徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

日本の春

2011年04月14日 | 帰国後の日々
桜の季節になりました。
私は雪国生まれのせいか、桜が咲く頃になると、妙に嬉しくなります。

しばらくお休みしていた、早朝のウォーキングを再開しました。ウォーキングコースには桜並木や、小中学校があったりで、たくさんの花が咲いています。(写真)




一方、東日本大震災からはまだひと月。まだまだ避難生活をおくっていて、この先どうなるのか不安に駆られている方々が多いことが気になります。

冬が過ぎれば必ず春が来て、こうして桜も見事に花を咲かせてくれます。
もうすぐ東北地方も桜の季節。猛暑、激寒、そして地震に耐えて咲きほこる、桜などの花々が、被災地の方々を元気づけてくれることを願っています。



東日本大震災当初から、「地球が怒ってる」とずっと思っています。人間の「欲」を反省したりもしています。
加島祥造氏の「求めない」が心に染みました。

What's your policy?

2011年03月28日 | 帰国後の日々
アメリカの保険会社Liberty Mutual のコマーシャルです。

Liberty Mutual Ad (1st edition): "Half Acre"


Liberty Mutual Ad (2nd edition): "The Part Where You Let Go"


アメリカに住んでいた時に、何度見ても心が温まる大好きなコマーシャルでした。
日本で言う「情けは人のためならず」ですが、一人一人の何気ない小さな小さな親切が、それを見た人達に伝わっていく。殺伐とした現代ですが、そんな世の中になってくれると言いなと思います。

Cyndi Lauper "True Colors"

2011年03月23日 | 帰国後の日々
3月22日、「メンフィス・ブルース ジャパン・ツアー 2011」のため来日していたシンディー・ローパーのコンサートが、彼女の強い希望でニコニコ動画で生放送されました。
昨日のシンディー・ローパーのライブで、彼女が最後に選んだ曲です。

Cyndi Lauper "True Colors"



I see your true colors
and that's why I love you
so don't be afraid to let them show
your true colors
true colors are beautiful
like a rainbow


日の丸の旗を時には振りながら、時にはマントのように肩にかけて歌う彼女に、とても励まされたと共に、勇気が湧いてきた気がします。そして、海外のアーチストからこんなに愛される日本っていい国よねぇ~と、しみじみと思いました。
「人々が国をつくり、人々が世界をつくる」と言ったシンディー・ローパー。

今までの震災への対応を評価する声が海外から届いているが、今後の日本の復活に対する期待も大きいと聞いています。それって、もしかしたらすごい事かも知れないですよ。

Twitterのちから

2011年03月16日 | 帰国後の日々
最初は、「周りにつぶやき相手が居ないから、ネット上でつぶやくのね」と、思いながらも好奇心で始めたTwitterでした。
それが今回の地震で、とても役に立って居ます。

実際、我が家の長女は帰宅困難者になり、東京都内から自宅のある千葉市内まで、電車だと1時間の距離を徒歩で帰宅するのを余儀なくされました。
その間、地震による連絡網、電話回線の混雑により、まったく携帯電話もそのメールも繋がりませんでした。そんななか、唯一、連絡を取り合えたのは、Twitterでした。

彼女の現在位置などを携帯電話からTwitter上にアップさせ、こちらからの伝言など、車で出迎えに行った時(結局、渋滞のため、車での出迎えは断念して帰宅したのですが)の待機位置などをアップしたりしました。
当然、長女の携帯は時々バッテリーが切れる為、途中のお店乾電池式の充電器を購入し、何度か充電しながら連絡が途絶えないようにし、結局長女は、10時間以上歩き通し、帰宅出来ました。
きっと、ネット上の他の掲示板なども、同様に活用できたのでしょうね。

その後もTwitterを見ていると、被災地以外での買い占めをやめるような呼びかけや、詐欺や犯罪についての注意など、Twitter上にあげられています。
それらを見つけた人が、どんどんリツイートして、鼠算式に情報を拡散して行きます。確かに、嘘や間違っている情報もある事は否めませんが、その様な情報に対しては、それ以上拡散しなかったり、訂正してくれる人もいるので、チェーンメールよりは安全でしょうか。

また、励ましの言葉、寄付のサイトなどなど、為になるサイトの情報なども、どんどんアップされて行きます。それが何よりも嬉しく、感動させられます。
私も、非力ながらも、そんな情報、言葉の数々をリツイートさせていただいております。左側のTwitterのボタンをクリックして、ご覧ください。少しでも、皆様のお役に立てれば幸いです。

わたしたちは一人じゃない!

