徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

車炎上

2009年06月20日 | サバイバル in America
車を走らせていたら、道路の横から黒い煙がモクモクしているのに気づきました。
ちょうど高速道化の上に橋が架かっている辺りです。その橋を越えた所に、ガソリンスタンドがあるのですが、いつも閑散としているガソリンスタンドが、この時は大盛況。ふと見ると、みななそのガソリンスタンドから、高速道路を見下ろしていました。
もちろん、私も車を止めて、ちょっと見に行ってみました。

すれ違ったおじさんに、「事故?」と聞くと、「車が燃えてるんだよ。ワッハッハ。」と言ってました。ワッハッハなのかぁ~

 

あっという間に鎮火しましたが、ドライバーはどうしたんでしょうね。それにしても、朝の交通情報を見ていても、「今、○○で車が燃えている」と言っている時があります。こんな事って、時々あるものですか ちゃんと車は点検しましょうよ。

いつもはそんなに混雑していないガソリンスタンドですが、この時ばかりはついでにガソリンをいれて行く人で、満車でした。



不思議だったのは、この突然の出来事に、一眼レフのカメラを持ちだして撮影している人が数人居た事。デジカメを持ち歩いている人って、けっこう居るんですね。
そういう私は、常にコンパクトデジカメは持っています。でも、たまたま今日は、一時帰国のために充電中で持っていなかったのです。でも、携帯で撮りました。若いお兄ちゃんも、携帯で撮ってましたねぇ~。
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今年の夏

2009年06月19日 | サバイバル in America
今週末から、日本です。
日本行きのパックキングも少しずつ始めているのですが、お土産だけで、大きいスーツケースいっぱいになってしまいました。さて、自分達の洋服とかをどれだけ少なく出来るかですね。

今年の夏は、末娘も中学生で、アメリカでのサマースクールに魅力的なものが少ない事、それよりも去年と同様、日本の中学で体験入学をさせたい事、そして塾の夏季講習にも入れ、少しは受験に備えようと思った事などなどから、6月末から8月末までと長い長い一時帰国になってしまいました。

去年の一時帰国は、約1ヶ月半でしたが、それより更に1ヶ月も長く日本にいるわけです。最初の2週間は、夫も一緒なので、実家に行ったり、小旅行に出掛けたりする予定です。
7月からは、末娘はいろいろ予定も入っているし、彼女自身「勉強しないと、やばい」と思っているので、退屈しないで過ごせそうですが、私はその間何してよう・・・と、ちょっと頭の中真っ白状態です。

せめて英語を忘れないために、日本に居る間に英語の本を読もうと思い、ESLの先生にお勧めの本を教えてもいました。もちろん、簡単な本ですよぉ~。
それを夫に頼んで買って来てもらったんですね。そしたら、
「レジの人に『お子さんの夏休みの宿題』って言われたから、『妻のです』って言ったら、『あらぁ~』だってさぁ~。わっはっはぁ~」って、オイッヽ(`Д´)ノ
これでも私は、英語を頑張ろうと思ってるのに、笑うなぁ~

それから、一番心配なのが、リバウンド・・・。せっかく少し痩せて、もう少し頑張ろうと思っているのに、日本の美味しい物達の誘惑に勝てるかどうか心配です。
いろいろお料理を覚え、お酒も飲めるようになった長女が、「ママァ~、梅酒漬けて待ってるよぉ~」と、しばらく前に言ってました。
長男も、4月に一時帰国した時と同様、美味しい物が食べられると、期待している事でしょう。
待っていてくれる事は嬉しいけれど、ママはそんなに食べませんからっ・・・と、思ってはいるんですが・・・。

と言う訳で、2ヶ月ぶりの、family Reunionですが、それだけでは終わらず、私達がアメリカに戻るのと一緒に、長女もアメリカに来る予定です。彼女は、アメリカが好きですねぇ~。
また彼女を連れて、どこに行こうかと、今から楽しみです。
長男はサークルとバイトが忙しいようで、すっかり日本の大学生しています。
そんな訳で、我が家の盛りだくさんになりそうな夏が、今年も始まります。
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お土産の話 & BOTAN RICE CANDY

2009年06月16日 | サバイバル in America
日本に居る母から、ご近所に配るので、アメリカからのお土産を多めに買ってきてとの連絡が入りました。ご近所の私と同世代位の子供達が実家に帰って来る時に、いつもお土産をいただくらしく、私からも何か買って行かないとまずいらしいです。
アメリカからは無難なお土産が見つけられない私は、毎年、東京駅から「かもめの玉子」やら「東京ばな奈」やらを買っていたのですが、今回は"アメリカから"とのリクエスト。
日本の感覚で、「1,000円くらいの箱に入った物で良いから」って。それが実は難しいのですよ。日本のように気の利いた物は意外と少ないのです。でもまぁ、今日普段の買い物で立ち寄ったスーパーやファーマシーにチョコレートの箱詰めくらいはあったので、それで良いかなぁ・・と思っているところです。一応、HERSHEYSはペンシルバニア州の会社らしいし・・・。

