徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

マフィンに目覚める

2010年03月31日 | Philadelphia周辺情報
前日にESLの先生に教えてもらったベーカリーに行きました。
Berwynと言う街にある、Sweet Jazminesと言うお店です。消防署のすぐ隣にあるので、比較的分かりやすいと思います。厳選した材料を使って作っているそうです。



実は私、マフィンって砂糖がたっぷり入っていて「太る」と思っていたので、なるべく避けてきました。

ボランティアで毎週大学生と日本語と英語でおしゃべりするために、大学のキャンパスセンターに行っている(この話はまたいつか)のですが、お相手の学生さんに、大学のカフェのマフィンはすごく美味しいと聞いていました。たまたま先日は、末娘も一緒に大学に行っていて、その後パイオリンレッスンだったので、お腹が空くと思い、美味しいと評判のマフィンを買って食べたら、本当にすっごく美味しくてびっくりでした。まさに、目からうろこでした。
時同じくして、「Food Inc.」という映画を見て、スーパーなどで売っている食材に疑問を持ってしまいました。お肉よりも、マフィンの方が安全かも…と思ったのと、美味しいマフィンに出会った時期がシンクロしてしまい、すっかりはまってしまっています。

それに加え、先生のお宅で頂いたマフィンの美味しい事。もう「運命」でしょ。
今度は、自作すべく、レシピを研究しなくっちゃ。

マフィンを買った後は、センターシティーにちょっとした用事があるついでに、チャイナタウンで飲茶を食べるつもりだったのですが、前日までの暖かな気温とは裏腹に、風も強く寒かったのでくじけてしまい、そのままAdamstownまで昨日の続きをしに…アンティークモールに行きました。結局、アンティークモールを3件はしごして帰って来ました。

家に帰ってからは,現地校から帰る末娘を待って、アンティークモールでゲットしたティーポットでお茶を入れ、マフィンを食べしばしお茶の時間。
夕方は、アウトレットモールへ。日本で待っているおばあちゃんのお使いを済ませました.
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LanchasterCountyへ

2010年03月27日 | Philadelphia周辺情報
連日、長女を引きずり回している私。

この日は、朝から私のESLの先生のお宅にお邪魔しました。
夏に長女が来た時に、壁画ツアーに一緒に行ったのですが、この壁画の事を教えてくれたのがESLの先生でした。
壁画その物だけでなく、そのプログラムに感心した長女は、サークルで発行している雑誌「Cue」で取り上げ、その雑誌をこのESLの先生にプレゼントした事も有り、どちらからともなくぜひ会いましょうという事になっていて、小一時間、いろんなことを話ました。
そこで頂いたマフィンが美味しくて、しっかりお店を聞いておきました。

その後、Lancaster County方面へ、アンティークを見に行って来ました。時々除きに行くCackleberry Farm Antique Mallへ行き、ぶらぶらししてきました。

ランチは、これも前からププラウザーにブックマークしてあった、Strasburgという小さな街にあるIron Horse Innへ。案の定、どうしてこのお店を見つけたのか思い出せない・・。
私はクラブケーキのクロワッサンサンド、長女も蟹のクレープをオーダーしました。お昼には少々遅めの時間、しかも平日でお客さんも少なかったので、「こんな所にお客さんは入るのかな?」なんて思ってしまいましたが、手を抜く事なくしっかり美味しかったです。
このレストランは、駅の待合室として使われていた物を改装した物らしいです。今でも、週末やお休みの時期には、機関車が走っています。





ランチの後は、先生に教えてもらったベーカリーでマフィンをゲットして帰るつもりが、帰り道にアンティークモールを発見して、また立ち寄ってしまいました。そこでは、ちょっとした掘り出し物が有り、「やっぱり(品物に)呼ばれたのよぉ~」と無理やり納得した私です。

結局、マフィンは次の機会にして急いで帰宅しました。
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Longwood GardensとTea room

2010年03月26日 | Philadelphia周辺情報
長女を連れて、Longwoods Gardensに出掛けました。
まだ花の時期では無いけれど、温室があるし、蘭が奇麗だと聞いていました。やはり、外の花の季節にはまだ早かったけれど、白木蓮や、クロッカスなどの小さな花は所々咲いていました。まだ寒いのに頑張ってさいていて、健気でかわいかったです。
温室の中は、予想通り、蘭はもちろん、ユリや薔薇も咲いていて、とても奇麗で良い香りでした。





