徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

Brandywine River Museum

2010年05月28日 | Philadelphia周辺情報
前々から行こう行こうと思っていたBrandywine River Museumに、やっとこさ行く事が出来ました。お友達のマダム達とも合流出来て、知識を伝授していただきながらの絵画鑑賞、楽しかったです。

 

この美術館の主な作品は、アメリカを代表する画家であるアンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)のコレクションでしょう。微妙な関係が想像される「ヘルガ」の絵をはじめ、たくさんの絵画が展示されています。
彼は、挿絵画家である父親N・C・ワイエスから絵画を含め、たくさんの事を教わったそうです。1917年に生まれ2009年に亡くなるまで、この町と別荘のあるメーン州クッシング以外にはあまり旅をせず、この2つの町の景色や人々を描き続けたそうです。だからこそ、この町の人々に愛され続けているのでしょうね。
彼の作品の中では、人にしろ、動物にしろ、とても生命力にあふれています。また、風景画からは、その場の風や静けさが感じられるようです。

この美術館の近くに、Sanderson Museumと言う建物があります。



1882年生まれのクリス・サンダーソン(Chris Sanderson)は、この地域で長く教師として働いていたようです。ワイエス一家は、サンダーソン家の建物を借りて住んでいた事もあり、家族ぐるみで親しくしていたのではないでしょうか。
1936年にはアンドリューと二人で、チェスターカウンティーのヒストリーマップを作成しています。それを終えた1937年には、アンドリューはクリスの肖像画を描き上げているようです。
1966年にクリスが亡くなり、1967にこの美術館をオープンする案が出た時には、アンドリューがこのSanderson Museumの理事会を結成し、1968年にオープンする事が出来たそうです。


この週末のメモリアルデーの三連休には、Brandywine River Museumで、アンティークショーも開催されるそうです。掘り出し物が見つかるかもしれませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The End Violence Project提供のコンサート

2010年05月27日 | Philadelphia周辺情報
先週の週末、センターシティーのリッテンハウス(Rittenhouse Square)のそばの教会(The Church of The Holy Trinity)で行われたコンサートにお誘いいただき出掛けてきました。

 

とっても素敵な教会で、そこに居るだけで厳かな気持ちになります。音も良く響き、音響も抜群でした。
有名なソリストの演奏が教会などで録画されているDVDがありますが、教会って音楽も礼拝のうちなので、音響も気にして設計される物なのかもしれませんね。パイプオルガンなどは、建物そのものが楽器だし。
この時のブログラムは、バイオリンとピアノのソナタ、バイオリン・チェロ・ピアノの三重奏と、The Pennsylvania girlchoirによる合唱でした。
弦楽器の音が好きな私ですが、合唱の生の声もなかなか良いなぁ・・と思いました。

このコンサートは、The End Violence Projectが提供していた物で、チケット代金はこの団体の寄付になるのでしょう。
The End Violence Projectは、非営利組織で、囚人や犯罪者の社会復帰を援助する団体だそうです。そのための6ヶ月に渡るブログラムがあったり、警察などとも連携しているようです。
コンサートの後、この団体の援助を受けて、社会復帰した人もスピーチしていました。
このような団体が民間ベースである事に驚くとともに、このような会は、同じ志を持ってボランティアに参加している人同士の社交の場でもあるんだなと強く感じました。

 

コンサートの後、ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn)ランラン(Lang Lang)も学んだ、カーティス音楽院を外から眺め、La Colombeに立ち寄りました。私はモカフラペチーノを頼んだのですが、甘くなくしっかり苦いコーヒーの味がして美味しかったです。
誘っていただいて、ありがとうございました。行って良かったぁ~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お散歩 in NY

2010年05月27日 | NY & NJ 周辺情報
日本への帰国の日が7月初めに決まり、荷物整理に追われる毎日。
二週間ほど前に、不要な本をBook Offに売りに行きました。値段を計算するのに二時間ほどかかると言われたので、その間、お昼ご飯を食べるついでに、マンハッタンをぶらぶらしました。