ついでに、スーパーをうろうろしていたら、今日はこんな物を見つけました。



BOTAN RICE CANDYだそうです。なんだか昭和の時代を思い出させるようなパッケージ。箱に書いてある文字をよく読みもせず、思い込みだけで、「お~、ボンタンアメェ~」と思って、買ってしまいました。お値段、74セント。
パッケージのイラストを裏切らない、懐かしい味ですが、ボタンアメでは無かったです。
日本製でJFC International Incが輸入してアメリカで販売されているようです。

今週は、一時帰国前の冷蔵庫整理。今晩は冷凍していたお肉を解凍し、買い置き(いつから??)していた白滝、じゃがいもで肉ジャガだなぁ・・・。

そうそう、「かめもの玉子」と言えば・・・。
ずーっと前に夫の母から、「かもめの玉子いただいたのよ。食べて。」と、おすそ分けをいただいた私。「ありがとうございまぁ~す。冷蔵庫に入れなくっちゃ。どうやって食べようかなぁ~。」と答えた私に、キョトンとしていたお義母さん。
私ってば、文字通り、"かもめの卵"だと思ってたのです。かもめの玉子がお菓子だって知らなかったんですよねぇ~。まだ若かったあの頃・・・。
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STOUDTSとビリケンさん

2009年06月15日 | Philadelphia周辺情報
アダムスタウンのSTOUDTSへ行ってきました。
ここのアンティークのお店のほとんどは、木曜から日曜までしか開いていません。サイトによれば、日曜しか開いていないお店もあるので、ぜひ日曜日に行きたくて、ずっと機会をうかがっておりました。
そして、あるお天気の良い日曜日、やっと出掛ける事が出来ました。

結果から言うと、STOUDTSのアンティーク自体は、私の好きな物は少なかったです。家具がお目当ての方は、掘り出し物が見つかるかも知れません。

でも、ここはアンティークだけではなく、ZAGATにも載るくらいのレストランと、それに隣接してビール製造所もあります。この製造所は見学も出来るみたいですよ。
お昼ご飯は、そのBlack Angus Restaurant - Pubに、行ってみました。

 

テーブルクロスが、紙やビニールじゃなくて布であると言うのは、けっこう私的にはポイントが高いです。
昼からビール全種類のティスティング(とは言っても、日本のビールカップくらいのが8杯)をしている人達や、オイスターバーで飲んでいる人も居ましたが、私達は慎ましくランチ。私はマスの薫製を、夫と娘はそれぞれハンバーガーを頼んでいました。
もちろん、帰りにはしっかりビールを買って帰りました。

 

アダムスタウンにはアンティークモールが沢山あるので、他のアンティークモールもはしごしてきました。
そして、あるお店で見つけた物は・・・・・



ビリケンさんです。ビックリしましたよぉ~。

何年か前に大阪に旅行して通天閣に行った時に、このビリケンさんの足の裏をすりすりした事があります。
すっかり日本の物だと思っていた私。
たまたまビリケンさんを売っているブースのおばちゃんが居たので、どこでゲットしたのか聞いてしまいました。ニュージャージのオークションで見つけたそうです。

自宅に帰ってから、ネットでビリケンさんの事を調べたら、元々は今から約100年前に、アメリカ人の芸術家がデザインした物なんですねぇ~。しまったっ
実は、このアンティークモールのおばちゃんに、「これは日本にもあってね、学業の神様なんだよ」なぁ~んて、大ホラこいてきちゃいました。学業の神様でもないし・・・。
おまけに、大阪のビリケンさんは金色だなんて言っちゃったかも ネットで調べたら、木製やん
あぁ~、大嘘つきの私。しばらく、あのアンティークモールに行くのやめとこ。おばちゃん、ごめんなさい。

そう言えば、大阪に言った時に買ってきたビリケンさんが我が家にいます。
罪滅ぼしに、ご紹介します。背中に「通天閣」と書いてあるのが分かりますか

 

そうそう、このSTOUDTSですが、9月末から10月の日曜日は、OKTOBERFESTが開催されます。その時には、ぜひまた行ってみたいです。
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ダイエットの副作用???

2009年06月14日 | 運動・ダイエット
ちょっと前まで、洋服が欲しくても「痩せたら買う」と我慢していた私。そして、太って着れなくなった服を指摘し、「新しく買わなくても、痩せてあれを着ろと叱咤激励してくれる夫。
気に入った服にトライしてみても、試着室でお腹のお肉が隠しきれなくて、悲しい思いをしていました。
ここ1ヶ月の頑張りで、目安の3キロだけ痩せたので、先週、娘とショッピングモールに出掛けてみました。

最近の末娘のお気に入りは、American Eagleです。
そこで、今まで欲しかったジーンズが、なんとセールになっていました。そして、試着したら、入ったぁ~ もちろん、即刻お買い上げ。 もちろん、娘のような0とかのサイズじゃありませんが・・・。