ランチはカフェテリアで食べたのですが、次の目的地は、Old Ridge Village ShoppesにあるSpecial Teas Tea Room & Gift Shopへ。
このティールーム、どこから情報を得たのか覚えていないのですが、インターネットブラウザーの「行きたい所」にブックマークしてあったのです。はい、自分でブックマークしたはずなのに、情報源が思い出せない私。年かなぁ…

とにかく、住所をナビにセットして着いた所は・・・一般の家の前でした。それも、超豪邸。またまた「ナビのみに頼るべからず」状態になってしまいました。 幸いiPhoneを持っているので、車を道路に停めて検索していたら、前日同様「Do you need help」と今度は素敵な女性。救世主の登場でした。
道に迷った事を話したら、「どこに行きたいの」と聞いてくれたので、お店の名前を言ったらそれは知らなかったのですが、「Old Ridge Village Shoppes」は知っていて、道順を教えてくれました。これまた幸い、助手席には長女が乗っていたので、しっかり英語も聞き取ってくれて、無事たどり着きました。
またまた、アメリカ人の親切さに感謝です。

Special Teas Tea Room & Gift Shopでは、お茶とチョコレートケーキを頂きました。
各テーブルには既にカップが用意されていて、お茶をオーダーするとポットに入ってサーブされます。ティーポットも様々なデザインで、かわいかったです。



このOld Ridge Village Shoppesには、レストランの他、ビーズ、毛糸、絵画、キルトなどのクラフト関係のお店があります。今回は、さらっと見ましたが、いずれじっくり見に来たいと思いました。大学に入って長女も時間が出来たのか、キルトや編み物にも挑戦したいと話していました。
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ついてる?

2010年03月25日 | サバイバル in America
長女が遊びに来ています。大学も春休み、末娘の現地校も来週は春休み(Spring Break)なので、ちょうどいいです。

昨日は、さっさと買い物を済ませようと、アウトレットに行く事にしました。でも、ガレージから車を出す時に、なんか変な感じ…。車から降りてみると、助手席側のタイヤが、見事にペッチャンコ。 また、パンクかぁ~。はい、これでアメリカに来て何度め 三度目か四度目です、はい。

今までは、スペアタイヤに交換するのは、上手に避けてきたのですが、今回ばかりは自分でやらざるを得ず、アパートの駐車場に車を止めて、スペアタイヤを引っ張り出し、ジャッキアップすべく道具を取り出しました。
でも、ジャッキを車のどこに固定するか分からず、説明書を引っ張り出して見ていました。

こんな時、やっぱり救世主は現れる物です。「May I help you?」とアパートのメインテナンスのお兄さんが声をかけてくれました。「パンクしちゃって…」と言ったら、丁寧にジャッキを固定する場所を教えてくれて、タイヤ交換まで全てやってくれました。ありがとう

私達のアパートには、アパートの修理をするためのメインテナンスが常時3人居るのですが、何かをお願いする時にはオフィスに連絡しなければなりません。もちろん、個人の車のパンクの修理は、彼等の仕事では無いと思います。それでも、快く手伝ってくれた彼に感謝です。
このアパートのメインテナンスの人達は、いつも元気はつらつに働いていて、100戸以上の居住者が居るにも関わらず、「Hi, Mrs.」と名前を覚えていてくれます。ホントにありがたい事です。

「パンクはガソリンスタンドで直せるよ」と教えてもらったのですが、モールの一角にあるシアーズに車を持ち込み、その間、長女と買い物とランチを楽しみました。メインテナンスの彼が助けてくれなかったら、きっとタイヤ交換に時間がかかり、服もドロドロで、せっかく遊びに来ている長女も初日からケチが付いたような感じで、一日いやぁ~な気分で過ごしていた事でしょう。
パンクした事自体は、アンラッキーだけど、ちょくちょくパンクする事といい、こうしてヘルプしてもらえた事といい、もしかしたら、逆についているのかもしれません。そう思う事にしましょう。
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三度目の正直

2010年03月21日 | NY & NJ 周辺情報
この週末は、夫が出張で留守だったので、末娘のNJの塾への往復は、私が初めて運転して行きました。
だいぶ心配していたのですが、何とかなる物です。

実は、前にも二度ほどそのチャンスはあったのですが、二度とも大雪のため行けなかったのです。その都度、NJに引っ越してしまったお友達と会う約束をしていたのに、キャンセル。本当に残念でした。
それが、やっと今回は実現出来、マンハッタンに出掛けてきました。お付き合い、ありがとう

