日本に帰国して以来、引っ越し荷物が届く前も、届いてからも、ずーーーっと荷物に埋もれている私。
本来、片付いていないと落ち着かない性格(あくまでも主観的意見)なので、この状況はけっこうなストレスで、パワーダウンしております。
アメリカでもたくさん処分して来たのに、帰国した家にも大量に本・ガラクタが待っていました。
日本の家は玄関共有型の二世帯住宅なので、私たちがアメリカに住んでいる間も、義両親が住んでいるため、誰かに貸すことも出来ずそのままにしてありました。そのおかげで、大物家具などは置いておけてたので、倉庫を借りる必要もありませんでした。日本からアメリカへの引っ越しは楽だったし、一時帰国の時にも滞在場所に困らず、それはそれで良かったのですが、その分、ダイニングテープルやベッドなど、日本にあるのにアメリカでも買わなければならない物もありました。最後の二年は、長女と長男が先行帰国していたので、さらに、アメリカにあると知りつつ、炊飯器やアイロンなど、買わねばならない物もありました。
もちろんアメリカで処分して来た物も多いですが、日本にある物の方が古い場合は、アメリカから持ち帰った物を使い、日本にある物の方を処分することになるわけです。それぞれ、どちらを使うか考え、使わない物は処分しなければなりません。
とにかく帰国して以来、引っ越し荷物が届く前から、それらを分類・処分。そして、引っ越し荷物が届いてからも、またその中から処分せざるを得ない物を分類して処分・・・という事を長々と繰り返しております。
おかげさまで、ゴミの処分についても、いろいろ勉強しましたね。
各自治体で若干違うと思いますが、それぞれの市のホームページなどに詳しい情報が載っていると思います。
粗大ごみは、区役所に連絡して、指定された日に有料で取りに来てもらうことも出来ますが、出せる数が決まっています。でも、環境事業所またはリサイクルセンターなどに、自分で搬入する場合には、数の制限がありません。それに、何よりも、自分の時間のある時に持って行けます。
持って行くと、係の人が対応してくれて、書類を書いてお金を払えば、引き取ってくれます。
布団などは、家から出す場合には、粗大ごみ(有料)として出さなければならないのですが、自分で清掃工場・焼却施設に持ち込めば無料。電話で清掃工場に確認すると、「持ってくれば、燃やしてあげるよっ
」とおじさんがとても親切でした。「おじさん、燃やすの好きだねぇ~」と、まる子ちゃん風に言ってしまいそうになりました。
清掃工場に行って、書類を書き、指定された場所に車で行くと、車ごと重量を量ります。その後、ゴミを下ろしてまたそこに行き、また車の重量を量ります。その差で出したゴミの重さが分かるので、重さに応じて料金を払うという仕組みです。
その清掃工場、なかなか立派です。清掃工場の模型や説明なども展示されていて、学校の社会科見学などに使われるのでしょう。私もまじまじと見てしまいました。中学生の娘も連れて来れば良かったと思ったくらいです。
古本は、おなじみブックオフのお世話になりました。
車で15分ほどのところに、
ブックオフ・ハードオフ・オフハウスの店舗がある事を知り、本だけでなくオーディオセット、ゲーム、おもちゃ、家具なども引き取ってもらう事にしました。
テレビゲームのたぐいは、子供たちの成長とともに遊ばなくなったものがあるので、快く処分。「(売っても)いいよぉ~」と、子供たちもあっさりしたもの。その言葉が、超うれしい母であります。
ステレオ機材でアメリカと日本でダブっているものは、潔く処分。車に積める大きさの家具や、収納用品、雑貨なども必要なくなったものは、この際、一緒に処分です。
帰国してから、すでに三度も車に満載して売りに出かけました。あともう一回くらい、本やCD・DVDなどを整理して行く必要がありそうです。
査定を待っている間に、店内を物色して、ついつい何か買ってしまったりするのが玉に瑕ですが、不用品を処分でき、それを使ってくれる人が居ると思うことは、ささやかな幸せです。
他に、折畳みの簡易ベッド、食器棚などの車に積めない大きな家具は、出張買い取りもしてくれるということでした。
この手のお店、けっこうたくさんあって、二件ほど問い合わせ、すぐに来てくれるところにお願いしました。買い取り価格は微々たるものですが、ただよりはいいかな。でも、食器棚は古いタイプだとか言われ、逆に処理費用をこちらが払って、持って行ってもらいました。自分で階段を下ろすのも大変だし、その手間賃ということで、諦めました。
少しずつではありますが、片付いて行くのは嬉しい物です。
片づけがすんだら、ダイニングテーブルだけは新調したいな。そして、趣味で集めた、アンティークのカップでゆっくりお茶したいな。なぁ~んて、夢だけは膨らんでおります。
新しいテレビで映画鑑賞もしたいし、お休みしていた通信教育も再開して、ボランティアや、渡米前に参加していた体操教室にも復活したいな・・・と、ふつふつと元気が沸いてきたのであります。