ランチは、中華レストランのWu Liang Ye(五粮液)‎で。

 

お店も奇麗で、まあまあ美味しかったです。中華街以外でこんなレストランがあるなんて知らなかったなぁ~。
レストランの中はヨーロッパを思わせるような内装はなのに、お店の奥では、ウエイターの叔父様達がいんげん豆の筋取りをしていて、テーブルに山のように積まれたインゲン豆。ちょっと違和感。中国ってどこのお店もこうなんだろうなぁ・・と想像してしまいました。

この後、散歩がてら歩いて行くと、Avenue of Amricas(6th St.)のセントラルパークからブライアントパークの辺りまでの15ブロック程が歩行者天国になっていて、ずらりと屋台や出店が並んでいました。

 

お天気も良くて、歩いていても気持ちよかったです。屋台から漂ってくる美味しそうな臭い。中華よりもこっちが良かったなぁ・・・と思ってしまった私。

マンハッタンには、着ぐるみのセサミストリートやディズニーのキャラクターが立っていて、一緒に写真を撮らせてくれます。私は一緒に撮った事はありませんが、きっとチップを要求されるんでしょうね。

この時は、なんとポリスがカメラをもってシャッターを押してあげていました。おまけに、「エルモ、もうちょっと寄って」と声までかけていて、私はエルモよりもそんなお巡りさんと写真を撮りたいよと思いました。

 

市民の憩いの場と言われるブライアンとパークは、たくさんの人でにぎわっていました。卓球台があって、そこで卓球している人もいて、びっくり。

その後Book Offで、売上金を受け取りました。まぁ、ランチ代くらいにはなったかな。
ぶらぶら歩いて、面白い風景を見つけては、良く笑った一日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真スポット

2010年05月26日 | NY & NJ 周辺情報


マンハッタンの景色が一望出来る、ニュージャージー側のミツワマーケットの少し南の公園で、夫は時々写真を撮ります。
寒い冬は、車の中で本を読んで待っていたのですが、暖かくなってからは、私も外に出るようになりました。眺めが良くて、気持ち良いです。夜は夜景も奇麗なんですよね。



末娘が塾に行っている土曜日に行くことがほとんどなのですが、春になって暖かくなったせいか、結婚式を挙げたらしいグループの記念撮影とかち合うことがよくあります。末長くお幸せに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たこ焼きパーティー

2010年05月20日 | サバイバル in America
前にESLの仲間でPotluck Partyした時に、たこ焼きパーティーをする約束をした私。しばらく前に実現したのそのご報告をしておきます。

 

さすがに文化が良く似ている韓国にもたこ焼きはあるそうで、たこ焼き話に花が咲きました。たこ焼きは英語にするとoctopus ballかななんて勝手にそう呼んでいましたが、辞書には単にTakoyakiと載ってました。英語での説明は、「ball-shaped pancake with diced octopus and other ingredients in the center」だそうな。難しい。

たこ焼きはみんなに手伝ってもらいながら、ホットプレートを使ってテーブル上で焼きました。たこ焼き自体もウケていましたが、マヨネーズとお好み焼きソースが大ウケでした。かつお節や青のりも珍しそうでした。青のりって、普通の焼きのりとどう違うなんて疑問もでたり。
その他に、近所にたくさんある、日本人経営ではないナンチャッテ日本食レストランで出てくるみそ汁は、いつも「なんか違う」と思っているので、今回は豚汁も食べてもらおうと思って作りました。まぁ、人それぞれ好みはありましたなぁ。

韓国人のカンジャントッポッキやキンパ、南フランス風ムサカ、中華風手打ちうどん&スープ、カレーピラフなど、なんとなく主食物が多かったこの日。食べながら、「これは何」と好奇心旺盛な面々。相変わらずの盛り上がりでした。ベニショウガを聞かれ、ショウガ自体を知らない彼女になんと説明したら良い物か・・・と悩んだ私。結局こんな時は、実物を見せるしかないのよね。