ピチピチのTシャツしか売っていないと思い込んでいたので、遠ざかっていた人気のアバクロにも行ってみました。行こうとしたら、モールのどの辺にあるのかすら知らなかった事に気がつきました。きっと、フィリー郊外に引っ越してから、アバクロには、一度も足を踏み入れてなかったのねぇ~。
約1年ぶりに入ったアバクロ。ピチピチTシャツだけと思っていたのは、私の勘違いか、それとも品揃えを変えたのか、私でも着られそうな物が何着かありました。そこで、試着してみました。そしたら・・・Mサイズでも大きぃ~ なんて嬉しい事なのでしょう。 でも、アバクロさんやぁ~、サイズの設定変えましたか

洋服が欲しくなるなんて、ちょっとしたダイエットの副作用ですね。
まだ目標にはちょつと遠いけれど、洋服選びが楽しくなった今日この頃。もちろん、クリアランスコーナーしか見ませんが、このままでは、家計が危険にさらされるので、控えなければ・・・。
目標達成したら、またお買い物と楽しみに、もう少しダイエット、頑張ろう

ところで、ダイエット5週目に入り、体重の落ち方も緩やかに・・・と言うより、定着してしまったようです。いつもダイエットしても、この時期に、諦めちゃうんですよねぇ~。
私の1ヶ月のサイクルの中で、一番浮腫んでいて、食欲旺盛になる時期なのです。でも逆転の発想で、この時期を乗り越えれば、また痩せられる期待が持てるので、なんとしてもクリアせねば。
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デジタル放送へ

2009年06月13日 | サバイバル in America
今日から、アメリカのテレビ放送は、デジタル放送に切り替わりました。
切り替わるのは、お昼の12時15分。その瞬間を一目見ようと、テレビをつけっ放しに・・・。が、なんだかんだやっていて、その瞬間を見逃してしまった私。
もちろん、感性の鈍い私には、画面が以前よりも奇麗になったかどうかなんて、分かるはずもないのです。だからこそ、その瞬間を見たかったのですが・・・。

我が家はこちらに引っ越してから、ケーブルテレビは契約していないので、ローカル番組20チャンネルほどしか見られません。オハイオに住んでいた時には、デジタル番組も見られる物を契約していたので、チャンネルもたっくさんあったのですが、結局、見る時間も無く、お金を払うだけもったいなかったと反省し、今回は契約せず、もし必要なら契約しようと言っている間に、1年近く過ぎてしまいました。

リビングのでかいテレビはデジタル対応なので大丈夫かと思っていましたが、寝室のチビテレビも見られたので、ホッとしました。アパートなので、アパート自体の配線がデジタルになっているのでしょうね。技術的な事は、よく分かりませんが。

リビングのデカテレビだけでなく、寝室のチビテレビもけっこう私にとっては重要なのです。
娘がゲームをしていたり、夫がCDを聞いたり、DVDを見ていたりする時には、くだらない番組はチビテレビでコソッと見ます。
それもあって、今回デジタル放送がチビテレビでも見られるか心配だったのですが、見られました。はい、この通り。

 

このデジタル放送、もともとは2月に実施されるはずだったのですが、この不況を理由に、延期されていたのです。テレビが見られないからって、なんぼのもんじゃいとは思うけれど、日々の情報源として欠かせない物になっている人も多いはず。無くてもインターネットがあるから大丈夫かなぁ・・と思いつつも、私もやっぱりテレビの無い生活は知らないので、無いと不安かなぁ。

そうそうテレビと言えば、少し前に「親の普段の行動と子供の学力(国語)の関係」という調査結果が報告されましたね。

本を読む親の子供は優秀で、テレビのワイドショーやバラエティー番組を見る親の子供の成績は良くないとか何とかいう結果でしたか。
その結果は、一般論で、どうかと思うんですよね。私は本も読むし、テレビも見ます。それに、この親の行動のうち「ほとんど毎日、子どもに『勉強しなさい』という」以外は、全て当てはまります。「勉強しないさい」よりも、「早く寝なさい」と言う回数が、ずっと多いように思います。子どもにはとっとと寝てもらって、自分の時間が欲しいのです。正直な所。自己中な母ですねぇ~。
もちろん、土曜日も学校に行け~子どもの仕事は勉強やぁ~と思っています。ますます自己中な母です。
スポーツ紙や女性週刊誌は買いはしませんが、銀行や美容院にいったら真っ先に選んで読んでしまいます。
もちろん、本も読むし、政治経済は詳しくはないけれど、今何が起きているのか興味はあります。そして、色んな事を子供達と話します。政治から芸能情報まで。
カラオケにも、子ども達を連れてまで、行く事もあります。そして、ガンガン歌いまくるっ
その結果、子供達はどう育っているかと言うと・・・、まぁ普通ですかね。

ベネッセ教育研究開発センターではh面白い調査報告を色々しているようですが、所詮統計です。全てが当てはまる訳ではないと思います。でも、統計って、見てみると興味深くて、面白いものです。「あったりまえじゃ~ん」なんて笑っちゃうのもあります。