やはり女友達と一緒に街をブラブラするのは、特に何も買わなくても、あれこれ見ているだけで楽しいです。ストリートのマーケット、ギャラリーの作品や、お店の品々を物色してきました。



立ち寄ったベーカリーのクッキーは、大きくて朝食に食べても良いかも。きっと、コーヒーに合うだろうなぁ・・と、ちょっと楽しみ。



それにしても、先週末は大嵐、今週は良いお天気で、そんな陽気につられたのか、マンハッタンは人が多かったです。NJからマンハッタンまでは、電車を利用したのですが、日本の満員電車並に混雑していました。
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早春のアンティーク巡り

2010年03月20日 | Philadelphia周辺情報
冬らしい冬に続き、印象深い嵐が過ぎ、今週は暖かな日々が続いています。
冬の間、面倒くさがらずに通い続けた免疫療法の注射が効いているのか、視界が脅かされたり、眠れないほどのくしゃみにも悩まされず、心地よい初春を満喫しております。
そんな中、先日、マダム達を誘って、アダムスタウンのアンティークモールに出掛けてきました。

食事の時間も惜しんで、じっくりと2周ほどアンティークモール内を周り、今回は心置きなくお買い物させていただきました。
フィヤーキング、パイレックス、デプレッショングラス等々、以前よりも沢山食器がそろって居るように感じたのは、気のせいかな それとも、目が肥えてきた 目が肥えるのは、体が肥えるよりも嬉しいけど・・・。
結局、探していたお目当ての物も見つかり、嬉しい限りでした。

アダムスタウンには、マクドナルドなどの一般的なファーストフードは無いのですが、今回はBOEHRINGER'S DRIVE INというお店に入ってみました。
駐車場に車を停め、車から出ると、いい匂い…。サンドイッチに挟む、パティやハムを焼いている臭いでした。店内にテーブルはありませんが、お店の裏を流れる川の側にピクニックテープルが有り、気持ちの良い空の下、ピクニック気分で食べました。
アイスクリームも美味しそうでした。

帰宅したら、日本から嬉しく美味しい贈り物が届いていて、さっそくゲットしたお皿の中のひとつに並べてみました。
前回アンティーク巡りした時にゲットしたカップで、お茶を入れてゆっくり食べようと思っているのに、「食べていい」「食べるよ」と末娘。お腹が空いていたのか、日本の奇麗なお菓子に餓えていたのか… あっという間に、二人でお菓子を平らげてしまいました。



ついでに、先日ミツワで見つけた「ペプシ・あずき味」の写真もアップします。
飲んだ時にはペプシだけれど、後味があんこ…。夏に飲んだ、ペプシ・シソ味もそんな感じでしたね。なんとも不思議な味でした。
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Census 人口調査

2010年03月19日 | サバイバル in America
アメリカでは10年に一度Censusと呼ばれる、人口調査、日本で言う国勢調査が行われます。それが、ちょうど今年に当たっていて、今がちょうどその時期です。

これは、アメリカ国民でなくても、アメリカに住んでいる人は全てが対象となっていて、我が家のような駐在家族でも調査に協力する義務があります。これは「義務」なので、Censusと表にかかれた封筒が送られてきたら、その中の用紙に記入して、再度送り返さなければなりません。
アメリカ国民でない私達にもその義務がある事は、意外と知られていないのか、ESLの先生も知りませんでした。



このCensusの情報や調査の日本語訳は、以下にあります。
・米国商務省国勢調査局WEBサイト(日本語)
・パンフレットその1(日本語)
・パンフレットその2(日本語)

この調査は、郵送以外で行われる事は無く、電子メールや訪問者が来ても、答えないようにして下さいと、テレビなどで呼びかけています。
ただし、調査票が届いていない仮定には、5月以降、調査員が訪問します。
その時には、IDを携帯しているはずので、まずIDの提示を求めて下さいとの事です。とにかく、Censusの調査票が送られてきたら、速やかに記入して、送り返す事が大事ですよね。
もしも、調査票が3月までに届かない場合には、1-866-872-6868に電話するようにとの事です。朝8時から夜9時まで毎日、6月30日まで受け付けているそうです。

ESLのクラスでCensusの話になった時に、人種は書く必要があるのかと言う話題になりました。
職業に応募する際、履歴書に、性別、年齢、人種を書く事すら差別ととらえるアメリカで、このような調査に対して抵抗があるのはもっともな事だと思いました。
また、プライベートは厳守するとありますが、電話番号はもちろん、不法滞在している場合でも、人数に数えなければならないし、名前や生年月日も記入する欄があります。本当に厳守されるのかという疑問も挙がりました。