デザートには、イチゴジェロ、カスタードクリーム、生クリームの三層になっているデザート、トライフル。ついでにイチゴをチョコレートでコーティングした物を乗せて。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Underground Railroad MuseumとOhio house

2010年05月19日 | Philadelphia周辺情報
Belmont Mansionと呼ばれる、Underground Railroad Museumに行って来ました。
ホームページに「開館時間11時」と出ていたので、開館時間を目指して出かけたのですが、実際には12時から。

予定では、最初にBelmont Mansionを見てから、Ohio houseでランチにする予定だったのですが、気を取り直し、先にOhio houseに行きました。Ohio houseとは建物の名前で、レストランの名前はThe Centennial Cafeです。



Ohio houseは、1876年アメリカ建国100周年展覧会の時に、 展示場として建てられた建物のうちの一つだそうですが、現在残っているのは、このOhio houseだけだそうです。
私達が行った日には、プライベートパーティーがあるとかでその準備の真っ最中。それでも入れてはくれましたが、テーブルを動かしたりで、テンヤワンヤしておりました。一旦セッティングしたテープルを動かすのに、食事中のお客の方が場所を移動せざるを得なかったり。私も移動させられ、狭い場所でテーブルを移動するのをちょっとだけ手伝いました。帰る時には、「いつでも働きに来ていいよ」みたいなことを言われ、アメリカ人の陽気さに触れた一時でした。
そんなドタバタしたこの日のカフェでしたが、コーヒーが美味しくて、またお茶しに行ってもいいと思いました。次回は、ゆっくり静かにお茶出来るかな

さて、Belmont Mansionですが、入館料を払い、映画を見ます。時間があるなら、2本見られるのですが、その映画が、結構長い・・・。正直、途中で眠くなっちゃったり・・。
でも、奴隷の過酷な生活を教えてくれるので、いい資料ではあります。

アフリカの人々を拉致し、船に乗せ、1600年代からアメリカに奴隷を乗せた船が着き始めます。奴隷達は、家族など関係なく売りさばかれたので、親子や夫婦もばらばらになってしまいます。女性でも、容赦なく体のあちらこちら隅々までチェックされたそうです。
奴隷の多くは、アメリカ南部のプランテーションで過酷な労働を強いられるため、何よりも重要なのは体が丈夫であることでした。
その他に女性は、奴隷をさらに増やすために子供をたくさん産める女性の方が価値があったそうです。
奴隷同士の結婚は認められていましたが、結婚しても主人の所有物であるため、女性は主人の子供を身ごもることもあったそうです。
まるで家畜のような扱い・・・私はこの時代に奴隷として生まれなくて良かった・・・と、正直思いました。

そんなアメリカ南部で過酷な生活を強いられていた奴隷達は、1800年代、奴隷制の廃止されていたアメリカ北部を目指して逃げてきます。そんな彼らをかくまったのがUnderground Railroadと呼ばれる家々でした。

このBalmont Mansionと呼ばれる家も、当時のUnderground Railroadの一つで、現在のFairmount Parkの中にあります。イギリス人の弁護士でもあったWilliam Petersが、1742年にこの土地を買い、家を建てたのだそうです。
その後、息子のRichard Petersに受け継がれました。彼は、今で言うと、政治家またはその秘書としての仕事をしていたようですが、裁判官としても働きました。そのつながりでしょう、ジョージ・ワシントンをはじめ、ジョン・アダムスなどがここに泊まったりしたそうです。また、Richard Petersは、奴隷制度廃止団体のメンバーでもありました。

 

現在、Belmont Mansionでは、プライベートパーティーも出来るそうです。今屋外にテントを張り、そこでパーティーをしているようですが、建物自体を拡張する改装計画もあるようです。
私たちが行った日には、少々雨模様でしたが、Belmont Mansionからはセンターシティーが見渡せて、きっと晴れた日には素敵な景色が広がっているんだろなと思いました。

以前住んでいたオハイオ州にもKelton Houseと呼ばれるUnderground Railroadがあります。そこには、行く機会を逃してしまつたので、今回Belmont Mansionに行けて良かったです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土台作り?

