徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

雨と政治と

2010年09月16日 | 思った事
今朝は早くから雨が降っていましたが、末娘が中学に出かけるとすぐに雨足が激しくなりました。
アメリカでは、自宅アパートの玄関前でスクールバスに乗り、学校の玄関前で降りていたので、日本での10-15分の徒歩通学だけでも嫌なはず。しかも、今朝のような雨じゃ、さぞかし朝から嫌だろうなぁ~と、末娘をかわいそうに思う過保護な母の私です。
でも、それが日本。ほとんどの子供たちが、小学生の頃から徒歩で、あるいは自転車や公共交通機関で通学しています。そんな中で、四季を感じ、それに合わせていく生活を自然に学んでいくんですよね。
そういう意味では、アメリカの教育環境は過保護かも・・・と、朝から思ったりもしました。

さて、日本では一昨日、民主党代表選があり、管総理が再選されたわけですが、マスコミ報道を見ていると、今後の人事に始まり、来年の春にはまた解散総選挙か?云々と、悲観的なシナリオばかり語られています。

3年ほど前のアメリカ民主党の大統領予備選挙を思い出さずにはいられませんでした。
ヒラリー・クリントン VS バラク・オバマの戦いも、すさまじいものがありました。公に、相手の非難もしていました。でもこの二人、今はしっかり手を組んで、協力してアメリカ政治を先導しているではありませんか。
どうして、批判ばかりして、先行き暗い予測ばかり立てるのか。言い方向に考える事は出来ないのかな。私が、あまりにも無知なだけかもしれませんが、真実以上にマスコミが大騒ぎしているような気もします。
いずれ、マスコミが騒ごうと騒ぐまいと、人事は決まるし、政治も動いていくでしょうけれど。

一つだけ、この騒ぎでの私の収穫は、小沢さんの意見が聞けたこと。私も彼に対しては"黒幕"的なイメージが強かったので、今回、小沢さんが直接テレビでご自身の意見を話してくれたことで、だいぶイメージが変わりました。
そして選挙後も、管総理よりも小沢氏へ注目が集まっていることが、なんとも日本の不思議というか、小沢氏の偉大さを感じています。

でも、選ばれたのは管総理。堂々と自信を持って、彼のやり方でやって欲しいと思います。
これは、私の印象だけれど、管さんは、政党は関係なく、どんな意見でも聞きますと言う、アメリカ大統領のオバマさんに似ているかも? だからこそ、派閥や今回の選挙でどちらを支持したか関係なく、小沢さんが選挙後に言ったように、"仲良く"やっていける人だと思うのですが・・・。

脱官僚制を掲げる民主党。それはぜひ実現して頂きたいところですが、これらのニュースを見ていて、長女とこんな会話をしていました。
「こんな事やってて、日本は大丈夫なの?」「大丈夫、官僚がしっかり仕事してるから。」
って、ほんとうに脱官僚制が出来るんですかね。それとも、そう思う私も、やっぱりマスコミに操られちゃってるのかな?

下の写真は、アメリカU-Pennの大学構内の路面に見つけたもの。

Well done is better than well said
Half the Truth is often a great Lie

う~ん、なんとも

Go Back!

2010年06月03日 | 思った事
本帰国が迫ってきました。当初は、私と末娘だけが、この夏に帰国する予定でしたが、夫の移動も重なり、一緒に帰国する事になり、とうとう我が家もアメリカから完全撤収です。


(大げさだけど、心の故郷)

6月いっぱいでアパートを引き払うため、少し前に引っ越し業者に来てもらい、多くの駐在員がそうであるように、日本に持ち帰りたい物が規定内に収まるか査定していただきました。
それと前後して、ムービングセールのチラシを作り、友人知人にメールで流してもらい、たくさんの方からオファーをいただいきました。我が家で使っていた物を引き続き使ってくださる方々、本当にありがたいです。

それにしても、デッドラインが決まってしまうと、あとはそこから逆算して、あれやこれやと、やるべき事を片づけて行くだけ。なんと時間の飛ぶように過ぎる事か・・・。
今まで何度か引っ越しを経験して思うのですが、期限が決められると、何とかそこまで頑張れる。何もなければ、だらだらしているくせに・・・。
オハイオから引っ越す前にも書いたけど、「ここまで」と決められたら、一生懸命生きられるかもしれません。

私の朝は、ABCチャンネルのグッドモーニング・アメリカと共に始まるのですが、そののアンカーのロビン・ロバーツ女史は、私の尊敬する女性の一人ですが、彼女を見ていると、そんなことを思い出させられます。
彼女は、2007年に乳癌が発見され、化学療法を受け髪の毛が抜けた時には、番組の中で、髪の毛を剃る映像を放送しました。当時のアンカーの一人、ダイアン・ソイヤーさんは、そんな彼女を見ていて、「そこまで放送しなくても・・」と切なく思ったと語っていました。
彼女も、癌が見つかった時に、自分の時間に限りがある事に気付いたのではないでしょうか。私は、それ以前の彼女は良くし知りませんが、毎朝彼女の笑顔を見ていると、「限りある時間を一生懸命」と思っているのだと感じずにはいられません。
毎朝伝えられるニュースに、楽しい話題はとことん楽しく、悲しい話題には同情し、時には涙を隠さない彼女。毎朝、そんな彼女を見ながら、私も今日一日頑張ろうと思っています。


(アメリカで、挑戦したなぁ~と思える事)