と、話しは戻って、デジタル放送。
日本でも2011年の夏からデジタル放送に移行しますね。あと2年もあるのに、今から・・というより、ずっと前からコマーシャルしてますね。そもそも、デジタル放送に買える事を決めたのは日本が先だとか・・・。準備期間が長くて、日本人の慎重な性格が感じられますね。
2011年7月、私は日本に居るのかなぁ・・・? と、ふと思ってしまいました。
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ひと足早い夏休み

2009年06月12日 | サバイバル in America
夏休みを前にして、末娘が体調を崩し、我が家はひと足早い夏休みになってしまいました。
日本人もアメリカ人もたくさん友達が居た去年とは打って変わって、昨年の夏にフィリー郊外に引っ越してから、日本人はたった一人という環境で、よく頑張ったこの一年。最後の週は、テストやプロジェクトもあったのですが、先生方のご好意で、全て免除され、彼女もゆっくり休んでおります。ありがたい事です。
先生方などから届く、労りのメールを尻目に、YouTubeを見てゲラゲラ笑っている末娘。まったく・・・。

彼女が欠席しているのを良い事に、今週は私も全ての予定をキャンセルし、映画や日本のドラマを見たりしながら、まったりと過ごしております。
子供が欠席の時には、私も予定の変更を余儀なくされるので、楽しみにしていた英会話クラスの最後のパーティーなどもキャンセルせざるを得ず、残念には思いますが、「神様からいただいたお休み」と気分を換えて家での時間も楽しまなければ。

ラッキーな事に、うちのアパートのマネージメントオフィースには、レンタルDVDが置いてあって、無料で借りられます。
昨日は、「Because I said so」「In Good Company」を見ました。どちらもサクッと見られて、面白かったです。
日本のドラマは、「山田太郎物語」を見てるところ。嵐の二宮君が、かわいい~ 彼が、"永遠の17才"と言われるのがよく分かります。このドラマの時、彼は23才? それで高校生役なんですもんね。共演の櫻井君も、当時25才だし・・・。

ただし、家に居て一番困るのは、何かとつまみたくなる事・・・。末娘は食欲が無いのに、私はある・・・。彼女の残した物を私がつまむ羽目になる・・・。
テレビを見ては、出てくる物が食べたくなる。
でも幸い、ドラマに出てきた煮物が美味しそうだったので、夕食は筑前煮にしました。ε-(´▽`) ホッ でも、ドラマの中の煮物は、すっごくまずかったのだけれど(笑)。

そして、ninuckeyさんのところで紹介していた、zaza-maruさんのピクルスも、作ってみました。
調子に乗りすぎて、山ほど・・・。
でも、これは美味しい! あっという間に無くなりそうな勢いで食べてしまいます。
ninuckeyさん、zaza-maruさん、ご紹介ありがとうございます。

 

そして、今日もドラマの続きを見てすごそう! って、そんなに張り切らなくても良いのだけれど・・・。
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マイクロビオティックのレシピから

2009年06月10日 | 運動・ダイエット
低カロリーの食事に切り替えてから、4週間が経ちました。

昨日は、Salaさんのブログを参考に、ヒカマ(Jicama)というお野菜で、ベジタリアンハンバーグに挑戦しました。水をしっかり切らなかったせいか、つなぎが足りなかったせいか、形が崩れ、とても写真はアップ出来ませんが、シャリシャリとした食感で美味しかったです。Salaさん、ありがとうございました。

2-3年ほど前に、「野菜を取らねば」と思い立って買った、マイクロビオフィックの本があった事を思い出し、引っ張り出してきました。日本で発行されている本なので、日本の野菜を使ったレシピが多く、アメリカでは作れないと思っていたのですが、その中に「テンペ」を使ったレシピが載っていました。
このテンペは、丸大ズを発行させて作ったインドネシアの食品らしいのですが、アメリカでもWholefoodsやTrader Joe's等のお店で簡単に手に入ります。日本では道なんでしょうね。私が今回使ってみたのは、こちらのオーガニックの大豆テンペです。

今回、作ってみたのは、テンペのはさみ揚げです。

 

材料(4人分)
テンペ 4枚
レンコン 300g
ニンジン 1/4本
椎茸 2枚
塩 小さじ1/2
料理酒 大さじ1
全粒粉・水 適宜
菜種油 適量
ごま油 適量

私は、この材料で、テンペは市販の物1つ、それ以外の材料は半分で作りました。また、全粒粉は無かったので、普通の薄力粉を使いました。

作り方
テンペは半分にし、薄く切る。(私は、市販のテンペを8等分し、それを2枚にスライスしました。)
レンコンは皮ごととすり下ろし、水気を切る。(冷凍のレンコンを使ってたので、フードプロセッサーに入れ粉砕しました。)
ニンジン、椎茸はみじん切りにします。
ボウルに以上の材料を入れ、混ぜ、塩と料理酒を入れて混ぜる。
それを、テンペに挟み、全粒粉を薄くはたき、全粒粉と水を混ぜた物(けっこうさらさら)にくぐらせる。
油でカラッと揚げ、大根おろしと醤油を添えていただく。

なんとなく、見た目は揚げ出し豆腐のようになりました。お酒のおつまみにも良いかも知れません。
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バーベキュー・レンズ豆 Barbecue Lentile