普通にアメリカで生活している分には、問題ないのですが、いろんなケースを考えると突っ込みどころ満載のCensusです。
我が家にも既に届いているので、答えなくちゃなぁ…。

そうそう、Censusが届く少し前に、「もうすぐCensusが届きますよ」という手紙が届きました。
それには、Censusについでのウェブサイトの案内が、いくつかの言語で書かれてしました。スペイン語、中国語、韓国語、ロシア語・・・。でも日本語では書かれていませんでした。きっと、アメリカに住む他言語の中で割合の多い順なのだと思いますが、日本人ってやっぱりアメリカ全体で見ると少ないのよねぇ~と、既に結果を先読みしてしまった私です。
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それぞれの歴史

2010年03月18日 | サバイバル in America
先週、ESLの中国人がポットラックパーティーを企画してくれました。こんなパーティー、定期的に出来たら楽しい。
少しばかり急だったので、今回は定番のほうれん草のキッシュを作って行きました。食べ始めてから、「誰かカメラ持ってる」と誰かが言い、しばし写真撮影。



レンコンのはさみあげや、中華スープ、チャーハン、飲茶、シナモンロールとあんパン、卵焼き、タルトとアイスクリームなど、美味しい食事の数々。同じ料理でも、作り手の国が違うと微妙に味付けや材料が違っておもしろいです。

食事もさる事ながら、話題の尽きないこのメンバー。普段のクラスでも良く発言する面々なので、クラスでは喋り足りないのかも

いつもながらフランス人の彼女はアジアの歴史に興味津々。アジア人同志でも意外に知らない事が多く、中国人の友人からの「今も日本に天皇は居るのか?」に始まり、「次の天皇は今の皇太子だけど、その次は??」と聞かれました。日本の天皇制からイギリスの王室勢の話になり、「フランスは?」と言う問いに、「We kiiled them.」と答えるフランス人の彼女。おもしろい。

私はたまたま中国残留孤児についてのを読んでいたので、素直に敵国の子供を育ててくれた中国人に感謝すると話しました。中国の北部出身の彼女は、全ての中国人がそうであった訳では無く、「Some of them」はそうだけど…と表情を曇らせていました。友人の親御さんも残留日本人だったと話してくれました。
地理的に日本に近い場所で育った彼女は、横暴な日本人も居たらしいと言っていましたが、それも「Part of history」と寛大でした。

中国・韓国・日本の歴史は、それぞれの国で伝えられている事が違ったりして、いさかいの原因になる場合もありますが、このメンバーはそれも「へぇ~、そういう風に習ったんだぁ~」と言える人達です。

それにしても、そういう話をしていていつも思うのが、日本は戦後の歴史について勉強しなさ過ぎだという事です。
そもそも、はっきりと未来に伝える意思が無いと言うか、曖昧にされてきたというか…。韓国併合の話も今回韓国人の友人に聞いたら、細かい所までしっかり教わっているようでした。彼女が教わった話を日本や世界的立場から見たらどうか・・・という問題は別にして、韓国の視点でしっかり教えられています。
ヨーロッパの歴史も長くてややこしい。戦いも沢山ありました。それをやはり良く勉強していているようで、各国同士の関係が歴史の上に成り立っている事を説明してくれました。日本の事を良く知らない自分が恥ずかしくなりました。

と言う訳で、今回もトニーおじさんの動画を一つ。
[投コメ翻訳済]Japanese pride and patriotism 日本人のプライドと愛国心
動画の右下の吹き出しをクリックすると、コメントが消せます


さて、次は我が家でたこ焼きパーティーの予定。英語が不自由な私達。足が8本のがoctopusで、10本はsquidだなんて、英語の勉強か、生物の勉強か分からなくなってしまったりして…。韓国人の友人は、生物学の先生。そこはしっかり教えてくれました。
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週末の嵐

2010年03月17日 | サバイバル in America
週末のNJのお天気はひどかったですね。

前にも書きましたが、週末に末娘がNJの塾に通っています。この週末は、たまたま日曜日に塾のテストが予定されていたので、ミツワマーケット近くのホテルを予約していました。
娘を塾に送り届け、チェックインが出来る時間まで時間をつぶし、早めにチェックインして、ホテルのフィットネスで汗を流したり、温泉よろしく、長女が日本から送ってくれたゲルマニウム入浴剤を使ってゆっくりお湯に浸かったりしていました。いい身分でしょ。