大きな病気こそしませんが、度重なる引っ越しで、時々デッドラインがやって来る私。そのおかけで、好奇心、探求心旺盛になったかも
今、この場所でやれる事をやれるだけ精一杯。日本に帰国したら、アメリカに来た時同様、大変な事はたくさんあると思うけど、いつまでも前向きな自分であり続けたいと思います。

さて、帰国日まで後1ヶ月ほど、まだまだやらなきゃいけない事、やりたい事が、山ほどあります。後で後悔しないように、やり抜くためには、健康第一。良く寝、良く食べ、よく働こう

気の毒な…

2010年03月10日 | 思った事
この問題に関して、以下のような意見を出している人も居て、ちょっと嬉しい。物事を冷静に見る事が大事ですね。
[字幕] テキサス親父 トヨタ問題に怒る
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ここ2ヶ月ほど、毎日毎日、トヨタ自動車のニュースが無い日がありません。
昨日は、暴走したトヨタ車を警察が接触して停めたと言うニュースが報道されていました。そして、今朝はまた別の話。
我が家の近くでも、トヨタ車が道路を外れ、林に突っ込んで停まったというニュースが流れていました。運転していた人曰く、「ブレーキを踏んだけど、停まらなかった」そうです。うーん、それが本当かどうかは別にして、ここまで来たら、どんな運転をしても、どんな事故を起こしても、それがトヨタ車であれば「車をコントロール出来なかった」と言えば済んでしまうような状況になっていませんか?

確かに、亡くなった人も居るし、事は重大ですが、ここまで来ると、どこまでが本当で、どこからが作られた物なのだろうかと思いたくなります。

ハリウッドの国、アメリカ。学校でも、スポーツと同様、ドラマクラブ(演劇部)が人気があります。高校に入ると、演劇の授業もあります。車の免許も「泣き落とし」で取る場合もあると聞きました。テレビのリアリティーショーだって、そこから俳優に転向する人が居ることを考えれば、そもそもが俳優、または演技を訓練された人が出ているのではないかと思います。
そんな背景を考えると、テレビに出て証言している人達をどこまで信じていいのか分からなくなってしまう私です。

「The squeakiest wheel gets the oil first」と言う言葉を聞いた事があります。日本語で言うと、「騒いだ者が得をする」とでも言うのでしょうか。そして、それに群がって儲けようとする人達の存在を感じます。
しかも今回、相手は日本の自動車会社。車社会のアメリカで、どんどん売り上げを伸ばし、世界一になったトヨタ。アメリカ経済が下降線をたどり、自国産業とも言える自動車会社が相次いで倒産の危機に瀕し、切り売りされている中、ハイブリットカーを開発し飛ぶように売れた。まさに、目の上のたんこぶなのでは無いでしょうか。オバマ大統領のバックには、アメリカの自動車会社がついているとも聞きます。

もしも、これがトヨタ車などの日本車では無くて、自国アメリカの会社の車だったらどうでしょう? と、思ってしまいます。
ここで、人が亡くなるようなリコールを出してしまったトヨタは、かっこうの標的になってしまったのでは無いでしょうか。どんなに誠意を見せても、どんな証明をしても、次から次へとそれに反する意見や事実があげられています。
トヨタ自動車社長がアメリカ議会の公聴会に出席し、誠意を持って謝り、涙声で発言してもそれは「弱さ」ととらえられ、涙を流しながら暴走した車を運転していた事を証言した女性には同情が集まる。
電子回路に問題は無いと証明した同じ日に、マットに問題は無かったのに減速出来なかった車があり、しかも、その車はリコール対象外という証言が出る。
まるで、イタチごっこ。ある記者は、まるで「魔女狩り」のようと書いていました。本当に気の毒としか言い様がありません。

チリ地震について

2010年03月03日 | 思った事
時間の経つのは早い物で、もう3月…。友人から頂いた、花束に春を感じました。



今年の冬は例年にない大雪に雪国生まれの私は驚きもしませんが、今回の度重なる地震には何か(誰か)からの「怒り」のような物を感じています。

ESLクラスの友人に、チリ人が居ます。彼女には既に結婚した娘と息子が居て、二人とも首都サンティアゴに住んでおり、とても心配しています。幸い地震発生二日後に、息子さんとは連絡が取れ、スカイプで元気な姿を見られたそうです。でも、依然として娘さんや他の親戚とは連絡が取れずにいました。プライベートビーチもある自宅、津波に呑まれてしまったかもしれないとも話していました。
一刻も早く、娘さんや、他の親戚の人達の安全が確認出来る事を祈っています。

チリでは、1985年にも大きな地震があり、日本と同じように建物は頑丈に建てられていたはずだけれど、それでも充分じゃなかったと言っていました。「備えあれば憂い無し」とは言うけれど、備えていても100%備えきれないが災害という物なのでしょう。テレビに映し出される、橋やビルが崩壊した悲惨な状況が、ますます彼女の不安に拍車をかけているようです。
この時ばかりと、生活必需品だけでなく、プラズマテレビや貴金属などを盗む人々。夜間外出禁止令が出され、治安も悪化していると嘆いていました。

現職のチリ社会党(左派)からのチリ史上初の女性大統領ミシェル・バチェレ氏は、間もなく、この3月11日で人気を終え、次は相反する右派の大統領に政権を譲る事になっているそうです。各国から援助の要請はあるが、それを取りまとめる政府がちょうど交代の時期。救助部隊を統制するのも難しそうです。現在の中道左派政権は20年間続いたそうで、政治の混乱も招きそうだと心配されています。

