45年前の恩師の一言
(この自転車で、夜須町国光から、赤岡中学校まで通いました・・・・。家庭の事情で、10年近く赤岡の街から離れていました・・・・。まじめすぎる人格が、この間の数々の苦難が、人間を鍛えてくれたので、少しは締りが出来たのでしょうか・・・・。)
古い話になりますが、今もって、私の頭にこびりついていて、忘れられない、45年前の恩師の一言があります・・・・。
その当時というのは、私が中学校3年の頃でした。当時私は、体操クラブで、毎日のように放課後は練習をしていました。担任のY先生が、体操部の部活の先生でもあったのです・・・・・。
ある日の事、担任のY先生との面談の際に、言われた言葉は、『岩城君は、まじめすぎる・・・・。』この後先の言葉はあったのでしょうが、この一言だけは、今もって忘れることができません・・・・・・。
『まじめな』という事は、褒め言葉とは思うのですが、『・・・・過ぎる』という言葉の意味に、強い衝撃があったのかもしれません・・・・・・。早いものです・・・・・。あれから、45年の歳月が流れました・・・・。
その後の、Y先生は、私の両親の離婚や、通学も夜須町の国光から自転車通学の私の事を、大いに気にかけてくださって居たのでしょうか・・・・・・。ある日の事、Y先生に呼ばれていくと、『岩城君は、将来どんな道に進みたいどね?・・・・。』と聞かれ、私は特になかったので、『ありません!』と言うと、先生は、『君は、いろいろと器用なので、建築の仕事に向いているので、工業高校の建築科に、行ってみたら・・・。』と勧めてくれました・・・・・。
それが現在の私の存在とつながっているのです・・・・・・・。その大変にお世話になったY先生も十数年前に、亡くなりました・・・・・。
いまもって、恩師のその一言が、忘れられず、その意味が、解らないのです・・・・・・。しかし、その言葉の裏には、私の事を思いやってくれる、Y先生の温かい心を感じずにはおれない昨今なのです・・・・・。
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