ロシアの国境に近いアッツ島、日本の佐渡島ほどの広さです。アメリカ領のアッツ島、27人がアメリカ軍の捕虜となり、戦後日本に帰国しました。生還者の消息をたどりました。アッツ島には、食べる物も弾薬も何もなかったのです。降伏して捕虜になる事は固く禁じられていました。武器もなく、降伏も許されず、死ぬしかなかった兵士達。玉砕とは死ぬ事が目的の戦いでした。援軍を頼んでいるのですが、大本営に切捨てられているのです。自らが玉砕を強調したと繰り返し言っていますが、自分達が切り捨てていて、事実上の玉砕命令が出ていたのです。大規模な命の切捨てが行われていました。アッツ島では2638人が自滅行為を強いられました。それから多くの玉砕が広がっていったのです。アッツ島が玉砕の先駆けと言われています。ニューギニアやガダルカナルの戦いでもそうでした。負傷をおって歩けないないような人は、日本人自らが殺していったのです。こんなにも命が軽んじられていたのです。負ける戦いと分かっていたら引き返して貰おうと言う考えはなかったのです。自らが玉砕を志願したような言い方をしていますが、命は切り捨てられていたのです。なんとも痛ましい事でしょう。戦争とは命が麻痺するんですね。今だアッツ島にはたくさんの遺骨が眠っています。ひどすぎます。
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