一方、経済的側面から考えると、災害の後は街を建て直す必要性から、復興事業にお金が投資されGNPが上がるという統計もあるそうです。そんな事を言っても、今のチリの状況には慰めにもらないかもしれませんが、この災害に負ける事なく、強く立ち直って欲しいと思っています。

バンクーバーオリンピックを終えて

2010年03月01日 | 思った事
二週間にわたる降るのオリンピックが終わりました。
閉会式では、月曜日にコンサートで見たゲルギエフが式をしていて、「そんな所に行ったのね」と思ってしまいました。
結果的に、日本が取れたメダルは、参加人数に比べたら決して満足のいく結果ではなかったかもしれないけれど、このオリンピックを通して、日本のスポーツ界を少し理解出来たような気がします。

スピードスケートの清水選手が、日本のオリンピックの大勢について、「スポーツ後進国」と題してコラムを書いてしました。
メダルの数に期待ばかりして、選手に対してのお金の掛け方が足りないと。

清水選手の意見には、おおむね賛成出来ます。ハードウエアにはお金をかけるけど、ソフトウエアやメンテナンスにはお金を渋る日本。一芸に秀でていても、なかなか認めてもらえない日本。そういう意味では、遅れているのかもしれません。
でも、スポーツだけ出来れば何でも許されるようになっても困ると思いました。少なくても、彼等を目指す子供達が見ているので、その子供達のモデルとなるような行動だけはしてもらいたいと思います。

さて、このオリンピックを日本ではなくアメリカで見ていたわけですが、日本とアメリカの距離感みたいな物も感じました。
閉会式の前の、それぞれの競技のダイジェストを見ていても、日本選手はわざわざ「無視」していると言ってもいいような編集のしかたでした。もちろん、ここはアメリカなのでアメリカ選手中心に編集するのは重々承知です。
男子フィギアスケートは、金メダルのブルシェンコ選手、銀メダルのライサチェク選手を紹介していました。表彰式の場面では、銅メダリストの名前などは紹介されないまでも、高橋君も写っていたしたが。
問題は女子はフィギアスケート。韓国のキム・ユナ選手は、競技が始まる前から、韓国の熱狂ぶりやバイオグラフィーが紹介されていました。もちけん、金メダルを取ってからは尚のことです。そして、その次に注目されたのが、競技の二日前にお母さんが亡くなった地元カナダの選手ジョアニー・ロシェット。それでおしまいかと思いきや、アメリカ育ちの日本人選手を取り上げていました。まぁ、キム・ヨナ選手だってカナダでトレーニングをしているわけで、アメリカとはいとこ()のような物かな。
ただ、映像を見ていると、上手に編集されていて、浅田真央選手は全くと言っていいほど写らないようになっていました。

アメリカのテレビ番組と言うのは、わかっていますが、それにしても。スポンサーの影響 昨今リコール問題で何かと騒がれているトヨタ自動車や日産自動車も提供についていましたが、個人的にサポートすると言う意味でのサポートは無かったのでしょうね。
そん中、けなげに頑張った浅田真央選手が、今後も前向きで居る事にとてもホッとしたし、応援しなくちゃと思いました。

とにもかくにも、大きな大きなフレッシャーに負けず、力を出し切った選手の皆様、ご苦労さまでした。
そして、開催直前の事故で亡くなったグルジアのノダル・クマリタシビリ選手のご冥福をお祈りします。

服装問題とか

2010年02月19日 | 思った事
連日のオリンピック観戦のため、ブログも滞りがち…。
毎日、テレビに向かって歓声を上げる末娘と私。 もちろん、毎日ちょっと寝不足。
開幕当日から不幸な事故があったり、雪不足だったり、天候のために競技が延期になったりと、主催者側も大変だなぁ~と思っています。

スノーボード・ハーフパイプの国母選手の服装問題は、傍から見ていて面白いですね。誰かをやり玉に挙げていないと気が済まないかのような日本のマスコミ、そして、擁護に回る人達。人それぞれ意見はあるのでしょうが、そんな彼に振り回された大人たちの対応も、なんだか日本らしすぎて情けなかったです。

私の個人的意見としては、服装については、最近の若者はこんな物だろうし、自分が若かった頃の事を考えても、あーだこーだ言える立場じゃないと思って見ていました。若い時って、なにかと反発したい物じゃないですか。
「日本代表としてふさわしくない服装」と言われていましたが、オリンピックにかかる費用などは補助されているにしろ、彼自身の力で勝ち取った日本代表です。「ふさわしい服装っていったい・・・」と、そう言われる事に、反発したかったのかもしれません。

でも、謝罪会見の態度はいただけない…。自分が悪くないと思っているなら、謝らなければいいのに、と正直思いました。「悪くないと思っているのに謝らされた」のがありありと分かるあの態度。
「結果を出せば文句は言えない」とも言われていましたが、服装は服装、態度は態度、競技は競技だと私は思っていました。結局は、全て関連しているのかもしれませんが。
あの服装を見て、また、記者会見の前にきちんと叱れる大人が周りにいなかったのは、かわいそうだなと思いました。

同じ競技で金メダルを取ったアメリカ人、ショーン・ホワイト選手もインタビューの中で、「同じ服を着て、同じ部屋で暮らすのは、ちょっと異様な雰囲気だ」と話していました。この気持ちは、国母選手も同じだったのでしょう。
違うのは、その気持ちに対する対応のしかたかもしれません。ホワイト選手は、「It's OK.」と積極的にその状況を楽しもうとしていたし、「それでも、アメリカ国民が見ていて期待してくれているので、頑張る」と話していました。自分がアメリカでどのように見られているのかを客観的に冷静に判断出来ていたのでしょう。
その反面、国母選手はそれが分かっていなかったのかなと、残念に思っています。