2011年03月16日 | 帰国後の日々
YouTubeで、こんな動画を見つけました。日本を元気づけてくれる動画です。

東北関東大震災 宝地図ムービー あなたたちは一人じゃない


ブログの更新をストップしていましたが、今回の震災にあたり、更新します。
どれだけの人が見てくれるか分かりませんが、私でも出来る些細な事かもしれませんから。


日本の民度が試されるのは、むしろこれからです。

批判するのは簡単ですが、それぞれの立場で頑張ってくれている人々に感謝して、すべての人が一丸となって支えていけたら良いですね。

一人一人の節電が、首都圏の計画停電の一部の実施を防いでいるように、小さな"一つ"が、大きな輪になるような気がします。
小さな役割でも、命ある事に感謝して、一生懸命努めたいと思います。そして、それらの役割を務めてくれている人に、心からのありがとうを伝えたいです。
何気ない日常がありがたい、何気ない事に笑い合える命がある事がありがたい、ただ挨拶を交わせるだけでもありがたいです。

そんな被害が少なくてすんだ私たちの元気が、被災地まで伝わりますように。
被災地で物資を待つ皆さんに、必要なものが届きますように。
一人一人を束ねる皆さんが、健康でいられますように。
願いはたくさんありますが、とにかく、一人でも多くの命が助かりますように。

落ち着いてきた

2010年10月13日 | 帰国後の日々
日本での生活も、毎日捨てるゴミの減少と共に、落ち着いてきました。
ソファーに寝ころんで本を読んで、ふと気がつけば今日も良いお天気です。感謝


リビングから見える空。

日本での生活は、洗濯物は外に干すし、外を歩く機会も多いので、アメリカでの生活よりも、お天気に左右されます。
もちろん、アメリカでもお天気には気をつけていましたが、よっぽどの事が無ければ日々の生活には、支障がありませんでした。
雨が続くと、アメリカで使っていたような、大型の乾燥機が欲しいと思っちゃいます。それでも、我が家はドラム式の洗濯機なのでちょっとしたものなら乾燥できるし、大きな物も衣類乾燥機能付き除湿器があるので、一日で乾かしちゃうんですが。

帰国したら、ご近所の友人達はほとんど働き始めていて、年齢的にも焦ってしまうのが正直な所なんだけれど、自分の性格・能力を考えると大きな一歩が踏み出せないのが正直な所です。性格上、二足のわらじを履くと、必ず「二兎を追う者は一兎をも得ず」になってしまうので、末娘の受験が終わるまでは、仕事をするのは辞めようと決めました。

なんだかんだと忙しく、夫は朝6時に家を出る生活だし、地元の中学に通う末娘は7時半、上の二人は出掛ける時間もまちまちなんです。そんなわけで、午前中はそれぞれの相手をしていると、あっという間にお昼になってしまいます。たまたま中学が半日だったりすると、やっと全員出掛けたと思ったら、朝出掛けた末娘が「お腹空いたぁ~」と帰って来たりします。
夜も、それぞれ仕事やバイトだったり塾だったり、帰る時間もまちまちで、いったい一日に何度、配膳・片づけを繰り返しているのだろう・・・と思う事もしばしば。わが家はレストランかと、言いたくもなります。
要は、私の要領が悪いのと、それぞれが自立していないと言うのが実際の所なのですが。