さて、末娘を迎えに行く時間になり、いつもは30分ほどの道を念のため1時間以上前に出ました。
至る所でポリスカーが道を塞いでいたり、車線規制をしていたりして、幹線道路に乗るまでに予定以上に時間がかかりました。それでも、ここまで来れば一安心…と思いきや、途端に渋滞。それでもローカルの道よりはましだろうと思ったのですが、全然動かなくなりました。仕方がないので、ローカルの道に出ましが、思い通りに走れない。まっすぐ行くつもりが、やっぱりボリスが道を塞いでいたり、パイロンが立てられていていたり、黄色いテープが張られていたりして、先に進めず、迂回を繰り返しました。まるで迷路です。

浸水している場所も多かったですが、大きな木が倒れ道路を塞いでいたり、倒れた気で電線が切られ、信号も機能しておらず、交差点で立ち往生している車も多かったです。
結局、いつもは30分の道を1時間半かけて迎えに行きました。もちろん、遅刻。

きっと、そのままホテルに引き返しても、路上の混乱は同じだろうと、塾の近くのレストランで食事を取る事にしました。
レストランは、既に8時を過ぎているというのに、大混雑。家が停電して食事の用意が出来ず、レストランに来ている家族が多いようでした。食事中も、何度かレストラン内の電気がフッと消えそうになる瞬間が有り、ざわざわしていました。

結局、末娘の授業の後、塾も停電になってしまい、日曜日に予定されていたテストは先送りになりました。
でも、あの天候の中、フィリー郊外の自宅まで帰宅するとを考えれば、ホテルを予約していて良かったと思いました。

2-3日発った今も、停電している家は沢山あるそうです。
そう言えば、日曜に自宅に戻ったら、こちらも一度停電していたようです。そして、月曜の早朝ジムに行ったら、停電のためクローズしていました。我が家のアパートの前の信号も動いていなくて、近くの道路が通行止めになっていましたが、やっと今日の午後になって復帰していました。どうも、大きな木が根こそぎ倒れたようです。
それにしても、木が沢山あるのは精神衛生上良いのですが、こういう時には困りますね。水浸しになったり、あちらこちらで停電したり、アメリカのライフラインのもろさには時々驚かされます。

そんな週末でしたが、その前の週末は、いいお天気で、マンハッタンをブラブラしてきたのでした。
地下鉄で、南の方に移動し、ロウワーマンハッタンのイーストリバー沿いを歩いてきました。10年以上ぶりに行ったSouth Ferry乗り場、すっかり奇麗になっていました。ピア17から見るブルックリン橋、帆船を眺めるのも気持ちよかったです。


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サンドラ・ブロック

2010年03月15日 | お気にいり、色々
【映画】第30回ラジー賞授賞式 サンドラ・ブロック登場
動画の右下の吹き出しをクリックすると、コメントが消せます


今年のアカデミー主演女優賞を受賞した、サンドラ・ブロック。大好きな女優さんです。自分自身をしっかり知っていて、人にこびず、ユーモアも有り、素敵な人だと思っています。それに、彼女の英語は、比較的聞き取りやすいので、そういう意味でも彼女の主演する映画はよく見ます。

テレビのデアカデミー賞の前の番組は、バーバラ・ウォルターのインタビュー番組でした。このインタビュー番組、今年が29回目でしたが、今年で最後でした。その番組の最後にインタビューされた一人が、サンドラ・ブロックでした。
バーバラ・ウォルター女史については、またいつか書く事があるかも。彼女も尊敬出来る女性です。

サンドラ・ブロックは、1964年、バージニア州生まれ。母親がオペラ歌手だと言うのは有名な話。お父さんも、ボイストレーナーなので、音楽一家というか、パフォーマンス一家なのでしょうね。
その母から、「人と同じ事は絶対にしてはいけない」と言われて育ったそうです。人と同じ事はさせてもらえなかったと話していました。
2002年には、仕事の意義が見出せず、半年ほど映画関係の仕事をしなかった事も合ったそうです。
1994年の「スピード」で有名になり、「Next door girl」と呼ばれ親しまれています。アカデミー賞の授賞式でも、司会の人達が、「Who doesn't like Sandra Bullock?」「We will see(knowだったかな?) later.」とジョークを飛ばされていました。