2010年05月12日 | アメリカ歯科・医療事情
根管治療の後、今度は一般歯科に行って来ました。

今日は、根幹治療した歯を削り、きれいにして土台を作り、クラウンの型を取ってきました。
根管治療は、詰め物のシルバーを取り外すことなく、歯の真ん中から穴を開けて治療したので、もともとの詰め物はそのままでした。それを今回は、外したのですが、なかなか固くて、「ダイヤモンド」のドリルを使ったようです。
治療に当たってくれた女性の歯科医は、「壊すのもったいないわ」と言いつつ、頑張ってました。

そうそう、前回の根管治療の先生は、映画「ハリーポッター」シリーズに出てくる、バーノン・ダーズリーのような先生でした。失礼ながら、土地成金のイメージ。ちょっと怖い感じもしたのですが、治療が始まるや否や、声がとっても優しくなって、驚くとともに、プロだなんて感心していました。
それに、治療が終わってから医師の携帯電話の電話番号を渡され、何かあったらいつでも電話するように言われました。そういえば、私の治療が始まる前も、どこかから電話がかかってきていて、ずいぶん待たされたっけ・・。

一般歯科の先生は、若い女性。アレルギーがひどくて、気の毒でした。
私が免疫療法を受けたら今年はアレルギーがすごく楽だと話したら、とっても興味津々でした。なんでも、彼女は、「リンゴ」に対してもアレルギーがあるそうです。ジャムやアップルパイなど、火を通したリンゴは平気だけど、生のリンゴはダメなんですって。リンゴアレルギーなんて初めて聞きました。
でも、免疫療法ってしばらくは毎週注射を受けなきゃいけないし、注射をしてから20分ほど後遺症が出ないのを確認するため待機しなければならないので、「時間がとれないのよねぇ・・・」と残念そうでした。働く女性も大変ですよね。

というわけで、最後に狩り歯を入れてもらい、あとは約3週間後にクラウンが入るのを待つだけになりました。
かなりガッツリ治療をしてくれたようで、歯の付け根からの出血が多かったようで、真っ赤になってました。きっと麻酔なしでは耐えられません。麻酔するからこそ、こちらも痛みがなく、歯科医も思い切って治療が出来るのよね・・・と、妙なところに感心してしまいました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会話パートナー

2010年05月10日 | Philadelphia周辺情報
ボランティアと名のつく物は数々やってきましたが、フィリー郊外に引っ越してからは、末娘もミドルスクールであまり出る幕もなく、「会話パートナー」だけが唯一のボランティアでした。
でも、この会話パートナーは、私の方もメリットがあり、ボランティアと言っていいのかどうか・・・。

フィリー郊外のHaverford collegeBryn Mawr Collegeは、カップル校になっていて、日本語の授業は一緒に行われているようです。その日本語クラスをとっている生徒達と、パートナーを組み、週に一度、1時間ほど会い、日本語と英語で会話を楽しむというもの。中には、子供の宿題を見てもらったりしている方もいるそうです。

ボストンに住んでいたときにも、MITやハーバード大学の学生さんを相手に、同じようなパートナーシップがあったのです。とても参加したかったのですが、当時は、末娘がまだ赤ちゃんで断念しました。それが、今回実現できて、嬉しかったです。

こんな私でも最初は緊張しましたが、毎週会って話をしているうちに、だんだん打ち解けられる物です。
私よりも日本のことを良く知っていたりすることも有り、びっくりでした。アニメやゲームはもちろん、「草食男子」についても良く知っていました。