そんなわけで、収入につながる仕事は出来ないけれど、ボランティアなら・・・と思い、とあるボランティアを始めるべく、今週末から2月まで、週に一回の講習会に出掛ける事にしました。今までのアメリカでの生活も生かせるかなというボランティア。やっぱり、家にジーッとしてるのは性に合わないので、とっても楽しみにしている所です。

渡米前に参加していた体操教室にも復活しました。 週に一度、みっちり1時間半、有酸素運動・ストレッチをします。足が絡まりそうになったり、人と反対の足をあげていたり、一人だけ妙ちくりんな動きをしている私ですが、普段使っていない筋肉も意識して動かすので、とって気持ち良いです。これでアメリカ産の贅肉を落とせると、嬉しいのですが・・。
Wii Fit Plusも、アメリカで使っていたものはアメリカ版なので、ムービングセールでお譲りしたので、日本語版をゲットして、時々やっています。 家族も今まで使っていなかったのに、私が始めたら、ちょっとずつ、またやり始めたので、家族みんなで健康になれたら嬉しい事です。筋肉って、動かさないと固まると言うか、退化しますよね。
運動と言えば、早朝ウォーク&ランは、続いています。夫が家を出る時に一緒に出掛けて、末娘を起こす前に帰ってくるので、長時間は出来ませんが、それでもなかなかすがすがしいです。ただ、これから日が短くなるので、いつまで続けられるかな。

空いた時間は、読書に費やす事が多いです。
私がアメリカに居る間に、日本の図書館も便利になり、インターネットで検索・予約が出来るようになっていました。アメリカに居た時同様、これを利用しない手はありません。せっせと検索・予約し、本を借りてきています。
日本語の本がたくさんあるという当然の事がすっごく嬉しい私。次から次へと読みたい本がたくさん出てきます。もっと時間があれば・・・と思う今日この頃です。

いまだに車のワイパーとウインカーは間違えるし、駐車場が狭いと恐怖におののいておりますが、なんとかこうにか、いっちょ前の生活が出来るようになりました。

子供手当て

2010年10月04日 | 帰国後の日々
子供手当て方が、今年2010年の4月から施行されました。
正式には、「平成二十二年度における子供手当ての周期に関する法律」といい、15歳の4月1日前日までの子供の保護者に対し、子供手当を支給する制度です。

幸い、わが家の末娘は2月生まれなので、2月までは受給資格があります。では、どうやって

最初は、受給資格があっても、1月1日の時点で日本に居なければ貰えないのだと思っていました。それでも、15歳になるまで1~2ヶ月分は貰えると思っていたわけです。
それがっ 7月に帰国している場合、転入した時点で申請していれば、次の月、つまり8月分から支給されるはずだったということを知りました。
最近帰国したお友達のUさんが、申請するというので、調べましたよ。Uさん、きっかけをありがとう。

急きょ、区役所に申請しに行って来ました。あわよくば、さかのぼって帰国した時から支給してはくれまいかと思ったのですが、案の定、申請した次の月、つまり11月からの支給になると言われガッカリ。

気付かなかったわが家もわが家ですが、帰国して区役所に住民登録した時点で、中学生の娘がいる事は伝えてあるし、末娘も一緒に区役所に行っているので、その時点で区役所の人が教えて然りだと思うのですが、いかがなものでしょう。
それを申請した時に窓口で言ったら、こども手当ての申請について説明がなかったのは、市役所側のチョンボらしいのですが、今更どうにもならないらしく、やっぱり支給されるのは来月から。納得いきませんよぉ~。
その時に申請していれば、3万円多く支給されるわけですよ。3万円といえば、家計にとってはけっこうな額です。この気持ち、どこにぶつけよう・・・。

この子供手当て、海外に子供を残してきた外国人労働者には支給されるのに、親が海外で働いていて、子供たちが日本に住んでいる家庭には支給されないのもおかしい。どうして日本人なのに日本の制度が適用されないのでしょう
結局は自民党のばらまきだと批判も大きいです。だったら、給食費未払いになっている分に費やすべきだとか、他の案もあるわけです。