彼女の映画で、私が好きなのは、「Premonition」(日本語タイトルは「シャッフル」)、「The Lake House」(日本語タイトルは「イルマーレ」)。どちらも、「もしも・・・」があり得たらというのがテーマかな? コミカルな映画での彼女が好きだったので、最初は「え?」と思いましたが、なかなか素敵に演じていると思います。
「Miss Congeniality」(日本語タイトル「デンジャラス・ビューティー」)の様な役も、彼女のはまり役ですが。

「スピード」はじめ、数多くのヒット作に恵まれているにも関わらず、アカデミー賞には縁がありませんでしたが、今回アカデミー賞を受賞して、ファンの一人として喜んでおります。

2005年に子持ちの離婚歴のある男性と結婚した時には、アメリカ中ビックリでしたが、それも彼女らしくて良いじゃんと思います。だからこそ、彼女の受賞の時の「子供がどこから来たのであろうと、子供達を育てている母親に」と言う言葉には意味があると思いました。

上の動画は、最悪映画賞のラジー賞授賞式の時の挨拶。受賞作の「All about Steve」のDVDをひっさげての登場でした。アカデミー賞よりも、ラジー賞の方が彼女らしいと思っちゃいました。こんなジョークが出来るサンドラ・ブロック。今後の活躍を期待しています。
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気の毒な…

2010年03月10日 | 思った事
この問題に関して、以下のような意見を出している人も居て、ちょっと嬉しい。物事を冷静に見る事が大事ですね。
[字幕] テキサス親父 トヨタ問題に怒る
動画の右下の吹き出しをクリックすると、コメントが消せます


ここ2ヶ月ほど、毎日毎日、トヨタ自動車のニュースが無い日がありません。
昨日は、暴走したトヨタ車を警察が接触して停めたと言うニュースが報道されていました。そして、今朝はまた別の話。
我が家の近くでも、トヨタ車が道路を外れ、林に突っ込んで停まったというニュースが流れていました。運転していた人曰く、「ブレーキを踏んだけど、停まらなかった」そうです。うーん、それが本当かどうかは別にして、ここまで来たら、どんな運転をしても、どんな事故を起こしても、それがトヨタ車であれば「車をコントロール出来なかった」と言えば済んでしまうような状況になっていませんか?

確かに、亡くなった人も居るし、事は重大ですが、ここまで来ると、どこまでが本当で、どこからが作られた物なのだろうかと思いたくなります。

ハリウッドの国、アメリカ。学校でも、スポーツと同様、ドラマクラブ(演劇部)が人気があります。高校に入ると、演劇の授業もあります。車の免許も「泣き落とし」で取る場合もあると聞きました。テレビのリアリティーショーだって、そこから俳優に転向する人が居ることを考えれば、そもそもが俳優、または演技を訓練された人が出ているのではないかと思います。
そんな背景を考えると、テレビに出て証言している人達をどこまで信じていいのか分からなくなってしまう私です。

「The squeakiest wheel gets the oil first」と言う言葉を聞いた事があります。日本語で言うと、「騒いだ者が得をする」とでも言うのでしょうか。そして、それに群がって儲けようとする人達の存在を感じます。
しかも今回、相手は日本の自動車会社。車社会のアメリカで、どんどん売り上げを伸ばし、世界一になったトヨタ。アメリカ経済が下降線をたどり、自国産業とも言える自動車会社が相次いで倒産の危機に瀕し、切り売りされている中、ハイブリットカーを開発し飛ぶように売れた。まさに、目の上のたんこぶなのでは無いでしょうか。オバマ大統領のバックには、アメリカの自動車会社がついているとも聞きます。

もしも、これがトヨタ車などの日本車では無くて、自国アメリカの会社の車だったらどうでしょう? と、思ってしまいます。
ここで、人が亡くなるようなリコールを出してしまったトヨタは、かっこうの標的になってしまったのでは無いでしょうか。どんなに誠意を見せても、どんな証明をしても、次から次へとそれに反する意見や事実があげられています。
トヨタ自動車社長がアメリカ議会の公聴会に出席し、誠意を持って謝り、涙声で発言してもそれは「弱さ」ととらえられ、涙を流しながら暴走した車を運転していた事を証言した女性には同情が集まる。
電子回路に問題は無いと証明した同じ日に、マットに問題は無かったのに減速出来なかった車があり、しかも、その車はリコール対象外という証言が出る。
まるで、イタチごっこ。ある記者は、まるで「魔女狩り」のようと書いていました。本当に気の毒としか言い様がありません。
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今更シュトレーン