2009年06月09日 | 運動・ダイエット
The Biggest Loser: The Weight Loss Program Bookから、今回はバーベキュー・レンズ豆のご紹介です。

レンズ豆


以下のレシピは8人分で、一人分187カロリーです。

材料
オリーブオイル 大さじ1
たまねぎ(みじん切り) カップ1
 ↑レッドオニオンがあれば、レッドオニオンで
ニンニク(すり下ろし) 大さじ1
チリパウダー 小さじ2
マスタードパウダー 小さじ1
チキン、またはベジタブルブロス(fat free) カップ2
トマトソース カップ3/4
バルサミコ酢 大さじ3
ディジョンマスタード 小さじ1
はちみつ 大さじ2
レンズ豆 (洗って水を切る) カップ1と1/2
塩・胡椒 適当

作り方
レシピには乗っていませんでしたが、レンズ豆は事前に水に浸けておく事をお勧めします。
2-quart(1リッターちょっと)のお鍋に、オリーブオイルでたまねぎが柔らかくなるまで、中火で三分ほど炒めます。
ニンニク、チリパウダー、マスタードパウダーを加え、香りが出るまで更に1分ほど、焦がさないように気をつけながら炒めます。
ブロス以降、全ての材料を加え、30分ほど煮込みます。レンズ豆の柔らかさを見て、時間を調節して下さい。
最後に塩・胡椒で味を整えます。

バーベキューと言えば、バーベキューソースと思っていましたが、チリパウダーやマスタードなどで味付け出来るんですね。知りませんでした。
このレンズ豆、使った事がなかったのですが、けっこう美味しかったです。
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The Barnes Foundation バーンズ財団

2009年06月08日 | Philadelphia周辺情報
The Barnes Foundationに出掛けてきました。

フィラデルフィア郊外のうっそうとした住宅地の中で、茂みに覆われた隠れ家的な美術館と言う印象を受けました。
ルノアールの作品181点、セザンヌ69点、マティース60点等を含む、800以上ものコレクションがあるそうです。
私はルノアールの生き生きとした描写が好きなので、とても楽しめました。少し前に行った末娘は、「太った裸の絵ばっかり・・」と言っていましたが。
展示のし方も、所狭しと壁一面に飾ってあります。その飾り方にも、こだわりが感じられます。でも、ものすごい数なので、「買いあさった」という印象も受けます。ルノアールやセザンヌと聞けば、作品を見ずに買った事もあったのではないかと思うほどです。
お庭は、薔薇の花が沢山咲いていて、とても良い香りでした。

 

このThe Barnes Foundationは、「教育の向上と美術の感謝を促進する」という目的のもと、1922年に、アルバート・C.バーンズ氏(Albert C. Barnes)によって設立されまた。
1872年に労働階級の家庭に生まれた、アルバート・C.バーンズは、医師であるだけでなく、科学と薬学の分野の研究もしていました。1908年にthe A. C. Barnes Companyをフィラデルフィアに設立し、それによって大きな富を得ます。

バーンズ氏の心理学・哲学・芸術などの多方面にわたる個人的な研究は、芸術と教育に関する彼自身の理論を形成するに至りました。
1918年に、哲学者ジョン・デューイ(John Dewey)のセミナーに出席し、教育の科学的方法を学びました。デューイ氏とバーンズ氏は親友そして協力者となりました。そして、デューイ氏からの影響で、バーンズ氏が1922年にThe Barnes Foundationを設立するに至りました。

The Barnes Foundationために、バーンズ氏と彼の妻はローラ(Laura)は、フィラデルフィア近郊に12エーカーの土地を買いました。
そして、ギャラリーと住居(現在の管理棟)をのために、フランス人建築家を雇い、1925年に完成させました。
元々は、美術館ではなく、デューイ氏の影響を強く受けた学校だったそうです。デューイ氏は、彼の生徒二人をアシスタントとして呼び寄せました。そのうちの一人Thomas Munroは、教育プログラムのトップとして数年間働きました。
1929年には、バーンズ氏は自信の会社を販売して、財団と芸術を集める事に専念し始めました。そして、亡くなるまでをコレクションを増やし続け、財団の育英事業に費やしました。
バーンズ氏は、コレクションの公開を制限し、見たい人は手紙で予約をしなければなりませんでした。時には、申し込みを断わる事もあったそうです。
バーンズ氏は、1951年、自動車事故のため、78年の生涯を終えました。

1961年に初めて、週二日間限定でコレクションが公開されましたが、やはり訪問する場合は必ず予約が必要でした。しかし、見に来る人からだけでは、維持費と同様に、建物を改築するための十分ななお金の収集が難しくなりました。
そこで、財団は必要な改築のためのお金を工面するために、1993年から1995年の間に、約80個の作品を展覧会の旅に出す事にしました。これらの作品は、DC、パリ、東京、トロントで公開され、どこでも沢山のお客さんを呼んだそうです。

今でも、予約は必要ですが、9月から5月の間は、金・土・日の三日間、6月から8月の間は、水曜から日曜までの5日間、公開されています。予約は、電話・FAXの他、The Barnes Foundationのサイトからも出来ます。
現在、フィラデルフィアのセンターシティーに移転の手続きをしている途中らしいです。
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ESL卒業