大学生は勉強などで忙しいのに、週に一度、会話パートナーとして会う時間を作ってくれるだけでも、偉いと思ったし、私としても英語を話す機会が増えるので、ありがたかったです。
若い学生とはいえ、政治や宗教観などしっかり持っていて、何事もよく勉強している彼ら。自分の若かりし頃を反省するとともに、自分の子供達もしっかりせぇ~と思い、そして、日本もアメリカもまだまだ将来捨てたもんじゃないとうれしく思うことも有りました。
自分の将来についてしっかりとしたビジョンを持っている彼ら、その夢が実現できるように、頑張って欲しいと思っています。



最後の週には、「ありがと」と平仮名で書かれたケーキを学生さんからいただきました。自分で紙に「ありがと」と書いてベーカリーに持って行き、書いてもらったそう。ありがたいです。

そして先週は、日本語クラスの中に私たち会話パートナーも招待していただき、年度末のパーティーに行って来ました。カレーや稲荷寿司などを用意していただき、ゲームをしたり、日本の懐かしい歌を歌ったり、楽しい時間を過ごしてきました。

また新年度が始まると、この「会話パートナー」の募集があると思います。去年は、フィラデルフィア日本語補習校や日本食材店MAIDO!などにチラシが貼ってありました。学生さんとの楽しい会話をお楽しみくださいませ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花粉!?

2010年05月07日 | アメリカ歯科・医療事情
そういえば、3月の末ごろから、周りでくしゃみをする人が増え始めました。私もいつアレルギーが始まるか、気になっていましたが、気がつけば、すでに5月に入り一週間経ちましたね。 花粉、飛んでるんですよねぇ。各地の花粉情報は、Pollen.comで。

今年の春は、鼻がむずがゆいことはありすが、特にひどくならず。ただやっぱり完全に大丈夫なわけでもないらしく、くしゃみが出て、三回だけ薬を飲みました。でも、それだけ。目のかゆみもほとんどありません。
去年は、夜は眠れないほどひどかったし、朝目を覚ますときには、目やにもびっしりで、目を開けるのに手で目を開けていたしまつでした。マスクも今一つ効果無く、「どうしたらいいんだぁ~」と叫びたい心境でした。
それに比べれば、今年は天国ですよ。毎週アレルギー専門医に通って、注射したかいがありました。

10月末から3月末まで5ヶ月間、毎週一回注射を受け、その後は、間隔を少しずつ空けてきました。
毎週通っていた注射が、3月末には2週間に一度になり、三週間に一度になり、来週は来週4週間に一度の注射を打ちます。その後は、どうなるのかな? いずれ、帰国すると続けられませんが。
30年前にこの治療を受けた人が、アレルギー症状が出なくなり、未だに大丈夫だというので、私もずっと効き目があるといいな。日本の杉にも。

そういえば、私の免疫療法と少し似通っていますが、一部の母親が「子供に予防接種を受けさせない権利」を主張しています。とある宗教の「輸血を受けない権利」にも似ていますが、どうなんでしょう。
国が管理してきたからこそ撲滅できた病気もあるし、一概には言えませんが、かかっても重篤に至らない病気でも予防接種を受けているケースもあると思います。
ただ、子供によっては、感染しやすい子供、感染したら重篤に至ってしまうような持病を持っている子供もいますよね。我が家は末娘がインフルエンザにかかりやすいので、毎年予防接種を受けていました。きっと、来年も高校受験なので、受けることになると思います。もちろん、学校などで定められた予防接種は、受けて居ないと、通学させてもらえないので、すべて受けています。
また子供の中には、持病を持っているために予防接種を受けられない子供もいますよね。しかも、その子は感染すると重篤になってしまうことも考えられる。そういう子が周りにいるとしたら・・・。例えば、我が子が病気になっていて、それと知らず、持病を持っている子供と接触し、その子が感染してしまったら・・。
あまたあるケース挙げればきりが有りませんが、果たして、単に家庭内の事だけと考えるか、集団社会の問題ととらえるか、難しいところでしょうね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Quick Pop Maker