ホワイト選手は、金メダル獲得が決まってからも、二度目の滑走に挑み、更にポイントを上げていました。器の違いを見せつけられちゃったなぁ~と思いました。
競技の実力も人格も、短期間で完成した物では無いはずです。この二人を見ていて、やはり、育った環境・教育がいかに大事なのかと言う事を痛感させられました。

さて、今夜は男子フィギアスケートです。もちろん、日本人の選手達には、頑張ってもらいたいです。
でも、密かにアメリカ人、ジョニー・ウィアー選手を応援している私です。10年ほど前に、彼を見た時にはなんて奇麗な子なんだろう…と思いました。ジャンプをがんがん決めるタイプでは無いし、精神的にももろそうで、気分によって出来の良し悪しにすごく差があるような気がします。また、それが儚げで良いんですよねぇ~。
まだまだ寝不足の日々は続きそうです。

アメリカから見る日本

2010年02月08日 | 思った事
政治的な問題については詳しくないので、意見を書く事はなるべく避けいるのですが、Cat's-mamaさんが「外国人地方参政権付与」についてあげていたので、私なりの意見を挙げておこうかとおこうかと思いまた。

アメリカって、とてつもなく大きく、偉大な国に思えた駐在前の私。かなりアメリカに憧れていたんだと思います。無知な私はアメリカと言えば、「自由の女神」くらいしか思い浮かばなったけど…。あとは、マドンナ、マイケルジャクソン…その程度。

今は、日本も捨てたものじゃないと思っています。
たくさんの日本車が走り、電化製品の多くも日本のメーカー、テレビゲームや漫画などは日本のものだと分からずに遊んでいる子供達。それが日本の物だと分かって、日本語を学ぼうとする学生たち。
日本の国の大きさ、人口からいったらこれは大した事だと思います。

オバマ大統領が訪日した折、天皇陛下に深々とお辞儀し、「米国の大統領として適切ではない」と批判されました。オバマ大統領自身は立派な人だと思いますが、「"米国の"大統領がどれほどのもの!?」と正直、思ってしまった私。お辞儀をするのは日本の礼儀ですから。

また暫く前から、在日外国人の参政権の問題が取り上げられています。在日外国人って…ほとんどが在日朝鮮・韓国人の事でしょう。なぜこの辺を曖昧にするのか、情報操作されている感じを強く受けました。
街頭インタビューのような物も全て見たわけではありませんが、「良いんじゃないですかぁ~」という意見を多く流しているような気もします。インタビューされる外国人の人も、ほとんどが白人でした。

私がお世話になっているESLクラスでは、政治的な事も話題に上りますが、以前この話題が出た時に、「参政したければ日本人になればいい。出来ないの?」と聞かれれました。確かに…。在日朝鮮人は、日本人に帰化する事が出来るはず。日本人になってから、日本人に帰化してから賛成するのが順序だっているのではないでしょうか。

これをアメリカに置き換えた場合、私達のような駐在員の家族ですら、選挙権を要求しているようなものです。移民大国アメリカですら、それは認められていません。
グリーンカードを取得しある程度アメリカに定住した上で、試験を受けて市民権を得ます。数年前に通っていたESLの教室は、その援助もしているところで、試験前になると先生と一対一で、とても必死に勉強していました。市民権を得たクラスメイトを、みんなで拍手してお祝いしたのを覚えています。

税金を払っているのだから、参政権を・・!? 
アメリカに住み、アメリカで所得を得ているのですから、税金を納めるのは当然の義務です。ゴミの収集をしてもらい、子供を公立の学校に通わせ、公共サービスを受けているのですから。それは、日本も同じですよね。
税金で参政権を買うのですか??? 税金を支払っている事と参政権とは、別に考えた方がいいのでは無いでしょうか。

簡単に外国人に参政権を与えても良い等と言う意見を聞くと、日本にプライドを持っている人がどれだけ居るのかと思う事があります。
こういう「愛国心」って、日本じゃあまり教育されません。それに、誤解も大きいような気がします。
この夏の一時帰国の時に、教会の「敗戦記念特別礼拝」という物に出席しました。その中の牧師の説教で、「学校で愛国心を教えてはいけない。それが戦争に繋がる。」と話していました。
「国を愛するよりも、神を愛せよ」と言う事なのですが、その教えが日本でのキリスト教の迫害を招いてきたわけですが。
でも、「愛国心=戦争」とイメージ出来ない私は、その話にとても違和感を覚えました。無理やりこじつけているように思えてならなかったのです。

アメリカ人だけでなく、各国からの移民の人と会っても、皆とても自分の国を大事にしています。自分の国がどれだけ素晴らしい国なのか、混乱にある国の人ですら、目を輝かせて自分の国の話をしてくれます。
なぜか日本人だけに、それが無い。そして、不思議な事に、「愛国心教育」というと、すぐに天皇主権とか、戦争の出来る国になるとか言う発想になる。自分の国を大事に思って何がいけないのかといつも不思議に思います。