2009年06月07日 | アメリカ学校/教育事情
来年度から、末娘は、ESLのクラスらか抜ける事になりました。
アメリカの学校に通い始めて、ほぼ5年でESLを卒業出来たわけです。

5年前にアメリカに来た時、彼女はアルファベットすら読めなませんでした。そんな彼女にとって、現地校での生活は、苦痛以外の何ものでもなかったでしょう。学校からか帰ってきた時には、ちょっと口は開く物の、だんだん元気がなくなり、夕食前にはソファーの陰で「阿明日も学校・・・」とシクシクしていましたっけ。朝起きても口数が少なく、スクールバスを待つ間も無言。バスに乗り込む彼女の背中を見ながら、「日本に帰ろうか」と考えたりもしました。

上の二人も小学校低学年で、初めてアメリカの学校に入った時には、英語なんて全然分かりませんでした。でも、何とか二年半頑張り通せたので、末娘も英語が分からなくても、「なんとかなるさ」とアメリカにつれて来たのですが、「小さい頃から英語を勉強させておけば良かった」と、どれだけ後悔した事か。
子供によって、環境適応能力も、言語能力も違うのですよね。

長女は最初の駐在の期間、1年生の12月から3年生の間、ESLに在籍していましたが、二度目の駐在の時には、4月にミドルスクールに入り卒業するまでの2ヶ月間のみで、ハイスクールに上がってすぐにESLは出てしまいました。ハイスクールの間、4年間はレギュラーの英語のクラスに入っていました。
長男は、それより遅れる事2年。最初の駐在でキンダーの12月から2年生までESLに在籍し、二度目の駐在の時は、9年生までの2年間はESLで、最後の二年間はレギュラーの英語のクラスを取りました。

そんな姉と兄のもと、少々焦った事もありましたが、スタートがスタートだっただけに、英語を無理に覚えさせる事はしませんでした。「いずれ日本に帰るので家では日本語がメイン」と、図々しくも面接の時に、先生にはっきり言っていました。人によって能力の発達は違うのし、限界もあると思ったのです。
「なんて親なんだ」と先生には思われたかもしれませんが、ほとんどの先生が理解して下さったように思います。幸いオハイオは、日本からの駐在員が多い土地柄、こちらの状況もよく分かって下さっていたのかも知れません。
それでも矛盾しているようですが、そんな環境に甘える事なく、英語も上達出来る事は願ってはいました。ただ、日本語と英語のバランスをとりたかったと言うか、英語ばかりが先行し、日本語を忘れてしまう事を避けたかったのです。そして、末娘には栄庫に対するプレッシャーを与えてくなかったのです。うまく言えませんが。

去年、フィラデルフィア郊外に引っ越してからは、環境も変わりました。ESLのほとんどの子供達が永住家族です。
生活水準もあまり高いとは言えない家族もいます。そんな子供達と一緒に教わるので、末娘だけが手を抜いてもいいと言うわけにはなりません。そして、現在の学校のESLの先生は熱心で、英語をマスターすると言うよりは、バイリンガルになる事を強く勧めてくれます。英語も母国語もきちんと勉強しなさいと言うわけです。
先生自身、末娘に関しては、母国語である日本語が年齢並に発達していない末娘に、どうやって英語を教えるかずいぶん悩んだようです。そんな先生の頑張りもあってか、それとも末娘も頑張ったのか、日本語も英語も作文力や読解力がついて着たように感じます。

そんなこなで、やっとこさESLを出る事が出来る末娘。今まで末娘に関わって下さった先生方には、本当に感謝です。

上の二人がESLを卒業しレギュラーの英語のクラスに入った時には、授業に付いて行けるか心配しましたが、意外と平気でした。彼等が言うには、ESLは文法やスペリングをきっちりやるけれど、レギュラークラスは読解が多いのだそうです。英語の文章さえ読めて理解出来れば、それほど大変ではないと言っていました。
とはいう物の、先生や学区によって勉強の仕方も違うだろうし、末娘の場合はどうなる事でしょう・・・。
心配は突きませんが、とりあえず、頑張ってもらいたいと思います。頑張れ!
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Winterthur

2009年06月06日 | Philadelphia周辺情報
前から行きたいと思っていたWinterthurに、やっと行ってきました。
それなのに、あいにくの雨・・・・。でも、行っちゃいました。

Winterthurは、先月出掛けたLongwood gardenからも近いです。Longwood gardenは、人の手がかけられているガーデンだと感じましたが、Winterthurは、庭園と言うよりは、「山、まるこど一つ持ってます」と言う感じでした。