2010年05月06日 | お気にいり、色々
Williams Sonomaのアウトレットで見つけた、http://www.williams-sonoma.com/products/zoku-quick-pop-maker/というアイスクリームメーカー。
この手の物が好なのは、夫と子供たち。面倒くさがりな私は、もっぱら食べる人に専念。

これは、定価だと$50近くするらしいのですが、たしか$20台で買いました。
早速買った日にアイスクリームを作ろうとした夫と末娘。でも、本体を冷凍庫でかちんかちんに凍らせなければならないので、当日のアイスクリーム作りは断念。
次の日には、意気揚々と楽しそうに作る彼ら。




単に、本体にスティックを差し込み、ジュースを流し込んで固めるだけなんですよ。
それでも、「自分で作る」事が大事。レイヤーものを作ったりして、楽しんでいました。

日本から大学の春休みに遊びに来ていた長女も、一緒に楽しんでいましたよ。作ることが好きなのは、夫の血筋ですね。
よっぽど楽しいらしく、「ママも食べるよねぇ~」と作ってくれて、ラッキーでした。
中学生・・・はたまた大学生になってまで、楽しめるあなた達っていったい・・・。ま、夫も楽しんでたか。

いずれ、これは日本の冷凍庫にはちょっとばかり大きいので、ムービングセールで売ることにしました。

それにしても、まだ日程は決まっていませんが、帰国まで二ヶ月を切ったのに、ぜんぜん実感がありません。それでも、週末には家を掃除して、家具やその他もろもろ写真に収めたりしました。
そろそろムービングセールの用意をせねば・・・です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Hope's cookies

2010年05月05日 | Philadelphia周辺情報
メインラインと呼ばれるLancaster Ave.にHOPE'Sというクッキー屋さんがあります。
牛の像が立っていて、目立つので気にはなっていましたが、クッキー屋さんに用はない・・と思い、今まで行ったことがありませんでした。
週に一度会って日本語と英語でおしゃべりしている学生さんから、このお店でもマフィンを売っていると聞き、「クッキーだけじゃないんだ。」と、さっそく行ってみました。

そういえば、このお店のシンボルとも言える(私が勝手に思ってるだけ?)牛の像。子牛の像が去年の秋、盗まれました。確か懸賞金まで出して、ニュースで呼びかけていたように思います。結局、子牛は帰ってきました。
このニュースを聞いて、学生時代を思い出した私。酔っぱらった学生が、バス停を移動されたり、居酒屋の狸の像を移動したりしていたのを思い出しました。私じゃないですよ。念のため。



チョコレートチップマフィンとローファットマフィンを買いましたが、末娘も一緒に行ったので、チョコレートチップマフィンは帰りの車の中で彼女の胃袋の中へ。かろうじて残った、ローファットマフィンの写真を載せます。 ローファットだと思うからか、ヘビーじゃなくて美味しかったです。

さて、いよいよ自分でもベーキングにトライしてみました。



友達から教わったバナナマフィン。冷凍して、朝ご飯や一人の時のお昼に重宝しています。
以前オレンジタルトを作った時に、大量に出来てしまったオレンジマーマレードもどきをバナナのかわりに入れて、オレンジマフィンも作ってみました。美味しいけど、マーマレードにお砂糖がたっぷりは行ってるから、バナナマフィンよりは高カロリーかな
それと、久しぶりに、オハイオで一度だけ参加したベーキングクラスで教わったジュレも作りました。
冷たいおやつも美味しい季節になってきましたね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春のLongwood Gardens

