。それをストラップにつけ、首にかけている人がけっこう居ます。3-4個のストラップにびっしりピンパッチを付けた70代くらいのおじいちゃんも見かけました。
我が家の長女も小さな男の子から声をかけられ、交換していました。Disneyのお客さん同士の交流があって、微笑ましい瞬間でした。

私がいつも驚くのが、Disneyの音楽。色んな音楽が各ショーやアトラクションで流れますが、その一つ一つがとてもワクワクとした気持ちにさせてくれます。これは何か科学的に根拠でもあるのか・・・と思ってしまいました。

どちらかと言うと、私はTokyo Disney Landよりも、アメリカのDisneyの方が好きかな。
テーマパーク自体はそんなにかわらないはず・・。でも、遊びに来ているゲストが違うかなと思いました。日本は小学校の高学年くらいから子供同士で遊びに行けるけれど、アメリカでは、大学生くらいにならないと基本的に大人抜きで遊びに来る事は出来ないのです。日本の子供や10代の比率に比べ、アメリカではそれが圧倒的に低いような気がするのです。だから、自称大人の私でも楽しめるんだと思います。
そして、車椅子のお年寄りもけっこう目にします。その車椅子を押している大人が子供だった頃、車椅子に乗っているお年寄りがまだ若く、彼等をDisneyに連れて来た事が合ったのかもしれない・・・なんて勝手に想像してほんわかしたりしていました。

そして、最大の疑問が花火の時のティンカーベル。シンデレラ城からティンカーベルが飛び立つのですが、それが本物の人か、それとも人形(ロボット)かと言うこと。日中見ると、お城からワイヤーが出ているので、夢の無い話ですが飛んでいるのではなくワイヤーで繋がれているのは事実としても、それはかなり高い! いくらDisneyでもそこに生身の人間を使うかと言う事。ても、動きはすごくリアルなんですよね。
で、それが人だとして「保険料、高いよね」「給料高いんじゃない」などと話してしまう夢の無い我が家でありました。