2010年03月10日 | サバイバル in America
Salaさんのレシピで、発酵なしのシュトレーンを焼いてみました。ずいぶん前に日本に居る時に、クリスマスプレゼントで頂いた事があって、ずっと気になっていた物でした。



シュトーレンとは、ドイツのクリスマスの時期の焼き菓子だそうです。
これをクリスマスの頃に焼こうと、ドライフルーツをラム酒に漬けておいたのですが、なんだかんだと時間だけが過ぎてしまい、もう3月。それがやっと日の目を見たというわけです。あらあら・・・。

本来は、発酵させたり手間がかかるのですが、Salaさんのレシピは、その手間がかかりません。ボールと泡立て器で、混ぜて行くだけで簡単でした。集まりの時に持って行ったら、好評だったので嬉しかったです。
まだラム酒に漬かったドライフルーツが余っているので、今度は発酵させるタイプのシュトレーンを焼いてみようかな。
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またまたコンサート

2010年03月09日 | Philadelphia周辺情報
ゲルギエフ氏の指揮するコンサートに行った時に、その次の週のコンサートのチケットをゲットしていました。今回は、地元フィラデルフィアオーケストラのコンサートでした。

演奏されたのは二曲。ブラームス作曲のバイオリンコンチェルトと、ショスタコビッチ作曲のシンフォニー11番でした。
指揮は現フィラデルフィアオーケストラの首席指揮者で、日本でもなじみの深く、N響の常任指揮者・音楽監督も務めたシャルル・デュトワ(Charles Dutoit)でした。バイオリンコンチェルトは、ジャニーヌ・ヤンセン(Janine Jansen)という女性バイオリニストの演奏でした。

ジャニーヌ・ヤンセンは、1978年オランダ生まれで、現在32才。背の高い、とても奇麗な女性です。
2001年のスコットランドのNational Youth Orchestraで、今回と同じブラームスのバイオリンコンチェルトを弾いたのが、ソロとしてのデビューだそうです。現在、ヨーロッパ、アメリカをはじめ、世界中で活躍しているバイオリニストです。
彼女のバイオリンは、シカゴのストラディバリウス協会から貸与されている1727製の"Barrere"(バリア)と呼ばれるストラディバリウスです。

ブラームスのバイオリンコンチェルトをは、三大バイオリンコンチェルトにも数えられる曲で、聞き応えのある曲です。音楽の事は詳しく分かりませんが、この曲は私でも居眠りせずに聞き入ってしまいます。

さて、シンフォニーですが、これは絶対に生で聞くべき曲だと思いました。
家にCDがあったので、行く前に何度か車を運転しながら聞いてみたのですが、弱く演奏する部分(ピアノP)の部分と、強く演奏する部分(フォルテf)の差があまりにもありすぎて、とても運転中は不向きです。曲が聞こえないとボリュームを上げていると、突然大音響になるので、ハンドル操作を誤ってしまいそうになります。

今回の席は、三階のバルコニー中央寄りだったので、オーケストラ全体が見下ろせます。オーケストラの編成も大きく、90人位かな たぶん、三管編成と呼ばれる物だと思います。これが同時に演奏した時には、それはもう、ものすごい音です。きっと、居眠りしてしまった人は、飛び起きた事と思います。
こうして上から見ていて楽しいのは、パーカッションの演奏でした。いろいろな打楽器を演奏している姿は、音楽家というよりも職人のようでした。特に、ティンパニーは皮の張り方を調節したり、マレットを持ち替えたり、本当に面白かったです。

調べてみたら、この交響曲11番は1957年に作曲されていますが、「1905年」と副題が付けられています。
Wikipediaに寄れば、「1905年に起きた、血の日曜日事件を題材としている」そうです。この事件は、当時のロシア朝廷で栄華を極めたロマノフ王朝に請願するためペテルブルク宮殿に向かって行進する無防備の民衆が、軍隊の発砲により、千人以上射殺された事件の事だそうです。曲調も、行進っぽい部分があったり、スターウォーズっぽい部分があったのは、そういう理由だつたのですね。

それにしても、最近の私のクラッシック音楽の評価のしかたが、「居眠りするか否か」だったり、自分の無知さに呆れますが、まぁ・・本当に素人ですからよしとしましょう。そんな私でも、クラッシック音楽は楽しめるものです。
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英語検定結果