2010年05月04日 | Philadelphia周辺情報
Longwood GardensとWinterthurの両方に行けて、$20のチケット。先週の日曜が期限内での最後の週末だったのに、あいにくの雨だったので、行けずじまいでした。
行かないのは絶対にもったいないので、チケットの有効期限の切れる4月末日、快晴、気温も80度。いつもはスクールバスで帰ってくる末娘をわざわざ学校に迎えに行き、学校から直接ロングウッドガーデンに出かけました。

まずはカフェで、カップケーキと飲み物で腹ごしらえから。
その後、コンサバとリーを見て、ガーデンを散策。
去年、初めてロングウッドガーデンに来たときに、奇麗だと思った藤の花。今年も見事に咲いていました。蜂ブンブンで、末娘には不評でしたが。





カメラを持って、ゆっくり散策した夕方の一時。ちょっとばかり贅沢な時間の使い方をしたなぁ~、と満足でした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根管治療 again

2010年05月04日 | アメリカ歯科・医療事情
三カ月毎に通っている歯のクリーニングに行きました。
夏には本帰国する予定なので、最後にクリーニングになるので、帰国前に気になるところは治してもらおうと思いました。引っ越しなどで忙しいときに、歯が痛くなるのも嫌なので。

前回のクリーニングの時に、指摘された歯周ポケットは薬が効いたのか、良くなっているとのこと、ホッとしました。
他にもう一ヶ所、歯茎が腫れているような気がしたので、見てもらいましたが、大丈夫でした。抗菌作用のあるマウスウォッシュを勧められ、そのサンプルとクーポンをもらいました。最近、歯ブラシを換えたのでそのせいかな
歯ブラシの件については、また今度。

もう一つ気になったのが、奥歯の鈍痛。日本で治療した歯で、金属の詰め物(filling)がしてありました。そこが温度に対しては敏感では無かったのですが、時々、噛むとちょっと鈍痛があったのです。ただ、痛みがずっと続くわけでく、気になったり、全く気にならなかったりだったりだったので、放置していました。
実は、この歯、横の方向にヒビ(crack)が入っていたので、1年ほど前から指摘はされていたのです。でも、"痛くなければ治療の必要なし"と温存していました。その時点では、痛みは全くなかったので。
それが今回、シビアな痛みではないにしても、時々痛みがあったので、この際治してもらうことにしました。

クリーニングの後のチェックは一般歯科の先生がしてくれるのですが、その後、根幹治療の歯科医にバトンタッチされ、見てもらいました。根管治療するかどうか微妙なところだったらしいのですが、帰国することともあるので根管治療までしてもらうことにしました。
今はどうかわかりませんが(少なくとも、私が日本に住んでいた時には)、日本では根管治療するのに何度か歯医者に通う必要があったように思います。きっと、帰国後は忙しくて時間が惜しいこともあり、根管治療が一回で終わるアメリカ式の治療を選択しました。

根管治療専門の歯科医に見てもらった後、受付に戻り根管治療の予約をすることになりました。
そこで、予約担当の人に、「明日の朝8時半は」と言われ、びっくり。「今、キャンセルが入ったのよ」って・・・。
アメリカの歯科医って、日本以上に混雑していて、なかなかすぐには予約が入れられない物なので、「あまりに早急すぎる・・・」と、ビビりな私は少々躊躇しましたが、次はいつ予約が取れるかわからないと思い、やるならとっととやってもらおうと、次の日に予約を入れてもらいました。

結局、とんとん拍子で治療は進み、次の日には根管治療を無事済ませました。後は、10日後に、一般歯科で型をとり、今度は詰め物ではすまないので、被せ物(crown)を作ってもらいます。

それにしても、今の歯の詰め物を見て、今通っている歯科医の方々、歯科助手の方々、「良くできてる」「奇麗だ」「どこで治療した」と絶賛しておりました。まるで、治療のために壊すのが惜しいように。それが妙におかしかったです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Amish Village

2010年05月01日 | Philadelphia周辺情報
Lancaster Countyにある、Amish Villageへは、前から行ってみたいと思っていました。行った人によって意見はさまざまでしたが、「百聞は一見にしかず」なので、とにかく自分の目で確かめるべく出かけてきました。