Winterthurは、1951年10月に一般公開されたましたが、元々はデュポン家の邸宅でした。

1800年、デュポン一族は、フランス革命を逃れ、アメリカに移住しました。そして、1802年、E. I. (Eleuthère Irénée) du Pontが、一家はこのBrandywine Valley地区に住み着き、火薬工場として、デュポン社(E. I. du Pont de Nemours & Co.)を設立したそうです。
1810年代に、デュポン社は、このWinterthurの中心となる広大な土地を得ます。
1834年、創業者であるE. I. du Pontが亡くなり、子供達に多くの財産が残されました。
デュポン社の投資家Jacques Antoine Bidermannと、その妻でE. I. du Ponの娘でもあるEvelinaは、この地を他の兄弟から買い取り、20部屋のマンションを建築しました。そして、 Bidermannのスイスの先祖代々の名前から、Winterthurと名付けました。1839年、AntoineとEvelinaはWinterthurに移り住み、1863年にEvelinaが、そして1865年にAntoineが、相次いで亡くなりました。
1867年、Evelinaの弟であるGen. Henry du Pontが、彼の甥、つまりAntoineとEvelinaの息子から、自分の息子Col. Henry Algernon du Pont.のために、winterthurを購入しました。
そして1876年、1874に結婚したCol. Henry AlgernonとPauline Foster du Pontが、winterthurに移り住みました。

と言うように、デュポン家で受け継がれて行くわけですが、現在のようなガーデンやマンションを主に造ったのは、Col. Henry AlgernonとPauline Foster du Pontの息子About Henry Francis du Pontだったようです。
ヨーロッパや世界各地を旅をした彼は、アメリカの骨董品に関心を持ち、骨董品の収集を始めます。そして、1928年から1932年の間に、その収集のために家のサイズを倍にしました。
その後、20年間、この家に暮らしましたが、1951年に公に公開する事にしまし、現在に至ります。
それから、50年以上たった今も、こうして一般に公開され、彼等が集めたコレクションの数々が見られるわけです。
彼は、このWinterthurの他にロングアイランド・ニューヨーク・フロリダにも家を持っていて、このWinterthurには、春と秋の時期しか住んでいなかったそうです。

Winterthurに到着したら、ビジターセンターで美術館のチケットを買い、tramと呼ばれる車に乗り込みました。ガイドさんの案内を聞きながら、美術館に向かいます。
一時期、E. l. du Pontのひ孫であるHenry Francis du Pont(1880-1869)が家としても住んでいた、美術館は175部屋もあり、その一部がガイドツアーで見学出来ます。175部屋もあるので、一度に見学するのはとうてい無理ですよね。全ての部屋が、陶器や家具などのコレクションでいっぱいでした。85,000個もの17-19世紀の絵画、家具、陶器などがあるそうです。「The Midnight Ride of Paul Revere」で有名で、独立戦争の英雄と讃えられている、ボストンの銀細工師ポールリビアの手による銀製のジョッキもあるそうです。

美術館の外観と中
 

一角には、Campbell Collection of Soup Tureensなどもあり、いろいろな形のスープを入れる器が飾ってあり、面白かったです。(写真・上二枚)
美術館の裏には、プールもありました。


ランチは、ビジターセンターのカフェテリアで。「美味しいよぉ~」と言う声が聞こえてきそうな、甘いデザートは我慢して、量り売りの嬉しいサラダバーをいただきました。

あいにくのお天気でしたが、美術館を見るだけでも十分楽しめます。
春の時期は3月~5月が花が美しく咲いているそうです。また、秋もきっと奇麗だと思います。
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低カロリー・チリビーンズ

2009年06月05日 | 運動・ダイエット
The Biggest Loser: The Weight Loss Program Bookから、今回はチリビーンズのご紹介です。

以下のレシピは12人分で、一人分164カロリーです。一人分は、約カップ1杯分になります。

材料
たまねぎ(みじん切り) カップ3
ターキのひき肉 1 pound (450g)
トマトのみじん切り 3カップ
 ↑トマトの水煮缶8オンス(約230g)でもOK
Pint beans 15オンス缶 水を切る
black beans 15オンス缶 水を切る
チキンブロス(fat free) 1カップ
ニンニクのみじん切り 大さじ2
チリパウダー 大さじ2
オレガノのみじん切り 大さじ1
 ↑スパイスのドライの物の場合は小さじ1
クミン 小さじ1
マスタード 小さじ1
ブラックオリーブ カップ1/2
グリーンオニオンまたはシアントロのみじん切り カップ1/2

作り方
大きいフライパンか煮込み鍋などに、オイルをひいて、強火の中火でたまねぎを炒める。
たまねぎがしんなりしたら、ターキーを加える。強めの中火で6分ほど炒め、パラパラにする。
トマト、豆類、ブロス、ニンニク、(レシピの順番に)マスタードまでのスパイスを加える。
沸騰したら、少し火を弱め、フタをし、20分ほど煮込む。
火を止める直前に、オリーブとグリーンオニオンを加え、盛りつけます。

今までは、チリビーンズと言えば、牛肉か豚肉のひき肉を使っていたのですが、ターキーや鳥肉のひき肉でもいいわけですよね。もしくは、お肉を入れないという方法もありますが・・・。でも、それじゃ物足りない

量はレシピのまま書きましたが、けっこうな量です。この半量でも十分ですね。


ダイエット関連が多くなったので、カテゴリーに「ダイエット」を追加してみました。
今週で、私のダイエットも四週目に入りました。
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カロリー消費