2010年03月08日 | アメリカ学校/教育事情
英検、とりあえず末娘も私も、合格してました。ε-(´▽`) ホッ…
「高校レベルだから受かって当然」「何年アメリカに住んでるんじゃ」と、プレッシャーをかけられるのに、私本人は、全然自信が無かったので、落ちたら何を言われるか…と、どうなる事かと思っていました。

英検の一次試験(筆記)を受験後、2週間ほどで日本英語検定協会のサイトで結果を閲覧出来ます。
なんて便利 最近は大学の合格発表もインターネットや携帯電話のサイトで見られるんでよね。時代は進歩しましたね。置いて行かれないようにがんばらなくっちゃ。

合格している場合は、一次試験の結果と一緒に、面接の集合時間が郵送されます。
面接の集合時間は、午前・午後共、3つの時間帯に区切られているようですが、末娘と私の集合時間は、別々でした。それで不安になったのは、末娘よりも私の方でした。

集合時間よりも30分ほど早く、受付が始まっています。それを知らずに、ギリギリに行ってしまった我が家は、その時間帯で区切られた受験生の中では、長く待つ事になってしまいました。
受付をすると、受験番号とは関係なく、受付順に整理番号が渡されます。そして、採点表に必要事項を記入しながら、受験生控室で待ちます。そうこうしている間に、受付番号順に10人ずつ呼ばれ、面接会場に移動します。

一次試験で見かけた、小学生低学年かと思うような子供も中には居ますが、小学校3-4年生から中学生くらいが多かったようです。
私のような大人は少ないですが、10人ずつ呼ばれる中に、一人くらい入っているようでした。私の時には、その10人の中に私ともう一人大人が居て、ホッとしました。そのほとんどは、子供達と一緒に受験するお母さんが多いようでしたが、中にはお父さんも居ましたよ。
面接会場がホテルだったので、面接に使用する部屋の前の廊下には、ずらりと面接待機者用の椅子が並べられていました。それを見てまた心臓の鼓動が速くなります。 受験者、一人一人がそれぞれの部屋を割り当てられ、名前を呼ばれるまで部屋のその椅子で待機します。たまたま、向かい合った部屋で受験する人も、大人の女性で、「緊張しますよねぇ~」と子供達よりも神妙だった私達。

もう、名前を呼ばれたら「なるようになれ」というか、なるようにしかなりません。ダメならダメで、それがその時点での実力よね・・・と、言い聞かせながら面接試験に臨みました。
でも、話ながら、そしてその後も、間違えた個所に次々に気づき、凹む一方…。緊張しすぎて、最後に聞かれて質問すら、すっかり忘れてしまいました。

2週間後には、やはりインターネットで結果が閲覧出来ます。見られるようになるのが、日本の午後3時、こちらの時間の午後1時だったので、ギリギリまで起きていましたが、その時間になっても、ネットが混雑してか、まだ時間がかかったためか閲覧出来ず。諦めて寝てしまいました。でも、早朝に目が覚め、寝起きは目が見えない私ですが、必死に目を開けて確認しました。はい、合格して良かったです。

さて、次は6月。末娘はもう一つ上の級に挑戦する事が、受験のためにも必須ですが、私はどうするか考え中。これが自分のギリギリ実力のような気もするし。いずれ、末娘と一緒に勉強して考えてみようかな。申し込みは、3月から始まります。申し込みまた忘れないようにしなくっちゃ。
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韓国レストランMIGA

2010年03月06日 | Philadelphia周辺情報
先日のコンサートの前に、センターシティーの韓国レストンMIGAに行きました。コンサートホールからも近く、便利でした。





店内も奇麗で洗練された感じで、アッシャーの女性は、奇麗な色合いの韓国のチマチョゴリを着ていました。

韓国レストランのほとんどは、小皿で多種類のキムチなどが出してくれるのですが、このお店では一つ一つを説明してくれました。小皿達は全て白で統一され、テーブルに並べると、ちょうど正方形になって、計算されてる感じがしました。
私は石焼きビビンバ(だと思います)をオーダー。シーフードが選べたので、シーフードにしてみました。夫は、サムゲタン。メニューにあるとついつい頼んでしまうんだそうです。

オハイオには「民家」という韓国レストランがあったので、きっとMIGAの「GA」は「家」の事だろうという話になりました。帰り際にお店の名前について聞いたら、「MI」とは「味」と言う意味だそうで、MIGAとは「味家」と書くらしいです。
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