また、一時帰国の帰りの飛行機の中で、週刊新潮の記事「日教組の亡霊」を読みました。
「ゆとり教育」といいながら実は頭の悪い日本人を養成してきたのではないか?と思いました。
実際、子供達の勉強を見ていても、人権教育無しの興味本位とも言えるの性教育、英会話重視と言いながら中身の無い英語の教科書、計算させない数学、調べたい事が見つからない社会の資料集。ほんとに、教える気があるのか!?と疑いたくなる日本の教科書達。これで子供達が勉強しているのかと思うと、恐ろしい気さえしました。

私自身、難しい事は、どこまで分かっているのか分かりませんし、勘違いも多いかもしれません。
でも、周りで騒がれている事を鵜呑みにしないで、きちんと自分の頭で考えたいと思います。歴史についても、年号や人名を暗記してばかりで、学校では教われなかった物事の背景についても、知りたいと思いました。

と、今日は偉そうな事を書いてしまいました。

天国からの手紙

2010年02月05日 | 思った事
同じタイトルの番組が日本で放送されていましたが、その話ではありません。

 

2008年秋、尊敬する姉でもある友人が亡くなりました。その彼女からの手紙が、先週届きました。
亡くなる少し前の夏に、私が一時帰国した時に、新宿で食事を共にしたのが彼女に会った最後でした。その後で、カードを書いてくれていたらしく、それが今になって私の元に届きました。

マヌケな私は、その秋、彼女が再入院した事は知っていたのですが、そんなに深刻な状況とは思わず、お見舞いカードを書くのが遅れ、カードを投函した3日後くらいに彼女の訃報を知らされたのです。きっと私のカードは間に合わなかった…。しかも、そのカードには「来年の夏にお会いしましょう」なんて能天気な事を書いてしまっていたのです。
もしかしたら、そのカードが軌跡的に早く届いていて、それに対する返事なのかと思ったのですが、違いました。でも、そんな事も全て彼女はお見通しで、そんな私を許してくれているような気がしました。

敬虔なクリスチャンで、ご主人を愛してやまず、三人の娘さんを慈しみ育てた彼女。彼女のお別れ会で、娘さん達にお会いした時に、彼女はちゃんと娘さん達の中に生きていると感じましたが、私の心の中にも生きているんだと、この手紙を頂いて強く感じました。

実は彼女と最後に会った食事の席で、少々愚痴をこぼしていた私。それをまだ引きずっている私ですが、現在、どうしても解決しなければならない状況に立たされていています。そんな私に彼女が「ちゃんと逃げずに、しっかりと向き合いなさい」とメッセージを送ってくれたような気がして、とても励まされると同時に、温かい気持ちになりました。

その人自身が亡くなっても、その人の生き方や、語りかけてくれた言葉の数々が、その人を知る人達の中でずっと行き続けていくのですね。悩んだり戸惑つたりした時に、彼女ならどうするだろうと考えると、不思議と答えが見つかったりします。そう考えると、やっぱり、いい加減には生きられないし、誰かの心の中で生き続けていける自分でありたいと思いました。

松の内に

2010年01月04日 | 思った事
旅行のご報告(・・・と言うより、自分で忘れないための記録?)が終わったので、やつと松の内に新年のご挨拶が出来ます。

明けましておめでとうございます 今年は寅年ですね。

個人的なカードやメールなどでの年末年始のご挨拶、今年はすっかり滞ってしまっています。ごめんなさい。良く考えたら、私ってば、アメリカに来て以来、まめにカードを送るのは一年おきになってるわ。いかんなぁ~。

   

大晦日は、ここ数年の定番、天ぷらとざるそば。年越しには、とろろそば。
お節料理は、半分だけ手作り。お雑煮は秋田風。実は、秋田名物きりたんぽと同じお醤油味、と言うか麺つゆ味。
去年、ホームベーカリーで、レシピ通りに作ったのに固くなってしまったお餅は、「変圧器」を使う事で解決。パンも表面が固くなっちゃうのは、そのせいだったらしい。今更気づくなんて…。おかげさまで今年は、きなこ、なっとう、からみ餅、いそべ餅、ココア餅にして美味しくいただきました。

「お節の一品一品には意味があるのよね」なんて言いながら、お節の料理本を開いて末娘と見てしました。料理も出来ずに結婚した頃、お正月料理を作るはこの「きょうの料理」が頼りでした。なんと発行年は平成元年。あれから21年、まだ使っています。進歩の無い私…。

元旦には、Valley Forge Parkに行ってみました。寒いのに沢山の人がお散歩してました。まぁ、私達もソナのかの一人なのですが…。いつもの写真スポットで、プロボーズの場面を目撃しました。男の人が跪いて、指輪の入った箱を差し出しておりました。 2010年1月1日なんて、絶対忘れませんよねぇ~。末長く(ここ重要)お幸せに。
 元旦早々、幸せな二人にお目にかかれて、幸せのおすそ分けをいただいたような気がします。

   

カンクンで滞在していたホテルでは、なんとテレビジャパンを見ることが出来ました。日本各地の年末の様子を放送していて、懐かしかったです。日本に居たら絶対見ないような、のど自慢の裏話や各地方の市場からの朝市の中継なんかも見ていました。日本は地方性があっていいですね。それに、季節感もある。
元旦には、ネットでNHK紅白歌合戦を一部だけではありますが見ました。
「日本のお正月っていいよねぇ~」家族三人で懐かしみながら、ふと後で我に返り、「日本のテレビに飢えてるかな」と思った私達でありました。