2009年06月04日 | 運動・ダイエット
悲しい事に、年齢と共に、食事制限だけでは、なかなか痩せにくくなってしまったように思います。
おまけに、アメリカでは車で移動する事ばかりで、「歩く」という事が、断然減りました。だから、わざわざ運動する時間を作らなければなりません。そういう意味では、アメリカでの生活って、なんて不便。
日本に居る時には、1駅・2駅くらいは歩いて出掛けていたのに・・・。

最近の私の運動はと言うと、ウォーキングとピラティスと時間がある時に行くアパートのジムくらい。
ウォーキングは週に一回、近くの公園を1時間半ほど歩きます。この公園のコースは色々ありますが、私が歩いているのは、距離にして一周5マイル(8キロ)くらいです。一人ではさぼってしまうので、英会話クラスの友人と曜日を決めて一緒に歩く事にしました。
それから、これも週に一回、娘とPilatesクラスに行っています。1時間のクラスで、最初は15分ほど有酸素運動、その後、筋トレのような体操をします。ボールやゴムなどを使って、特に腹筋に重点を置いて鍛えます。最後によくストレッチをするせいか、ひどい筋肉痛は残りません。
後は、時間があれば、アパートのジムのトレッドミルで歩いたり、走ったりしています。

「The Biggest Loser: The Weight Loss Program Book」にも基本的な運動が載っています。目安をご紹介しますね。
普段あまり運動しない人は、週に3回、20-30分程の早歩きでのウォーキングから始めます。
次の週は、それを30分にすします。
3週目には30-45分に延ばす。そして、徐々に歩くスピードも上げて行くといいそうです。
4週目には、45分のウォーキングを週に4回に増やします。
5週目には、週に四回のうち2回は4週目と同じ、後の二回をインターバルをつけてウォーキングします。
6週目も5週目と同じですが、スピードを上げる。
と言うような感じで、12週目まで載っています。
以上は普段ほとんど運動をしない人を対しようにした、初心者向けの運動ですが、週に3回運動の運動を3ヶ月以上続けている人を中級、週に5-6回運動を長期間続けている人を上級者として、別に運動量が支持されています。

前にも書きましたが、テレビで放送されている人達は、合宿生活をし、毎日6時間運動しているそうです。彼等は週に5キロ痩せたりしますが、普通に生活していて、しかもテレビにでている人ほど体重のない人は、そんなに急激には痩せないと思います。逆に、痩せたら体を壊したり、リバウンドしたりします。月に3キロを目安にして下さいとの事です。
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The Silver Bullet と Morey's Pier

2009年06月03日 | Philadelphia周辺情報
末娘のESLのField trip (遠足)の付添で、バスで2時間ほどのニュージャージ州のWildwoodまで出掛けてきました。
当日は、あいにくのお天気。朝からどんよりとした曇り空でしたが、なんとか保ってくれました。

午前中は、The Silver Bulletに乗りました。The Silver Bulletとは、スピードボートで、ケープメイの辺りまで乗せてくれます。あいにくのお天気で、海上では霧が立ちこめていましたが、途中、イルカが泳いでいる姿が見られ、子供達は大喜びでした。
途中で、「Do you want to get splash?」とドライバーが言い、子供達は「Yeah!」と言うわけで、ぬれたくない人はボートの後ろへ移動しました。もちろん、私は前の方に・・・。なんだか、一番水しぶきがかかる席に座ってしまっていたようで、誰よりもびしょびしょになってしまいました。

 

その後は、Morey's Pierへ。
お昼ご飯をグループで食べ、思いっきり遊び回る。私は、末娘のグループ女の子達4人を引率。
Water Parkに行く」と言いながらも、途中の乗り物に乗りながらで、なかなかたどり着かない。
ジェとコースターに乗ったり、フライングカーペットに乗ったり、怖いながらも友達と一緒で、キャーキャー言いながら、とっても楽しそう。そんな彼女達を見ていると、私まで楽しくなる。

「時間が無くなるよぉ~」と言いながら、Water Parkへ急ぎ、プールでもすっごく楽しそうな彼女達。
水温が低いので、意外と早くプールから出て、最後は、女の子らしくお土産屋さんへ。思い思いにお土産を選んでいました。
ボードウォークは距離にしてどれくらいあるのでしょう。とても端までは行き着けませんでした。

 

夕食は、Morey's Pierのお店で食べました。末娘や多くの子供達が選んだのは、チーズステーキサンドイッチ。



写真は、食べかけでごめんなさい。
あっという間に食べて、また外に遊びにいってしまう子供も居ました。アメリカのこの年代の男の子って、決まって飲み物や食べ物を混ぜて遊ぶんですよね。この日も、当然のごとく、男の子たちはそれで盛り上がってました。

バスに乗ると同時に、サンダーストーム。しばらくは雨の中を帰りました。バスの運転手さん、ご苦労さまでした。
子供達は、さすがにタフで、バス中でもものすごくハイテンション。毎日この子供達を相手にしている先生、ご苦労さまです。
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