細かい所は、今後見直されると聞きましたが、そういう意味で正式名称に"平成二十二年度における"が付くんでしょうね。「とりあえず」と言う意図が見え見えでは無いですか。「とりあえず、法案を通して、やりながら考える」なんて、現代の文明社会でありですか
子供手当てを始め、行き当たりばったりの政治。こんなんだから、領土問題をばしめ、世界各国から甘なめられるのよと、私が鼻息を荒くしてもしようがないのだけれど。
でも、そろそろ日本も平和ぼけから目覚める時期じゃないかなぁ・・と、強く思うのであります。

たいへんな引っ越し

2010年09月29日 | 帰国後の日々
どうにかこうにか、家の中が片づき、人間らしい生活が出来るようになりました。
窓際に積んであった段ボールの箱も片づき、光が部屋に入るようになり、窓を開けて風を入れられるようになり、気分もいいです。

家の片づけ掃除をしている間、そうでなくても、ほこりっぽい家に居る間はジャージ、もしくはそれに近い格好ばかりでした。荷物や段ボール箱の隙間を移動しなきゃいけないことも多いので、動きやすい格好が一番なのです。
そんな毎日が長く続くといざ出かける・・・なんて事になったら大変です。何を着ていいか分からない。 おまけに、いつもすっごい格好をしているので、出かける時に着る服は、クローゼットの奥にあるので、なかなか探し出せない。化粧をするにも、ドレッサーの前には座れない、たどり着けない。と言うわけで、極力出掛けるのを避けるようになってしまっていました。

引っ越しというのは、けっこうなストレスで、家族の価値観のぶつかり合いです。夫には宝物でも、妻にはガラクタ。逆もまた然り。「そんなものまで持って行くの」「こんなもの捨てちゃえ」「俺も物は勝手に捨てるな」「俺のところにお前の物が入ってる」と、わが家も例外ではありませんでした。はい。

時間に対する感覚もそれぞれが違う。片づけをさっさと終わらせてから、楽しむことに移りたいと思う人もいれば、片づけをゆっくりやりながら、娯楽も同時進行できる人もいる。また、実際に片づけに費やせる時間も、家族といえども、それぞれ違う。
把握している荷物がそれぞれ違うので、おいそれと移動も出来ない。勝手に片づけちゃうと、「あれはどこに行った?」と。ゴチャゴチャの中から探し出さなくてはならなくなる。これがものすごく時間の無駄。そして、そう考えると、ものすごくストレスになる。

片づけと同時に、買わなきゃいけないものもたくさんあって、お札に羽が生えたように飛んで行く。これを野放しにしておくと、金銭感覚がマヒしてしまう。レシートだけは、保存してあったので、家計の管理に力を入れねばと思っている今日この頃です。
片づけで肉体労働をした後は、しばらく数字とにらめっこして、脳みそ使いますかね。

Remake

2010年09月25日 | 帰国後の日々
日本の台所に家ある食器棚。入居前に使っていた食器棚を台所に入れようと思ったら、1-2センチ程の高くて、台所の棚の下に入らず入れられなかったので、予定外に買った物でした。はっきり言って、安物の食器棚でした。でも、真ん中がフリーなスペースになっているので、形は気に入っていました。
ただ、物は値段なりで、塗料も安かったのか、時間の経過と共に汚れ、油らしきシミがしっかりついてしまっている。今回帰国するのを機会に、買い替えようかとも思ったんだけど、とりあえず白のペンキで塗ってリメイクしてみることにしました。



表面の汚れを洗剤でふいてから、ペンキを塗っていくのですが、ムラにならないように塗るのは、けっこう難しかったのです。食器棚を縦にしたり横にしたりして塗り、完全に乾くまで1-2日いく、という繰り返し。飽きて放ったらかしにしておくと、埃をかぶってしまうので、おいそれと放置も出来ません。
夏の暑い時期に塗ったのですが、幸いにも、最近の塗料は臭いも強くなく、鈍感な私はエアコンの効いた部屋の中で作業出来たので助かりました。
フリースペースには、長女にタイルを選んで貼ってもらいました。タイルの間の目地入れは、長女と夫にお願いしました。そして、アメリカから持ち帰ったワイングラスを掛ける板(?)を取り付けて完成の運びとなりました。
引っ越しの荷物からワイングラスも発掘し、ワインを開ける日を待ちわびる私でございます。



な~んて実は、料理に使った安物のワインの残りを飲んじゃいました。キッチンドリンカーと言う言葉を思い出しました。気をつけよ・・・。

タイムスリップ

2010年09月23日 | 帰国後の日々
家にゴチャマンとあるビデオテープを整理しています。20年前は、ディズニーのビデオも高かったなぁ~なんて思いながら。
見なくなった子供用のビデオは、Book-offで本同様売れるので、見なくなったものは買い取ってもらってもいいかなと思っています。

テレビ番組を録画したものは、スペース節約のために、DVDにダビングする事にしました。この数日、10年以上前にとったテレビ番組のダビングをしながら、ついついタイムスリップしてしまっています。

末娘の妊娠中、つまり15年前、暇なのでWOWWOWを契約していた時に、映画を撮り溜めした物もたくさんありましたが、一度見た映画は、あまり何度も見ないので、思い切って処分。見たくなったらレンタルで借りられるし。

どんな番組を保存しておくか

まずはボストンポップスのコンサートです。
11-12年前、ボストン時代に、テレビで放送していた、Evening at Popsというボストンポップスのコンサート。この番組、2005年で打ち切られたようですね。それから、独立記念日のボストンポップスのコンサート。
キースロックハートも今より痩せてて若かったな~と思わずにはいられませんでした。独立記念日には、コンサート会場に行っているくせに、しっかりビデオもセットして、用意周到でした。
特に、小沢征爾氏が、ボストンシンフォニーで25周年を迎えた年には、小沢氏が「1812」を指揮し、キース・ロックハートと一緒に「星条旗よ永遠なれ」を指揮しながら、肩を組んでダンスしていました。

一番古いところで、1990年のマドンナの日本ツアーねんてのも出て来ました。20年前ですよ。今でもエネルギッシュなコンサートをしているマドンナ。すごいです。

また、ダビングしながら見入ってしまったのは、「音速の貴公子」と呼ばれた、F1レーサー、アイルトン・セナの追悼番組と名レースを再放送した番組です。悲願の母国ブラジルでの初勝利、モナコでの快進撃、今見てもセナはかっこいい
1990年前後,彼は私たちのヒーローでした。1994年にレース中に亡くなったなは、今思い出しても悲しい出来事でした。
本田宗一郎に「世界一の車を作ってやる」と言われ涙ぐんだりする彼を見て、一生懸命やって、世界一になる様な人は、精神的にも一生懸命なんだなと思ったりもしました。
速すぎるがゆえに、レース界の政治に巻き込まれ、それにも屈しなかったセナ。彼ほどかっこよくなくても、きっとそんな悔しさを理解できる人は多いと思います。いろんな責任を負わざるが得ないゆえに、ただただ自分の目標に向かって走るわけには行かない人々。当時のセナは、中間管理職みたいだなんて思っちゃいました。

そうそう、このアイルトン・セナのドキュメンタリー映画「音速の彼方へ」がこの秋公開されるそうですね。これはぜひ見にいかねば

今日は、「Queer eye for straight guy」 をダビングしています。2007年の秋まで4年ほど、アメリカのケーブルチャンネルで放送されていた番組です。
またまたこれも何度見ても面白くて、見入ってしまいます。でも、メイクオーバーされてきれいになった部屋を見て、「家の片づけ頑張ろう」とやる気にさせてくれます。
でも、すっかり夕方になってしまいましたが。

ただいま処分中

2010年09月20日 | 帰国後の日々
日本に帰国して以来、引っ越し荷物が届く前も、届いてからも、ずーーーっと荷物に埋もれている私。
本来、片付いていないと落ち着かない性格(あくまでも主観的意見)なので、この状況はけっこうなストレスで、パワーダウンしております。

アメリカでもたくさん処分して来たのに、帰国した家にも大量に本・ガラクタが待っていました。
日本の家は玄関共有型の二世帯住宅なので、私たちがアメリカに住んでいる間も、義両親が住んでいるため、誰かに貸すことも出来ずそのままにしてありました。そのおかげで、大物家具などは置いておけてたので、倉庫を借りる必要もありませんでした。日本からアメリカへの引っ越しは楽だったし、一時帰国の時にも滞在場所に困らず、それはそれで良かったのですが、その分、ダイニングテープルやベッドなど、日本にあるのにアメリカでも買わなければならない物もありました。最後の二年は、長女と長男が先行帰国していたので、さらに、アメリカにあると知りつつ、炊飯器やアイロンなど、買わねばならない物もありました。
もちろんアメリカで処分して来た物も多いですが、日本にある物の方が古い場合は、アメリカから持ち帰った物を使い、日本にある物の方を処分することになるわけです。それぞれ、どちらを使うか考え、使わない物は処分しなければなりません。

とにかく帰国して以来、引っ越し荷物が届く前から、それらを分類・処分。そして、引っ越し荷物が届いてからも、またその中から処分せざるを得ない物を分類して処分・・・という事を長々と繰り返しております。

おかげさまで、ゴミの処分についても、いろいろ勉強しましたね。
各自治体で若干違うと思いますが、それぞれの市のホームページなどに詳しい情報が載っていると思います。

粗大ごみは、区役所に連絡して、指定された日に有料で取りに来てもらうことも出来ますが、出せる数が決まっています。でも、環境事業所またはリサイクルセンターなどに、自分で搬入する場合には、数の制限がありません。それに、何よりも、自分の時間のある時に持って行けます。
持って行くと、係の人が対応してくれて、書類を書いてお金を払えば、引き取ってくれます。

布団などは、家から出す場合には、粗大ごみ(有料)として出さなければならないのですが、自分で清掃工場・焼却施設に持ち込めば無料。電話で清掃工場に確認すると、「持ってくれば、燃やしてあげるよっ」とおじさんがとても親切でした。「おじさん、燃やすの好きだねぇ~」と、まる子ちゃん風に言ってしまいそうになりました。
清掃工場に行って、書類を書き、指定された場所に車で行くと、車ごと重量を量ります。その後、ゴミを下ろしてまたそこに行き、また車の重量を量ります。その差で出したゴミの重さが分かるので、重さに応じて料金を払うという仕組みです。

 

その清掃工場、なかなか立派です。清掃工場の模型や説明なども展示されていて、学校の社会科見学などに使われるのでしょう。私もまじまじと見てしまいました。中学生の娘も連れて来れば良かったと思ったくらいです。

古本は、おなじみブックオフのお世話になりました。
車で15分ほどのところに、ブックオフ・ハードオフ・オフハウスの店舗がある事を知り、本だけでなくオーディオセット、ゲーム、おもちゃ、家具なども引き取ってもらう事にしました。



テレビゲームのたぐいは、子供たちの成長とともに遊ばなくなったものがあるので、快く処分。「(売っても)いいよぉ~」と、子供たちもあっさりしたもの。その言葉が、超うれしい母であります。
ステレオ機材でアメリカと日本でダブっているものは、潔く処分。車に積める大きさの家具や、収納用品、雑貨なども必要なくなったものは、この際、一緒に処分です。

帰国してから、すでに三度も車に満載して売りに出かけました。あともう一回くらい、本やCD・DVDなどを整理して行く必要がありそうです。
査定を待っている間に、店内を物色して、ついつい何か買ってしまったりするのが玉に瑕ですが、不用品を処分でき、それを使ってくれる人が居ると思うことは、ささやかな幸せです。

他に、折畳みの簡易ベッド、食器棚などの車に積めない大きな家具は、出張買い取りもしてくれるということでした。
この手のお店、けっこうたくさんあって、二件ほど問い合わせ、すぐに来てくれるところにお願いしました。買い取り価格は微々たるものですが、ただよりはいいかな。でも、食器棚は古いタイプだとか言われ、逆に処理費用をこちらが払って、持って行ってもらいました。自分で階段を下ろすのも大変だし、その手間賃ということで、諦めました。

少しずつではありますが、片付いて行くのは嬉しい物です。
片づけがすんだら、ダイニングテーブルだけは新調したいな。そして、趣味で集めた、アンティークのカップでゆっくりお茶したいな。なぁ~んて、夢だけは膨らんでおります。
新しいテレビで映画鑑賞もしたいし、お休みしていた通信教育も再開して、ボランティアや、渡米前に参加していた体操教室にも復活したいな・・・と、ふつふつと元気が沸いてきたのであります。

第ニ便引越荷物到着

2010年09月13日 | 帰国後の日々
引越荷物の二便が到着し、またまた家の中は、しっちゃかめっちゃかですが、とりあえず気持ち的にはホッとしています。

必要な台所用品と食器類は出して、納めるところに納めました。そして、パソコンも掘り出し、夫がセットアップしてくれました。
残る物はほとんど夫の管轄なのですが、週末しか時間の無い彼には、ゆっくりやっていただきましょう。地デジ対応のテレビも買ったので、テレビ・映画鑑賞、インターネットさえ出来が出来るようになったので、どれだけ荷物に埋まっていようとも、文句は言いますまい。

そうそう、地デジの件は、アンテナ工事などいろいろ調べましたが、結果的に我が家はテレビの買い替えだけでいいようです。もしかしたら特殊な地域かもしれませんし、今後どれだけこの状態が続くかわかりません。ただ一つ言えるのは、自分でよく調べることが必要だなと実感しました。地デジの件は、落ち着いたらご報告しようと思います。

それから、検診も受けて来ました。メタボ対策と称して、お腹周りも測定されるのですが、太ると下腹に脂肪がつく私。ばれない程度に、意識的にお腹を引っ込めていました。そんなことしても、太ってしまったのは、ごまかせません。

さてさて、パソコン復活最初の写真、これですかね。(笑)

コンドはいつ食べられるかなぁ~。

今のわが家の現状は、こうですから。ここがリビングで、寝室もベッドの周りは箱でいっぱいです。窓の横のテレビの棚の前にも箱が高く積まれ、テレビも見られませんでした。いまは、その前だけかろうじてスペースがあります。


いずれは、ブログのお引っ越しも考えていますが、しばらくこのまま。今後は、帰国後の記事に写真を加える作業でもしようかな。

中学生活始動

2010年09月01日 | 帰国後の日々
末娘の中学生活が始動しました。初日は、玄関までお見送りして来ました。
末娘の通う中学は、去年から校舎の建て替えが始まり、この夏休み明けから新校舎を使用する事になっていました。末娘の日本での中学生活も、新校舎で始まりました。
夫、長女、長男の三人が通った旧校舎。古い校舎もそれなりに思い出が詰まっている物。家族で、あれこれ話題に登っておりました。



登校するまで、どのクラスかわかりませんでしたが、結局、近所の幼馴染みの男の子と同じクラスになりました。でも、さすがに中学性。おいそれと男の子には、話しかけられなかったようです。可愛いもんだ。(笑)
渡米前と同じ町に帰って来た事、去年・一昨年と体験入学していたおかげで、クラスはもちろん、クラスの外にも友達や知り合いがいて、先生方も声をかけてくれ、スムーズに中学生活をスタートできたようです。

そうは言っても、自分の足で登校し、給食の用意、校舎の掃除もし、授業意外にも色々お仕事のある日本の中学。体力的には疲れるようです。まして、まだまだ真夏日が続く今年の夏。
それに、体験入学の時とは違って、今度はお客さまでは居られないし、精神的にも疲れるでしょうね。
正直「アメリカに帰りたいかも」とポロリとこぼしておりました。
でも帰って来た以上、週に三回の塾とも両立しつつ、受験勉強もしなきゃいけません。一日も早く、日本の生活になれるように、頑張れ!

末娘の冒険

2010年08月25日 | 帰国後の日々
日本での生活に、一番戸惑っているのは、予想どおり末娘でしょう。
帰国してすぐに塾通いが始まり、自宅から電車で約20分ほど通っています。
最初は、一人で乗れるか心配していましたが、乗り換えもないし、もう中3なんだからと、塾の申し込み以降は一人で行っています。
迷ったら周りの人に、これこれこういう風に聞けと、あれこれ細かく指示してと「私だって、日本語話せるよ~!」と強気だった末娘。長女と長男に「あたりまえだ!」と一笑にふされておりました。
でも、小二で日本を離れた彼女にとっては、こんな事でもたいそうな冒険なのかもしれません。中学時代1-2年まで日本で過ごし、帰国して2年経っている長女や長男とはちょっと違いますよね。
末娘の気持ちは、田舎者の私にはよくわかったりして。田舎から出て来て、初めて電車に乗るようなものよね~。

その末娘、案の定、電車を乗り間違え、同じ路線を行ったり来たりした事も‥。(笑)
自宅の最寄り駅は、快速は停まらず、隣の駅には停まります。その快速に乗ってしまった彼女。「家過ぎちゃった。どうしよう?」とメールをして来ました。「○○駅で降りなさい」とメールしたら、「それももう過ぎちゃった」と。とほほ‥。
1時間ほどかけて帰宅した彼女。「ママ、メール遅いんだもん」って、私のせいかい???
そんなこんなのメールのやり取りを自宅にいた長女と長男、「なんか、かわいいなぁ~」「いやぁ~、期待を裏切らないね~」と面白がってました。

経験から学ぶとはもうしますが、まさに末娘がその良い例で、今では自動券売機で回数券の買い方も覚え、「ここはどこ?」なんてメールを送ってくる事もなくなりました。おまけに、suicaで買い物できる事を知り、私が交通費としてsuicaにチャージしてあげた分を飲み物に使うなんて裏技まで覚えてしまいました。
先日は、「この電車は○○駅まで行きますか?」なーんて知らない人から聞かれたそうです。はたからみても、道を尋ねられるほど、日本に馴染んで来たのかな~。

第一便引越荷物到着

2010年08月24日 | 帰国後の日々
御盆明けに、引越し荷物の第一便が到着しました。
前にも書きましたが、前回駐在の帰国で、引越荷物を一度に送って、狭い日本の家が荷物で埋まり、寝る所すらままならなかったので、今回は二回に分けて送った荷物。その、一便が届きました。

引越業者さん、二日がかりで梱包・運び出した荷物を、たった半日で搬入してくれました。
一旦組み立てたら、分解して再度組み立てるのは不向きと言われたIKEAの家具。収納力があるので、持って来てしまいました。高さ・幅ともに185cmある棚を入れたかったのは、たった三畳の書斎。狭い部屋の中で、引越し業者さん3-4人がかりで組み立ててくれました。感謝!
これまで、日本国内・海外と、何度か引越しを経験しましたが、いつも引越し屋さん「あっぱれ」です。

すっかり引越し荷物の箱達に占居されてしまった我が家。
例年、高校野球の応援に大騒ぎしてしまう私達も、テレビすら見られませんでした。その間に、応援していた早稲田実業、成田高校、負けてしまいました。

その後、私達も、引越し屋さんのように、箱開け作業に没頭した数日間。
こんな物までどうして持って来たんだろう?と、首をかしげる物もあり、箱は開けても収納場所に困る物あり、二便が到着しないと置き場所が決まらない物有りと、なかなか作業が進みません。
それでも、食べる事は重要と、台所用品のほとんどを一便に入れていたので、台所用品はほとんどそろい、お料理もサボれなくなってしまいました。(笑)

二便の到着まで、どれだけ片づけられるか‥。頑張ります。