そして、いつも年末には忘れてしまう「今年の目標」。「今年は走る」とタイトルにしていました。「心引かれる物に素直に従う」とかなんとか書いてありました。結果から言えば、まぁ合格かな
少しだけ痩せられたから満足。行動的にと言う意味で「走る」を使っていたけど、実際にでもウォーキングから少しだけ走ることも出来るようになったし。

今年は、末娘の学校の事を考えても、そろそろアメリカ生活も潮時かと考え始めています。日本の高校受験を考えるなら、帰国する時期を考えなければいけない時期かなと・・・。
そのために、母は体力が勝負でしょう。運動を続けて体力をつける事ですね。もともとダイエットのためにウォーキングを始めたのが結局プチランニングになったのですが、目的が変わったけどやる事は同じって面白い。
それと、帰国後の事も考えて、秋から通信教育を始めたのですが、これもちゃんとやらなきゃいけないと思ってます。
今年は、次のステップにつなげる年になるといいな、と思っています。

Who is my HERO!?

2009年12月09日 | 思った事
アメリカの小学校などで、よく取り上げられるこのテーマ。先日のESLのクラスでも、グループディスカッションのテーマとして取り上げられました。

9-11のテロの後は、その時に救助などで活躍した消防士や警察官がHEROとして取り上げられ、ハロウィンでの一番人気のコスチュームでした。また、交通事故などで亡くなった後、臓器提供をした人の写真が免許センターなどに飾られ、HEROと呼ばれていたのも覚えています。

私達のクラスでは、母親など家族をHEROとして紹介した人も多かったし、中には人間は誰も完璧な人は居ないから神さまこそが私のHEROと言った人も居ました。

わたし 私にはHEROが沢山居すぎて、一人を挙げるのはとっても難しいのです。もちろん両親をはじめ、子供達も、夫ですら、私に多大な影響を与え続けているし、元気をくれるので、彼ら全てが私にとってはHEROだと思ってます。
そしてありがたい事に、家族以外でも尊敬出来る人は沢山居ます。
アメリカに来てから出会った女性たちの中で、30代・40代、中には50代を過ぎてからも、人生を諦めず、何事にもチャレンジしている人達に出会って、すっごく励みになっています。
日本では、子供を育て終えると、女性はもうお役ごめんのような風潮がありますが、アメリカではそこからセカンドチャンスに挑戦する人も少なくありません。まだまだ人生これからよという元気をくれたアメリカで出会った女性たちを私のHEROとしてこの日は挙げさせていただきました。

さてさて、家に帰ってから、末娘と夫にそんなクラスの話をして、「子供って、ママをヒーローに挙げるのが一般的なんだよねぇ~。」と言うと、末娘がすかさず、「ママはヒーローじゃなくて、鬼だよ。」と・・・。
ま、何でもないより、鬼でもましか…。小さい頃から、我が家の子供達「ママ」と題して、頭に角の生えた絵を描いてましたね。まったく…。
少々、自分の子育てを反省した一日になりました。

GROWING UP GLOBAL - MEET THE AUTHOR PARTY

2009年11月19日 | 思った事
久しぶりのアップです。DVDを見るのに忙しくて…。映画の件は、ゆっくりとこちらにアップして行く予定です。

少し前の事ですが、ESLの先生の友人が本を出版したとの事で、先生宅で開かれる出版ホームパーティーに招待していただきました。

実際、私は読んでいないので、詳しくは分かりませんが、アメリカに住んでいながらにして、子供の国際感覚を育てましょうと言う本だそうです。
我が家の子供達は、既に対象年齢を超えてしまいましたが、長女が「日本人じゃなくて、地球人って呼んでくれる」なんて言うので、興味があって出掛けてみました。

バーティーには70人ほど人が集まっていて、ちょっとひいてしまったのですが、この著者のお母様と話す事が出来ました。世界観や、宗教の事について話をしました。親戚の何人かは、ヨーロッパ、日本などで生活しているらしく、著者の視野が世界全体に渡るのも分かるような気がしました。

「GROWING UP GLOBAL」の著者、Homa Tavangarさんは、2002年、アメリカのワールドトレードセンターがテロに遭ってほぼ1年経った頃、昨年行われた北京オリンピックに関係する仕事のため、中国に行ったそうです。その時に、アメリカ人がどうしてこうも憎まれたのだろう? 私達は他の国からどう思われているんだろう? と、考えたそうです。それがこの本を書くきっかけになったのだそうです。その後、アフリカで生活する機会を経て、世界観を更に豊かにし、この本を出版しました。

「GROWING UP GLOBAL」の著者Homa Tavangarのサイトはこちらです。("こちら"をクリック)

このパーティーの中で、国際的に育てる上で言語学習は大事かと言う話題になりました。著者の子供達の通う学区では、小学生から第二外国語を教えたらどうかと言う議題があるらしです。現在は、第二外国語の授業はミドルスクールから始まります。
台湾生まれでその後アメリカに渡り、カリフォルニア州から引っ越してきたという人が、カリフォルニアで住んでいた学区では教育費が削減され、アートや体育の授業が無くなった、と話していました。この学区では、何でも学校に頼り過ぎだと。必要だと思えば親が教えればいい。何でも学校にまかせてはいけないと言っていました。
また、勉強して言語を習得するよりも、聞こうとする態度や気持ちの方が、国際人としては大事だと言う人も居たし、私もそう思いました。でも、実際問題、異国に住む場合、この国の言語も知らないと、生活出来なかったりしますよね。すんだのが英語圏で良かったぁ~と、改めて思いました。

たまたま隣り合わせた人は、この著者と一緒にWriting classをとっていたと言う女性でした。彼女は、「まだ私は本を出してないのよねぇ。先越されちゃったわ。」なんて冗談を言っていました。
アメリカでは、大学だけでなく、コミュにティーでもWritting classが企画されています。それは小説を書くようなクラスだと聞いて、「アメリカ人って、表現したい民族ですよね。」なんてふと言ったら、彼女は「そんな事考えた事もなかった。気づかせてくれありがとう。」と言われてしまいました。その辺も、文化の違いかもしれないと彼女と話しました。

アメリカに住んでいるだけで、様々な国の人と出合う事が出来ます。経済的には貧しくても心の豊かな人にも出会いました。命からがら逃げ延びて来た人、自国では裕福だからこそアメリカに渡ってこれた人。子供の教育のため、夫の仕事のため、理由もいろいろです。やはり、個人としてよりも「○○人」として見てしまう事もあります。
私達自身もアメリカに住んで、「日本人がどう見られているか」を考えさせられる機会が多いです。特に、先週から今週にかけて、大統領がアジアを訪問しているおかげで、日本について時々聞かれたりします。そんな時に、きちんと対応出来る日本人でありたいと思いますが・・・。

台風接近中

2009年08月10日 | 思った事
今日は朝から雨でした。しかも、目が覚めた時にはザーザー降っていて、ごみ捨ても諦めて二度寝しちゃいました。
日中も雨が降ったり病んだり、時にすっごく激しく降ったり・・・。
そして、明日は台風が接近。

実は、実家に行くんです、明日。
その昔、やっぱり雨のせいで、実家の駅まであと40分と言う所で電車が止まり、タクシーを拾って帰ったことがありました。
お正月には、雪のために止まったこともあったし、ほんとについてない。
無事にたどり着けるかなぁ・・・。こんな時には、実家の遠さが身にしみますね。

自然には逆らえませんね。大雨や台風の災害のニュースを聞くたびに、自然の怖さを感じるとともに、偉大さを感じます。やっぱり、人は自然に則した生活をしなきゃいけないんじゃないかと思ったりしています。

実家は電話はアナログ、もちろんネットも使えないので、しばしのんびりしてこようと思います。

早起きの理由

2009年07月30日 | 思った事
日本に来て、面倒だなぁ~と思う事が、一つだけあります。それは、ゴミ出し。

環境のために分別して棄てるのは、慣れてしまえば、それほどを煩わしくなありません。始めの一週間くらいは、「勘」を取り戻すのにかかりましたが。
そう言えば、ファーストフーやフードコートで食べた後のゴミを棄てるのに、プラスッティック類と紙ゴミ、氷などとわけて棄てるのには、未だに時間がかかっています。見かねた長女が「私がやるよ」と、ササーッと棄ててくれた時には、日本に帰ってから一年で「すっかり日本人なっちゃって」と思ってしまいました。

では何が面倒なのかと言うと、早起きしなければならない事です。
早起きと言っても、朝8時までに出せばいいので、特別早いわけでなく、それが「普通」なのですが・・・。

オハイオに住んでいた時は、週に一度のゴミ出しも、たしか朝7時までとかいう決まりはあった物の、そんな早い時間に回収に来られた記憶はありません。それに、前日の夜に出しても良かったのです。自分の家の前に、ガレージからズルズルと大きな一週間分のごみ箱を引っ張り出すだけでした。
フィラデルフィアに引っ越してからは、ボストン時代と同様アパート住まいなので、各階のダストシューターにいつでも棄てに行けます。
そんな環境で怠けていただけに、日本のごみ捨ては、朝がつらいです。

それでも、学校がある間は、ゴミ出しは子供たちの仕事なので、私はゴミ袋さえまとめておけば、誰かが指定されたゴミ収集場所まで持って行く事になっています。
でも今は、夏休みなので誰も起きてきません・・・。
それに、夜、塾の夏季講習に行っている末娘、バイトやテスト勉強で遅くまで起きている大学生の上の二人を起こすのも申し訳ない・・・と言うか、ゴミくらい私が棄てなきゃね。

てなわけで、ゴミの棄てのために週に三回、目覚まし時計をかけて、一人起き出すのが、ちょいと寂しいわがままな母に成り下がっております。
それにしても、家の周りを見渡せば、そんな早い時間に、すでに洗濯物を干し終えている家もあるし、日本の人は偉いなぁ~と思っちゃいます。
そんなふうに思ってしまう私、すっかり楽チンなアメリカの生活に慣れてしまっちゃってるんですねぇ。ダメですねぇ~。

おひさまに感謝!

2009年07月22日 | 思った事
今日は、46年ぶりに日本で皆既日食の見られた日。朝からテレビは、こればっかり・・・。
衆議院解散のニュースと、土砂崩れのニュースも大きなニュースではありましたが。

我が家もご多分に漏れず、テレビをつけっぱなし。しかも、チャンネルもあっちゃこっちゃ・・・。 皆既日食が見られる地域からの中継を見ていました。
我が家の地域は、晴れていれば4分の1ほど欠ける部分日食が見られたはずなのですが、朝から雨が降ったりやんだりで、残念ながらよくわかりませんでした。少々、暗くなるのかと思いきや、それもあんまりわかりませんでした。

皆既日食になった各地からの中継を見ていると、お天気の善し悪しで太陽が見える見えないの違いはありましたが、皆既日食になった時間には、真っ暗になっていましたね。
日本で皆既日食になった場所は島ばかりでしたが、衛星中継で見た中国・上海の様子が凄かったです。午前中なのに、真っ暗。しかも、ネオンなどは光センサーでなくタイマーで設定されている物が多いのか点灯しておらず、車のライトばかりでした。
それから、NHK独占生中継の硫黄島とクルーズ線の太平洋上の皆既日食もキレイでした。一緒に見ていた長男と、「さすが、NHK」と言ってしまうほど、キレイな映像でした。

それにしても、皆既日食とともにどこの中継地点も気温が下がり、見る見る暗くなりました。そして、少しでも太陽が見え始めると、みるみる明るくなる。
光がなければ真っ暗。でも、少しでも光が差すと、明るくて安心する。そんな、太陽の力を感じずにはいられませんでした。

私たちは、いくら科学技術を持っても、まだまだ宇宙の不思議は解明できません。そして、この太陽の光が無くなっては生きて行けません。
大昔、太陽を神とあがめた時代がありましたが、やはり、現代においても、太陽に感謝せずにはいられない私です。

「太陽」と言うよりは、「おひさま」と呼ぶのが私は好きです。そのおひさまの光をたくさん浴びた、「おひさまの匂いのする洗濯物」「お日さまの味のする野菜」「おひさまのような笑顔」大好きですね。
日本に一時帰国する前、日本の夏の暑さが嫌で嫌で、それを想像するだけで一時帰国が嫌になってました。ごめんなさい。 今は、この太陽をガンガンに感じられる夏をしっかり体で受け止めて帰ろうと思っています。シミが出来ない程度に・・・。

父親の育児参加

2009年07月19日 | 思った事
アメリカからの国際線での出来事です。

今回利用したのは日本の航空会社だったのと、時期的にも、帰任・一時帰国が多いせいもあり、お子さん連れの日本人家族が目に付きました。小さなお子さんを連れている家族を見ると、我が家も通ってきた道ので、「かんばれ」と思ってしまいます。
私が子供達三人を連れて、アメリカに行った時の事は忘れられません。ほんとに、たいへんでしたから・・・。
前にブログにも書きましたが、当時末娘は生後9ヶ月。長女は7歳、長男は5歳。その三人を一人で連れて行ったんですから・・・。

当時、航空会社のファミリーサポートと言うシステムも、今程は良くありませんでした。ファミリーサポートの担当者は、今は飛行機を出た所で待って居てくれるようですが、当時は、荷物を受け取り税関を出るまでは、ひとりで行かなければなりませんでした。税関を出た所から乗り継ぎゲートまで送ってくれるだけのサービスでしたが、もちろん初めての海外の空港での乗り継ぎには、本当に助かりました。
当然、案内だけが仕事なので、荷物の運搬などは頼めません。それでもひそかに期待してしまっていた私。でも、来てくれた担当者が、妊婦さんだったので、ちょっとガッカリしてしまった記憶があります。 ごめんなさい。
飛行機のトイレも、おむつ交換台は着いていなかったので、トイレの便座に末娘を寝かせて交換した覚えがあります。
ボストン空港に到着した私は、もうヨレヨレでした。

今回のアメリカからの機内では、子供を抱っこしてあやしている「お父さん」が多かった事に驚きました。もちろん、他にもお子さんがいて、お母さんは、まだ幼いお兄ちゃん・お姉ちゃんの面倒を見ていたのでしょうけれど。

長く子育てしていると、お父さん達の育児参加も、だんだん変わってきている事に気がつきます。
長女の時には、やはり外でもお母さんが抱っこしたりあやしたり・・・と言う夫婦が多かったようよに思います。ベビーカーを押すお父さんすら少なかったような気がします。
幼稚園・保育園の運動会の親子競技も、まだお母さんの参加の方が多かったのではないでしょか。

それが、7歳違いの末娘の時代になると、お父さんがおんぶしていたり、抱っこしていたりしました。お父さん達も人前で、おんぶしたり抱っこしたり、育児に対する抵抗が無くなったのでしょうね。
もちろん、末娘の幼稚園の運動会の父兄競技は、お父さんの参加がほぼ100%でした。

奥さんに押し付けられて嫌々・・・と言うのであれば、気の毒としか言い様がありませんが、その殆どは喜んで自分の子供との時間を楽しんでいるように見えます。 それは、とても微笑ましい光景ですよね。

ただ、小さい子供がいると、ついつい「子供をいない人への配慮」を忘れがちです。特に、狭い機内では、「泣いたら迷惑」と言う意識はあるにしても、他の部分が・・・。
機内食を食べている横で、あるお父さんがおむつを交換し始めたときには、驚きました。
乗っていた飛行機のトイレには、おむつ交換台が付いているのに・・・。しかも、"おむつ"ですから、緊急性があるとも思えません。

こういう周りを気にしなくなった女性のことを「オバタリアン」と呼びましたが、これではまるで「オジタリアン」じゃないですか こういう場面では、男性の方が周りに対する気遣いがあるかと思っていたのですが、少々残念に思ってしまいました。

でも、お父さんの育児参加、大いに結構だと思います。
知人のアメリカ人は、父親の方が会社に言っていて子供達とかかわる時間が少ないので、彼が家に居る時には積極的にミルクを飲ませたり、おむつを変えたりする仕事をしてもらっているのだとか。
一見、カカア天下に尻に敷かれているようですが、当の本人であるご主人はとってもハッピー。この間、彼女は家の事が出来るわけで、とてもアメリカ的な発想だとは思いましたが、理にかなっているとも思いました。