入り口を入ってすぐの場所で、入場料を払い、Amishの家のガイドツアーに参加します。
私たちが行ったときには、他にアメリカ人のご夫婦が二組一緒でした。
ちなみに、Amish Villageの中のレジなどで働いて知る人は、アーミッシュの人もいますが、この運営しているのはアーミッシュではないようです。




案内してもらった家は、アーミッシュの家族が実際に住んでいた家で、次にメノナイトの家族が住み、その後、買い取って公開しているそうで、彼らが住んでいたそのままを保存しているとか。
アーミッシュが電気を使用していないというのは知っていたので、どうやってお料理しているのか興味津々でした。でも、謎は以外とあっさり解け、電気の変わりにプロパンガスを使っているそうです。冷蔵庫もあり、食事の制限もないアーミッシュ。意外とと、食生活は私達と同じかも
そういえば、数年前に、ウェンディーズのハンバーガーを食べているアーミッシュを見かけたのですが、それはルールに反していなかったのですね。

それから、アーミッシュの人は写真を撮られることを嫌がります。・・・と、ガイドの人が話したら、一緒に参加していたアメリカ人のご主人が、「え~ 昨日会ったアーミッシュのおやじは、喜んで、写真をじゃんじゃん撮らせてくれたよ。」と言ってました。ガイドの人も、戸惑っておりました。

交通手段である馬車は、男の子が16歳になると馬とともに与えられるそうです。結婚するときには、馬車と馬は家からもって出て行くのだそうです。女の子は、チェストがもらえると言ってたかな・・。

着る物も、いたってシンプルな彼らですが、結婚する時には、アーミッシュの女性は、許可されている色(緑、紫、青)の中から自分の好きな色のドレス(ワンピース)に白い胸当て付きのスカート(って言うのかな?)を着て結婚します。離婚は許されない彼ら、その白いスカートはその時だけ着て、後はタンスにしまっておくのだそうです。そして、亡くなったときにまた身に付けて埋葬されるんだとか。

それと、電話は近年、緊急用にひいているとか。そういえば、2006年のアーミッシュの学校が襲撃事件に遭ったまはこの辺り。ひっそりと暮らそうとしているアーミッシュなのに・・・と、ちょっと複雑。

アーミッシュの一家は、平均7~10人の子供を持つそうです。特に、アーミッシュのコミュニティーから出て行くことは禁止されているわけではないそうです。もし、アーミッシュとして生きることを否定し、他の街に住んだとしても、自分の両親兄弟などの家に遊びに来るのは、歓迎されるそうです。
でも、ガイドさんによれば、95%が洗礼を受け、アーミッシュになることを選ぶそうです。
このランカスターカウンティーのアーミッシュのコミュニティーは、けして私たちの生活から孤立しているわけではなく、共存しているように思うので、私たちのような生活も知らないはずはありません。それでもなお、アーミッシュとしての生活を選ぶのは、どうしてでかと考えさせられました。
もちろん、信仰からという純粋な気持ちがあるとは思いますが、子供が多いから独り立ちするための経済力がない、他の世界に出るのが怖い、などのネガティブな理由も思いつきました。
でも、やはり、すっかり便利さに慣れてしまって、それを手放せずにいる私は、簡単に手に入る便利さを否定し、自然と共に生活し続ける彼らを尊敬せずにはいられません。

家を案内してもらった後は、周りの学校やお店を一回り。広くはないので、あっという間に見終わってしまいます。



午後はAmish Villageから北へ。Bird-in-Handと言う町に行ってみました。本当は、Good'n Plentyと言うレストランに行きたかったのですが、うっかり通り過ぎてしまったので、Farmers Marketでホットドックとレモネードでランチ。$3.30。やすっ
Farmers Marketの他にも、クラフトショップなどがあり、面白かったです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする